5
「……喉が渇いたわ」
息を吐き出すと、初めてのダンスで緊張していたのか、喉が酷く渇いていたことに気がついた。カーネリアンが笑って言う。
「ああ、ちょっと待ってて。今、何か飲み物を貰ってくるから」
「ありがとう」
「すぐに戻るよ。フローライトはここにいてね」
「ええ」
彼の帰りをバルコニーの欄干にもたれ、待つことにする。
空を見上げた。夜空には銀色の星々が瞬いており、まるでカーネリアンのようだ。
「……痛っ」
ツキン、と額が痛む。反射的に手で押さえた。
実はここのところ、頭痛に悩まされているのだ。
最初は、月に一度程度。たまに痛いなと思うくらいだったのに、日に日にその頻度は上がっていき、今では二日に一回は頭痛に苛まれていた。
不思議とカーネリアンと会った日やその後しばらくは調子が良いのだけれど、それ以外は全く駄目。
医者にも診てもらったがなんの異常もないということで、ほとほと困り果てていた。
「もう……なんなんだろう。この、頭痛……」
ジクジクと痛む額を指でグリグリと押さえる。こんなに痛くては、せっかくの楽しい夜会が台無しだ。
大体はしばらく大人しくしていると落ち着いてくれるのだけれど、今日はどうだろうか。
せっかくカーネリアンと一緒にいられる日なのだから、うまく鎮まって欲しかった。
「はあ……」
深呼吸を繰り返す。幸いにもしばらくすると頭痛は軽い痛みはあるものの、我慢できる程度に治まっていった。
ほっとひと息ついていると、誰かがバルコニーへ続く窓を開けているのが見えた。
「?」
誰か来たのだろうか。
カーネリアンが戻ってくるにはまだ早い。彼にはここで待つように言われたが、場所を空けた方が良いか迷っていると、その人物がバルコニーへ出てきた。
「フローライト王女」
「……あ。アレクサンダー殿下」
驚いた。やっていたのは、アレクサンダー王子だったのだ。
カーネリアンの腹違いの兄。上質な夜会服に身を包んだ彼は、十七歳という年にもかかわらず、まさに王太子という風格があった。
優秀な王子。だけど婚約者はまだいなかったはず。出て行って貰いたい第二王子のカーネリアンとは違い、アレクサンダー王子は国を継ぐ。
その相手を適当には選べないということなのだろう。彼の婚約者選びは、裏で相当な駆け引きがあるのだろうなと窺い知れる。
金髪碧眼のアレクサンダー王子は、顔立ちの整った魅力的な男性で、カーネリアンが自分よりも兄の方がモテるというのも分かるが、私には百倍カーネリアンの方が素敵に思える。
惚れた欲目ということは分かっているが、それの何が悪いというのか。
私にとってはカーネリアンがナンバーワンでオンリーワンなのだ。
私はさっと姿勢を正し、優雅に一礼して見せた。
「初めまして、アレクサンダー殿下。リリステリア王女、フローライトでございます。それで……? どうなさいましたか、アレクサンダー殿下。何か私にご用事でも?」
前の生では少し話したことはあるが、今回はこれが初対面のはずだ。
丁寧に挨拶すると、向こうも普通に返してくれた。
「これは失礼した。俺はアレクサンダー・スターライト。スターライト王国の第一王子だ。あなたの婚約者であるカーネリアンの兄だな」
「はい、存じております」
無難に受け答えしながらも、アレクサンダー王子の様子を窺う。
彼が、おそらくはカーネリアンがいないこのタイミングをわざと狙ってバルコニーへやってきたことには気づいていた。
何せアレクサンダー王子は頭の良い、策略家タイプの人物だから。
前回の生で、彼に会ったのはカーネリアンが亡くなる少し前で、私は最初彼のことが怖くて仕方なかった。だけどアレクサンダー王子は、弟であるカーネリアンをかなり気に掛けてくれていて、それを知ってから苦手意識はなくなっていったのだ。
だから彼に対して悪い印象はないし、実は良い人だということも知っているのだけれど、今の彼が何を考えているのかは分からない。
じっと彼を見つめる。アレクサンダー王子はそんな私に気づくと、にやりと笑った。
「ああ、いい。そういう腹の探り合いは止めておこう。互いに敬語もなしだ。是非、弟の婚約者殿には本音で話してもらいたい」
「……どういうこと?」
アレクサンダー王子の真意が掴めず、眉を寄せる。
彼は近くの欄干に腰を預けると、口を開いた。
「俺は、弟の婚約者が出てくると聞いて楽しみにしてたんだ。リリステリアの引き籠もり王女とはお前のことだろう?」
「……それは数年前までの噂では? 少なくとも今のリリステリアで、私を引き籠もりと言う者はひとりもいないわ」
静かに訂正を入れる。アレクサンダー王子が面白そうなものを見つけた顔をした。
「ほう? 確かに社交界に顔を出さないお前の情報はなかなかアップデートしにくいな。なるほど、昔は引き籠もり王女で間違いではなかったが、今は違う、と」
「ええ、そうよ。そんなの今の私を見れば分かるでしょう?」
隣国から、父の代理として夜会に出席しているのだ。いまだに引き籠もりなら、私がここにいるはずない。
私の言葉にアレクサンダー王子は納得したように頷いた。
「確かにな。いや、弟がずいぶんと入れ込んでいる女が実際はどのようなものかと見定めにきたのだが……くくっ、これは予想外だな」
「別に、アレクサンダー殿下にどう思われようが気にしないけど」
「カーネリアンにだけ好かれればいいと?」
「ええ、その通りよ」
はっきりと告げる。
私はカーネリアン以外に興味なんてない。彼とハッピーエンドを迎えることが望みで、それ以外は全部捨てても構わないとさえ思っているのだ。
堂々とした態度でアレクサンダー王子に向かうと、彼は鋭い視線で私を見つめてきた。
そうして問いかけてくる。
「……お前は真実、カーネリアンが好きなのか?」
「? そうだけど」
何を言い出すのかと怪訝な顔をすると、アレクサンダー王子が話を続けた。
「いや、物好きな女もいたものだと思ってな。何せ我が国では、すでに弟は見放されている。気弱な優しいだけの第二王子は要らないのだそうだ。――だから隣国へくれてやると、そういう話なのだが」
お前たちは要らないものを押しつけられただけだと言外に言われ、ムッとした。
彼が今の言葉を本気で言っていないことは分かっている。多分、私を試そうとしているだけなのだろうことも。
だけど、冷静にはなれなかった。
はっと笑い、彼に告げる。
「それは有り難い話ね。お陰で私は最高の夫を手に入れることができるのだもの」
「最高の夫だと? 弟は虫一匹殺せない弱気な男だぞ? そんな男を国王に据えて不安にならないのか。皆を守れるのか心配にならないのか。今からでも婚約者を変えた方が――」
「無用の心配ね。大丈夫よ、だってその部分は私が補うもの」
最後まで言わせたくなくて言葉を遮る。
強く告げると、アレクサンダー王子は怪訝な顔をした。
「お前が?」
「ええ。彼が戦えなくても、強くなくても別に良いの。私が代わりに戦うから。カーネリアンはその他の部分を補ってくれればいい。私たちは夫婦になるのだもの。どちらがどちらを担当しようと構わないでしょう?」
アレクサンダー王子を睨み付ける。王子は目を丸くしていたが、やがて「ははっ」と噴き出した。
「女のお前が戦うのか? まさか本気で言っているのか?」
「ええ、冗談で言っているわけではないわよ。これは自慢だけど、指南役にだって八割以上の確率で勝てるんだから」
「……ほう?」
「半端な決意で、『代わる』と言っているわけではないの。分かったら、いい加減私を試すのは止めてちょうだい。不愉快だわ」
ふん、とそっぽを向く。
彼が弟を大事にしているのは知っているので、私がどんな女なのか見定めたかったのだろうとは思うが、それにしてもやり過ぎだ。
苛々しつつも彼に対応していると、ワイングラスを持ったカーネリアンがバルコニーへ戻ってきた。