第4話: 高原さんのことを考えてみよう。
「ねえ、野崎」
何も進展がないまま数日が過ぎた頃。教室で、俺に話しかけてくる女子の声があった。残念ながら、高原さんではない。二人組だった。
「あんたも、結衣のこと好きなの?」
と、俺に問いかけてきた方は、明美ちゃんーー浜中さんだ。そしてもう一人も、高原さんの友人で、名前は確か伊東さん。
「えっ? なんだよ急に」
「とぼけんなってー。しかし野崎も、やっぱそうなんだぁ」
妙な口ぶりだが、つまり彼女たちはここ何日かの俺の行動から、高原さんへの好意を感じ取ったということなのだろう。
「で、告白は? 当然?」
今度は伊東さんが俺に聞いてくる。
「当然、するつもりだけど」
「ふゅー! だよねだよね!」
「いつ、いつするの? どこで?」
テンションが高まる二人。なぜこんなに俺に興味津々なんだこの人たちは。今までこの二人とも、絡みはなかったはずだが……。
「まあ、近いうちに……ていうか、君らに教える義理はないぞ」
「はぁ? あたしたち、結衣の友達なんですけど?」
そんなの関係あるか。と言いたいところだが、友達どころか名前すら覚えられていない俺が文句を言ったところで、惨めなだけなのでやめておく。
「あたしたち応援してるから、頑張ってね!」
「……どうも」
そのエールはありがたく受け取るが、多分本気でうまくいくとは微塵も思ってないな、と俺は二人の態度から感じとった。別にそれは西本も同じなので、どうでもいい。
その日の放課後、俺は図書室に向かった。恋愛マニュアルとか攻略本とか、そんなものでもあれば借りてみようかと考えたのだ。
しかし当然そんなもの、学校の図書室にあるわけがなかった。もはや自分でも迷走しているのが分かる。こんな調子で、いつになったら彼女に近づけるのか。
ただこの日、図書室に寄ったことが、結果的には功を奏した。なぜならそのおかげで、タイミングが合致したから。
帰り際、誰もいない玄関ホールで、たまたま鉢合わせたのだ。
「高原さんも、今帰り?」
靴を履き替える彼女に向けて、俺は懲りずにいつも通り話しかける。
俺の存在に気づいた彼女は、「うん」と反応して、
「永倉くんも?」
と、大して興味もなさそうに聞いてきた。名前はもう、『野崎』の原型すらなかった。
未だ、俺と高原さんの距離は、夫婦にはほど遠かった。
「この後どっか、遊びにいかない?」
そんな彼女を、俺はまた誘う。
「ごめん。今日、これからバイトなの」
やはり断られた。というか、バイトなんかしていたのか。バイト先でもアイドル的存在なのかな、なんて他愛もないことを考える。
「じゃあ、また明日」
そしてまた取り繕ったような笑顔で、去っていく。なんて彼女は、取り繕うのが下手なのだろう。分かり易すぎる。だからこそ、心が折れそうになるのだが。
ふと、聞いてみることにした。
「高原さん、料理得意だったりする?」
彼女はピタッと足を止め、振り向いた。
「えっ、なんで……?」
「なんとなくね」
呼び止めることに成功したのは、意外だった。チャンスとみた俺は、畳み掛ける。
「そうだ。得意料理、当ててみせるよ」
「……?」
俺は少し考える素振りをみせる。実際は考えるまでもなく、浮かんでいる答えは一つだった。
「クリームシチュー」
「えっ……」
高原さんは、今までで一番、驚いた表情をしていた。というか、多分引いていた。
「……な、なんで分かったの?」
「当たりか? 単に俺が一番好きな食べ物を言ってみただけなんだけど」
嘘ではない。俺はあの時口に運んでもらったシチューが、どんな料理より好きだ。味は覚えていないけど。
「しかし、偶然だね。俺の好きな食べ物が、君の得意料理とは」
じゃあ作ってあげる、という言葉までは期待していない。どちらにしろ数年後、食べさせてもらうことは確定しているのだ。最悪それまで我慢するさ。
ただ、少しでもこれが会話のきっかけになればいいな、と思ったーーそんな俺の願いは、
「うん、そうだね」
あっさり打ち砕かれた。
「私もう帰るね」
といって、彼女はさっさと帰ってしまった。
「……んん」
なんだろうか、この感じは。全く手応えがない。失敗からくる虚しさすら感じない。最悪、気持ち悪がられてもいい。彼女の印象に、残れるのならーーそんなつもりで言ってみたのに、それすらもなかった。何も起きなかった。
得意料理を当てられて一瞬動揺は見せたものの、俺という存在を意識させるところまでには、至っていない。
高原結衣。君にとって俺は、とるにとらない存在か? 道端に転がる石と同じか?
いや、もしかしたら彼女にとってはすべての男子が、そうなのかもしれない。そうなのだろう。
『今は恋愛に前向きになれないから』ーーだったらいつ、君は前向きになれる?
「……はぁ」
ため息をつきながら、俺は玄関ホールを背にし、また図書室に戻るとする。今度は恋愛指南書でなく、心理学の本とか、少しでもなにか役に立ちそうな本を、探すために。
しばらくその辺りの本を漁ってみたが、結局何も収穫はなかった。あるわけがない。きっと『高原結衣の専門書』でもなければ、結局彼女を理解することなどできないのだろう。
もはや急いで行動する必要もないのでは、とさえ思いはじめる。
あの時見た未来の光景、その正確な時期は分からないが、まさか一、二年先の話ではないだろう。恐らくタイムリミットは、まだまだ先だ。ならば今、急いで彼女と付き合う必要も、ないのかもしれない。
そんな後ろ向きな考えが出てきてしまうほど、俺の心は折れかけていた。
今度こそ帰ろうと、俺は再び玄関ホールに訪れる。
「ふぅ、超疲れたわー」
「ね、早く帰ろ帰ろ」
偶然は重なるもので、また俺は、タイミングが良かったみたいだ。あるいは、悪かったのかもしれないが。
玄関ホールに、今度は女子が二人ーー例の浜中さんと、伊東さんだった。
持っている荷物を見る限り、二人はどうやら同じ部活で、その帰りのようだ。
こちらには気づいてないようだったので、声をかけようかと思った矢先、
「いやー、しっかし次は野崎かぁ」
と、俺の名前が聞こえてきた。なんだ、噂話か? 気になるので、隠れて様子を見ることにする。
「本当、途切れないよねー。もう百人超えたんじゃね?」
「ねー。マジ伝説だよね。ほんと、『学園のアイドル』の名は伊達じゃないね」
いや、これは俺の噂話ではない。高原さんのだ。しかし本人がいないところでこんな話題が上がるあたり、彼女の人気者っぷりが伺える。
「それな。まあどうせ今回も、振るんだけどねー」
「そりゃ倉木先輩振ったくらいだしねえ」
「マジあり得ないよね。超イケメンで、超サッカー上手いのに」
「マジもったいねー、誰ならいいんだよって感じ」
「案外野崎あるんじゃね? 意外とああいうの好みとか?」
「あははは、じゃあまた賭ける?」
「じゃあ私、振られるに千円賭けるー!」
「野崎あるんじゃなかったのかよ!」
きゃはははと、二人で楽しそうに笑いながら、彼女たちは校門へと去っていった。
結局俺の話でもあったようだが、あまり聞いていて心地よい内容ではなかったな。
多分、高原さんにとっても。これはいわゆる、陰口だ。
「ふぅ……」
なんとも言えない感情を抱えながら、俺も靴を履き替え、帰路につく。
帰宅し部屋に戻ると、一人ベッドに寝転び、そして思考する。
学園一の人気者である高原結衣。誰からも好かれる、みんなの憧れの美少女。
だけど、先ほど見たあの一場面。彼女と仲が良いはずの友人による、陰口。
そこに俺は、真実の一端を見た気がしたーー否。本当はもっと前から、気づいていたはずだ。学園のアイドルだなんていっても、まさか本当に学園中の全ての人間から、好かれているわけではないーーそんなことくらい、俺は気づいていたはずなのだ。
もしも。高原さんの男子に対するスタンスが、その事実に起因するものだったとしたら。
男子との間に壁を作り、一定以上、決して距離を詰めようとしない。彼女が恋愛に前向きになれない理由とは、つまり。
だとしたらーー今の俺になにができる? 彼女が作った心の壁を、乗り越えることなどできるのか?
考えろ。考える。考えて考えて考えて、そしてーー
心は、決まった。
明日俺は、高原結衣に告白する。