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第一話

『その果実は甘い誘惑で、苦々しく私を責め立ててくる。あぁ、どうして口にしてしまったのだろうか。だが不思議と後悔は一片も存在しない。この苦さは何処か心地よく、私を救ってくれる、そんな気がしてしまったから』



 その人を初めて見たのは、兵を育成する寄宿学校。その人は軍の将校だった。

 軍の施設なのだから、将校など珍しくも無い。でも私は何故かその人から目が離せなかった。


「教官? 教官!」


 生徒の声で我に返る。私は何事も無かったかのように、引き続き銃剣の扱いを教え始めた。

 その人が居たのは私が居る屋外の広場を見下ろすように、寄宿学校に建造された塔の窓に立っていた。

 

「何を見ていたんですか? 教官」


 銃剣を構えながら、生徒がそう私へと尋ねてきた。

 この生徒、ミュヘン君は私が担当している生徒の中では一番真面目で成績も優秀。学内にもその名は通っている。あぁ、もしかしたら、あの人はミュヘン君を見ていたのかもしれない。


「いえ、別に何も……」


 私は今一度、一瞬だけ塔の窓を確認。あの人はもう居なかった。


「そうですか。オルガ様に見惚れているのかと思いましたよ」


「オルガ様……? って、誰だっけ」


「……本気で言ってるんですか」


 ミュヘン君は呆れ顔で私に説明してくれた。オルガ様、本名オルガニスク・ランジスト。

 先の大戦で活躍された大佐様だそうだ。冷静沈着で文武両道、まさに完璧超人。


「でも気を付けて下さい。あの人はコルニクスの兵に息子を殺されたんです。教官は……その、目の仇にされてしまうかもしれません」


「……ミュヘン君、私は帝国兵です。コルニクスと言う国は……もうありません……」


「……失礼しました」


 そろそろいい時間だと、私は今日の授業は終わりだと生徒に告げる。みんな汗だくで、軍服の乱れも多々見られた。しかしあまり厳しく言うのは良そう。そもそもの話、私が担当というだけで皆には肩身の狭い想いをさせているのだから。




 ※




 シスタリア帝国とアーギス連邦に挟まれた小国、コルニクス。そこが私の故郷だった。しかしシスタリアとアーギスとの戦争が勃発し、両国に挟まれたコルニクスも必然と戦火に巻き込まれる事になる。


 十年前、当時十二歳だった私も徴兵され、無茶な陽動作戦に参加した。結果は言うまでも無く惨劇の一言。私が生き残れたのは奇跡としか言いようが無い。肩と腹に銃弾を受け、真っ赤な空を見上げながら逝き絶える寸前、シスタリア帝国の軍人に助けられたのだ。まだ子供だからという理由で。


「こんな子供まで……コルニクスには血も涙も無いのか」


 そんな台詞を覚えている。だが血も涙も無いのは二つの大国だ。コルニクスにはこうするしか道は無かったのだ。


 お前達が戦争なんて起こさなければ。


 そんな風に大国を責め立てつつも、私は成長するにつれ、そんな簡単な話では無かったと知るようになる。戦争は避けれなかった。誰もが望んで起こした戦争では無かった。私が恨むべき人間など、誰一人として居なかったのだ、と。


 そして私はコルニクス出身の軍人として、寄宿学校で教官をしている。

 コルニクス出身、というのはいつまでもついて回るレッテルのようだった。コルニクスは小国ながら、二つの大国に恐れられる程の人材が揃っていたらしい。私が参加した無茶な陽動作戦の裏で、大国の喉元を食いちぎろうとした連中がいたようだ。


 コルニクスという小国にも、そんな剛健な人間が居たのだ。だが彼らは英雄とは呼ばれない。何故なら私のような生き残りがこんな扱いを受けるのも、彼らの大健闘のおかげなのだから。コルニクス出身というだけで冷たい目で見られ、場所によっては袋叩きにされる。なんて余計な事をしてくれたんだ、と母国の勇猛果敢な人間を恨んだ事もあったけれど、彼らとて生き残るために必死だっただけだ。


 やはり、私に恨むべき人間など居ないようだ。




 ※




 このシスタリア帝国の寄宿学校には、約一万人もの生徒が居る。私が担当しているのは、その中で二十人程。生徒のほとんどは、くちべらしに家を勘当され衣食住を求めて軍の門を叩いた子。正真正銘の帝国人だが、校内では差別的な目で見られる事が多い。何せこの学校には基本的に軍関係の子が大半だからだ。


「教官、洗濯物はありますか?」


 授業が終わり、寮へと戻ると私が担当する生徒の一人、シアちゃんが既に洗濯物を集め始めていた。長い赤い髪が印象的な彼女は、幾人から愛の告白を受けているという。


「じゃあ……これお願い」


 私はおもむろに軍服を脱ぎ、中に着ていたシャツもろとも籠の中へと。


「きょ、教官! なんてはしたない! 私が男だったら襲ってますよ!」


「いや、男じゃないから脱いでるのであって……。それに、こんな体じゃ男も襲う気失せるでしょ」


 私の肩と腹には弾痕。それに帝国の軍に所属してから、地獄のような日々でついた傷もそこらかしこに。


「教官は魅力的です……! コルニクス出身だからってそんな……ぁっ……いえ、すみません……」


「気にしないで。洗濯物よろしくね。心配しなくても食堂には服を着ていくから」


「あ、当たり前です……!」


 そのまま洗濯物を運んでくれるシアちゃん。私はクローゼットの中から、一目で教官だと分かる軍服を取り出し袖を通す。


「教官、もういいですか」


 すると今度はミュヘン君が私の部屋へと、頃合いを見計らったかのように入ってきた。

 ちなみに真面目なミュヘン君は、ちゃんとした軍関係の貴族出身だったりする。何故か、この子は自分から私の担当下がいいと言い出した稀な子だ。


「どうしたの? ミュヘン君」


「……オルガ様の事です。どうやら第一線を退かれて、今後この寄宿学校の管理をなされるとか」


「……え? そ、そんな事ってあるの? っていうかミュヘン君どこからそんな……。私も何も聞いてないのに」


「ツテを使いました。それと……オルガ様には近づかない方がいいですよ。厳格で冷酷で最恐の軍人だと言われているんですから」


 そんな怖い人なのか。コルニクス出身の私を見たら、それだけで激怒されてしまうかもしれない。


「分かった、気を付ける……」


「そうして下さい。では……。食堂でいつもの席を取っておきます」


 ありがとう、とミュヘン君を見送る私。そして時計を確認。もうすぐ夕食の時間だ。ここの生活の中で、数少ない楽しみの一つ。ここの出す食事はとても肉が多めで美味しいのだ。


 私は口から溢れそうな唾液を仕舞いつつ、食堂へと……。


 まさかあんな事になるとは思いもせずに。




 ※




 食堂は一万人にご飯を供給するだけあって、まるでどこぞのパーティー会場かと思う程に広い。なんだったら実際にパーティーが行われた事もある程だ。私はその時、軍人でありながらメイド服を着せられ配膳の手伝いをさせられていた。


「見ろよ、コルニクスの犬が飯を強請りにきたぞ」


 そんな呟き声も珍しくはない。いつものように聞こえてくる言葉だ。もう慣れてしまった。

 私は心の中で、コルニクスの犬と言われても、既にその国は存在しないぞ、と反論しながら壁に掛けられた献立表を見る。本日は厚切りステーキか。流石、帝国の軍施設だと芳ばしい空気に身をゆだねていると、その騒ぎは起こった。


「なんだキサマ!」


 突然、そんな怒鳴り声が食堂に響いた。賑やかな場所だけど、一気に静寂に包まれる程に。


「訂正しろ」


 怒鳴り声の主に対し迫る人間が居た。何を隠そう……ミュヘン君じゃないか。


「キサマ、一体誰に向かって口を聞いている!」


「それを今、貴方に問い質している。あの方は我がシスタリア国の同胞にして英雄の一人。貴方が罵っていい人間ではない」


 ミュヘン君は上級生に対して一歩も引かない態度で、それでいて凄まじい気迫を放ちながら威嚇。思わず上級生が一歩引いてしまう程。


 不味い、これは不味い。ミュヘン君はただでさえ私の担当生徒と言うだけで肩身の狭い思いをしている。こんな騒ぎを起こしてしまっては、さらに孤立するだけだ。あんなつまらない呟きなど聞き流せばいいのに。


「キサマ……ふざけるな……! あの娼婦が英雄? 一体何を穿き違えて……」


 次の瞬間、ミュヘン君は鬼の形相になったかと思えば、あろうことか上級生の顔面を殴りつけた。殴られた上級生は食事をしている他の生徒のテーブルへと突っ込んでしまう。あぁ、厚切りステーキが……。


「キ、キサマ……!」


 殴られた上級生は腰のナイフに手を伸ばした。駄目だ、食堂に装備を持ち込む事自体禁止されている。その上抜いてしまえば退学させられてしまう。


「待ちなさい! そこまでよ!」


 思わず私も声を荒げていた。二人を落ち着かせるように間に入りつつ、交互に目を合わせる。ミュヘン君は私と目が合うと、シュン……としてしまった。叱られたと思ったのだろうか。まあ、無論あとで叱るが。


「……売女」


 ボソっと、上級生が再び呟く。するとミュヘン君は再び上級生へと殴りかかろうとした。


「ミュヘン!」


 それを私は恫喝するかのように名前を呼び、再び目を合わせて


「動くな」


 私の言葉に、ミュヘン君は本当に、今度こそ叱られた子供のように肩を落とした。まあ、既に十六歳で成人しているとはいえ、まだ子供なんだが。


「はは……良く躾けられてるじゃないか、コルニクスの犬に躾けられた子犬が!」


「黙れ」


 私は上級生へも一括。するとこちらも怯えた表情で震え出した。いや、そこまで怯えるなよ。寂しくなってしまうじゃないか。


「ミュヘン、それと君、床に落ちた食事を掃除しなさい。そして被害に遭われた子へと謝罪し、代わりの食事を持ってきなさい」


「……はい」


 ミュヘン君は素直に頷きつつ、床に落ちた厚切りステーキを拾い始める。上級生も言う通りに掃除をするのかと思いきや……


「……誰が掃除なんぞするか! くたばれ!」


 腰のナイフを抜き、その切先を私へと向けてきた。

 コイツ、人がせっかく止めてやったのに。


「へ?」


 間抜けな声。私は上級生のナイフを奪いながら、思い切り、その男を投げていた。他のテーブルに迷惑が掛からぬよう、その男の後頭部が床に叩き付けられぬよう、気を付けながら。でも痛そう。


 さて、どうしようか。

 奪ったナイフを瞬時に服の中へと隠しながら、私は必至にこの生徒がどうすれば退学を免れるか……と考えていた。もう既に、この食堂にいる生徒が目撃している。証言されてしまえば問答無用で退学処分だ。


「何の騒ぎだ」


 すると騒ぎを聞きつけたのか……目の前にあの方が現れた。



 その時だ、私が甘い誘惑の、その実に齧り付いてしまったのは。

 苦々しいその実を、私は大口を開けて食べてしまったのだ。



 

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