龍と妖狐と魔法の小刀(33)天牢での告白
宮中の一角に作られた天牢には、明かり取り用の小さな窓が上の方に付けられただけの薄暗い房がいくつも並んでいる。
窓から差し込む白い光を受けて舞う埃が、きらきらと陽光を反射する。
蘇恭徹は蘇施徹の前で、ゆったりとくつろいだ様子で、蓋碗に注がれた湯のなかを泳ぐ茶葉を揺する。
「恭徹殿が菖児を助ける、その理由は?」
施徹の声が静かに落ち、恭徹は口元を綻ばせた。
「阿轍に墻が必要でな、菖俊殿は五心とはいえ同じ蘇王族の系譜にある従兄弟ゆえ、相性で言えば、衝突は起こすまいと思ったまで。うちの息子たちから選んでもよいが、片親が同じであることを考えれば、阿轍の弱点と同じようなところに弱点がある可能性も捨てきれん。菖俊殿は、父は施徹殿で母は炎二妃であろう?」
恭徹の打診を受けた施徹が、手にしていた蓋碗を床に置いて首を振る。
「正直に申し上げるなら、菖児を助けようという申し出はありがたい。だが、あの子に比轍の墻は務まるまい。圭徹の暗愚を嗤いながら、己も一度は炎二妃のところに女の格好までして忍んでゆくほど、愚かな真似をした。それはな、この数年の審問で、しみじみ、なぜそうも愚かなことをしたものかと己を叱り飛ばしたい愚挙であったわけだが」
そう言って息をついてから、施徹は言葉を切って唇を湿らせ、次の言葉を探すかのように視線を彷徨わせてうなだれ、頭を掻いた。
恭徹はその施徹を眺める。
近くの房では、蘭俊が施徹の言葉を待って聞き耳を立てていた。
「叔父上たちは、私のことを無視している」
見張りに向かってそう罵声を飛ばした蘭俊は、癇癪を起して手近にあった椀をつかみ取り壁に向けて投げつけてから、それでも腹の虫がおさまらなかったのか、自分の房の格子の隙間から見張り番の脚を蹴った。
恭徹は木で作られた椀が派手な音を立てたのを聞いて蘭俊の房をちらりと振り返り、施徹は自分の牢の格子に近寄って、蘭俊の房がある方向に顔をのぞかせようと、その格子に頭を突っ込んだ。
「……圭徹に甘やかされた結果があれだ。施徹殿がご自分で育てたほうが良かったかもしれんぞ」
「私に炎二妃を降嫁してもらうわけにもゆかず、ひたすら王弟として彼女の元に忍んで通ったのだ。私の子として育てることはできなかった」
先王の兄弟ふたりは、蘭俊が暴れる物音を聞いてあきれた。
「それで」
話を変えるべく、椅子に腰かけ直した恭徹が施徹に視線を戻す。
「私としては、炎二妃と蘭俊殿に情状酌量の余地はないと思っているが、菖俊殿はまだ幼く事態に干渉する力もなかったことは認められるだろうとも思っている」
「それは恭徹殿の思案だろう。菖児は蘭児という兄を見て育った。宮中に縁のある比轍殿のところに行くとなれば、皇子として甘やかされていたことを思い出して辛くなりはしないか、それならばいっそ市井で、政治犯の子という目を向けられずにすむ場所で生きていてほしい」
施徹の言葉を聞きながら、恭徹は「ふむ」と頷きつつ、脇机に置かれた風炉の炭を長箸でつついた。風炉の上には土瓶があり、薄暗い天牢のなかで湯気を上げている。
別の房で蘭俊が暴れている物音を除けば、ゆっくりとした時間だ、と兄弟はそれぞれの表情で苦笑した。
「今までこうやって話をすることがなかったから知らなんだが、施徹殿は意外と冷静に子供たちを見ていたのだな」
湯気のなかで白む恭徹を眺めて、施徹は座りなおす。
「まっとうに恭徹殿と話をするのは初めてだが、ずっと訊きたかったことがある」
施徹に言われて恭徹は湯呑を置いた。
蘭俊の「ふざけるな! 私は皇子だぞ!」という声が施徹の言葉を邪魔し、施徹は顔をしかめて息をつく。
「蘭児は少し黙っていられないものか」
施徹の呟きを聞いた恭徹が小さく肩を竦めた。
「私に聞きたかったこととは?」
恭徹は湯気の立った土瓶を手に取って蓋碗に新しく入れた茶葉に注ぎ、施徹にその蓋碗を差し出す。
施徹はゆったりとした仕草で恭徹から蓋碗を受け取り、スンとひとつ匂いを確かめて深呼吸してから「ああ」と嘆息した。
「よい香りだ」
「阿轍が改良した茶樹だ、当然よい茶葉になる」
恭徹の言い分に施徹は顔を顰める。
「ふむ、恭徹殿はまるで比轍にはそれができて当然とでも言わんばかりだ」
「比氏の末子だ、できねば困る」
施徹は恭徹から受け取った茶を一口啜り、それから蓋碗を横に置いて正座した。
「恭徹殿に訊きたかった。なぜ、王にならなかった。恭徹殿が玉座を圭徹に譲らねば、私は政の隙を突こうとは思わなかった。玉座を手に入れたのが圭徹であったから、隙があった」
恭徹は施徹の言い分に目を眇める。
「まるで私が王にならなかったのが悪いと責められているようだな」
「あなたはな、五兄」
「誰かに五兄と呼ばれるのは百五十年ぶりかな、四兄が二兄圭徹殿の手で皇籍をはく奪されてからは、私が『四爺』と呼ばれるようになった」
ああ、と施徹は恭徹の言葉をかみしめて頷いた。
「そうだった、そうして八番目の私が『七爺』になった。それでな、五兄、私の母がずっと敵視していたのは、あなたの母である玄妃だった。私はあなたと競うために頴州に母が連れてきた術師による呪いを撒いた。頴州の者は誰もが私に忠誠を誓う呪いだ」
恭徹の瞳孔が小さく縮んで獰猛な感情を見せる。
施徹は嗤った。
「あの頃、十一人いた兄弟の派閥は、三つに収束していた。二兄の派閥、四兄の派閥、そして五兄、あなたは徒党を組まなかったが、あなたを推す派閥だ。私の母は玄妃と競っているつもりで二兄を推していた。そのせいで私も二兄の派閥だったが、知っていたか?」
恭徹は眉根を寄せて施徹を見ている。
「そのぐらいは知っていた」
ゆっくりと、静かに答えた恭徹を視界に留めてから目を閉じ、施徹は「そうか」と頷いて深く息を吐いた。それから顔を上げてまた、ゆっくりと息を吸い込む。
「だが五兄、これは知るまい」
「何だ?」
恭徹は小さく縮めた瞳孔をそのままに、緊張で手を固くして施徹の言葉を待つ。
細く淡く、そして白い陽光のなかで、風炉の炭がパチンと軽く爆ぜた音を響かせる。
施徹は口角を上げた。
「今のこの蘇の乱れた政は、あなたが玉座を捨てて比氏との姻戚関係を手にしたときに決まった。あなたは自分の安寧を選んで、この国の安寧を捨てたのだ」
くっくっと施徹は喉を鳴らしながら、恭徹の表情がさらに硬くなったのを見た。
「自画自賛というやつだが、五兄、私は圭徹よりもよほど人を見る目がある」
「炎二妃と共に国を傾けた男がよう言う」
恭徹は嘆息交じりに、蓋碗に湯を注ぎながらそう言ったが、施徹は首を振りながら楽しそうに笑顔を浮かべて見せる。
「人を見る目をどう使うかは、私の自由だからな。私は、国の未来を賭けた。二兄が王になるならば、二兄を傀儡にする。四兄か五兄が王になるならば、私はおとなしく自領に専念する。どうしてか。二兄の派閥は、我が母も含めて皆、私欲のため一番愚鈍な皇子を推すことで固まっていたからだ。そのなかで自分が生き残るには、私もまた私欲を優先する者でなければならん」
施徹はそこまで言って蓋碗を手に取り、冷めた茶で喉を湿らせる。
「四兄が王になったときには、自領に専念すると決めた。四兄の派閥は歯車のように動くことを好む文官連中ではあったが、芦氏や洵氏のように正確な手続きを絶対に嫌がらないという点で朝政は狂いなく、繁栄も腐敗も最小限の安定した国になるだろうと分かっていた」
恭徹はじっと施徹を眺めていた。
その恭徹の視線を受けて施徹は「ふ」とまた嗤う。
「その目で見て、三爺であれば、どうであった」
「三兄はない。あれは争う姿勢は見せていたが、その実、四兄を推す派閥にいた」
恭徹は「そうか」と小さく返して自分の蓋碗を脇机に置いた。
「私であれば、どうだったと言うのか」
「王になったのが恭徹殿であったら、私はあなたに忠誠を誓った」
施徹の返答を聞いて、恭徹は「は」と口元を歪めて笑ったが、施徹はその恭徹を見て背筋を伸ばす。
「五兄、あなたの落ち度は……いや玄出身の母を持つ皇子たちの落ち度というべきか、恭徹殿に限らず、泰俊殿もそうだが、自分の群れはこれと決めてかかり、その群れを優先してしまうところだ。遊牧の者らしい緩さだが、明確に自分の群れを脅かすものだけを敵と看做して、そこを守ることを前提に動く」
百年以上付き合いのある「弟」からの評価を聞きながら、恭徹は「そうか」と妙に納得した。
自分の「群れ」とは言い得て妙。
「元々の玄王族は、自分の群れが良い猟場を得るために血を流し命懸けで競うものだというが、蘇ではそうした争いを低俗なものとして教え込まれるせいで、自分の群れを守るための争いに徹するものだ。調べた限り、歴代、玄出身の母を持つ皇子たちは、一様にそうした傾向にあったが、ときどき、その動きから外れた皇子が出てきて王になる。三代、十代、十二代の王たちがそれだ。彼らの治世は真に実力のある者がその出自にも貧富にも左右されることなく、正当に評価されて力を持つことが許されていた」
施徹は恭徹に告げながら、膝の上で拳を握りしめた。
「お分かりになるか? 私の母は絶対的な身分制度で固められた国の皇子として育ち、その序列に従って蘇に嫁いできた。母にとって玄妃とは、嫁いできた先に君臨していた内庭の絶対的な頂点であり、せめてもの抵抗が同じ朱から嫁いで、その嫁いだ順番が早いことで玄妃よりも先の序列を貰っていた従兄の子である二兄圭徹を推すことで玄妃の力を削ぐことであった」
恭徹はじっと黙って施徹の言い分を聞く。
「だがな、私や十一弟のように、母が身分や序列に拘る者にとって、真に自分を評価してくれる可能性のある皇子が五兄であった。恭徹殿が比氏を選んで玉座から手を引いたときに、私たちのような末席の皇子がどれほど落胆したか、お分かりになるか?」
恭徹は施徹の問いに手に顎を当て、小さく「ふむ」と頷いた。
「申し訳ないが、分かりようもないな。私は玉座を争っていたときも自分で煽動して派閥を持ったことはないし、そうした権力争いという意味での政は好きではない。施徹殿から明確に支持を告げられたこともなければ、同列で玉座を争っているはずの弟皇子を何の縁もなしに自分の領袖の者として庇護する理由もない」
施徹は一度は手に持ち直した蓋碗を横に置き、恭徹に向けて人差し指を突き出す。
「そういうところだ! そういうところが玄の母を持つ皇子の性格だ! 自分よりも格下の者を派閥に引き込もうという気概がない!」
恭徹にとって施徹のこの批判は、不本意なものであった。
「……五兄が声を掛けに来たら応じるつもりであった。頴州の民を、力を、恃みにしてほしかった」
施徹の感情を前に、恭徹は頭を掻く。
静寂。
外では日が曇ったか、白い陽光が薄くなり、牢内に暗さが訪れた。
恭徹の脳裏に疑念が湧く。
(この弟、息子たちが言うには捕らえられたときは老婆のような姿で狂人のように髪を振り乱し、先王に食って掛かったらしいが、今、この受け答えから受ける印象からは想像が付かんな)
「なあ施徹殿、頴州でなにが起きていたのか、そなたがどのように二妃と繋がったのか、頴州と炎の交易ではなにが見返りだったのかを洗いざらい教えてはもらえまいか。これは取引だ。菖俊殿が私の王府で阿轍の墻になることが条件ではあるが、悪い取引ではあるまい」
恭徹の申し出を聞きながら、施徹はほの暗い笑みを浮かべる。
「墻は、外敵の攻撃で六心王龍の盾になる役目だ。菖俊にそれが務まるかどうか」
「それは教育次第であろう。うちの息子たちのうち、物になったのは阿透ぐらいしかおらん。もうひとりぐらい、欲しい」
施徹はまた小さく笑った。
「菖児がどのような特性を持っているか、お調べになったかな」
「調べたとも。うちはちょうど、檻を必要としている」
「……香炉を」
その声は、施徹ではなく蘭俊から上がった。
恭徹と施徹は蘭俊の声が聞こえてきた房にちらりと顔を向け、それからおもむろに顔を見合わせて互いに眉根を寄せた。
「香炉を使って言うことを聞かせればいいだけだ。四王爺、私をここから出していただけまいか。菖俊が言うことを聞いて比轍の墻とやらになるというのなら、私が弟に言うことを聞かせる。簡単なことだ、香炉さえあれば、王も王爺も言いなりになる。香の効き目があれば、そこには理想が具現化される」
香炉
「王が好むからと、常に炎二妃の傍らで焚かれていた香か?」
施徹は蘭俊に言葉を向けた。
その施徹が「肯定は聞きたくないが」と呟くように続けたのを、恭徹だけは聞いた。
「その香炉で間違いない、あの香炉は母上が父上と叔父上のために焚いていた」
恭徹は、施徹が目を伏せてうずくまったのを見た。




