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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
87/106

龍と妖狐と魔法の小刀(26)狂った忠誠

 役所から、襤褸ぼろ小屋ではなくフーニャンが「さい」の名で部屋を借りた宿に足を運んだ芦楓ろふうは、フーニャンが化けた青年を見て目を見開いた。

崔郎さいろう!」

 フーニャンは芦楓を振り返ると、扇子を閉じてパチンと鳴らして笑みを浮かべる。

「この偽名で姐姐(ねえさん)が気付いてくれればいいと思ったのだけど、ちょっと予想外」

「は? 予想外?」

 芦楓はフーニャンを見る。

「どうも奥に囚われているという様子じゃなかったの。どちらかというと、自由」

「……史娘しじょうが?」

「そう」

 フーニャンは崔郎の姿で頬杖をついた。

「見張りが甘いとか?」

 フーニャンのシラケた表情が芦楓に刺さる。

「いい? 芦楓のダンナ」

「うん?」

「バカの相手しながらバカの演技をし続けるのは疲れるって知ってる?」

 長椅子に偉そうに凭れて脚を組み、フーニャンとしては心底疲れた様子を見せて「崔郎」として芦楓をバカにしたが、芦楓は「崔郎はそんな男じゃない」と不貞腐れて反論した。

「そう、崔郎は州府宰相にまでなった風流才子。だから、バカは嫌いだなんて明言しないだろうね。それでも私は、天公の州宰相である芦楓のダンナには、バカでいられちゃ困ると思っているし、この州をめちゃくちゃにした責任ぐらいは取ってもらわないと、腹の虫がおさまらないと思ってる」

 芦楓はフーニャンを見つめて「ああ、そうか」と大きく頷いた。

「私は、フーニャンや熊震ゆうしんみたいな地龍や、人とは違う好みを持つ者が、自分はどんな者かを隠すことなく一緒に共存出来たらいいと思ったんだ。それが、こうも簡単に無秩序を生み出すとは思わなかった。フーニャンはそんな私を見てバカだと思っていたわけだ」

 フーニャンは崔郎の姿で扇子をパタパタと動かす。

「物事、手順というものがある。芝居だって、どこでどんな芝居を誰が演じて、どんなふうに宣伝して人を呼んで、どんな演技を見せるか、どんな舞台を作るか、そういうことを全部考えながら、みんなで公演するわけ。州公になったばかりのお子様に、さあどうですかこれで人が増えますよ、なんて言ったら、今まで抑圧されていた人たちを食い物にする連中も一緒に出てくる」

 そこまで言ってからフーニャンは扇子で口元を隠した。

「私が気付けてなかったのは、自分がいた芝居の一座も同じ穴のムジナだったかもしれないっていうこと。私もバカだった」

 ふーっと息をついて、フーニャンは頭を抱える。

「……フーニャンの尻尾を触りたいのに崔郎には尻尾がないのだな」

 芦楓のひと言に場が凍り付いたのを、芦楓だけが感知しなかった。

 ラーフマナが小刀からフーニャンに声をかける。

「小娘」

「小娘と呼ぶんじゃないよ」

 崔郎の扇子で、フーニャンはラーフマナが宿る小刀を叩いた。

「この男が邪な行為をしたときには手を切り落としてやってもよいが、どうする」

「物騒なことお言いなさんな。私は芦楓のダンナに頴州の現実を見てほしいとは思うけれど、この子の手を奪って不具にしようとは思ってないんだから」

 芦楓は崔郎の姿のフーニャンを見つめる。

「崔郎、私はどうすればよいだろうか。州府宰相だった崔郎ならば、どうしただろうか」

 フーニャンは芦楓を眺めた。

「あんな突拍子もない法律でしっちゃかめっちゃかにしたお坊ちゃんときたら、女狐相手には偉そうにする割に、フーニャンが崔郎の格好をしているだけで、ずいぶんとしおらしくなるもんだね」

 芦楓はフーニャンを見て背筋を伸ばし、コホンと咳払いをして見せる。

「崔郎は私の憧れの男性なので、認めてもらえるように努力する」

「……あんた、崔郎がフーニャンだってこと、本当に理解してる? それともまだ理解できてない?」


 *** *** *** *** ***


「崔公子、崔郎」

 史娘しじょうは薄く笑う。

「やっと戻ってくる気になったのね、あの小娘」

 史娘の横に侍る女が、史娘に紅を差し出す。

「明日は、玲玉れいぎょくとしてお出迎えしてあげないと」

姐姐ねえさんったら、嬉しそうにして」

 史娘は横に侍る女に目を向ける。

「当然よ、戻って来なくなったときは、もう用済みにしてやろうと思ったけれど、戻ってくるなら可愛がってあげなくちゃならないわ。なにせあの子の魂は強い。あの子は上等なエサになれるの」

「あら怖い。餌って、姐姐が自分の身代わりにしたいだけでしょうに」

「でもたった百年とちょっとしか生きていないうちから、自力で五尾まで尻尾を増やせるぐらい力があったのよ。あなたまだ三尾でしょ」

 ふさふさと、史娘が尻尾を揺らす。

「自力で五尾、あらそりゃあ……姐姐が、戻って来るなら歓迎とおっしゃるのもごもっともだわ。私は四百年で三尾ですもの」

「育てて喰らいたくなる、そうでしょ?」

 史娘は笑った。

「だから、あの子はアヘン漬けにするわけにいかないのよ。それでも私が喰らうまでにあのお坊ちゃんを喰って六尾か七尾にでもなってくれればと思ったけど、そうもいかなかったみたいだわ」

 史娘に侍る女は、史娘の言葉を聞いて笑う。

「姐姐はもう九尾なんですから、あの子、私にくださいよ」

「あら、阿泉あせん、冗談でしょう? あれは私が崔郎として大事に育てたの。玲玉に出会った時の、本物の崔郎の姿まで見せて立ち居振る舞いを教えた、最上の崔郎。戻って来るならお嬢様を生かすために使うわ」

 史娘の言葉を聞く侍女は、阿泉と呼ばれて「ああ」と呆れたように頷いた。

「そうでした、姐姐(ねえさん)は、いつまでも玲玉お嬢様の夢を見るために崔郎を育てたんですものね」

「あなた、この芝居小屋があるこの場所が昔なんだったか覚えてて?」

よわい五百年の姐姐より百も若いんですから、覚えとりますとも。ここには玲玉お嬢様が育ったお邸があったんですよ」

 史娘は阿泉のその答えを聞いて満足げに笑みを浮かべる。

「そうよ。あの子が崔郎として帰ってくるなら、お嬢様を起こしてあげなくちゃならないでしょうね。ちょっと早いけれど、阿泉、骨は全部揃ったかしら?」

「骨は揃いましたよ、それに異国の術者も」

「異国の術者、炎から砂州関を越えて来た男ね?」

「ええ、星辰せいしんという、あの男」

 史娘と阿泉はちらりと表情を曇らせた。

「……阿泉、本当に骨と土からお嬢様を生き返らせるなんてことができると思う?」

「さあ」

「あの星辰という男、人であったはずなのに、砂州関を越えてこの頴州にアヘンと幻術を持ち込んだのよ。何のため? お嬢様を生き返らせる報酬が、ここでアヘンを売って得る金銭? 星辰、あの男は炎語の名前をなんと言ったかしら?」

 史娘の呟きを聞いて、阿泉が答える。

「星辰、炎語で、スタラーデ」

 阿泉の返事に史娘は「そうだった」と頷いた。

「スタラーデ、そう、スタラーデだった。あの男は死んだ骨に血肉を通わせた」

 史娘と阿泉は尻尾をゆらりと動かす。

 ふたりのキツネは自分の腕輪に飾った銀の鈴を撫でた。

 その鈴はずっと昔に、キツネたちが玲玉からもらった首飾りの鈴だった。


 *** *** *** *** ***


 頴州 砂州関さしゅうかん

 熊震ゆうしんは関の守り人たちを見てから、地公廟から借りてきた武闘派の地龍たちを振り返った。

 頴州各地の地公廟から集まった祭司官たちが熊震を見つめる。

 ずっと飢饉や戦乱が続いてきた州ということもあって、苹州へいしゅうの祭司官たちに比べると頭数が少なく、ガタイも貧相な者が多い。

 そのこと自体は特に彼らが「頼りない」ということを意味してはいなかったが、いかんせん彼らが持っている武器が古いというのが、熊震が気になったところだった。

(数日、彼らの術を見せてもらったが、彼らが使っていた術式は二百年近く昔のものだ。古すぎるが、今から新しい術式を呼び出してくれと言っても、術式を管理している技官は柳州りゅうしゅう螺珠らしゅ様の横にいる。砂州関で一波乱となったら、二百年前の術式で盾や矢を呼び出すしかない。相手の術式も古く、二百年前の術式で呼び出す盾を攻略できないものであってくれ、と祈るのが精一杯か)

 地公廟の祭司官たちに闘志がないわけではない。

(それが救いだ)

 熊震の気がかりはもうひとつある。


(諜報のために放った小動物たちが戻ってこない)


 じっと身を潜め、熊震は関所を守る衛士たちを見つめた。

 正規兵には程遠い、一種独特の風貌を持つ衛士たちは、黒い布で顔を覆い隠しているが目元を見れば一目瞭然でその素性が「蘇人そひとではないこと」が分かる。

 歴代の蘇王たちが好む「象牙のような肌に黒い目」ではなく、褐色の肌にはしばみ色の目をしている。そうした造詣ぞうけいの人々を好んで作るのは、炎王たちだということはよく知られている。玄王たちが好んで作る造詣は男女ともに体格がよく、蘇人と同じ象牙のような肌を持ちながらも骨の太い人間たちで、朱王たちが好んで作る造詣は玄王たちと同じく体格がよく、炎王たちと同じく褐色の肌の、黒い瞳の者たち。

炎人えんひと

 後ろで「そりゃそうでしょう」と呆れたような声が熊震の気をいた。

「私は苹州人に音頭を取られるより、自分たちでやつらと対峙したい。ずっと七王爺に従って苹州と戦って来たのに、今さら苹州人に従うなんてまっぴらごめんだね」

 声の主は、黒い髪を頭のてっぺんより少し右に寄せたところでまげにしている女だった。

「だいたい私らは苹州人に助けてくれなんて頼んでないってのに、あんたがゆう家のお坊ちゃんで武門の出だからと言って駆り出されたんだ。あの連中、ただの人間じゃないか」

 女の言わんとするところを、熊震は苦い思いで聞く。

(相手はただの人間だから、どうにでもなる、そう言いたいのだろうな)

 熊震が黙り込んだのを眺め、女は頴州各地の地公廟から集められた地龍の眷属たちを見回した。

「私は陶邑とうゆう地公廟のようだ。頴州地公廟に五心はいないのか? もし他に五心の眷属がいるなら、私はこの熊公子でなく、その人に従う」

 遥の意気込みを小さくわらったのは熊震でも遥でもない、別の地龍だった。

「知らないのか? 五心の貴族は人界を離れて地龍の世界に疎開そかいした」

「……どういうことさ」

 遥は嗤った地龍を見つめる。

「遥とやら、おまえ三心地龍だろう」

「それがどうした」

 遥に喧嘩腰けんかごしで声をかけた地龍は、熊震の前で片膝をつき、両手を胸の前で重ねて拱手きょうしゅした。

らい氏、四心、はつと申します。頴州公廟の者に躾が行き届いていないところを熊将軍にお見せしてしまい、申し訳ございませんでした。陶邑の遥とやらについては、四心揃って作法を教えますので、お目こぼし願えませんでしょうか」

 揃えた手の向こうから様子を窺うようにニヤついた眼差しを向けてきた莱発をちらりと見て、熊震も目を細めて見せる。

殊勝しゅしょうだな」

らい氏は先の動乱のはじめ、七王爺しちおうやから地公螺珠(らしゅ)様をお預かりして村をお守りしておりましたが、その……」

 熊震は莱発を見てさらに目を細めた。

「螺珠様が王城に入られて、四心地龍は天龍の宮に入れず落ちぶれたか?」

「ありていに申せば、そういうことでございます」

「莱氏ならここでその力を使って見せるがよい」

 そう言ってから熊震は莱発に囁く。

「莱氏は四心と三心のまとめ役だっただろう」

 莱発は背筋の寒気を感じて熊震を凝視した。

「当代天龍王は慎重で慎重で」

 熊震の静かな声が莱発の耳にだけ掠れて届く。

「頴州そのものを消すまでの決断は、王ご自身ではなさらないだろうと思っている」

 熊震は莱発の様子を窺った。

 莱発はまだ熊震を凝視していた。

「それは、つまり……その……」

「莱氏ならば今一時だけ地公廟の祭司官連中が見せる忠誠の対象を書き換えて見せろ。七王爺でも蘭俊でもなく、彼らの忠誠心を熊氏に寄越せ。莱氏の特技はその心理操作だろうが」

 莱発は熊震の袖を掴む。

「その! 熊将軍が……五心の将軍が……そのようにお望みになるのであれば、私は莱氏一族の者として力を使うこともやぶさかではございません! ですから何卒、王に頴州を消すというご決断を促すのは……」

 熊震は莱発の目からにやけた笑みが消えたのを見て息をついた。

「莱氏の、脅かして済まない。私が動かしたいのは頴州地公廟の祭司官たちよりも、砂州関を守るあの炎の連中だ」

 苦笑した熊震を見て莱発は首を振る。

「それは、申し訳ございませんが、いたしかねます」

「なぜ」

「彼らは蘇王の支配も螺珠らしゅ様の支配も受けておりません。私ども莱氏にできるのは、蘇王か螺珠様の支配を受けている者の忠誠心を操るところまでです」

 熊震は莱発を眺め、それから唸った。

「……蘇人ならば、ということか……ならばヤンジェングルのケシでアヘン漬けになった者たちには効くのか?」

 ひとりで唸った熊震に、莱発は機嫌を窺うかのように頭を低くして目だけを上げた。

「なにか、莱氏がお役に立てそうなことがあれば、お申し付けください」

 熊震は莱発を見、それから陶邑の遥やその背後にいる頴州地公廟の祭司官たちを眺めて息を吸い込んだ。

「炎の連中が持ち込んでいるものがなにか、知っている者はいるか?」

 誰もが顔を見合わせて首を振るなかで、熊震は「まあ、そうか」と小さくがっかりしたように呟いて肩を落とした。

 公廟の祭司官たちというのは、普段は公廟から出ることがない。

 熊震の甥、段達だんたつやその友人たちのような奇矯ききょうな者たちは別として、基本的にはあまり移り行く世の渦中、その中心に興味を持つことなく育つ。

「あの荷には、恐らくヤンジェングルのケシというアヘンが紛れているのだが、このヤンジェングルのケシというのが、人間だけでなく龍族にまで影響する毒らしい。当代炎王の兄上殿というのは、そのケシを使った香木に自由を奪われて、政敵である従弟殿に生きたまま両手両足を切り刻まれたそうだ」

 生きたまま、という熊震の言葉を聞いた祭司官たちは、それぞれに怪訝な表情を浮かべた。

 熊震は砂州関を守る者たちを示してから、声を落とす。

「砂州関は正式な関所ではなく、七王爺が私設したものだ。そなたらの忠義はまだ七王爺に」

 言いかけた言葉を、熊震は止めた。

(七王爺に対する忠誠? 蘭俊ではなく? 確かに蘭俊は五心だったが、七王爺から引き継がれたときに、彼らはどのように扱われたのだ?)

 黙り込んだ熊震に対して、もう無礼は働いてしまったのだからと言わんばかりに、陶邑の遥が息をつく。

「私らの忠義がまだ七王爺に対するものだからどうだって?」

「蘭俊殿ではなく、七王爺?」

 熊震に訊かれた遥は首を捻り、それから頷いた。

「だって七王爺は龍王のおひとりでしょうが」

 遥の言葉を聞いて顔から血の気を失った莱発が勢いよく身を乗り出す。

「黙れ! 三心の分際でおまえになにが分かる!」

 熊震は莱発の襟首を掴んで黙らせ、遥に向けた目をギラリと緑に光らせた。

「黙る必要はないぞ、陶邑の遥。七王爺を、龍王と言ったな?」

「だからなにさ」

 熊震は遥に向かって首を振りながら「違う」と訂正を試みる。

「龍王じゃなく王龍と呼ぶ。龍王を名乗れるのは王権の持ち主か代行者だけだ。当代なら正統な王権を持つのは貞俊殿下、先代なら王権の代行者が先王圭徹殿で、七王爺施徹殿は王龍と言われても、龍王とは呼ばれない。七王爺に、龍王と呼ばれる権利は元からない」

 遥は熊震を見つめた。

「そんなはずないでしょう」

「莱発」

 熊震は莱発を振り返ることなく莱発に声をかける。

「……は……」

 莱発の声は小さい。

「莱氏の者は、龍王と王龍の違いを知っている、そうだな?」

「存じて、おります」

「述べてみろ」

 熊震の言葉に、莱発が黙り込む。

「述べてみろ!」

「……龍王は、支配者……王龍は、統治者……で、ございます」

「そうだ」

 熊震は遥を見つめて続ける。

「王龍には支配を受けるような忠誠を誓えない。王龍は王から統治を任されているだけの存在であって、支配者ではないからだ。その七王爺を龍王として扱うことができる者はここにどれだけいる?」

 遥は怪訝な表情で背後の祭司官たちを振り返った。

「この人がなにを言っているか、分かる? 私たちが七王爺に忠実になることはできないはずだと言われた気がするのだけど」

 嗤う遥に向かって、莱発が「おまえたちは」と震える声でか細く反論する。

「七王爺を龍王と呼ぶことが何を意味しているのか……熊将軍が、そのことをどのように受け止めるのか、ことの重要性に思い至らないからこそ、三心と蔑まれるんだ」

 真っ青を通り越して白くなった莱発の顔を見た遥が、その莱発を見下すように眉根を寄せて「四心のくせに」と嘲ったが、莱発は膝から崩れ落ちるように座り込んで地面に突っ伏した。

「ああ……こんな、三心のひと言……こんな、たったひと言だというのに……」

「莱発、ここは七王爺が私的に建てた関所だが、この関を越えた先は炎国だ。炎国からは王にも螺珠様にも伝令を飛ばすことができる」

 熊震は自分の足に縋る莱発に視線を落として静かに告げる。

「天龍は器を縛り、地龍は意思を縛る。地公の意思に反した勝手な意思の書き換えは莱氏一族にとって、日常か?」

「いいえ! 一族は、関係ありません……私が……ここで、頴州で生きるためにしたことです……一族に累が及ぶことがなきよう……どうか……」

 莱発の様子を眺めていた遥が、その言葉の震え方を見て初めてたじろいだ。

「七王爺を龍王と呼んだことが、なんだっていうのさ」

 後ろの方から、老齢の祭司官が遥の隣に進み出て来て熊震に頭を下げる。

「将軍は、どのようにご判断なさいますか」

 熊震は老齢の祭司官の言葉に対する答えを探した。

「私は、この現状を、まずはどうやって螺珠様に伝えるかを決める必要があるだろうな」

 老齢の祭司官は莱発の横で膝を付く。

「莱公子がおっしゃるように、本来「龍王」としての権力を持たないはずの七王爺に対する忠誠を持つ道は、この州で生きるために我々自身が選んだものです。しかし、王龍と龍王の違いを知らない者たちにとっては、いわれなき罪でもありましょう」

「それでも私は螺珠様に」

 熊震は老齢の祭司官に向かって首を振った。

「アヘンと七王爺の禍根を残すより、砂州関もろとも、頴州とそこに生きる頴州籍の者たちすべてを無にすることも視野に入れる必要があると進言する」

「それが、将軍のご判断ですか」

 老齢の祭司官は残念そうに項垂れる。

「熊氏は地公の安全を最優先にする。頴州の地龍たちが、螺珠様の対である天公貞俊殿ではなく、七王爺の支配を受け入れている、そのことが何を意味するか、少なくともその行動に莱氏が関与しているということまで含めて、処分をどうするか進言する必要がある」

 遥はじっと立ち尽くし、それから、熊震に向かって声をあげた。

「……私の言葉は、なにを引き起こしたの?」

「そなたの正直な言葉は必要だった。ただそれが、莱発やその老人が、困惑するような言葉であった、それだけだ」

 熊震は遥に寂しげな笑みを向ける。

「頴州の廃州、頴州に生きる者、人も獣も植物も関係なく、その魂魄を消滅させねばならないだろうと伝える必要が出てきてしまった、それだけだ」

 しばし唖然として、それから熊震に向かって拳を叩きつけようとした遥の足を老齢の祭司官が杖で叩き飛ばす。

「止めないでよ! そこの苹州人を叩きのめしてやる!」

「やめないか!」

 莱発が遥に向かって怒声を上げる。

「七王爺を龍王として扱うよう仕向けたのは、私が心理操作を委ねられ、そのようにしたからだ! 七王爺の顔も見たことがないような三心が心理操作もなしに忠義だの忠誠だのと軽々しく口にできると思うな! そなたら三心の忠義忠誠など、莱氏が作りあげた幻想ではないか! なにが忠義だ! 忠誠だ! そなたが七王爺のことを龍王だなどと言わねば熊将軍にも知られることはなかったというのに! 三心どもの口のこの軽さはまったく災いよな! 少しばかり忠誠心の向く先を狂わせただけで、こうも実直に、自分が操られていることも知らずに己の忠義を言い募る! だから駒にしかなれんのだ!」

 熊震は頭を掻いた。

「莱発」

「……は」

「その「狂わされた三心ども」の忠誠心の向く先を、まずは螺珠様にしてもらおう。それができたら、まず、州宰相に引き渡すまでに猶予を付ける」

 熊震の言葉に莱発は目を輝かせ、「承知しました」と跳ね起きて動き出し、手を動かして空中に描き出した細い糸に呪いをかけ、自分の剣を取り出し、鞘から抜いて目の前で一閃させ、糸を細かい光の粒に変える。

 莱発が剣を一閃させて作りあげた緑を帯びる光の粒は、細い針のように祭司官たちを音も痛みもなく貫いた。

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