公務中の王女殿下に食事として供された八珍の一皿
1~2枚目の画像を生成する際には「AIイラストくん」を、3枚目の画像を作成する際には「Ainova AI」を使用させて頂きました。
私こと愛新覚羅白蘭は中華王朝の第二王女として様々な土地を公務で訪れておりますが、その中でも此度の黒龍江省での公務は特に忘れられない物になるでしょうね。
何しろ中華王朝北東部に位置するこの黒竜江省は、我が愛新覚羅氏を始めとする満州族の故郷でもあるのですから。
「山や街路樹もまるで燃えるような赤一色で…北京から北東へ約二六百里も進みますと、こうも変わるのですね。」
公務を終えて一段落した私は、すっかり紅葉シーズンの訪れた黒竜江省の町に思わず感嘆の溜め息を漏らしてしまったのでした。
私を始めとする王族の住まう紫禁城の位置する北京では、まだここまで色付いていないのですからね。
こうして国内各地の多種多様な気候や文化を肌で感じて学び取るのも、公務ならではの醍醐味と言えるでしょうね。
紫禁城に設けられた上書房での座学も確かに大切ですが、こうして現地で五感を存分に駆使する体験学習ならば理解もまた存分に進むという物ですよ。
そうして満州地域の気候や文化風俗に直接触れる事の出来た私が更なる学びの機会を得たのは、公務最終日における会食の時だったのです。
「此度は愛新覚羅白蘭第二王女殿下と同席させて頂き、誠に恐悦至極で御座います。私こと佟佳聖音、この黒竜江省を預かる巡撫として光栄の至りに御座います…」
そうして静かに拱手の礼を示す巡撫の声色は、実に穏やかで落ち着いた物でしたよ。
「此度の昼餐はこの満州地域ならではの食材を御用意させて頂きました、愛新覚羅白蘭第二王女殿下。殿下の御気に召して頂けたら幸いです。」
「まあ、巡撫…それは楽しみで御座います。」
農業が盛んで水稲や大豆といった主要作物の生産量の高い黒竜江省は、正しく中華王朝北東部が誇る肥沃な大地と言えるでしょう。
その黒竜江省の人々の舌を唸らせた食材とは、果たして何なのか。
私の期待も否応なしに高まるのでした。
やがて給仕の者が現れたのですが、彼女の運ぶ盆には肉の煮込み料理が盛られていたのでした。
「まあ…」
白い湯気と共に立ち上る醤油味噌の甘い芳香には、私も思わず息を呑んでしまいましたよ。
しかしながら、私には煮込み料理に用いられている肉の品種が全く分からなかったのです。
「巡撫、この料理は何の肉なのでしょう?」
「殿下、こちらは猩唇に御座います。この土地の秋の珍味でもあり、明と清の時代の宮中でも愛された歴史ある一品に御座いますれば…」
巡撫の答えを聞いた時、私は思わず硬直してしまったのでした。
豪奢を極めた宮廷料理でも別格の珍味として珍重された八珍の中に猩唇が含まれている事は、私も史書等を通じて存じ上げております。
しかし私の記憶が確かならば、猩唇とは猩猩の唇の事を指すのではなかったでしょうか。
「巡撫、私を歓待しようという御気持ちは確かに感謝致します。しかし現在の国際社会では、猩猩は希少動物として扱われているのですよ。それを食材にしてしまっては、私は民達や国際社会にどう顔向けすれば良いのやら…」
「ああ、殿下!御叱りは御尤もで御座います。しかしながら、殿下。この猩唇の出処は至って健全な物で御座います。」
巡撫の弁明によりますと、此度の昼餐に供された猩唇は猩猩の肉ではなかったのです。
初期の八珍では本物の猩猩の肉が用いられていたようですが、清代の頃になると鹿の一種である四不像の頬肉を猩唇と呼ぶようになったのですね。
何でも鹿の頬肉は干したら猩猩の唇にそっくりな形になるらしく、希少な猩猩の代わりとして四不像が用いられるようになったそうで御座います。
この四不像も現在では絶滅が危惧される希少動物となってしまいましたが、それはあくまでもシカ科シフゾウ属に分類される生物学上の四不像に限っての話。
この満州地方ではトナカイを指して「四不像」と呼称するため、今でも四不像料理を心置きなく楽しめるそうで御座います。
そして勿論、「四不像」と呼ばれるトナカイの肉を用いた猩唇に関しても。
「成る程…トナカイの肉でしたら、帝政ロマノフ・ロシアや北欧諸国等で広く食用に用いられておりますからね。そもそもボルネオやスマトラといった東南アジアで生息している猩猩を、この満州で捕獲するなど無理な相談です。」
「仰せの通りで御座います。それでは殿下、どうぞ御賞味下さいませ。」
笑顔で頷く巡撫に応じながら、私は静かに箸を伸ばしたのでした。
「ほう…」
醤油味噌で煮込まれたトナカイの頬肉は、それは見事な味わいでしたよ。
肉質は上質で食べ応えがあり、その上アッサリとしていて臭みやクセが気にならないのですからね。
私を始めとする愛新覚羅王家は清朝皇族の末裔なのですが、きっと歴代の清朝皇族の方々も、この四不像を用いた猩唇の料理に舌鼓を打たれたのでしょう。
北京の紫禁城で生まれ育ち、御先祖様の故郷である満州地方への来訪も今回の公務が初となる私ではありますが、こうして御先祖様や満州の土地との繋がりを改めて認識する事が出来て喜ばしい限りで御座いますよ。
「もしも我が中華王朝の時代に八珍を復活させるなら…その際には、この猩唇も加えたい所ですね。」
昼餐の箸を進めながら、私はこのような事を口走っていたのでした。
どうやらトナカイ肉の豊潤な旨味に、随分と上機嫌になってしまったようです。
「それは良い御考えで御座います、殿下。しかし恐れながら申し上げますが、猩唇と銘打つのは避けられた方が宜しいかと存じ上げます。もしも八珍に加えるならば大元帝国の迤北八珍に倣い、鹿唇と呼称された方が…」
「猩猩の肉を用いていると誤解されずに済みますからね。巡撫の仰る通りですよ。」
何しろ私自身が、先程そのように勘違いしたのですからね。
八珍の復活に携わりたいならば、この進言は肝に銘じなければなりませんね。