第3話 イマジナリーフレンド
俺は、眠っているのだろうか…?
目を開けているはずなのに、俺の目の前は真っ暗闇で…
今は夜なのか…?
だんだん目が慣れてきたのか、うっすらと暗い夜の空が見える。
空に輝く満天の星空に、肌を刺すように冷たい風。
どこまでも長く続く細い田舎道。
なんで、俺はこんなところにいるんだろう?
「――はぁっ、はぁっ…!」
荒い息遣いが聞こえる。
俺の背後から足音がする。
誰かが駆けて来るみたいだ。
「はぁっ、はぁっ…!あぁ、おねがい…っ!だれか、だれかぁ…っ!」
俺が声の方を振り返ると、汚れた薄いブラウスとスカート姿の女の子が必死の形相でこっちに向かって走って来た。
こんな人けの全くない真夜中の寒空の下、薄着の女の子がひとりでいるなんて…!
どういうことだよ!?
――おい!君、どうしたんだ?
女の子に声を掛けようとしたが、俺の声は出なかった。
声を出そうと口を動かしているのに、声が全く出ないんだ。
女の子は、まるで俺のことが見えていないみたいに、俺の横を素通りして走って行く。
俺は、女の子を引き留めようと、女の子の方へ手を伸ばしたが俺の手は、彼女の腕を幽霊みたいにすり抜けて触れることができなかった。
いったい、俺の身体はどうしちまったんだ!?
声も出せないし、女の子に触れられないし…!
もしかして…俺は、死んだのか!?
死んで幽霊になっちまって、成仏できなくてこんなどこだかわからない田舎道に突っ立ってるのか!?
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…!うぅ…っ。おねがい…っ。たすけてぇ…っ。」
女の子は、裸足だった。
靴も靴下もない裸の足は、血まみれで痛々しく、彼女の走り抜けていったアスファルトの上には赤い足跡ができていた。
俺は、女の子の跡を追った。
この子のために、今の俺では何もしてあげられないが、放っておくこともできなかった。
女の子は、見た感じ10代半ばくらいで、肩に付くくらいの長さの黒い髪は、散切りでぼざぼさで、小さな顔には殴られたような青いアザがいくつもできていて、可哀想なくらい痩せこけていた。
この女の子――どこかで、見たことがあるような気がするけど…?
俺の頭は、モヤがかかったみたいで思い出せなかった。
細い田舎道は、畑とビニールハウスが続くだけで、人が住んでいるような家は見当たらない。
それでも、女の子は血まみれの素足で冷たいアスファルトの道を走り続ける。
しばらく走り続けると、ようやく民家が見えて来た。
家々の灯りは消えていたが、庭に車が止まっていたり、住人がいそうな気配はある。
女の子は、一軒の家の敷地に入ると、玄関のドアを叩きながらか細い声で叫んだ。
「――すみません、開けてください!たすけてください…!」
女の子が必死に呼びかけても、玄関のドアが開くことも家の住人からの返答もなかった。
クソ!!
真夜中だから、眠ってやがんのかな?
――起きろよ!!起きてドアを開けろよ!!
――女の子が必死に助けをもとめてんだよー!!
俺も大声で叫ぼうとしたが、やっぱり俺の声は出なかった…。
畜生…っ!!
女の子も、この家はだめだと諦めたようで、今度は隣の家の敷地に入ってまたその家の玄関のドアを叩きながら必死で呼びかけた。
「すみません、開けて下さい…!たすけてください…!おねがいします…!」
この家も反応がない…。
女の子は時折、怯えた顔で背後を振り返った。
まるで、誰かに追われているようだった。
頼む!ドアを開けて誰か出て来てくれ!!
俺は、必死に祈るしかなかった。
「うぅぅ…。おねがいっ…!たすけてぇ…!!」
女の子は、泣きながら叫び続けた。
「――うるさいねぇ…。むにゃ、むにゃ、こんな遅くになんのようだい…?」
玄関のドアの向こうから、年寄りのしわがれた眠そうな声が呼びかけた!
「夜分にすみません…!たすけてください…!おねがいします…!家の中にいれてください!」
女の子は必死に叫んだが、玄関のドアが開く気配はない。
「……悪いけど、よその人をうちにはいれらないよ。この先に交番があるから、そこへ行きな…。」
年寄りは、素っ気なく言うと、それっきり返答はなかった。
「はい…っ。すみません…。」
女の子はドアの前で相手に見えていなくても深々とお辞儀をすると、また歩き出した。
ふざけんな!!
女の子ひとりくらい家に入れたっていいダルォオオオ!?
こんな夜中に助け求めてる女の子を追い返すなんて…!!
田舎の人がよそ者に冷たいって、マジなんだなぁ…。
女の子は、年寄りが言っていた交番を求めて走る。
道を進んで行っても民家が点々とあるだけで、年寄りが言っていた交番はなかなか見当たらない。
あんのクソババァッ!!
交番なんかどこにも見当たらねぇじゃんかよぉ!!
「はぁっ…はぁっ…。あぁっ!あった…!いっ…!?嫌…嫌ぁ…!!嘘でしょう…!?」
女の子が辿り着いた交番は、入り口に小さな灯りが付いているだけで、中は真っ暗でお巡りはいなかった…。
女の子は、真っ暗な無人の交番の前で膝をついた…。
「ううぅ…っ。嫌ぁ…。なんで?なんでぇ…?どうしてよぉ…っ!?なんで、だれもたすけてくれないのぉ…!?」
女の子は、両手を冷たいコンクリの上に付けて泣き崩れた。
――俺の時と同じだ。
俺もそうだった…。
この世界には何十億ってとてつもない数の人間がいっぱいいるのに、誰ひとりとして俺のことを助けてくれなかった…。
なんで世界はこんなにも非情で理不尽で冷たいんだろう…?
なんでこんなにも救いがないんだろう…?
『――大丈夫だよ、カイちゃん。ボクは、カイちゃんの味方だよ。』
俺の頭の中で、優しい声が響く。
『カイちゃんは、ひとりじゃないよ。』
狭いクローゼットの中にひとりぼっちで閉じ込められていた俺をいつも励ましてくれていた声。
『カイちゃんの痛みは、ボクが半分にしてあげる。』
毎日、ハハオヤから暴力を受けていた時もその声は聞こえた。
その声が聞こえる時は、本当にハハオヤから受けた傷の痛みが半分になった気がした。
――君は、いったい誰なんだ?
両親が逮捕されてから、病院みたいなとこに保護された俺は、そこで精神科の医師にその不思議な声の話をしたら、医師は酷く悲しげに俺を憐れむような眼で見つめながら聞いていた。
医師の見解だと、俺は幼少期の過酷な環境のせいで解離性同一性障害になったらしい。
解離性同一性障害っていうのは、いわゆる多重人格ってやつで、幼少期に経験したつらい体験を自分ではないもう一人の自分が引き受けることで別の人格が形成されるらしい。
つまり、あの声の主は俺が勝手に脳内で作り出した人格ってことだ…。
あの声は、俺自身ってこと…。
やっぱり、誰も俺を助けてなんてくれなかった…。
『違うよ、カイちゃん!ボクは、本当にいるんだよ!』
――うるせぇ、黙れよ。もうひとりの俺。
『カイちゃん!ボクを信じて!』
――黙れ!話しかけんな!!
『ボクは、君の友達だよ。』
――俺の頭ン中にしかいないけどな。
『カイちゃん…!!』
俺は、両耳を両手で塞いだ。
そうすると、あの声は聞こえなくなる。
あの声の代わりに、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえる。
女の子もその音に気づいたようで、弱々しく地面から立ち上がった。
パトカーは、交番の前に止まった。
「――君かな?さっきこの近所の人から通報があったんだけど?」
パトカーから降りて来た若いお巡りが穏やかな口調で女の子の方へ駆け寄りながら尋ねた。
「君!どうしたんだい!?その格好は…!それに、裸足じゃないか?」
女の子の痛々しい姿を見ると、お巡りの顔つきが変わった。
「おねがいします…!たすけてくださいっ!!私、ずっと…ある夫婦に、パパと…父と、一緒に家に監禁されてて…!!私、そこから逃げ出してきたんです…!!」
「落ち着いて、話は中で聞くから。ここじゃ、寒いだろう?それに、君のけがの手当てもしないと…。かわいそうに、裸足で走って来たのかい?足の爪が全部、剝がれてるじゃないか…。」
「違います…剝がされたんです…。ペンチで……私が、逃げないように……。」
「なん…だと…!?」
「お巡りさん、私のことより…!早くしないとあの子が…!あの子が殺されちゃう!!」
「あの子?君の他にも、誰か監禁されているのかい?」
「そうです!あいつら、自分の子にまで…酷いことをしてるんです…!!お巡りさん、お願いします!早く助けに行かないと…!!」
思い出した…。
この女の子は、俺と一緒に監禁されてた子だ…。
この女の子が、監禁場所から逃げ出して、俺の両親の犯行が明るみに出たんだ。
『――そうだよ、カイちゃん。人間は、みんな冷たくて酷い人ばかりじゃないんだよ。あの女の子の勇気がカイちゃんの命を救ってくれたんだよ。』
――また、お前か…。
『カイちゃん、待って!お願い、耳を塞がないで。カイちゃ、』
俺は、もうひとりの俺が話している途中で耳を塞いだ。
あぁ、わかった…。
今、俺が見てるこの光景は、俺の脳内が勝手に作り出した妄想なんだな。
俺も、もう末期だな……。
☆☆☆
「――――様!リリアン様!」
――ん…?
男の声…?
誰かが、俺に呼びかけているみたいだ…。
リリアン…様?
「リリアン様、お願いです!目を覚ましてください!」
俺は、ゆっくりとおもい瞼を開いた。
背中が柔らかくて、ベッドの上に寝ているみたいだ…。
なんか額がズキズキ痛む…。
「――リリアン様!?良かった!意識が戻ったのですね!!」
俺が目を覚ますと、俺の眼前に知らない若い男の顔が……!?
「リリアン様、ご加減は如何ですか?」
男は、うっとりとした瞳で俺を見つめながら言った…。
つーか、男の顔、近スギィ――――ッ!!!!
キモッ!!!!
「きっ、キモイんだよッ!!こっ、このホモ野郎ーッ!!」
俺は、思わず叫んでしまった。
ファッ!?
なんか声がおかしい!
俺の喉からまるで、女の子みたいな甲高い声が出ちまった。
急に大声出したせいで、声が裏返ったのか?
「り、リリアン様…?今、なんと仰いましたか…?」
ホモ野郎は、驚いたように目を白黒させながら俺に尋ねた。
てか、リリアン様って誰だよ!?
「あぁっ!?キモイって言ったんだよ!このホモ野郎ッ!野郎にあんな顔近づけられて、気分が良い野郎なんてホモに決まって……あれ?オイ!?なんだよ、なんで、俺の声、おっ、女の子みたいになってんだよ!?」
俺の声は、誰がどう聞いても女の子の声だった。
「リリアン様?れ、れれれ冷静になってください…。大変だ!きっと、額に強い衝撃を受けたせいで、混乱が脳内して…ではなく!脳内が混乱しておられるのですね!?大変だ…早く、なんとかしないと!リリアン様!とにかく、落ち着いて脳内を冷静に混乱してください!冷静に混乱を脳内しないと!!」
ホモ野郎は、完全にパニックになっているようで日本語が崩壊している…。
「いや、まずお前が落ち着けよ!!」
「うわぁあああー!?あっ、あの清廉で清楚なリリアン様の美しい唇から、また底辺野郎みたいな汚らしい言葉をォォぉ―――!」
ホモ野郎は、立ち上がると壁に自らの頭を打ち付け始めた!
「おい!やめろよ!」
俺は、布団を剥いでベッドから起き上がって、混乱しているホモ野郎を宥めようとホモ野郎の肩に手を伸ばした。
「うわぁっ!?手まで、女の子みてえになってるー!?」
俺は、自らの手を見て驚愕した。
俺の手は、女の子のように小さくて色白く、細くて綺麗な指の爪にはピンク色のマニキュアが塗られていた。
そして、俺は布団を剥いだことで――俺は、声と手だけではなく、自らの身体が完全に女体化したことを知った。
筋肉もなくまっ平らだった俺の胸は、淡いピンク色の可愛らしいブラジャーを付けた小さなふたつの柔らかい膨らみがあり、股間にはブラジャーと同じデザインのショーツを履いていて――
「……ない!?タ、タタタ…タマがねぇ…!!チ、チンも……!!」
誰か説明してくれよぉッ!!!