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「……自分を知らないって怖いわ」
「フローライト」
ため息を吐いていると、カーネリアンが私の名前を呼んだ。
彼を見る。カーネリアンがさっと私の腰を引き寄せながら言った。
「そろそろこの話は止めようよ。私は君以外に興味はないし、それは君も同じだよね?」
「それはそう……だけど」
じっと見つめられる。その目には一目で分かるくらいに甘みが混じっていた。
「だったらもういいじゃないか。せっかく久しぶりに会えたんだよ。モテるとかモテないとかいうどうでも良い話ではなく、もっと楽しい話をしたいし、君と触れ合いたい」
「っ! そ、そうね」
確かにカーネリアンの言う通りだ。
彼を狙っている女性たちのことは気になるが、それはカーネリアンより優先される事柄ではない。
私としても彼との夜会を楽しみにしてきたのだ。まずは楽しもう。そう思った。
気持ちを切り替え、カーネリアンに笑顔を向ける。
「私、今日の夜会をとても楽しみにしてきたの。お仕事だということは分かっているわ。でも、カーネリアンに会えるし、ほら、夜に会うのって初めてでしょう?」
いつも会うのは昼間ばかりで、夜の時間を過ごしたことはない。
初めての経験を楽しみにしていたと告げると、カーネリアンも同意した。
「うん。私も君に会える日を指折り数えて待っていたよ。ねえ、フローライト。手紙で約束した通り、今夜は私と踊ってくれるんだよね?」
「ええ、もちろん」
「良かった」
カーネリアンがにっこりと笑う。腰に回した手に軽く押され、歩き出す。
私たちの後ろには、連れてきた外交官たちが付き従う。
国王の在位二十五周年を祝う夜会にリリステリア代表として来たのだ。それなりの人数は連れてきた。武官もいるけれど、彼らは中には入らない。近くで待機することが決まっている。
「あら?」
そういえばと、そこで気づく。私たちの周りには誰もいなかった。王家主催の夜会ならたくさんの出席者がいるだろうにどうしてだろうと思っていると、疑問に気づいたのか、カーネリアンが言った。
「他の参加者たちはこことは別の入り口から来ているんだよ。その……君と久々に会えるんだ。あまり周囲の目を気にしたくないなと思って」
「カーネリアン……」
嬉しいことを言ってくれる彼に気分が上昇する。カーネリアンの腰を抱く手に力が籠もった。
「少しくらい君と話せる時間が欲しかったんだ。私たちは頻繁に会えるわけでもないからね。まあ、それももうすぐ終わりなんだけど」
彼の言うとおり、少し先の廊下にはドレスアップした人々が歩いていた。
夜会の参加者なのだろう。
彼らは私やカーネリアンに気づくと頭を下げてきたが、それは形式的なものでしかないように思えた。
他国の人間である私に対してならそれも分からなくもないのだけれど、カーネリアンに対しても同じということが気に掛かる。
王族に対し、自然と滲み出てくるはずの敬意というものが彼に対しては殆ど感じないことが不思議で、不快だった。
「……カーネリアン」
「いいよ、今更だ。気にしてない」
「でも」
私の雰囲気から察したのか、カーネリアンが首を横に振る。
彼は苦笑しながら言った。
「元々私は第二王子で、兄上のスペアでしかないからね。兄上が立派に王太子として成長した今となってはスペアはもう必要ないから、さっさと出て行ってくれとでも思われているんじゃないかな」
「……何それ」
「君も知ってるでしょう? 王家も貴族も第二子以降は皆、似たような扱いだよ。それに私は王族だからね。育ってしまった今となっては、城内で下手に勢力を伸ばされても困るし、もはや厄介者でしかないんだ」
すでに第一王子アレクサンダーが王太子として立っている今、第二王子であるカーネリアンは必要ない。
むしろ争いの火種となられても困るのでさっさと出て行って欲しい。そういうことのようだ。
私も貴族社会に生きている。だからその考えを理解できないとは言わないけれど、それがカーネリアンというのなら話は別だ。
私の大切なカーネリアンを要らないとか、本当に巫山戯ている。
「……要らないなら、もうさっさとうちの国にくれればいいのに」
「フローライト?」
ムッとしつつも言うと、カーネリアンが首を傾げた。さらりと肩まである銀糸が揺れる。
カーネリアンの銀色の髪はキラキラとしてとても綺麗なのだ。
私の黒髪とは全然違っていて、昔から好きだなと思っていた。
彼の髪に手を伸ばし、触れる。サラサラの手触りが心地良い。
「要らないならさっさとリリステリアにくれればいいのにって言ったの。だってうちの国は、皆あなたのことを待っているのに。お転婆姫の私の手綱を握ってくれる人だって、お父様も期待しているわ」
「えっ!?」
私の言葉に、カーネリアンが驚いたような顔をする。
だが別に、隠すようなことでもないのだ。
「うちの国では、皆、あなたを待っているって言ってるの。だから、カーネリアンが嫌な思いをするくらいなら、もううちの国に来てしまえばいいのにって思って」
結婚はまだ先だが、婚約者として城に滞在くらいならできるだろう。
そう思い告げると、カーネリアンは目を丸くした。
「ええっと……私は君の国で歓迎されてるの?」
「? 気づかなかった? わりとあなたが来た時、皆、好意的だったように思うのだけど」
「いや、それは分かっていたけど……ほら、私は君の婚約者だし気を遣ってくれているのかと」
「そんなわけないじゃない。今や、指南役の教師をも倒す、暴れん坊な王女を頼むから何とかしてくれと皆、あなたに期待しまくっているのよ。酷いわよね。自国の王女を捕まえて『暴れん坊』とか『お転婆姫』とか」
肩を竦め、ちらっと後ろを見る。
外交官たちは「話なんて聞いていませんよ」みたいな顔をしていたが、ちょっと口の端が笑っていることには気づいている。きっと思い当たる節があるのだろう。
カーネリアンは後ろの面々と私を交互に見た後、堪えきれないという風に笑った。
「そ、そうか……。そうなんだね……お、お転婆姫……」
「ええ。今更あなた以外に貰ってくれる人なんていないだろうから、絶対に逃すなとお父様からは厳命を受けているわ」
「厳命……ふふっ、それは大変だ……」
何が面白いのかカーネリアンはクツクツと笑い続けている。楽しそうで何よりだが、今の話のどこに笑いの要素があったのだろう。
私としては全く笑えないと思っているのだけれど。
憮然としていると、ようやく笑いを収めたカーネリアンが私を見る。そうして酷く優しい表情と声で言った。
「それじゃあ、責任持って君のことを貰わないとね?」
「ええ。そうして貰わなければ困るの。あなたは皆の期待の星なのよ」
「うん、分かった。……なんだろう。君と話していると、悩んでいたことが馬鹿らしく思えてくるよ。戦いのこともそうだし、第二王子という立場のことも全部が全部、悩むことなんてなかったかなって思えてくる」
楽しそうに告げるカーネリアンだが、彼が本気で悩んでいたのだろうことはさすがに分かった。
というか、戦いのことは置いておくにしても、彼が第二王子という立場に悩んでいたことは前回の生では気づかなかったので、正直驚きでもあった。
私とカーネリアンは愛し合っていたはずなのに。そこに嘘はないと断言できるのに、こうして以前よりも親密に付き合っていると、前には見えていなかったものが見えてくる。
前の彼は自国を愛していて、第二王子という立場でも何かできないかと常に考え、行動していた。私と結婚するまでの間に、少しでも国の役に立っておきたいんだと笑みを浮かべて言っていた。
それを私は信じていたし、彼の本心であったことも分かっているけれど。
彼が自国で要らない扱いを受けていたことなんて知らなかった。私は引き籠もりで彼には来てもらってばかりで、スターライト王国に行ったことがなかったし、初めて訪ねたのは私が誘拐されて、助けに来てもらったあと。
そしてその時にはもうカーネリアンは最強の王子として、皆から敬われていたから。
こんな状況に彼が置かれていたなんて本当に知らなかったのだ。
何も気づけなかった自分に腹が立つ。
だけどそれは終わってしまった未来の話で、今とは違う。こうして現状を知ったのだ。これからのことは、できる限り私が変えていけばいい。