悪辣女神の暇つぶし
「あら、もう戻ってきちゃったんですか?」
「もう戻ってきちゃったんですか? じゃないわよ! どういう事!? 始まる前に終わったじゃない!」
「何を言っているんです、きちんと始まってたじゃないですか」
いくつかの世界を管理している女神は、そこそこに有能であった。
有能であるが故に暇を持て余す事も多く、そういう時にちょっとした暇つぶしをする事もあった。
魂とは巡るもので、ずっと同じ世界にあると摩耗してしまう。それ故何度目かの輪廻で別の世界に流す事もあるのだが。
そこで、女神はやたらと異世界転生だとか異世界転移だとかに詳しい世界の人間の魂を自分が管理する世界に送る事にしたのである。
詳しいといっても別の世界に直接行ったり魂そのものをどうこうして異世界に、とかできるわけではない。
ただ、その世界では創作物としてその手の話がやたらと溢れているのだ。
なので実際に異世界転生した事がなくとも、女神がこれから貴方は別の世界に生まれる事になります、とか言うだけでなんでかほとんど理解した、みたいな反応をする魂が多い。
本来ならばわざわざそんな事を告げる必要もないし、何だったら特殊能力とか与える必要もない。もっと言うなら前世の記憶を残したまま、なんてこともする必要がない。
流石に全員をそういう風にするわけではないが、たまたま目についた魂でそれをやるのは、本当にただの暇つぶしなのだ。
そして今回目をつけた魂は、前世で女子高生をやっていたまだ年若い魂であった。
サブカルチャーとやらに詳しいのか、最初に女神と相対した時点で、
「もしかしてこれって、異世界転生!?」
とか言い出したので女神からすればとても話が早かった。
何も知らない魂を送り出すのもいいが、この手の自分わかってますタイプは実のところ何もわかってない事が多く、その滑稽さが女神は大変お気に入りであった。ちょっとした道化を見る気分である。
魂ロンダリングのお話をざっくりとすれば、少女はそういうものなのねとあっさり理解したし、なので次にあなたが転生する世界は前の世界とは別ですという話もすんなり受け入れた。
「それで、転生したい世界の希望はありますか? 必ずしも希望通りになるとは限りませんが」
女神がそう言えば、少女はややしばらく考え込んだ。
命の危険がない世界がいい、というのは女神も理解できなくはない。
中には日常に退屈しすぎてスリリングな世界に行きたいなんていう魂もいたけれど、日本と呼ばれる平和な社会で生きてきた、大して人生経験積んでいない奴がそんな世界に行けばどうなるか。結果はいくつか分かれるものの、まぁ大体お察しである。
なのでここでそういった世界を所望しない少女に、女神は案外堅実ですね……と内心感心していたのだが。
今転生できる世界はこういうところです、といくつかの候補をあげれば少女はとある世界に食いついた。
なんでも前世で遊んだ乙女ゲームとやらの世界にとてもよく似ているらしい。
その内容をかいつまんで聞いてみれば、成程確かにこれからあの世界が辿る道筋とほぼ同じであった。ほぼ、というのは乙女ゲームとやらのエンディングが複数あるからであって、歴史という大きな面で見る分には大した違いはない。
多少、本来の流れと違う事が起きたとしても最終的に帳尻が合えば問題はないのだ。
「わかりました、ではその世界に転生させましょう」
「あ、ねぇ、転生特典とかってないの!?」
女神は思った。
なんて厚かましい。
神に願い事をする人間はとても多いけれど、どうして神がたかが矮小な人間風情の願いを叶えてやると思うのだろう。大した信仰心も持ち合わせていないくせに。
信仰心を持って、なおかつなんらかの――こちらがそれを与えて構わないと思った時に気まぐれで願いを叶えてやる事はあるけれど。そりゃあ信仰心が神の力になる、というのもあるけれどその信仰を得るためだけにホイホイ願いを叶えるかと言われればそうではないのに。
どうしてお前にそのようなものを与えてならねばならないのですか、と言いそうになったが女神は外面を取り繕うのがとても上手だったので、そんな事を思っているとは微塵も感じさせずにこりと微笑んだ。
「どのような特典をご所望ですか?」
「誰からも愛される能力が欲しい!」
「愛、ですか……まぁいいでしょう」
「やった!」
「それでは、新たな生を楽しんでいらしてくださいね」
「ありがとう女神様!」
その言葉と同時に少女の姿が消える。
誰もいなくなった空間で、女神は、べ、と舌を出した。
「自ら愛されるために努力した結果得る愛ならともかく、何もしないで与えられる愛とか、本当にそれ、必要です?」
そもそもあの少女の言う愛がどのようなものなのか、女神は聞こうとも思わなかった。
だからこそ、女神は女神の知る愛の形の中から一つを選んだ。どのような愛かを指定しなかったのはあちらですし。
それにそもそも、向こうから乞食のように集ってきたのだから、これで充分でしょう。
そう思って。
――少女の前世は、とても幸福な人生とは言えなかったがかといって不幸であると嘆くほどでもなかった。己の不幸を嘆いたところでそれを聞いた第三者からすれば、まぁそんな事もあるよ、程度の感想しか抱かれない人生。
見た目が悪いわけでも、頭が悪いわけでもなかった。
性格が悪いと言われたこともない。
友人だっていた。
けれども、人間関係が良好か、と聞かれると素直に頷けなかった。
少女はどうにも間が悪かった。
少女はどうにも誤解を受けやすかった。
後になってあの時はごめんね、と謝罪された事もある。
後になって誤解が解けて申し訳なかった、と頭を下げられた事だってある。
けれども、そこに至るまでの期間はやはりどうにもピリピリとした空気が漂っているようだし、心地が良いとは言い難い。
最終的に上手い方向へ転がってるとは思うけれど、途中経過が悪いのだ。
途中経過も最終的な部分も上手くいってる他の人を見ると、どうして自分もああならないのだろうか、と考えたりもした。要領が悪いとか、そんな事はないはずなのに。
けれども揉める時、どうしてかタイミングの悪さを感じる事はあったし、また他の人から一言余計だ、なんて言われる事も多かった。自分は必要だと思ったからこそ伝えた言葉を余計だ、と言われたら、流石にどうしていいかわからなくなる。
自分と同じような事を言っても険悪にならず、それどころか仲睦まじい様子の他の誰かを見ていると、だからこそとても羨ましかった。
きっと、周囲の好感度の違いなんだろうな、なんてゲームのステータスみたいな事を考えて無理矢理自分を納得させた。
あの人は自分よりあの人と仲がいいから、自分の言葉よりあの人の事を信じるのは仕方がない。
あの人に信用されなかったのは、好感度が足りないのときっと何かのフラグを立ててなかったからだ。
現実はゲームではないのに、まるでゲームみたいに認識して行動していく。
そうする事で自分の精神を守ろうとしていた、と言ってしまえばそれまでの話。
だがしかし少女は新たな生を得た。
いくつかプレイした中で一番好きと言えるくらいにはお気に入りだった乙女ゲームの世界とほぼ同じ世界に転生できたのだ。
ヒロインの立場として生まれる、という風に願えばよかったのかもしれないが、ヒロインにはそれなりに山も谷もある人生が待ち受けている。正直苦労はあまりしたくなかった。
美味しいとこだけ味わっていたい。
だから、誰からでも好かれるような、皆から愛される存在を望んだ。
おぎゃあと生まれた直後から、その能力は発動していたらしい。
母が、父が、愛らしいと褒めそやす。
いいとこの家に生まれたからか、使用人たちもいた。彼ら彼女らもまたこぞってなんて素敵なのかしら、と生まれたばかりで正直サルにしか見えないだろう赤ん坊に眉を下げふにゃりと笑った。
生まれた時点でこれなら、成長したらもっと……
期待に胸弾ませていたのは、一瞬だった。
「あぁ、嗚呼、可愛い私の子。愛しているわ」
母が手を伸ばす。てっきり抱き上げられるのかと思いきや、その手は赤子の首に置かれる。
「う」
そうしてあっという間に母は自ら産んだ赤ん坊の首をきゅっと絞めた。
もっと大きければ、抵抗もできただろう。
けれどもまだ生まれたばかりの、最近ようやく薄っすらと目が見えてきたかな、というような赤ん坊ではロクな抵抗もできなかった。泣き叫ぼうにも首を絞められているので声がマトモに出せない。苦しくて腕を動かして藻掻いたけれど、細くしなやかな母の腕とはいえ赤ん坊がそれを外せるはずもない。
苦しくて、どうにかしたくて。
それでもどうにもできなくて。
ふっ、と意識が遠のいたと感じた時には――
少女は生まれる前に出会った女神がいた空間へと戻っていた。
そうして冒頭の女神とのやりとりである。
「全く、一体何が不満なんです。アナタは愛されていたでしょう」
「愛されてって……殺されたじゃない! それも母親によ!? なんで!? どうして!?」
少女には理解できなかった。
例えばこれが望まぬ妊娠からの出産で、こんな子いらない、という気持ちがあったのならまだわかる。
いらない子供をわざわざ育てるなんてお金もかかるし時間もかかる。
ずっと自分に忠実な可愛らしいお子様であるならともかく、個である以上いずれは自我も芽生えるしそうなれば親の言う通りにだけ動くなんて事はまず有り得ない。
自分の思うとおりにならないと泣き喚いたり、わからない事を聞くのに延々となんでどうしてを繰り返したり。やらなきゃいけない事であってもやりたくなければイヤと駄々をこねたり。
子供は決して可愛いだけの存在でない事を少女は知っていた。
だから、望まぬ出産であったのなら、そういういつか来る未来を想像してうんざりした結果それなら今のうちに処分した方が……なんて考えになったとしても理解できなくはなかった。思うところがないわけではないけれど。
けれどもあの赤ん坊は愛されていた。女神がくれた能力で愛されていたとしても、生まれた事を後悔されるような、そんな存在ではなかった。
あのまま愛されて、そうしてすくすくと成長して、将来は素敵な人に見初められて、そして結婚して子を産んで……そんな当たり前のような幸せな未来を思い描いていたはずなのに、その未来は早々に閉ざされてしまった。
「なんでも何も、あれもまた一つの愛のカタチだからですよ」
「は……?」
「だってアナタ、指定しなかったでしょう。どういう風に愛されたいのか」
「そ、れは、だって……誰からも好かれて、皆の中心人物みたいな感じの……」
そう、主人公とかヒロインとか、例えるならそういった感じで皆から認められるような、そういったものを想像していた。乙女ゲームに似た世界であるなら、きっと攻略対象に似た誰かもいるだろう。
そういった相手の誰かといずれは恋人にでもなって、それから……
「愛って一言で言っても色んな種類があるんです。アナタ前の人生でそういうの教わりませんでした?
情愛、友愛、親愛、自己愛、家族愛……恋人同士の愛だって、肉欲からくるものだとか、その反対に精神的な愛で結ばれたものとか、恋人に向けるような愛でなくたって、友人同士での愛だってありましょう。家族に向けられる愛だって愛は愛です」
しらっとした表情の女神に言われて、少女は己の記憶を漁る。転生したとはいえ、まだ前世の記憶がなくなったわけじゃない。むしろ記憶はそのままに転生したのだ。それ故に、酷い目に遭ったと思っているが。
とはいえ、女神の言葉の意味が理解できないわけではなかった。
何か学校の授業でちらっとやった気がする。あれでしょ、エロスとかアガペーとかの……といった感じでマトモな説明はできないが、それでも己の中で何となくふわっとした感じで理解はしていた。
「アナタを生んだ母は耐えられなくなってしまった。みんなから愛されている我が子、大きくなるにつれてその愛はますます周囲に広がっていくだろう。けれど、もし、もし、彼女が望まぬ相手に結婚相手に望まれてしまったら。権力で無理矢理嫁に迎えられてしまったら。
先程までのアナタの母は、今でこそ幸せに暮らしていますがそれでも結婚した当初は政略結婚で、幸せだとは言えない日々を過ごしていました。
もし、自分と同じような目に遭ったら。自分は今では幸せだけれど、でも、この子もそうなるとは限らない。
そうやって悪い方へ悪い方へと考えた結果、そうなる前にせめて一思いに……となったわけです。
えぇ、アナタは確かに愛されて、そうして母の愛によって安らかな眠りについたのです」
「そ、そんなの愛じゃない。ただの自己満足じゃない!」
「いいえ。確かに愛でしたよ。それがどれだけ独りよがりであろうとも。あの行動は確かにアナタのために行われたのです。アナタの事を考えて、アナタのために行動した。見返りは決して求めていない。せめて安らかな死を、それだけが、彼女の願いでした」
大体、と女神はじとっとした目を少女へ向けた。
「仮にあのまま大きくなったとしても、そう変わりませんでしたよ」
「え……っ?」
「だって、皆がアナタを愛したとして、アナタは皆から愛されて幸せかもしれませんけど、皆はどうなんでしょうね? 誰か一人の者になってしまったら? そう考えたら、気が気じゃない、なんて人も出たでしょう。
そうなる前に、と思いあまってアナタを誰にも知られないように閉じ込めてしまおう、そう考える人だって出たでしょう」
所謂、誘拐・拉致監禁コースとでも言おうか。
そうなればまず日の当たる場所に出る事はできそうにない。
誘拐した相手の資産次第ではあるけれど、屋敷の中を自由に移動するくらいはできるかもしれない。けれども、決してそれ以上先の外へ出る事は生涯叶わなくなるだろう。
女神の力によって愛され能力を得たから、年老いても恐らくそこで捨てられる事はない。けれど、攫った相手が先に死んだ場合。
ようやく外に出たとして。
「私には理解できません。一生愛玩動物として生きていきたいだなんて……折角人間に転生させてあげたのに畜生に甘んずるというのであれば、次はもう最初から動物として生まれ変わらせた方がよさそうですね。何がいいかしら……あまりにも長い生を愛玩され続けるのは流石に厳しいでしょうから……そうだ、ネズミなんてどうかしら。あれなら寿命もそう長くないし、愛されて子だくさん、幸せなうちに生涯を終える事ができますね」
名案だとばかりに綻ぶような笑みを浮かべた女神に、少女は「はっ!?」と素っ頓狂な声を上げる事しかできなかった。
折角自分が好きな乙女ゲームの世界と限りなく同じであろう世界に生まれ変わったというのにその生は早々に幕を閉じ、挙句次は人ですらなくネズミとして生まれ変わらされようとしている。その事実に頭が追い付かなかったのだ。
「はーい、それじゃあ次の生は上手くやってくださいねー」
楽しげな声。光を帯び始めた空間。
早く、早く何かを言わなければ、自分は本当にネズミになってしまう。
ネズミってあれでしょ、この女神の事だからきっとハムスターとかの可愛い系ではないんでしょ!? と少女は焦った頭で考えた。
ハムスターなら少女も飼った事がある。最初は育て方をよくわかっていなくて、雄雌両方を同じケージに入れてしまっていた事であっという間に繁殖してしまった。慌てて雄と雌を分けて別々にしたけれど、それでも見分け間違ったのがいたらしく再び繁殖。
あいつらに家族と言う概念があるかはわからない。だって二度目の繁殖は、生まれてまだ雄か雌かわからなかった個体と、最初に育てていた個体だ。つまり、親子での繁殖である。人間でそれをやらかしたなら、間違いなく人様に大っぴらに言えるはずのない話だ。
そんな、そんなネズミに自分が?
「ちょっとま」
言葉は最後まで言えなかった。仮に言えたとしてもきっと女神は聞く耳持ってはくれなかっただろう。
「ふふ、精々たーくさん愛されて下さいね」
そう言って嗤う女神の表情は。
こう言っちゃなんだがとても活き活きとしていた。
ちなみにとある女神が管理する世界にて、やたらと雄に求愛されまくるネズミが誕生した、という事に関しては。
女神からすれば特に何を思うでもない事柄である。