其れは文章の腹の中
メロスは激怒した。
私は、太宰治さんの小説『走れメロス』の一言目に心を奪われた。苛烈に咲き枯れる花のような、砂塵から産まれた濡れ土のような、とにもかくにも美しい。そんな言葉を私も書いてみたいと思った。
今でも覚えている。あの時私の両手は、文章に浸ったのだと。
そう、小学生の頃の話だ。
二千二十四年のはじめ。とっくに大人になっていた私は、壊れた心をさらに壊してしまった。それは、まるで死角からの事故にあったかのような突発的でどうしようもないことであった。
「嗚呼、壊れたな」
そんな風にしみじみと感じてしまう、精神の故障。その症状は重く、私には絶対ありえぬはずのことが起きてしまう――――ほど――――――――。
文章が、書けない。
寝込むほどに体調を崩していても文章だけは書けた私であるのに。
精神にバグが発生しても其れを好んで文章化したがる私であるのに。
「書けなくなってしまったのだ」
正確には、書ける日もあるが、確実に、書けない時間が増えていった。
言い換えるならば、書ける時間が日に日に減っていった。
それはまるで、いや、事実として、生きる方法を奪われていく体験そのものであった。
そんな中。
私が思ったことは「書けるうちに、書きたいことをできうる限り書いておこう」ということ。「まるで遺書ではないか」と嗤うものもいるだろうが、心の底からそう思ったのである。
ともかく。
前を向け、己よ。
前を向け、物書きよ。
あの日、走れメロスのはじまり『メロスは激怒した。』という言葉に心奪われた私は今もいる。
ならば、走れるはずだ。
この両手はまだ、書けるはずだ。