6
私がアレクサンダー王子と一緒にいることに気づくと、さっと顔色を変える。
「フローライト……! 大丈夫? 兄上に何か言われなかった?」
カーネリアンが、私の側に駆け寄ってくる。ワイングラスを欄干に置き、心配そうな表情を浮かべて私を見た。
「大丈夫よ。ただ、弟のことが心配な、心配性の第一王子と話していただけだから」
「えっ!?」
「おい」
カーネリアンが素っ頓狂な声を上げる。続いてアレクサンダー王子が咎めるような声を出したが無視をした。
私のことを試したのだ。これくらい言わせてもらっても罰は当たらないだろう。
「アレクサンダー殿下は、カーネリアンのことがとっても大事なのね。ちょっと性格の悪い舅に当たった気分だったけど、あなたのことを大切に思っているのが分かったから腹は立たなかったわ」
「おい、フローライト王女!」
「何よ、本当のことでしょう?」
「……」
ズバリ言ってやると、アレクサンダー王子は黙り込んだ。
何故かカーネリアンが私を抱きしめてくる。
「えっ」
「……フローライト。兄上と浮気しちゃ駄目だよ」
「ええっ!?」
まさかの浮気発言にびっくりした。それはアレクサンダー王子も同じだったようで、すぐに言い返す。
「おい、カーネリアン。訂正しろ。誰が誰と浮気しただと? 俺はこんな女はお断りだぞ。面白いは面白いが男みたいなことを言い出すし、この俺を言い負かそうとしてくる女なんて手を出す気にもならん」
「ハア!? それはこっちの台詞なんだけど! 私だってあなたなんてお断り! 私はカーネリアンが良いの!」
その気もないのに誤解されるのも嫌なので、ここははっきり言っておく。
信じて欲しいとカーネリアンを見ると、彼はにっこりと笑い、次に視線を兄に移した。
「……カーネリアン?」
その視線が冷えている。彼がゆっくりと口を開く。
「誤解だったようで何よりです。ですが兄上、フローライトは私の光なんです。ですから、どうか彼女につまらないちょっかいを掛けないで下さいね」
「……」
「でないと、何をしてしまうか分かりませんから」
声が怖い。
穏やかな口調なのに底冷えするような恐ろしさを感じ、黙り込んだ。見ればアレクサンダー王子も同じものを感じたようで冷や汗を掻いている。
「いや……お前……。はあ……今のお前の姿を、物事を一つの方向でしかみない頭の硬い連中に見せてやりたいものだな」
「嫌ですよ、面倒臭い。私は今のままで十分です」
「……軟弱王子と言われ、敬意すらされないのにか?」
探るような問いかけに、カーネリアンは平然と頷いた。
「ええ。何せ、そんな私でもフローライトの国では歓迎してくれるそうですから。ですので私は何も心配していないし、大丈夫なんです。……兄上、お気遣いは嬉しいですが、これ以上は結構です」
カーネリアンがきっぱりと告げる。アレクサンダー王子は渋い顔をしつつも頷いた。
「……分かった。要らぬ世話だったようだな。カーネリアン、お前はなかなか女を見る目があるようだ」
「ええ、そうでしょうとも。でも、兄上にはあげませんよ?」
「要らないと言っている。……フローライト王女、悪かったな。それと先ほどのお前の言葉――信じているぞ」
王子が言っているのは、おそらく私が代わりに強くなるという発言のことだろう。
違えれば許さないという目を向けられたが、嘘はどこにもないので真っ直ぐに見返す。
「ええ、もちろん」
「そうか……邪魔をしたな」
フッと笑い、アレクサンダー王子が私たちから背を向ける。そのままこちらを振り返ることなくバルコニーを出て行った。
それを見送り、ホッと息を吐く。
「……びっくりしたわ。いきなり話し掛けてくるんだもの……って、えっ!」
勢いよくカーネリアンに抱き寄せられたと思った次の瞬間、強い力で口づけられた。
欄干に置いていたワイングラスに身体が当たり、床に落ちる。パリンとガラスの割れる音が響いた。辺りに芳醇なワインの香りが広がっていく。
――な、何!?
唇を押しつけてくるカーネリアンに驚くも、どこか必死な様子の彼を見て、毒気が抜かれた。
何度も口づけを繰り返す彼に応えていると、次第に濃厚なものへと変わっていく。驚きつつも受け入れると、やがて満足したのか唇が離れて行った。
ほう、と息を吐く。
「カ、カーネリアン……一体どうしたの……」
少しは落ち着いてくれたかと思い、声を掛けると、カーネリアンの顔が明らかに怒っていることに気づく。
「?」
「……飲み物を持って戻ってきたら、大好きな君が兄上と一緒にいるところを目撃することになるとか、思いもしなかったよ」
「あ、それは――」
私のせいではなく、勝手にアレクサンダー王子が来ただけ。
しかもその目的は、弟のために私を煽りにきたというもので、カーネリアンが心配するような話ではない。
一生懸命説明するも、カーネリアンは苛ついた様子を隠せないようだった。
「分かっているよ、そんなこと。でも理屈じゃないんだ。君と兄上が一緒にいるところを見た瞬間、理性が飛んだっていえば少しは分かってくれる? 他に誰もいないバルコニーでふたりきり。君や兄上が私を裏切るはずはないって分かっていたって冷静でなんていられないよ」
「……」
「君は、私のものなのに」
ギュウッと抱きしめられる。
いつの間にか、彼の背は私を軽く越えていて、抱きしめられれば今やカーネリアンの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
確実に成長しているカーネリアン。そんな彼に愛の言葉を告げられるのは嬉しいものでしかないけれど、お願いだから落ち着いて欲しかった。
「心配掛けてごめんなさい」
何もなかったと口を酸っぱくして言うことに意味はないと分かっているので、謝罪の言葉を紡ぐ。
私たちを見つけた時、カーネリアンは血相を変えていた。
そのことを思い出せば、素直に謝るしかないと思ったのだ。
カーネリアンの背中を抱きしめ、ポンポンと軽く叩く。ややあって、彼が抱きしめていた腕を解いてくれた。
「大丈夫?」
「……うん。落ち着いた。ごめんね。嫉妬なんかして」
「いいの。こっちこそごめんなさい。カーネリアンの気持ちも考えず、安易にふたりきりになってしまったわ」
チラリと床に目を向ける。先ほど落ちたワイングラスはすっかり粉々になっていた。
私の視線を追ったカーネリアンが気まずそうに言う。
「ごめん。あとで女官を呼んで、私のせいだって正直に言うよ」
「グラスに当たったのは私だから、私も一緒に謝るわ。……ねえ、カーネリアン。本当に悪かったわ。許してくれる?」
申し訳ないという気持ちを込めて再度謝ると、彼は眉を下げつつも頷いた。
「元はといえば、何もなかったと分かっていたのに嫉妬した私が悪かったんだし、もう怒っていないよ。君が嫌な思いをしなかったのならそれでいい。……でも……ねえ、本当に嫌な思いとかしなかった? 兄上は凄い人で私も尊敬しているけど、ちょっと意地悪なところがあるのも本当だから、君が虐められていなかったかは心配なんだ」
「大丈夫よ」
試されているのは分かっていたし、私だって言い返した。お互い様だ。
「ちゃんと分かってるわ。アレクサンダー殿下があなたのことを大事に思っているからこそあんなことを言ったんだって。彼、私と一緒であなたのことが大好きなのね。だから本当に気にしてないわ」
「フローライト……」
カーネリアンの顔がジワジワと赤くなっていく。照れくさそうに頬を掻いた。
「……うん。兄上は本当はすごく優しい人なんだ。兄上のことを分かってくれてありがとう」
「ううん」
「……こうなると、本当に嫉妬した私は馬鹿だな。……でも」
言葉を止める。カーネリアンが私を見た。
「兄上は素敵な人だけど、好きになるのは止めてね。……フローライトは私のものなんだから」
「えっ……」
真顔で言われ、目を瞬かせた。
先ほどと今のやり取りで私がアレクサンダー王子を好きになる要素などどこにもないと思うのだけれど、それでも彼は心配なのか。
「え、ええと、だ、大丈夫よ。私、あなたのことしか好きじゃないし」
「だったら良いけど。……嫉妬深くてごめんね。でも、それだけ私が君のことを好きなんだって分かって欲しい」
――うっ。
真剣に告げられた言葉に大いにときめく。
そんな心配しなくてもと思いつつも、執着や嫉妬の感情を向けられるのは彼を好きな私には心地良く、癖になってしまうほどの快感をもたらすのだった。




