第6話: 高原さんにもっと告白してみよう。
高原結衣のことが、嫌いだった。大嫌いだった。
そうだ。俺はどうしても、この気持ちにケリを付けなきゃいけなかったんだ。あの未来に、辿り着くために。
「……」
高原さんは笑顔のまま、固まっていた。構うものか、彼女の耳に俺の言葉が届きさえすれば。
「理由は簡単、君が『人気者だったから』ーー俺みたいな捻くれ者はそれだけで、人を嫌いになれるんだ。みんなから好かれてるやつってのは、どうも気に食わない。まあよくある嫉妬だと言われれば、それまでだけど」
淡々と、続ける。周りの目も気にせず、高原さんからも目を逸らさず、言いたいことを言い続ける。
その全てが、俺の本心だ。俺は彼女のことが、嫌いだった。同じクラスになった時から。あるいはもっと、前から。
「だけど俺が一番気に食わないのは、その笑顔だったんだ」
その固まった笑顔に向けて、俺は指を差す。
「君は人気者のくせに、いつもつまらなそうだった。学園のアイドルで、みんなにちやほやされて、そんな人生楽しくて幸せに違いない、はずなのに。君の笑顔はいつも嘘だらけで、その笑顔の奥はいつも、つまらなそうだった」
落ち着いて、一つ一つ丁寧に、俺は厳しい言葉を投げ続ける。
気づけば、彼女の顔からは既に、笑顔は消えていた。当たり前だ。こんなことを面と向かって言われて、笑顔を続けていられるわけがない。
「とにかく俺は、そんな君の笑顔が、嫌いだった。まったくつまらなそうにしやがって。横のそいつらのほうが、よっぽど人生楽しそうだぜ」
今度は例の二人に向けて、俺は指をさした。
「……なっ」
その行為に気分を害したのか、二人は俺を睨みつけてくる。構うものか、教室中の注目の的になっている中で、この二人に何か言い返せる勇気があるとは思えない。
だけど、高原さんはどうだ? 今まさに注目の的になっているのは、間違いなく俺と高原さんだ。
「なあ、いつもいつもつまらなそうな、高原さん。名前も覚えていないような取るに足らない俺の言葉なんて、君には届いてないかもしれないがーー聞かせてくれ。どうして君はいつもそんなに、つまらなそうなんだ?」
俺の質問に、彼女は答えない。俯いた顔は前髪で隠れて、表情が見えない。
時間は過ぎていく。何分経った? 何時間経った? 分からない。だけどこのまま彼女が黙ったままなら、もう本当に、終わりだ。
「……質問に答えられないなら、話はもう終わりだ」
痺れを切らした俺は、教室の出口に向かう。カバンは既に、手に持っている。大丈夫だ、これでいい。俺は間違っていない。
「あ、あと一つ」
言い忘れていたことがあったので、もう一度彼女の方を向き、俺は言う。
「俺の名前、実は野崎っていうんだよ」
なにせ未来で自分の名字になるんだ。これだけは、覚えておいてもらわなくては。
まあこの状況からしてもしかしたら、もうそんな未来は失われてしまったのかもしれないがーー
さて。廊下に出ると、他のクラスの生徒も教室の前に集まってきていた。騒ぎの匂いを嗅ぎつけたのだろう。全くこいつらも、人生楽しそうだな。
そのまま野次馬たちをかき分けるように、俺は歩みを進める。それでいい。みんな幸せなら、それでいいーーだけど、君は。
「まって!!」
そうだよな。追ってくるよな。このままじゃ、終われないよな。
振り返ると、高原さんが廊下に立っていた。野次馬たちは避けるように廊下の端に寄っており、おかげで彼女の顔が正面からはっきり見えた。
その表情は、普段の彼女からは想像もつかないほどに、怒りに満ちていた。
目には涙を浮かべながら。
「……名前くらい、覚えてるよ」
「……なに?」
「馬鹿じゃないんだから、クラスメイトの名前くらい覚えてるよ……それでも興味ないアピールしてれば私から離れてくれるって、そう思って、わざわざやってるんでしょ?」
顔を真っ赤にして、涙をポロポロ流して、息を震えさせて。彼女は言う。
「あなたになにが、分かるの……?」
「……高原さん」
「なんなの!? 私だって好きに、こんな風になったんじゃない……ないもんっ!!」
そして、今まで聞いたこともないような大きな声で、彼女は叫んだ。そこにはいつもの優しくて人気者の彼女の姿は、ない。未来にも過去にも、こんな彼女はいなかった。
「勝手にアイドルとか人気者とか言い出したの、あなたたちじゃない! ばっかみたい!」
彼女は叫び続ける。心底悔しそうに。
「こんなの全然、楽しくなんかない。ちょっと男の子と仲良くしたら、騒ぎ立てられて……! みんな私が誰を振ったとか、誰とはいい感じとか、そんな話で盛り上がって! もう、うんざりなの!!」
それは誰に対しての言葉か。きっとこの学校の、いや、この世界に対する、それは怒りだった。
自分が男子と関わると、すぐに周りが騒ぎ、囃し立てるから。それが彼女にとって強いストレスに、なっていた。
だから彼女は男子と距離を起き、やんわりと優しく、拒絶するようになっていったのだろう。
「もう嫌だ……。私だって普通に、男の子と付き合ったりしたい! みんなから何も言われずに、好きな人を作りたい……! でも、こんなんじゃ」
もう誰も、好きになんてなれないよ。悲痛な声で、彼女はそうこぼした。
ああ、そうか。そうだったのか。
俺の想像以上に、君の抱えていたものは、大きかったんだな。
「なんで、つまらなそうかって……?」
全ての力を出し切ってしまったかのような枯れた声で、それでも彼女は続ける。その姿はもはや、痛々しくさえ見えた。
「そんなの、つまらないからに決まってるじゃん! もうやだ、やだよ……こんな、こんな生活、なにも楽しくなんてないーー」
「だったら俺と付き合え、高原!」
俺はそう、叫んだ。
何十人も生徒がいる廊下とは思えないほど、声は響いた。もしかしたらこの場所には、俺たち二人だけしかいないのかもしれなかった。
「……今、なんて」
「俺と付き合えと言ってるんだ、高原結衣」
「な、なにを、急に」
「俺と一緒になれば本当に心から、笑える!! 幸せになれるんだよ、君は!!」
さあここからだ、俺が本当に伝えたかったことは。
「な、なに言ってるの……? 大体あなた、私のこと嫌いなんでしょうっ!?」
ああ、嫌いだったさ。それは間違いない。少なくとも、あの日までは。
「でも仕方ないだろう! 好きになっちまったんだから、君のことが!」
「はぁ!? 意味分からない!! なんで!?」
「君の楽しそうな笑顔を、幸せそうな笑顔を、見てしまったから! 君の本当の笑顔を知ってしまったから! 好きになったんだ!」
知らなかった。高原結衣が、あんな顔で笑うなんて。あの笑顔を一目見たときから、俺は君に心を奪われたんだ。
捲し立てる。ああちくしょう、さっきとはまるで違う。流石に顔から、火が出そうだ。
だけどきっとそれは、彼女も同じだった。紅潮した顔で、戸惑いながら、視線を泳がせながら、彼女は言う。
「な、なに言ってるの……? 幸せそうな笑顔って、なに? 一体あなた、いつの話をしてるの?」
「いつ? いつだって? 高原ーー」
俺は力の限り、叫ぶ。はるか遠くを見据えて。
「これからさ! これから君は笑顔になるんだ! 幸せになるんだ! 俺と付き合えば、必ずそうなる!!」
「なにバカなこと言ってるの!? なんでそんなこと、言い切れーー」
「俺が未来人だからだ!!」
キョトンとする、高原さん。廊下から、あるいは教室からも、困惑の声が上がる。俺たち二人だけかと思ったこの場所には、どうやら他の生徒もいたらしい。
ああそうだろう。何を言っているんだって感じだろう、なんの根拠があって、と思うだろう。
だけど高原さん。これで君は、納得をせざるをえない。だって俺が未来人だというのならーー全て、辻褄が合うだろう?
「つい一週間前のことだ、俺がここにやってきたのは。俺は未来からタイムリープしてきたんだ」
俺は、ついにその事実を伝えた。
「未来で俺と君は、夫婦になっていた。食卓を囲んで、一緒にご飯を食べて、幸せそうに笑い合ってたんだ」
徐々にざわめきが戻ってくる。なにいってんだあいつ。やばくね? 頭おかしい。といった声ーーと、僅かな笑い声も聞こえるが、これは多分西本の声だ。
「俺は未来で、世界で一番幸せな男になっていた。そしてーー」
彼女に向けて、また指をさす。
「君は世界で一番、幸せな女になっていた。俺の口にシチューを運んで、微笑んでーーあの時の君の笑顔は、最高に輝いていたぜ」
俺は息を吸って、吐いて、そして言った。
「君は幸せになれる、結衣」
さしていた指を折り、今度は手の平を広げ、彼女に差し出す。
本当にもう。叫びすぎて、俺の声も既に枯れていた。このままいけば俺は、ただの頭のおかしな変人だ。
だけど、どうだ? 果たして本当にこの場にいる変人は、俺一人か?
そう。君が現状を『つまらない』と感じていたのなら、きっと君は、この場で『なにか』が起きることを期待していたはずだ。だから君は先程も、俺の誘いを断らなかった。『みんながいる教室で告白をする』という俺の暴挙に、乗ったんだ。
だとしたら君は、きっと。
「なにそれ……」
高原さんは顔を伏せ、ボソっとつぶやいた。
「馬鹿みたい……未来人とかタイムリープとか、もっとマシな嘘ついてよ」
「嘘じゃないな」
「嘘でしょ。質の悪い冗談。やめてよ、そういうの」
「冗談でもない」
「だったら証拠に見せてよ。その幸せな未来とかいうやつ」
「ああ、すぐに見せてやる」
俺はまっすぐと、彼女を見つめる。
そんな俺の力強い視線が届いたのか、高原さんは顔を上げ、彼女も俺の目をじっと見つめ返す。十秒、二十秒、沈黙の時間が続く。
そしてーー
「……そう。それなら」
付き合ってあげる。
そう言って、彼女は俺の手を握った。
再びこの世界は、俺たち二人だけになった。ような気がした。
「絶対だから。約束だよ」
「ああ、もちろん」
「……ふふっ、それじゃーー」
「ーーよろしく、野崎くん」
そう言って、彼女はまた微笑んだ。それは取り繕ったつまらなそうなものでなく、間違いなくあの時あの未来で見た、光り輝くような、笑顔。
俺の大好きな笑顔だった。