第一王子アレクサンダー
カーネリアンの死を回避するためにも強くなると決めた私は、次の日から早速修業を開始することにした。
父親に指南役を付けて欲しいとお願いすると、内気でいつも部屋に引き籠もって本ばかり読んでいるような娘がまさかそんなことを言い出すとは思わなかったようで驚かれたが、自分から行動しようとするのは良いことだと、笑って頷いて貰えた。
そうして私に与えられたのは、厳しいことで有名な教師だった。
訓練に耐えられれば、確実に強くなれる人なのだけれど、同時に今まで何人もの生徒を脱落させてきた悪名高い人物。
おそらく父は、私が本気なのか試しているのだろう。それは分かっていたし、覚悟なんてとうにきめた。
カーネリアンが死んでしまう未来を回避するためなら、どんなことでもやってみせると決意していた私は、ここが根性の見せ所だと、どんな厳しい訓練にも歯を食いしばり、文句ひとつ言わずついていった。
幸いなことに未来の魔王が言っていた通り、私には莫大とも言える魔力があり、更に言えば、格闘センスもそれなりにあったようで、予想より食い下がってくる私を気に入った指南役は、これでもかとばかりに私を鍛えた。
私も強くなれるのなら大歓迎だと、必死に食らいつき……あの記憶を取り戻した時から五年経った今では、相当な強者かつ、戦闘狂へと成長した。
訓練しているうちに戦い自体が楽しくなってしまったのだ。全く予想できなかった展開ではあるが、お陰で性格もずいぶんと前向きになったし、強くなったことで自分に自信を持てるようにもなった。
更には婚約者であるカーネリアンが強くなった私を見て、眉を顰めるどころか「君はますます綺麗になるね。楽しそうに戦っている君を見ていると、すごく幸せな気持ちになるんだ。大好きだよ」なんて言ってくれるものだから、ますます戦いに没頭するのは当たり前で、最近では指南役にだって八割以上の確率で勝てるようになってきた。
ちなみに「女が戦うなんて」なんて言ってくる男たちはいくらでもいたが、そういう人たちは実力でひねり潰すことにしている。
ヒールで踏みつけながら「私に勝ってから言えば?」と笑う私を見て、昔は内気で引き籠もりだったなどと言っても最早誰も信じないだろう。
五年というのは、それほどの時間なのだ。
もう国に、私を内気な大人しい王女なんて思っている者はいない。
戦闘狂の王女。優しい王子が婿入りしてくれるそうだから、それくらいで釣り合いが取れてちょうど良いとまで言われている。
考えてしたことではなかったが、結果としてカーネリアンが歓迎されているわけだから良かったのではないだろうか。
父からも最近は「カーネリアン王子がお転婆なお前を受け入れてくれる器の広い方で本当によかったな」と言われる始末だ。
まさか自分が『お転婆』なんて言われる日が来るとは思わなかったから驚きである。
こうして未来への準備を着々と進め、来るべき日には魔王を返り討ちできるよう更に強くなるぞと意気込む私は、今日も指南役との組み手を行っていた。
満足するまで打ち合い、休憩時間となったので、床に放り投げて置いたタオルで汗を拭く。
今日はあと二戦くらいはできるだろうかと考えていると、そこへ私を探しにきたらしい女官がやってきた。
「姫様」
「あら、ステラ。何か用?」
女官の名前を呼ぶ。彼女は私付きの女官のひとりだ。
私より五つ年上の商家出身。普段は普通に接してくれるのだけれど、訓練中の私は怖いようで、ちょっぴり腰が退けている。それでも何とか用件を告げた。
「そ、その……陛下がお呼びです」
「お父様が?」
父が呼んでいると聞き、首を傾げる。
それでも父の呼び出しならば行かなければならない。指南役の教師に事情を説明し、ドレスに着替えてから父の執務室へと向かった。
「お父様、お呼びと伺いましたが」
入室許可を得てから、中へと入る。
そこでは父が宰相に応援されながら、一生懸命書類にサインをしていた。
父と宰相は幼馴染みで、子供の頃から友人関係を築いていたこともあり、かなり気安い間柄なのだ。
「陛下。それが最後の一枚です。頑張って下さい」
「わ、分かった……。すまん、フローライト。少しの間、ソファにでも座って待っていてくれ」
「分かりました」
ヒィヒィ言いながら働く父に頷き、ソファに腰掛ける。近くに控えていた侍従がやってきて、私に聞いた。
「何かお飲み物を用意致しましょうか」
「そうね、温かいものをお願い」
「承知致しました」
丁寧に頭を下げ、侍従が下がる。しばらくして侍従はトレイにチョコレートとティーポット、ティーカップなどを載せて戻ってきた。
ポットからは甘い匂いがしている。
「そのお茶は?」
「レッドティーです。フルーツが入っておりますので、甘い匂いがするでしょう?」
レッドティーとはカフェインレスのお茶だ。ルイボスティーとも言う。
寝る前にカフェイン入りのお茶を飲むのは良くないと聞き、試しに飲んでみたところ、嵌まってしまったのだ。
別に紅茶が嫌になったというわけではないのだけれど、最近はレッドティーばかりを好んで飲んでいる。
それをこの侍従も知っていたのだろう。用意されたお茶は香りが好みで、期待値が高まる。
「へえ、美味しそう」
口に含むと、レッドティー特有の癖と、ベリーの匂いを感じた。
まだ私が飲んだことのないお茶だ。砂糖の類いは入っていないのに少し甘いような気がする。
「良いわね」
気分転換に飲むにはちょうどいい。
皿にざらりと盛られたチョコレートを囓りながら、お茶を楽しむ。
運動した直後ということもあり、気づけば五個もチョコを食べてしまった。
「待たせたな」
ちょっと食べ過ぎたかなと思っていると、書類を片付けた父が疲れた顔をしてやってきた。
私の正面にあるソファにドサリと腰掛ける。
「お疲れ様です」
思わず告げると父は「ああ、ありがとう」と微笑んでくれた。
父は気性の優しい人で、そういうところはカーネリアンと少し似ている。
黒い髪と紫色の瞳を持つ私の父は、まだ三十代ということもあり外見も若々しく、働き盛りだ。毎日宰相と一緒に夜遅くまで仕事に明け暮れていることは知っている。
「それで、お父様。私をお呼びと伺いましたが」
「ああ、そう。そうだった」
自分にも用意されたチョコレートを摘まみながら父が、目を瞬かせる。
どうやら忙しすぎてすっかり用件のことが頭から飛んでいたらしい。
父が宰相に目配せする。宰相は心得たように頷き、執務机の上に置いてあった手紙を父に手渡した。その手紙を父が私に差し出して来る。
「お父様?」
「隣国、スターライト王国でひと月後に国王の在位二十五周年を記念した夜会が開かれる。我が国にも招待状が届いたのだが、その代表にお前が行かないかと思ってな」
「私、ですか?」
パチパチと目を瞬かせる。
そういう話を持ち出されたのは初めてだったので意外だった。
「普段なら私か宰相が出るのだが、お前ももう十五歳だろう。カーネリアン第二王子の婚約者というのもあるし、人前に出る練習として行ってみるのも悪くないと思ったのだが」
「……」
父から手紙を受け取り、中を確認する。
中には白いカードが入っていて、父が言った通りのことが書かれていた。
夜会の招待状なんて初めて見たと思っていると、父がゴホンと咳払いをする。
「私としてもそろそろ今後を見据えて、お前を他国に顔出しさせておきたいのだ。スターライト王国ならお前の婚約者もいることだし、お前もそこまで不安にならないだろう。……正直、昔のお前のままなら行かせるべきか悩んだのだがな。今のお前なら、問題ないと判断した。もちろん出席の可否はお前が決めて構わないが……どうする?」
「行きます!」
父の問いかけに、即座に答えた。
在位二十五周年を祝う夜会。
昔の私なら父が心配するように恐れ戦き、無理だと断っただろうが、今は違う。
何せ、スターライト王国王家主催の夜会なら、間違いなくカーネリアンに会えるのだ。
しかも私たちは婚約者だから、きっとダンスの機会だってあるだろう。
――カーネリアンとダンス……!
想像して顔がにやけた。
絶対に楽しいだろうと思えたのだ。
前の生では彼と一緒に夜会なんて夢のまた夢だったので(私が内気すぎるせい)チャンスが巡ってきたことがすごく嬉しい。
私が参加意志を表明すると、父は笑顔で頷いた。
「そうか、分かった。では、先方にはお前を出席させると返事をしておくからな」
「はい、お願いします!」
父と話を終え、部屋の外に出る。
急いで向かうは、自分の部屋だ。
私はカーネリアンと手紙のやり取りをしているので、夜会の話を書こうと思っていた。
彼の国はお隣で、そこまで遠くはないが、毎日会えるものでもない。カーネリアンが何とか時間を作って来てはくれるのだけれど、彼だって第二王子で忙しいのは知っている。
我が儘は言えないので、せめてもの手段として手紙をやり取りしているのである。
手紙は週に二回から三回程度。
その時にあった出来事などを細やかに書き留めて、送っている。
部屋に戻った私は机の引き出しから便箋と封筒を取り出し、早速羽根ペンを握った。
「拝啓、カーネリアン様――」
彼のことを思いながら手紙を書く時間は幸福だ。
あれもこれもと思いつく限りのことを手紙にしたため、封をする。
『――カーネリアンへ』
魔力を込めた息を手紙に吹きかける。手紙はキラキラと光り、ふっと消えた。
送る相手を強く想像して魔力を込めると、その相手に直接手紙を送ることができるのだ。
わりとコツがいる魔法で、以前の私にはできなかったが、毎日指南役から魔法と体術の訓練を受けている今の私には造作もなかった。
ちなみにカーネリアンは当然のようにできる。
彼が苦手なのは戦いだけで、それ以外のことはどんなことでもスマートにこなすのだ。
座学の成績も教師が舌を巻くほど優秀で、『その戦いを厭う性格さえどうにかなればなあ』と言われているのだけれど、私からしてみれば、余計なことはしなくていい! と声を大にして言いたいところだ。
カーネリアンの心を傷つけるようなことをしたら、絶対に許さない。
完全に未来の死んでしまった彼の姿がトラウマとなっているのは分かっていた。でも払拭できないのは当然だろう。
私がその悪夢から解放される時があるとするなら、きっとあの未来を乗り越えたあとだ。
それまではどうしたって儚くなってしまったカーネリアンの姿が脳裏から消えないと分かっていた。
「……駄目ね。余計なことばかり考えてしまう」
気を取り直す。せっかく楽しい気持ちだったのに、悲しくなってしまった。
今考えても仕方ないことは棚上げして、彼からの返書を楽しみに待っていよう。
出した手紙に返事が来たのは、次の日。
そこにはカーネリアンが私の夜会参加を喜んでいることが書かれてあった。手紙には、良かったら一緒に踊りたいと書かれてあり、私は大喜びでまた返書をしたためた。
そうして何度か手紙をやり取りしている内に時は過ぎ、気づけば出発の日となっていた。