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チラリと侍従が私を見る。
カーネリアンは口をむにっと曲げると「仕方ない、か」と本当に仕方なさそうに呟いた。
「カーネリアン?」
名前を呼ぶ。彼は私の方を向くと「ごめんね」と言いながら手を合わせた。
「ちょっと仕事でハプニングがあったみたいで。私が行かないと駄目そうなんだ。二、三時間ほど離れることになるけど構わないかな」
申し訳なさそうに言われたが、仕事だと聞いて嫌だと答えるはずがない。彼にも第二王子としてやることがあるのは分かっていたから、笑顔で了承を返した。
「もちろん構わないわ」
「本当にごめん。……あ、ちょっと君!」
廊下を歩いていた女官にカーネリアンが声を掛ける。
呼ばれた女官は立ち止まると、私たちの方へやってきた。
深々と頭を下げる。
「お呼びでしょうか、カーネリアン殿下」
「うん。君、彼女を部屋まで案内してくれるかな。知っていると思うけど、私の婚約者なんだ。隣国リリステリアの第一王女。くれぐれも失礼のないようにね」
「かしこまりました」
カーネリアンの命令を受けた女官が恭しく頭を下げる。
あれ、とそこでやっと気がついた。前に見た時は、皆、カーネリアンを蔑ろとは言わないまでも、粗雑に扱っているように感じたのに。
先ほどの侍従もこの女官も、彼のことを王族としてちゃんと敬っているように見えたのだ。
わずか一年半ほどの間に何が起こっているのか思わず首を傾げたが、カーネリアンがきちんと扱われているのはとても良いことなので、それならそれで良いかと思い直した。
――そう、そうよね。カーネリアンが王子として相応の扱いを受けている。素晴らしいことなんだから、気にすることではないわ。
むしろまだ彼の扱いが酷いようなら、それこそ許せなかったところだ。
カーネリアンが暮らしやすくなっているのならいい。
そう結論づけた私は、それ以上は気にせず、カーネリアンとその場で別れ、女官について、与えられた部屋へと向かった。
「どうぞ、こちらが姫様のお部屋となります」
「ありがとう」
中に入ると、すでにそこには国から連れてきた私専属の女官たちがいて、忙しく働いていた。
今回、滞在期間は約二週間。
それなりの期間になるので、スターライト王国から女官を借りることも考えたがやはり慣れた人たちに世話をお願いしたいと思い、連れてきたのだ。
その中にはステラもいる。ステラは戦っている私のことは怖いくせに、その他では物怖じしないところが気に入っていた。今回も真っ先に声を掛けたくらいだ。
彼女たちは私が来たことに気づくと、手を止め、頭を下げた。
「お帰りなさいませ、姫様」
「もうすぐ準備が整いますので、お好きなところでおくつろぎ下さいね」
「ええ、ありがとう」
返事をし、部屋まで案内してくれたスターライト王国の女官にお礼を言ってから、部屋を観察する。
用意されたのは、風通しのいい広い部屋だった。客を通せるように、寝室は別室になっているのがありがたい。
奥側が寝室。手前が主室で、主室には大きな暖炉があった。
暖炉の前にはテーブルやソファが設置されており、居心地が良さそうだ。
開いていた窓に駆け寄る。窓の外はバルコニーに続いており、外へ出ると、広い庭がよく見えた。
季節の花が咲き誇っており、庭を散歩するのもいいが、ここで上から眺めるのも悪くない。
部屋には他に勉強机や化粧台などもあり、不足を感じるものはなかった。
女官たちも心なしか満足そうだ。
彼女たちの邪魔をしないよう適当なソファに座ると、ステラが側にやってきた。
手持ち無沙汰にしている私を見て、笑顔で言う。
「姫様、宜しければお茶でもお淹れしましょうか?」
「――ん、そうね。お願い」
少し考え、お願いした。
カーネリアンは二、三時間は帰ってこないと言っていたし、ひと休憩する余裕くらいはあると思ったのだ。
ステラがお茶の支度を始める。他の女官たちも手を止め、お茶菓子の準備を手伝い始めた。
「どうぞ」
「ありがとう」
用意されたのは紅茶とクッキーだ。どちらもスターライト王国の厨房から提供されたもの。私は祖国の味とは少し違う、塩味の効いたクッキーを囓りつつ、のんびりとお茶の時間を楽しんだ。
やがて女官たちも片付けを終えたのか、それぞれ定位置で待機し始めた。ステラは私の空になったティーカップにおかわりの紅茶を注いでいる。
「リリステリアではないと分かっているのに、落ち着くわ……。ここ、良い部屋ね」
改めて部屋を見回す。
部屋の壁紙の色も落ち着いているし、床に敷かれた絨毯の趣味も良い。先ほども思ったが、風の通りが良いのが特に気に入った。
ここでなら二週間の間、ストレスを感じることなく過ごせるだろう。
誰の指示かは知らないけれど、スターライト王国が私を本心から歓迎してくれていることを感じ、嬉しかった。
「……ん?」
のんびりしていると、部屋の扉がノックされた。ステラとは別の女官に目を向ける。彼女は心得たように扉まで歩き、慎重に口を開いた。
「……どちら様でしょうか」
「俺はスターライト王国第一王子のアレクサンダーだ。ここにフローライト王女が滞在していると聞いたのだが」
「え? アレクサンダー殿下?」
扉の向こうから聞こえて来たのは、確かにアレクサンダー王子の声だった。
なんの用だろうと思いながらも立ち上がる。女官に目配せし、ドアを開けるように伝えた。
「どうぞ」
女官が扉を開ける。入ってきたのは、名乗った通りの人物だった。
前に会った時から一年半。彼は、以前よりもずいぶんと大人になっていた。そういえば、彼ももう十八歳。私が覚えている二十二歳の時の姿と殆ど変わらない。
「アレクサンダー殿下。何かご用ですか?」
「いや、カーネリアンから、お前がセレスタイトの入学試験を受けると聞いたからな。あれから一年半経ったお前が、どんな成長をしたのか実物を見に来てやったのだ」
言われた言葉に呆れた。思わず本音で言ってしまう。
「はあ。それはなかなか趣味が悪いことで」
「弟の婚約者が気になるのは兄として当然だろう? カーネリアンから聞いた時はまさかと思ったが、本当にリリステリアから出てくるとはな。しかも、わざわざ同じ学園にまで通うとは。……なんだ、結婚するまで待てなかったのか?」
揶揄うように言われたが、そんな挑発に乗るほど安くない。私は笑みを浮かべ、平然と返した。
「ええ。その通りですが、何か?」
文句でもあるのかと語尾を強めながら告げると、アレクサンダー王子は楽しげに笑った。




