同棲したら、彼女のダメなところではなく良いところばかり目についてしまう件
俺・倉嶋瑠偉には付き合って4年になる彼女がいる。
彼女の名前は山本綾紀。20歳の頃、友人に誘われた合コンで出会い、一目惚れした。
綾紀とは同じ大学の同じ学部だったこともあり、翌日から毎日のようにアプローチ。
話してみると趣味が同じで、思考が似ていて、本当もう俺にはこの人以外考えられないと思った。
俺からの告白は成功し、晴れて付き合うことになって。大学を卒業してからも、自然消滅したりすることなく仲睦まじい関係性が続いている。
そして、社会人2年目となり、互いの仕事にも慣れてきたこのタイミングで、俺たちは同棲を始めることにしたのだ。
互いの職場を考慮し、俺たちは都内駅近マンションで1LDKの部屋を借りることにした。
新しい部屋、新しい家電、新しい家具。これから始まる新生活に、俺と綾紀は胸を躍らせる。
無論、ベッドも新調したわけで。
「その……何て言うか、恥ずかしいね」
寝室に並べられたダブルベッドを見ながら、綾紀は呟く。
俺たちは良い大人だし、付き合ってもう4年になるわけだから、当然同じベッドで一夜を過ごしたことだって何度もある。
しかしこれまでは、「そういう目的」がある前提で、一緒に寝ていた。
これからは、違う。単に寝たい時でさえも、同じベッドに包まることになる。そう思うと、何故だか恥ずかしさが否めなかった。
最低限生活出来るくらいまで片付けを終えたところで、俺は一度大きく伸びをした。
「取り敢えず、引越しもひと段落着いたな」
「だね。……少し、休憩しようか。お茶を淹れるよ」
綾紀は買ったばかりの電気ケトルでお湯を沸かし、ペアマグカップにお茶を注ぐ。
俺はその間、近くのコンビニでちょっとしたデザートを買ってきた。
「はい、お茶をどうぞ」
「サンキュー。こっちも、デザートをどうぞ」
「うん、ありがとう」
俺たちは互いにマグカップとデザートを受け取る。
『……』
そして流れる沈黙の時間。
つまらないわけじゃない。ただなんていうか……緊張してしまうのだ。
「なんだか、いつもの私たちじゃないみたいだね。これから一緒に暮らし始めるからかな?」
「さあな。俺だって、好きな子と同棲するのは初めての経験だから。でも、少しすれば慣れるだろ」
付き合い始めた頃も、こんな風にドキドキしていたんだ。同棲にだって、すぐ慣れるだろう。
しかし、それはそれとして、だ。
俺はマグカップを置くと、その場で正座をした。
「綾紀」
「どうしたの、そんな改まって?」
「今日から一緒に暮らすわけだし、親しき仲にも礼儀ありだと思って。……よろしくお願いします」
俺が三つ指をついて一礼すると、綾紀も同様に頭を下げてきた。
「こちらこそ、どうか末永くよろしくお願いします」
揃って顔を上げた俺たちは、互いに笑い合う。
この場所で、綾紀と二人で、新しい幸せを紡いでいくとしよう。
◇
綾紀との同棲生活が始まって、一週間が経過した。
この一週間彼女と寝食を共にして、気付いたことがある。
俺の彼女、やっぱり最高過ぎるだろ。
普通カップルが一緒に住み始めたら、多少なりとも相手の欠点が浮き彫りになってくる筈だ。
その欠点を受け入れられるかが、それ以上の関係性に発展するか否かを分けることになってくる。
現に俺の先輩で、同棲が原因で破局した人がいた。
しかし、綾紀に関しては違う。
綾紀と一緒に生活していると、同棲する前より彼女の良いところに気付けてしまうのだ。
まずは、料理が上手い。
朝夜は言わずもがな、最近は節約としてお昼のお弁当も作ってくれる。
これがまた、何度食べても飽きないくらい絶品なのだ。
あまりに美味しすぎるので、「何か隠し味でも使っているのか?」と尋ねたことがある。すると、
「隠し味はね、ズバリ愛情だよ♡」
何だよ、その返し。うん、可愛い。
流石に料理を任せっきりにするのは悪いので、俺も3回に1回くらいの頻度で料理をしている。
しかしこれまで実家暮らしで、家事を母親任せにしていた身だ。料理なんて、お湯を入れて3分待つくらいしか出来ない。
「目玉焼きなら、簡単だよ」と勧められたので、試しに作ってみたものの……見事に焦がしてしまう始末。
卵も無駄にしてしまい、怒られると思っていたんだけど……綾紀の反応は、予想外のものだった。
「作ってくれて、ありがとう! それじゃあ、いただきます!」
綾紀はなんら躊躇することなく、焦げた目玉焼きを食べ始める。
「美味しいよ!」という明らかなお世辞も、彼女の愛情表現だと思うと無性に嬉しかった。
あとは、家でしか見せない表情が可愛い。
互いに実家暮らしだった頃は、二人で会う時は決まっておしゃれをしていた。
俺はカッコ良い自分を綾紀に見せようとしていたし、綾紀も可愛い自分を俺に見せようと努力していた。
でも、同棲し始めたらそうも言っていられない。年中無休でカッコ良いor可愛い自分を演じていたら、疲れてしまう。
結果俺は綾紀のオフショットを目にするようになったわけで。
同棲初日は、流石に驚いたさ。
だっていつも流行を取り入れた洋服ばかり着ていた綾紀が、入浴後はまさかの高校のジャージを着ているんだもの。
あとは会社から疲れて帰ってくると、猫のようにソファーで丸くなる。これも今までは見せてこなかった綾紀の表情だ。
しかし同棲開始早々自分の全てを曝け出すなんて、とても勇気のいることではないだろうか? 相手に幻滅されてしまうとは考えなかったのだろうか?
勿論俺は、綾紀に幻滅なんてしていない。どんな綾紀も、愛おしいと思う。
そんな前置きをした後で、俺は彼女に「どうしてすぐに自分を曝け出したのか?」と尋ねてみた。
「だって私が自分のダサいところを見せたら、瑠偉も安心して見せられるようになるでしょ? 私は好きなのはあくまで瑠偉であって、断じてカッコ良い瑠偉じゃないんだよ? だから瑠偉も、思う存分気を抜きなよ」
もう、本当に。
俺の彼女は最高すぎる。
◇
その日は急な仕事が入り、俺は遅くまで残業することになった。
今すぐにでも帰って綾紀とイチャイチャしたいけれど、仕事をしなければそのイチャイチャ生活を続けることが出来ない。
俺は綾紀に『今夜は遅くなる。先に寝ていて』とメッセージを送ると、一秒でも早く帰宅するべく仕事に励んだ。
途中、綾紀からの返信が届く。
『わかった。お仕事頑張ってね』
愛する彼女の応援で、日中の疲れは全て吹き飛ぶ。
それから死に物狂いで仕事をしたものの、結局仕事が終わったのは深夜0時を回った頃だった。
綾紀に『これから帰る』とメッセージを送ると、すぐに既読が付いた。
……まったく。寝ていて良いって言ったのに。まぁ、そういうところが大好きなんだけどな。
ギリギリ終電に乗ることができ、自宅の最寄駅まで到着すると……ここである問題に直面した。
「……おいおい、マジかよ」
なんと、大雨が降っていたのだ。
天気予報では、今日雨が降るなんて言っていなかった。だから傘なんて持ってきていない。
さて、困ったぞ。
このまま雨宿りしていてもやむ気配はないし……仕方ない。走って家まで帰るとするか。
びしょ濡れになることを覚悟しながら、俺が準備運動をしていると――「瑠偉!」と俺を呼ぶ声が聞こえた。
声のした方を見ると、そこには綾紀がいた。
「綾紀、どうして?」
「雨が降っていたから。瑠偉、傘持ってないでしょ?」
成る程。それで綾紀は、俺を迎えに来てくれたというわけか。
「雨降ってるから傘を持ってきてくれ」と頼まなくても、綾紀は俺の為に自発的に動いてくれた。
そのことには感謝しているけど……俺は素直にお礼を言う気にはなれなかった。
「綾紀、今何時だと思っているんだ?」
俺は少し怒気を含ませて、綾紀に尋ねる。
「今は12時だぞ? 昼じゃなくて、夜の12時なんだぞ? そんな時間に女の子が一人で歩いていたら、危ないだろ」
俺を気遣ってくれるのは、嬉しい。でも俺を想ってくれるのなら、尚のこと自分の身を一番に考えて欲しかった。
俺が雨に濡れても、せいぜい風邪を引く程度で済む。
だけど綾紀が真夜中に外を出歩いて、変な男に捕まったりしたら? そんなの、耐えられない。
「もう二度と、遅い時間に一人で出歩くんじゃない! わかったな!」
綾紀と出会って、およそ4年。彼女に怒鳴ったのは、初めてのことかもしれない。
それ故に綾紀もかなり堪えているようで。帰り道、俺と綾紀は一言も言葉を交わさなかった。
帰宅した俺は、入浴を済ませ、歯磨きをしてから、ベッドに入る。
既に綾紀は就寝している。
すぐ隣で綾紀が寝ている筈なのに、彼女との距離がとても遠く感じた。
◇
翌朝。
昨晩の出来事を、俺は大いに反省していた。
綾紀が遅い時間一人で出歩いたことは、よろしくない。その考えを変えるつもりはない。
しかしどうして彼女がそんな危険な行動に出たのかと言えば、それはひとえに俺を思ってのことだ。頭ごなしに怒るのは、やり過ぎだと思った。
「……謝った方が良いよな」
そうと決まれば、早い方が良い。
謝罪を先延ばしにしたら、それこそ別れ話を持ち出されてしまうかもしれない。
俺は起床するなり、朝食の支度をしている綾紀に声をかけた。
「おはよう、綾紀」
「……おはよう」
「それでその、昨日の夜の話なんだけど……」
「うん、私もその話をしようと思ってた。だけど、ちょっと待って。今ご飯作ってるから」
「……わかった」
心なしか、綾紀が冷たいように感じた。
もしかして、彼女は怒っているのだろうか?
今朝の献立は、オムライスだった。
ふんわり卵のオムライスが、俺の前に出される。そしてそのオムライスには――ケチャップで、「ごめんね」と書かれていた。
「……綾紀?」
「昨日の夜のこと、思い返してみたの。確かにあんな時間に一人で出歩くのは、危ないと思う。私が軽率だったよ。だから、ごめんなさい」
「いいや。俺の方こそ、怒ってごめん。綾紀は俺の為に、傘を持ってきてくれたのにな」
その言葉に、嘘偽りはない。
そう証明するように、俺は綾紀のオムライスに「ごめん」と文字を書いた。
「……瑠偉、字が下手」
「ほっとけ」
「でも、そういうところも好き」
あぁ、俺も綾紀が大好きだよ。
「そうだ、綾紀。お前今日、休みだったよな?」
「うん、そうだよ」
「だったら、久しぶりにデートしないか? 昨晩のお詫びも兼ねて、お前の行きたいところに連れて行くよ」
「本当? じゃあ、どうしようかなぁ」
正直なところ、給料日前だからあまりお金を使いたくないんだけどな。
でも、愛する彼女の為だ。そんなことも言っていられない。
綾紀は少し考え込んだ後、チラッとカレンダーで日にちを確認した。そして、
「今日は一日、家でゆっくりしていたいな。その代わり、瑠偉にめちゃくちゃ甘えても良い?」
……本当、お前って奴は。
何度だって言ってやる。俺の彼女は、世界で一番の彼女なのだ。