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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
93/106

龍と妖狐と魔法の小刀(32)天牢の取引

 施徹してつ

 天牢と呼ばれる政治犯専用の牢に座して、彼はじっとしていた。

 蘇施徹と先王であった兄圭徹(けいてつ)との政争は実に二百年以上の長きに渡ってきた。

 目を上げればかつて「五兄」として自分の前にいた「四王爺」が格子越しに自分を見ている。五兄が四王爺になったのは、本来の四番目を謀叛による王籍からの除籍という形で先王圭徹が処分したためである。

 蟄居ちっきょ謹慎きんしんから百年もなにをしているのか、それを気にしたことはなく、まったく興味もなかったせいで知らないが、施徹の人生でもう関わることもなかろうと思えば、特段の罪悪感もない。

 目の前にいる四王爺には王府で育てている息子のほかに、末息子がいる。その末息子というのは比氏の末子であり、比氏の当主との間に、国のしきたりに則って設けたものであって、彼はその制度によって地位と安寧とを約束されている。

 それは、玉座を放棄すると決めた六心の王子にのみ残される道であった。

 比氏というのは、遡れば創世の初王の代にまで家系が繋がる名門貴族で、その初代は初王の双子の弟であったと言われている。

 蘇国全土に広がる民間信仰の廟には農耕土木の神として比氏を祀る廟もある程度に、国の歴史には欠かせない存在として君臨してきた。

 蘇という国の民にとって「王」とは「龍王」であり、「龍王」とは「神」であり、比氏の初代もまた「神」の一柱なのである。

 王族の六心王龍に生まれ、当然、目の前にいる四王爺も同じであろうが、自分たちは人間たちから「神」として崇められるべき存在なのだと、生まれてから三百年弱の間ずっと心に刻んできたと施徹自身は思っている。

 玉座を諦めるということは「神」の座を兄弟の誰かに譲り渡すこと。

 だというのに、五番目の兄はその座をあっさりと、圭徹という兄に譲った。

 今は四王爺と呼ばれる兄は、名を恭徹きょうてつという。


「まだ審問が終わらず生き恥を晒している弟を笑いに来たのか」


 施徹が声を掛けると、恭徹は「いや」と小さく首を振り、牢屋番に持って来させた椅子の横に脇机を置かせ、椅子に座って悠々とお茶を淹れはじめる。

「何の真似だ」

「施徹殿の話を聞きに来た」

「審問と別に?」

 施徹の疑問に首肯で肯定を返すと、恭徹は牢屋番を見てちょいちょいと指を動かして湯を持ってこさせる。

「天牢は王龍の力が封じられるから不便だな」

「恭徹殿、お言葉だが私はもう数年もその環境にいて、日々の審問を待っている」

 施徹の反論に、恭徹はちらりと目を向けて「そうであった」と頷いた。

「そうそう、施徹殿がご存じかどうかわからないが、数年前には私の末息子がそこに捕らえられていてね、あの子は向こうの……見えるかどうかわからんが、暗い尋問の間で一枚一枚爪を剥がされたそうだよ。施徹殿も試してごらんになるか? 手を出していただければ、私が爪を剥がしてさしあげよう」

 施徹は恭徹の言葉にぞっとして首を振る。

 恭徹の末息子、比轍の爪を剥がしたのはかつて施徹が妻にと望んだ女だった。

 天牢のなかに静寂が落ち、恭徹が急須に湯を注ぐ音だけが響く。

 施徹はじっと恭徹に目を向けた。


(なぜ、どうして、この男が天牢に来るのか)


 恭徹が湯を注いだ急須から、華やかで馥郁ふくいくとした、それでいて清涼感のある青い香りが立ち上って広がる。


「施徹殿、二百年前は私も施徹殿も、それに圭徹殿も、若かった」

 恭徹のこの言葉が施徹に向けられた言葉ではないことぐらい、施徹にもよく分かる。

「三爺も追加して差し上げろ」

「そうか、追加しておこう」

 恭徹の茶杯から香る茶の匂いに施徹は大きく息を吸い込んだ。


「こんなに香る茶の匂いを感じたのは二年ぶりか、三年ぶりか」


 呟いて、それから施徹はまた恭徹を見た。

 恭徹は自分の手に納まる小さな茶杯を見つめている。


「……施徹殿、王たち……甥たちは、私たちが想像もしなかったことをしている」


 施徹は恭徹の話に顔をしかめた。

 玉座の争いが丸く収まったことを言っているのだろうか?

「六心王龍とは、万物を操る神として己の州に君臨するものだと、施徹殿もかつて教師であるから、そう教わったのではないか?」

 恭徹に言われ、施徹は無言で肯定を返す。

「だが、私にはもう甥や息子……比轍がなにをしているのか、何を話しているのかが分からないのだ。六心王龍であるというだけでは説明が付かん」

 施徹は顔をしかめて恭徹を見据えた。

 恭徹も、顔を上げて施徹を見ていた。

 なんの話なのか。

「どうも我らの代は、六心王龍にどれだけのことができるのかを、正確には教わってこなかったらしい」

「どういうことだ」

 施徹は思わず質問していた。

「貞俊殿と芳俊殿は、それぞれに地公の助力を得たであろう?」

 施徹はこの言葉には無言を貫いた。

 かつて自分と、自分が愛した女は「我が子に地公の娘を」と望んで国を傾けた。

 その結果、地公の子供たちの反感を買って彼らを逃した。

「彼らが豊作を望めば豊作になり、不作を望めば不作になる」

「恭徹殿、代償はつきものだ、蘭児を見るがいい」

 施徹は自嘲気味に嗤う。

 斜め向かいの房で、小さく物音がしたが、施徹も恭徹も気には留めなかった。


 *** *** *** *** ***


 かつて蘭俊らんしゅんであった男は、かすかに聞こえた自分の名前に身を起こした。

 審問以外で名を呼ばれることがなくなって久しい。

 蘭俊の名は、斜め向かいの房から聞こえてきた。

 声の主が誰かなど、分かり切ったことだった。

 れ者の叔父だ。

 彼はいつだったか、王子であったはずの蘭俊を、我が子と呼んだ。

 自分は蘇王である圭徹の子であって、王弟である施徹の息子ではない。ただ母が五心の側室だっただけで、なにも他の王子たちに劣るところはない。それどころか圭徹に愛されることのない他の王子たちに比べ、自分は父に愛されているという自信があった。

 その自信が数年前、他の王子たちに踏みにじられた。

 彼らは兄弟でありながら、父を手にかけた憎むべき反逆者である。

 だが彼らはのうのうと外の世界におり、蘭俊だけが天牢に入れられている。

 蘭俊にとっては「父に愛されなかった子供たちが自分に嫉妬しただけ」のことだ。

 それでも叔父の声に、蘭俊は耳をそばだてた。


 *** *** *** *** ***


「蘭児は五心だ。あの子が頴州えいしゅう公になったところで、頴州を動かす権限は持ちようがない。それゆえに、頴州の支配権は私の手に残った」

 施徹は言う。

螺珠らしゅ殿が地公の公主であったと聞いて頴州の荒廃に得心がいった」

 腕に嵌められた枷をじゃらりと動かして、施徹は続ける。

「頴州の命譜めいふから消えていった物は、すべてが炎二妃と蘭児の元に移動して消えていく。それぐらいの記録を追うことはできる。息子に与えた下女が、息子が必要とするものを作りだすために消してゆく命を惜しむことがあろうか?」

 反語だ。

 恭徹は眉をひそめて施徹を見た。

「子供を甘やかすのは親の務めではなかろうに」

「圭徹が甘やかしただけだろうが。自分の息子ではないことも知らずに、簡単な男だ。あの男は息子のほとんどが六心で……五心の子供に自分の力がどう引き継がれるのか、知らなかったのであろうよ」

 施徹が笑うと、恭徹は茶杯を脇机に置いて身を乗り出した。

「どういうことだ? まさか、圭徹殿は五心の子供には誰の子か……誰の所有物かの刻印が鱗の一部に刻まれて生まれるのをご存じなかったとでも言うのか?」

 恭徹の問いに施徹は楽しそうに頷く。

「そう、五心の妻を娶って玉座を諦めたら、そのときに知るものよなあ。五心の子供は六心の親に支配できる所有物として、自分の命譜に載る。蘭俊の名は私が管理する命譜にある。だが圭徹殿は王だ。私の上にあるものとして、蘭俊の名は圭徹殿の命譜にも刻まれたはずだ。それゆえに私の命譜にも刻まれているとは思わなかったのであろう。蘭俊の鱗に私の刻印が刻まれているのを知らなかったか、見たが気にしていなかったか」

 施徹は鼻で笑い、恭徹は息をついて急須の茶葉に湯を注ぎ足した。

「百数十年……圭徹殿はようもまあ気付かなんだものだな」

「圭徹は王の器ではなかった。蘭児が王座を確約されたとき、あれの上には私がいる。私は蘭児の所有者として蘇王の座から圭徹を蹴落としてやれた」

 はーっと、大きく息をつき、施徹はしょうに腰掛ける。

「圭徹に負けたのではない。私も……恭徹殿、そなたも、圭徹の息子どもに負けた。圭徹が息子どもに関わらんかったがゆえに、息子どもはまともに育った。その一点、私はこの国に尽くしたと思うぞ。恭徹殿、私の国に対するこの忠節を褒めてくれ」

「褒めてやるから茶碗を寄越すがいい。茶を一杯注いでやろう」

「茶か」

「泰俊殿のところでうちの息子が改良した茶だ。悪くない」

「……恭徹殿、比氏の末子は王都から出さないことが決まりであろうに、それがどうして泰俊殿のところで茶葉を改良することになる」

 恭徹は腰を上げて施徹に淹れた茶を渡し、椅子に座りなおした。

「比一族の力でやっていることではないらしい。どうも、あの子らが言うには王墓や初王の力を借りて道を作っていると、こう言うが、私にはそれが分からぬ。七王爺と呼ばれていたそなたは、これがどういうことかお分かりになろうか」

 施徹は恭徹が差しだしてきた茶碗を格子のなかに引きずり込んでひと口含む。

 恭徹の言葉を聞きながら施徹は茶を喉に流した。

えんにはそういう六心がいるが、蘇の六心としては、私も圭徹殿も、三爺やそなたも、道は作らぬな」

「炎にはおるのか」

「二妃の出身国にはそういう王龍がいた」

「なるほど。炎には継がれたが、蘇では忘れ去られた術があった、そういうことか。施徹殿はどうやら今のほうが素直だな」

 施徹は笑いながら茶碗を差し出す。

「茶菓子が欲しくなる」

「残念ながら茶菓子はない。それで、炎から蘇に運び込まれてくる献上品は、その炎の王龍が作った道から運び込まれてくるのであろうか」

 恭徹の問いに施徹は瞬きし、それから首を振った。

「どこからお聞きになられたのか」

 はぐらかそうとした施徹の前で椅子から立ち上がり、恭徹は背筋を伸ばす。

「政治取引だ。頴州について施徹殿がしてきたことを審問の場で包み隠さず百年分か、それ以上か、特に炎との取引に関して述べていただく」

 施徹は茶碗を持って立ち尽くした状態で恭徹に目を向けた。

「取引と申されるからには、恭徹殿が私のためになにかしてくださるということか」

「菖俊殿は宮中から脱して市井に逃げた。その菖俊殿を私の王府で引き取る」

 恭徹は施徹に視線を返す。

「いかがかな? 施徹殿は王位よりも子供たちに執着していると、私には見えていたが」

 施徹は恭徹を見つめた。

 蘇恭徹

 五番目の兄は玄に母を持つ者だった。

 現太后よりも一世代前の玄国王子がどのようにこの王子を育てていたか、施徹は知っている。

 施徹の母は身分にうるさい朱国の出身で、常に、この玄妃を母に持つ兄を敵視した。それゆえに、この兄が「王府を構え、比嵩ひすうの伴侶であることを選ぶ」と宣言したときに母が見せた勝ち誇ったような笑いを二百年たった今でも思い出せる。

 甥のひとりである泰俊、彼の母もそうだが、玄出身の王子たちは我が子を簡単に手駒に数え、そしてそのことになんら罪悪感を持たない。

「恭徹殿、あなたはご自分の子供と、食事を共にしたことがおありかな」

 施徹は恭徹に向けて首をかしげて見せる。

「五心の子供は私たち六心の親にとって所有物だが、それでも我が子は我が子だ。あなたと比轍殿は……私と蘭児や菖児と同じような親子関係を持っているように見えたことがない。それとも王府で、あなたと妻との間の子供たちとは、家族らしい家族なのかね?」

 恭徹は施徹と同じように首をかしげて見せた。

「どういうことだろうか」

「親ならば、子供になんでもしてやりたいとは思わないか?」

 施徹に問われて恭徹は眉根をぐっと寄せる。

「私は当然、息子たちが己の才覚で生き残れるようなんでもしてやっているつもりだが」

 恭徹の返答を聞いて、施徹はなんとも言えない表情を浮かべた。

 さて、これをなんとするか。

「恭徹殿は、好いた女との子に、与えてやれるものをすべて与えてやりたいとは思わないものか」

 今度は恭徹が妙な物を見た顔をする番だった。

「……五心の子供が六人も七人もいて、その子供ら全員に欲しいものを欲しがるたびに与えていたら、親の身が持たぬ」

「蘭児と菖児はそうではないよ。私は……あの子らが望むものをすべて与えた。王である圭徹のことも、あの子らに、あの子らの父として与えた。思考を少し縛るだけだ」

 施徹は軽蔑を浮かべてわらう。

「なるほど、思考を少し縛る、か」

 恭徹は顎を撫でた。

「王族に生まれる五心の子供は、六心の子供と違いもろい。それぐらいは恭徹殿、あなたも親としてご存じだろうが」

「分かるとも。五心の子供で、役に立つ力の持ち主は多くない。うちの息子たちは、残念ながら使い物になるのはひとりだけだ。そうした子供らに、どうにか生きる道を作ってやらねばならん」

「それが私にとって、あの子らを圭徹の息子として生かすことだった。それだけだ」


 *** *** *** *** ***


 斜め向かいの房から聞こえてくる叔父たちの会話を聞いていた蘭俊の胸には「なぜ」というひと言だけが渦巻いていた。


 なぜ、叔父たちは、弟を助ける取引をするのに、自分を助ける話はしてくれないのか。

フーニャンの話に戻れるように努めます。

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