龍と妖狐と魔法の小刀(34)狐と詐欺師
頴州
崔郎を演じる胡娘は、文人然とした男の姿で、悠々と大きめの扇子を広げて史娘の芝居小屋の庭に通されて呆れていた。
(芝居小屋のはずがどう? 舞台には埃が舞って、二階三階の個室にばかり客がいるじゃないの。これじゃあまるで妓楼だわね。史姐姐はどうしてこんなことを許しているのか)
この「崔郎」の姿は芝居のときにいつも使っていた姿で、史娘はフーニャンがこの男に化けるのを特に好んでいた。
崔郎の姿に化けていれば、帰途にフーニャンを追ってくる者もいないだろうと思ってのこの姿だが、フーニャンは期待とは違う環境で史娘を待たされている。
ラーフマナが懐で「赤い靄がないな」と呟いているのも、フーニャンは聞いていた。
白い漆喰の壁には飾り窓が不規則に並んでいる。
広い庭園は小山や海を模した山水が作られており、涼亭までの小径には膝丈ほどに整えられた草木が植えてある。
鳥が鳴き、池のほとりに柳が揺れる。
目を閉じれば風の匂いだけが鼻をくすぐる。
フーニャンは崔郎の容貌で眉根を寄せた。
そのフーニャンの耳に、売られてきた子供たちがひそひそと喋る声が聞こえ、それから聞き慣れない抑揚で喋る男の声が聞こえて目を開いた。
(炎人)
「珍しいな、ヴェスタブール人だ」
ラーフマナがフーニャンに向かって囁く。
「西鋼大陸?」
「エニシャよりさらに西の大陸だ」
「へえ、どのぐらい遠いのか知らないけれど、砂州よりも遠いの?」
「バラカの倍は遠い」
男は赤味のある肌に金髪碧眼で、史娘と並んで「崔郎」の前に歩いてきた。
史娘がフーニャンに男を紹介する。
「崔郎、星辰殿を紹介しますわ」
星辰
フーニャンはその名前を記憶に刻みながら腰かけていた椅子から鷹揚に立ち上がった。
「崔と申します。史娘の舞台を見たくて柳州からまいりました。あなたは? 芝居のために蘇国までおいでになられたのでしょうか?」
星辰はフーニャンの姿を頭のてっぺんから爪の先まで眺め、それから返事もせずに小さく笑うだけで済ませた。
フーニャンは小さく目を眇め、それから手にしていた扇子をパチンと閉じる。
「残念です、星辰殿が史娘の舞台を見るためにおいでになったのであれば、有意義な時間を共に過ごすことができたでしょうが、別の目的がおありになるようですね」
それからフーニャンは星辰を前にしたまま、椅子に座りなおして卓に置かれた茶器に手を伸ばす。
「史娘、そちらのお客人がどちらからおいでになったのかぐらいは、お伺いしてもよろしいでしょう?」
フーニャンの問いに史娘が頷く。
「崔郎、こちらのお方は西鋼大陸から商いのご相談にいらしたのだそうなの」
「商いの? ならば頴州よりも柳州に行かれたほうが良かったでしょう」
「あら、砂州関という関があるでしょう? 炎国からは砂州関を使うのが一番近いのだそうですよ」
史娘の返答を聞いて、フーニャンは「砂州関」と繰り返した。
星辰が小さく笑って頷く。
「私は史娘さんからの頼まれごとで、ここに来ただけです。ですが、あなたにもひとつよい品をお見せしますよ」
そう言いながら、星辰は史娘の横にいた少女を手招きし、蓮華の紋章が刻まれた箱を卓に置かせた。箱は見たところ組木細工のようだったが、所々に幾何学模様の透かし彫りが施してある。
フーニャンは咄嗟に手にしていた大きめの扇子を開き直し、顔を半分隠した。
(異国のお人、キツネの嗅覚をバカにおしでないよ。この箱の透かし彫りから赤い靄が透けて見えてるっての)
フーニャンは扇子で隠した鼻に、ケシ除けの薬を塗りつける。
胡散臭そうに箱を見つめるフーニャンを前に、星辰は箱にかけられた南京錠に鍵を差し込む。
(なにを見せてくれるのかしらね)
目を細めたフーニャンの前で、星辰は箱から取り出したランプに火を入れた。
「星辰殿、火を入れるには早いでしょう。まだ昼ですよ」
「ええ、ですが崔殿、これはあなたへの手土産として用意した物ですので、今、火を入れて御覧に入れたいのです」
妙な訛りのある言葉を並べる星辰を見てから、フーニャンはちらりと史娘に視線を向ける。
史娘は星辰に寄り添うようにして、赤い靄が閉じ込められたランプを見つめていた。
(靄が、人の形になった?)
フーニャンはその「人」が誰なのかを見定めるために目を凝らし、そうして息をのむ。
「公主さま」
小さく呟いたフーニャンの前で、史娘は血の気を失っていた。
「どうしてお嬢様じゃないの? 崔郎の恋人は玲玉のはずでしょう? このお邸には、小姐と崔郎が一緒でなければ意味がないわ」
星辰はちらりと史娘を見て微笑する。
「ならばそのように心を縛ればよいのでしょう。この崔郎には、玲玉嬢が必要なのだ、と言い聞かせて言うことを聞かせればよい」
フーニャンは扇子に隠した唇をキリリと噛みしめてから、努めて笑顔を作り上げて星辰に顔を見せた。
「私の心を縛るですって? 言うことを聞かせる? 西の方、穏やかな言葉ではありませんね」
「私は商人だと言ったでしょう、崔殿。こちらのお嬢さんからは、ずいぶんとよい商談をいただいたのです」
蓮華模様の箱にまとわりついていた赤い靄がフーニャンの腕に向かってゆるりと動く。
靄の流れを眺め、それからフーニャンは星辰に見せ付けるように、ゆっくりと手を動かして指に絡めた。
「なるほど、崔殿にはこれが見えるらしい」
星辰はクックッと笑う。
「星辰殿、只人の目には見えない、こんなものを商売道具になさって人の心を売り買いするのが西鋼大陸の商人ですか? あなたは史娘を客だとおっしゃるが、その史娘の心も、この道具で縛ったのですか?」
「残念ですが、崔殿の疑念はハズレです。私はこちらのお嬢さんの心を縛ったりなどはしておりませんよ。ただ、人というのはとても欲深い。いや、愛情深いというべきでしょうか。どうしても、かつて自分を拾ってくれたご令嬢の恋を成就させてあげたいと、真摯にお願いされた、それだけです」
フーニャンは星辰の言葉に呆れつつ、嘆息した。
「それで? 玲玉小姐はもう鬼籍に入っておいでなのに恋人が必要とはどういうことです? まさか私の命を奪って、同じ墓に入れようというわけでもありませんでしょう」
このフーニャンの言うことを耳にして、にこやかに答えたのは史娘だった。
「星辰殿が生き返らせてくださるの。だから、お墓から骨を全部集めましたのよ」
フーニャンはぞっとした。
「生き返らせるですって? 何百年も前に死んだ人間を? そんな不自然なことがあってたまるものですか」
ゾワゾワと、フーニャンの腕からと言わず背中からと言わず、全身の毛が逆立つような寒気が襲う。
「やりようはあるのです」
星辰が目を細め、フーニャンを見つめる。
「ご冗談でしょう? そんなことができるとしたら」
フーニャンは、そこでふと螺珠のことを思った。
赤い靄が形作った、自分の大事な友達。
まだお互いに大人になり切らなかった頃に、フーニャンのことを「キツネの女神様」と呼んで「フーニャン」と名付けてくれた大切なお姫様だった。
(あたしのお姫様は六心地公だというけれど、それでも、きっとできない。だってそれはきっと、違う魂になってしまうもの。あたしの魂が湯玉哨だっていうのと同じで、どこかに玲玉の魂を持っている人がいるとして、その魂は「生き返らされた体」には宿らない。天公が器を作っても、地公が意思を入れなければ、ただの人形でしかない。赤ん坊のうちに魂と出会えなかった人形は、意思だけで生み出される地龍がこの世界に生まれるための入れ物になるか、さもなければ死産になるか)
フーニャンはそれを、地公廟や湯玉哨の家族たちと話して学んだ。
ゆっくりと、フーニャンは星辰に向かって首を振る。
湯一族で育った魂が、「違う」と意識に訴えている。
「骨から器を作りなおしたところで、そこに宿る魂は、もうどこにもないでしょう。三生の縁が玲玉と崔郎を繋ぐなら、とっくに違う人間に生まれ変わっているはずです」
星辰は「はは」と笑った。
「誰に転生しているかぐらいは、調べればよいことだ」
フーニャンは自信たっぷりに言う星辰を眺め、それから赤い靄をラーフマナの小刀に預けてスンと鼻を鳴らす。
(この男は靄を操っていて、靄はこの男に従っている。それなのにこの男は史姐姐のエサにすらならない人間にしか見えないのが胡散臭いじゃないのさ)
「小娘」
フーニャンはじっと星辰の手元を眺めていたが、ラーフマナのひと言がその意識を引き戻した。
フーニャンとラーフマナの会話は、龍族であってもなお「スンスン」という鼻をすするような声にしか聞こえないというのは、芦楓や熊震との話で分かっている。
ラーフマナは遠慮せずフーニャンに向かって話しかけた。
「人が人を生き返らせることはできない。もしそのような力があるとすれば、そんなものはまやかしだ」
「そうでしょうね」
フーニャンはラーフマナの言葉に同意する。
「でも地龍っていうのは、死産になった子供の器を借りて、天龍の世界を覗くもので、湯玉哨もそのひとりなのだから、使える魂があれば、そうとも限らないのではない?」
ラーフマナに向けて、人には「スンスン」としか聞こえない会話を交わすフーニャンに視線を据えて、星辰はもう一度、赤い靄を幼い螺珠の形に作り替えた。
「どうやらこの地の記憶を見る限り、この娘はあなたと随分縁が深いようです、崔殿」
フーニャンは幼い螺珠の姿を前にして、星辰を見る目の上にある眉根を寄せて見せる。
「この地の記憶とは面白いことをおっしゃる。星辰殿は商人でなく占い師でしたか」
「占い師ではありませんよ。単に、この地の記憶を読むことができるだけです」
星辰の目が細くなったのを見たフーニャンは、同じように「崔郎」の姿で目を細めて返した。
「なるほどね、占い師ではないけれども、単に頴州の記憶を読むことができると」
「ええ、そうです」
星辰がそれを首肯する。
「ではお尋ねしますが星辰殿、あなたは私に縁が深いこの娘が誰か、どのような娘であったか辿ることができるのでしょうか?」
フーニャンの質問は、ただ、星辰の力が何なのかを知るためだった。
理由はただ、それだけだった。
「ふむ、それが出来れば、崔殿は私に玲玉嬢を生き返らせることができると信じてくださるということですか?」
「星辰殿次第です」
フーニャンは崔郎の姿で朗らかに笑みを作る。
「できませんか」
「ご覧にいれましょう」
星辰はゆっくりと、靄で作り上げた小さな螺珠を動かし始めた。
小さな螺珠は、小さなキツネと出会う。
(あれは、あたしだ)
フーニャンは螺珠とキツネを眺めて心に留める。
頴州の猟師が螺珠を捕まえ、閉じ込め、獲物を作らせる。
その猟師は捕らえられ、小さな螺珠は蘇蘭俊に連れ去られる。
(ああ、そうなのね、あたしの大切なお姫様を痛めつけた男がいるのね)
靄が描き出す傀儡劇は、星辰と史娘にも見えていた。
「楚様だわ」
史娘が小さく呟く。
螺珠の前には楚子哲と呼ばれた男がいた。
楚子哲は蘭俊の傍にいる螺珠の手足を赤い靄で縛り上げ、蘭俊に侍るようにと言いつける。
そうしてその先に広がる「螺珠に関する頴州の記憶」はフーニャンも史娘も、そして星辰も予想していなかった事態に繋がっていった。
蘭俊が百花を望めば螺珠が百花を咲かせる。
蘭俊が狩猟の獲物を望めば螺珠が動物を作り出す。
そのたびに、頴州からは花が消え、生き物が消え、黒く濁った光と化して螺珠の手から生み出される百花や麒麟に化けていく。
柳州の王宮で、螺珠を通して頴州の魂を消費し、贅の限りを尽くす家族。
その家族の元には頴州から、螺珠を介さない貢物も運ばれていく。
楚子哲と蘭俊、それに蘭俊の家族が螺珠に奢侈を求めるたび、頴州からは人と言わず生き物と言わず、黒く染まった魂が引きずり出されては、花として、獲物として、食料として、費やされていた。
そうしたなかで、螺珠は池に足を滑らせて命を落としたように見えたが、楚子哲は赤い靄を手繰り寄せると、亡霊のような螺珠を捕まえて、今度は頴州には兵が足りない、と言い出した。
螺珠を縛るのと同じように頴州の人々に括られた靄は、しかし赤ではなく黒だった。
その黒い靄は墓場から這い出る人々の亡骸を切り刻んでは、手と言わず足と言わず、をひとつひとつの兵士に仕立て上げていく。
その螺珠を靄の鎖から解放したのは、まだ少年と言うべき年頃の子供たちだった。
子供たちはいつしか亡霊のようになっていた螺珠を解放し、共に緑や青の龍に姿を変えて天を駆けた。
フーニャンは星辰が「六心龍」と呟いたのを聞き逃さなかった。
「龍族にお詳しいのですね」
「あれを欲しがる五心龍は多くいます。特に心臓は、良い値で売れる」
星辰の表情を見て「ひ」と声をあげたのはフーニャンではなく史娘だったが、星辰はその史娘の声を聴いてはいないようだった。
「崔殿、よい情報をいただきました。子哲殿からあの娘を買い取れば今度こそ帰ることができる! きっとあの邪魔な従兄弟を追い出すこともできる!」
星辰の言葉を聞いてフーニャンは「ああ、なるほど」と小さく頷いた。
「この靄はあなたの眷属であり、楚子哲とあなたを結ぶ赤い糸というわけだ」
目を細めて胡散臭そうに星辰を見たフーニャンに、星辰は同じように目を細め、しかし微笑にも嘲笑にも見える笑みを浮かべる。
「私は彼女の心臓を得て、この国の王になる」
フーニャンは「は」と吐き出した。
「星辰さん、あんた最初から史娘の真摯なお願いとやらを叶えるつもりはなかったね?」
「いいや? 私は私に甘い女性が大好きだからね、彼女が私を裏切らない限り、お願いは叶えるつもりでいたよ」
星辰は微笑で史娘を捕え、それからフーニャンに視線を戻す。
「だが崔殿のように小賢しい相手の手足は引きちぎりたくなる」
「さようですか」
フーニャンはニヤリと笑って目を緑に煌めかせて星辰に言葉を向けた。
「私の魂魄も、あの娘の魂魄も、あなたには差し上げませんよ」
星辰はフーニャンの言葉を聞いて笑顔を見せる。
「そうは仰っても崔殿、あなたはあの娘に会いたいでしょう? 明日、またここへおいでください」
明日
「そうですね……明日、私がここに来たとして、現実に、あの娘に会えるとでもおっしゃるのでしょうか? あなたが会わせてくださるとか?」
「それがご希望なら、そうしましょうか」
星辰はフーニャンを見つめて目を細めた。
フーニャンは真正面からその目を見返した。




