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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
異国から来た訪問者
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カヴェイネン:異国から来た訪問者(5)王子の試練と慮外の騎士と

 エルバハン王国は、オアシスと呼ぶには立派すぎるほどの、広大な湖を抱えた街を有している。

 湖には三角帆を張った小さな舟がずらりと並び、市場には様々な種類の淡水魚が跳ねていた。

 イェジンと商隊の一行は、湖から支流を引いた水路のある宿に拠点を構え、商隊の荷物と交易用の商品をラクダの背から下ろす。

 エニシャの他の都市と同じように日干し煉瓦を積み上げた白い四角い建物と、円柱に屋根を支えられている回廊がぐるりとめぐらされた宿には広い中庭が設けられ、その中庭に作られた四角い池には水生植物が顔を覗かせている。

 その回廊を通り抜けて裏庭に出ると、葡萄棚が昼間の砂漠都市に降りそそぐ強い陽射しを遮って、涼やかな風をいくつもの客室に届けていた。

 カヴェイネンは一日中、砂のにおいのなかで過ごし続けてきた数日間から急に水辺が含む生臭さと草木の青々しい匂いに包まれ、砂漠を抜けたのだという実感を得て胸の奥までしっかりと、エルバハンの空気を吸い込むように深呼吸を繰り返す。

 湖に面した庭の葡萄棚、その下に置かれたベンチに座り込んで湖に並ぶ舟を眺めながら「あれは、舟だな、船じゃない」と独り言を呟きながら、来客者に出された果物の皿から瑞々しいプラムをひとつ手に取ってかじるカヴェイネンの隣に、イェジンが座り込む。

 今日のイェジンは、恰幅のよい体に黒髪黒ひげの、若い方のイェジンだった。

「お客人、ここは緑の家という、祈りの館と呼ばれることもある」

「カヴェイネンと名前で呼んでくださってけっこう。昨日までと違う、私は護衛として雇われている」

 イェジンは「そうか」と頷いてから、カヴェイネンに予定を見せる。

「交渉のために二泊する。出立は明後日だ」

「承知した」

「明日の夜にでも、弟妹に紹介しよう」

 カヴェイネンは頷く。

「ピン」

 背後を振り返ってイェジンは小柄でやせ型の男を手招きした。

 カヴェイネンは「ピン」と繰り返す。

「次は、ポンとパンか」

 イェジンがカヴェイネンに目を戻して「いやいやいや」と首を振る。

「ピンは小回りが利く」

 そう言ったイェジンの横でピンが小柄な野ネズミに姿を変え、イェジンの足を上って肩に乗り、カヴェイネンの右肩に飛び移った。

「ポケットや荷物に隠れることができるから、一緒に連れていて損はない。戦闘になったら、まずピンが結界の盾を展開してくれる」

 カヴェイネンは「ほお!」と感心した。

 砂漠で展開された「結界の盾」と「光の矢」が飛び交う戦闘は、これまでの戦場では見たことのないものだった。

「あの盾を出してもらえるのは助かる」

「肩から落とさないでいただけるようにお願いいたします」

「戦場で肩から落とすなというのはなかなか難題だ」

 カヴェイネンはピンに「右肩ではなく左肩なら」と左肩を叩いた。

 ピンはカヴェイネンの右肩から左肩に移動して「おお」と感嘆の声をあげた。

「カヴェイネン殿の肩は、がっしりとした僧帽筋三角筋と分厚い胸筋に支えられているのでしょうな。足場に安定があります。素晴らしい」

「光栄です。野ネズミ殿に褒められたのは初めてです」

 ピンが肩の上でカヴェイネンの顔を見上げた。

「ありがとうございます、ひとつ訂正いたしますと、野ネズミというか、カヤネズミです」

「それは失礼した」

「いいえ、大雑把には野ネズミと言われるかもしれません。しかし、我々にはカヤネズミとしての誇り、矜持があるのです。まず、家は自分で作ります」

 カヴェイネンの肩で背筋を伸ばして自慢げに言うピンを見たイェジンが「慣れてくれ」と微笑し、ピンはそこからカヤネズミの誇りを滔々と語り始めた。


 *** *** *** *** ***


 緑の家、祈りの館、そう呼ばれるこの宿の敷地には、大勢の人間が朝夕の祈祷のために訪れていた。

 イェジンとピンがその館のなかをカヴェイネンに紹介しながら、北端にある尖塔が特徴的な建物の階段を上り、カヴェイネンはイェジンとピンを追いながら、階段を上る。

 狭く急な螺旋階段で上る塔は、どこかヴェスタブールの城を思い出させた。

 ただ、階段の天上には色とりどりのガラスを溶接したランプが下げられていて、ここもまた異国なのだとカヴェイネンは実感した。

 まだ昼間の明るい時間ではあるが、狭い階段は暗く、一定間隔で設けられた小さな幾何学形の窓から差し込んでくる陽射しを受ける場所だけが、階段がまだ続くことを教えてくれている。

 カヴェイネンは窓から外の湖か市内を見下ろそうとして顔を近づけて息をのんだ。

 眼下には空が広がっていた。

 湖も、市街地も、どこにもない。

 空都エッシェンからエニシャに来るあいだにジョント号の船尾回廊から見た景色のように、空の上を漂っている。

「この先が水鏡の間だ」

 イェジンはカヴェイネンに言った。

「水鏡の間?」

 「遠見鏡の間とも言います」とピンが付け加える。

 水鏡に遠見鏡、カヴェイネンが首をひねる仕草をどうやって見たのか、イェジンが突然前に立ちはだかったように見えた扉を押し開いた。

 真っ白な明るい部屋の扉を閉めると、尖塔の扉だけが浮き上がるような空間になり、暗い階段も窓の外に広がる空も消えて見えなくなり、中央にある噴水と、その周りに配置されたいくつかの泉だけが残る。

「さて! ピン、頼むぞ」

「スジェでございますね?」

 イェジンはピンに首を振った。

「先にヴェスタブールだ」

「は」

 ピンは頷いて、ひとつ目の泉の横に立つ。

「ヴェスタブール、ヴェルタネンデ!」

 言葉にしたピンにイェジンが「十五年ぐらい前で」と付け加えた。

「十五年前!」

 泉の上にヴェスタブールの地図が浮かび、ヴェルタネンデが拡大されていく。

 カヴェイネンはその地図が、ずいぶんと写実的で、そして立体的であることに驚いた。

「ふっふっふ! 驚いたか!」

 笑うイェジンを見もせず、ピンが胸を張り、カヴェイネンにその小さな体を向ける。

「これは最近導入された最新型の地図なのであります。スジェに天龍族生まれで地龍の眷属になった人の指導で、神様の許可を得て作ることに成功しました。さらに図書管理者や記録官によって、神様の書庫から人の記録を呼び出しております」

 カヴェイネンはにこやかに頷いた。

「一切、わからん」

 ピンは笑顔で目を瞬かせ、頷いて返した。

「まず、カヴェイネン殿がおっしゃるティーキム様をご確認いただきたく存じます」

 そう言いながら、ピンは泉に浮かぶヴェルタネンデをさらに拡大して城を見つけ、さらにティーキムを探す。

 最初は小さなヴェルタネンデのなかで豆粒のような大きさのティーキムが動きだし、そのうちにはっきりとティーキムだと分かる大きさにまで近付いた。

「ああ!」

 カヴェイネンは思わず声をあげる。

「ティーキム王子!」

 面差しにはまだ幼さが残っている。

 そのティーキムは、一生を駆け抜けるかのように動いていく。

 ティーキムが見てきたものは、カヴェイネンがその横で見てきたものでもある。

 ティーキムは人を貧困から助けるように見えて貧困のなかに繋ぎ留めてきた教会を通して、文武のどちらかに才のある子供たちを城に呼び、そうでない者にもそれなりに職が行き渡るように工夫を凝らし、交易路を広げていく。

「このころは、まだ城下の貧困を解決するのに一生懸命だった」

 そこから、教会と領主による二重の徴税について税制を整えはじめ、エニシャからヴェスタブールに売られてきた奴隷に対してもそれなりの配慮を示し、旧弊な貴族たちから欺瞞を罵られて追い詰められていった。

 二重課税の問題は、簡単ではなかった。

 その最後が、王による重税の義務だった。

 しかし、その問題にも穏やかに辛抱強く対応するティーキムを、民は弱腰と批判し、貴族たちは偽善者と嘲った。

 王がヴェルタネンデを奪うために動いたとき、ティーキムもまた動いた。

 城で剣を振るい王の首を落として王冠を手にしたティーキムを、人は「やってくれた」と褒めたり、「やっと動いた」と呆れたりなどしながら王として迎えた。

 そこからさらに、目まぐるしくティーキムは動き、隣国と対峙した戦場でカヴェイネンを庇って絶命する。

「後ろを!」

 自分に向かってそう叫んでもティーキムの死を避けられなかったカヴェイネンは、二度目の喪失感に目を覆った。

 イェジンがピンに「ティーキム王の魂を追え」と言ってから、カヴェイネンの肩を叩く。

 三人の誰の目にも、ティーキムの体から青く透明な龍が赤く燃えるような光を抱えて空に舞い上がって行ったのが見えた。

 どこからか泉の前に現れた男が、赤い布を巻いた頭をイェジンに向かって恭しく下げる。

「エルバハンの緑の家で図書管理者を務めております、リベリンと申します」

 イェジンがリベリンに向かって頷き、ティーキムを指した。

「ヴェスタブールのティーキム王について、少々知りたい」

 リベリンは首を傾げる。

「なにかございましたか?」

「ひとつ、ヴェスタブールは一般の龍が転生しない大陸だという認識だが、合っているだろうか」

「龍は騎士たちに狩られることが多いですし、年をとりにくい、不老長寿ということで火あぶりにされることもありますので、避けるように助言する傾向にあります」

 リベリンは丁寧に答える。

 イェジンは頷いて、次の質問に移った。

「天龍は普通、天龍として一生を過ごすもので、人に宿ることはない、どうか」

「さようです」

 リベリンは頷いた。

「ティーキム王には青い龍が宿っていたが、これはどういうことか」

 イェジンの問いにリベリンは首をひねったまま少し動きを止め、それから噴水に手を突っ込んで橙色に光る本を掴みだす。

「おそらくこれが答えになると思いますが、ティーキム王は、恐らくアルディヤ神、央原君とも呼ばれますが、アルディヤ神が王龍のために用意した試練の器なのでありましょう」

 リベリンの言葉に、イェジンもピンもカヴェイネンも、首をひねった。

「ティーキム王が直面した現実と、同じ課題に直面している王の候補がおり、その候補が、王の試練を受けたのだと思われます」

「天龍には王の試練というものがあるのか?」

 イェジンの問いに、リベリンは頷く。

「王になるためにアルディヤ神の元を訪れた皇子にしか与えられないようになって四百年ほど経つはずですが、もし、このティーキム王が試練の器であったならば、アルディヤ神が適正を見極めて試練を課す皇子を選ぶようになってから初めてではないでしょうか」

 リベリンは噴水のある泉から別の、未使用の泉の横に立って光る本を開く。


「かつては、王の試練とは皇子の適正に関係なく課されるものでしたが、その試練のなかで命を落とす皇子が多かったので適性を確認することに規則を変えたのが四百年前です。しかし、王の試練は命を奪うという話が広まり、そもそも試練に臨む皇子がいなくなりました。もし、新たに王の試練に臨んだ皇子がいるなら、前に試練を受けた経験者がいなくなり、その危険性が伝わらなくなったからでしょう」

 話ながら本を捲り、リベリンは「ティーキム王」と名前を読み上げて大きく頷く。

「スジェ王の魂を宿した王ですね」

 カヴェイネンは大きく嘆息して天を仰いだ。

(ティーキム様と同じ魂を持つのは、やはりスジェ王なのだ)

 リベリンは続ける。

「スジェ王であるジュジェン殿に課せられた試練は、父王の首を取ること」

 カヴェイネンは顎髭を撫でた。

 ティーキムは間違いなく父王の首を取った。

「首を取らねば、自分がヴェルタネンデで反乱を起こしたという冤罪で命を落とすことになった」

 告げたカヴェイネンに、リベリンが頷く。

「その場合、ティーキム王子が命を落とすと同時にジュジェン皇子が絶命し、スジェ王になる道が閉ざされました」

 リベリンの説明を聞いていたイェジンが口を挟んだ。

「ジュジェン殿がティーキム王子と同じ問題を抱えていたというのは、偶然なのか?」

 小さく息をついて、リベリンは首を振る。

「人には役回りというものがございます。ヴェスタブール各地の王子たちは、試練が用意された皇子と相似した環境がどこかにあります。逆に申し上げるなら、スジェ王に限らず、各国の皇子の数だけ、ヴェスタブール各地に何かしらの課題を持つ王子や王女が存在するということでもあります」

 泉の上で広げていた本を閉じて、リベリンはカヴェイネンを見た。

「気を付けねばならないのは、スジェ王ジュジェン殿にとって、ヴェスタブールでの一切は、アルディヤ神が彼に課した試練であるとしか認識されていないであろうということです。あなたが、ヴェスタブールを離れてエニシャまで来ることは、アルディヤ神の想定の外でした」

 リベリンは本を閉じて、カヴェイネンの前に栗の実ほどの大きさの緑の石に紐を通した飾りを差し出す。

「お渡ししておきます。これはあなたがどのようなルートでエニシャに来て、スジェまでどのようなルートを通って行くとしても、その通った道を辿ってヴェスタブールに戻るためのしるべであり、お守りになるでしょう」

 カヴェイネンは飾りを受け取って首にかけた。

 なんだかよくわからないが、なにしろイェジンが危難に遭うこともあると言われれば、お守りはあって困るものではない。

 リベリンは笑みを浮かべる。

 一歩、泉から離れたリベリンの背後に、赤味の薄い白皙の、黒髪で長身の細身の男が浮かび上がった。

 男は見たことのない格好をしている。

 恐らくは長く伸ばしているのであろう髪を頭の上でまとめあげていて、幾重にか重ねているのであろう初めてみる形の着物をまとって、しかし見覚えのある剣術の型で十人ほどを相手に立ち回りを繰り広げている。

 しなやかに関節を使う動き、そのなかでときに武骨な結界の盾を分厚く展開して相手を盾で押して力技で叩きのめす様子は、ティーキムと同じだった。

「これがジュジェン王です」

 リベリンは言い、カヴェイネンを見た。

「あなたに用意されていた道は、すでにアルディヤ神の手から離れています。この先の余生を、ぞんぶんにあなたが望むように生きられますように」

 カヴェイネンは腰を折ってリベリンに騎士として優雅に頭を下げ、その姿勢で礼を伝えた。

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