龍と妖狐と魔法の小刀(25)崔郎
支配
ジャファは立ち上がった。
「タジャン、俺、行こうと思う」
「は?」
「バラカに行こうと思う。バラカからハラン砦に行ってスジェのイジュに入る連中に紛れ込む」
タジャンは「おいおいおい」とジャファの袖を引っ張った。
「ハラン砦がどんなところか俺もハシムも教えただろうが」
「あのさ、タジャン、俺は砂嵐を起こせるんだよ。その国を作り変える模型の作り方もビジューから教えてもらってる。いざとなったら親父と、親父の盗賊団……んー……家臣団て言ったほうがいい? それもいる。タジャンのオッサンが、イェジンのオッサンやカヴェイネンのオッサンとの旅で変わったみたいに、俺も腕輪をかっぱらうぐらいしかできなかったチビのジャファじゃなくて、ジャファール兄さんの記憶、王墓の験し、そういうのでちょっと変わった。俺がエニシャ王だっていうならきっと俺には何か変えられる。ジャナハンじいさんの話ってそういうことでしょ」
ジャファはニッと笑ってパチンと指を鳴らす。
「でもできないこともたくさんあると思うからイェジンのオッサン呼んでいい?」
「俺に訊くんじゃねえ。イェジンのオッサンとか気軽に言うな」
「ところでハラン砦ってどの辺? バラカってエルバハンの西? 東?」
「そこからかよ」
タジャンは呆れた。
*** *** *** *** ***
フーニャンは鼻に技官の燕に用意してもらった保護用の軟膏を塗り込み、熊震から返してもらったラーフマナの小刀をちらりと見る。
「ラーフマナさんに言っておくけど、今日はあそこの連中に私が見えてくれなきゃ困るのよ。いい?」
「わかったわかった」
ラーフマナはぞんざいに答えた。
「いつもとなにも違わないけど、ちゃんとあいつらに見える?」
「見えるから安心しろ。連中に見えねば困るというなら見えるようにしておくのが、私の仕事だ」
「……仕事ね。今日は赤い靄のご馳走は後回しにしてね」
「問題ない」
ラーフマナはフーニャンに答えてから小さく笑う。
「無理はするな」
「大丈夫」
フーニャンはちらりと牙を見せて、チチッと舌を鳴らした。
「五尾のキツネがどんなものか、御覧じろって」
ふっと息を吸い込んで「は」と息をつき、フーニャンは自分の姿を男に変える。
手には大きめの扇子を持った長身の男の姿で水色の着物に身を包んで背筋を伸ばしてスイと立ち、フーニャンは「ふん」と低すぎない程度の男の声で笑った。
「王都から来た史娘の追っかけで、アヘン窟のいいカモになるような、世間知らずの……比轍のダンナみたいな育ちのいいお坊ちゃんだからね」
「育ちがいいふりなんぞできるのか?」
「だから、五尾のキツネがどんなものか御覧じろ」
フーニャンは口元を扇子に隠してニヤリとする。
「その格好で何をするのか、目的の再確認」
「史姐姐の居場所を探す。技官の燕ちゃんがくれた嗅覚を麻痺させる薬の効き目は三十分。探していられるのは実質ニ十分ほど」
「その史姉さんの居場所を見つけたら戻る、いいな?」
「あいよ」
「育ちのいいお坊ちゃんが「あいよ」なんて返事をするものか」
「はは!」
フーニャンは笑って元芝居小屋に足を向け、一歩を踏み出した。
*** *** *** *** ***
芝居小屋の者たちは、見るからに身なりのよい青年が芝居小屋の前に立ったのを見た。
青年は笠にぐるりとめぐらされた羅紗で顔を隠している。
「なんだ」
「頴州に、柳州の芝居小屋で活躍していた史娘という役者がいると聞いて来たのだが、ここではないだろうか?」
芝居小屋の男たちは顔をしかめて青年を品定めし、青年はその男たちを扇子で軽く押し返した。
「史娘がいるのはこの芝居小屋ではないだろうか?」
「……兄さん、それを知ってどうする」
「舞台があるならぜひ見たい。評判を聞いて柳州に行ったが、柳州に着いたときには一座は頴州に引っ越したと言われてしまった。それで頴州に来てみたが、どうも州から出してもらえなくなってしまった。ならば一座を探して噂に名高い史娘をひと目見たいと思ったのだが、この芝居小屋でないなら出直してこよう」
青年は扇子を目の前にいる男の鼻に突きつけて言う。
芝居小屋の男たちは青年を眺め、それからちらりと腰帯に目を向けた。
青年は腰に手をやり、巾着を外して男たちに見えるように掲げる。
「銀子はある」
巾着を見て顎を撫でる男たちの向こう、芝居小屋の看板が掛けられた入り口から長い裙子を足先で捌きながら女がゆっくりと姿を見せたのを、青年は見た。そうして青年は息を止めた。
「そちらの公子、残念ですけれど、今はお芝居はお休みですの」
青年が息を詰める。
女は赤い爪を青年の顔を隠す羅紗にかけて、ちらりとその羅紗を捲った。
「あら、男にしておくには勿体ない顔」
しばらく女を見つめて、青年ははにかむような微笑を浮かべた。
「……あなたは、どなたです?」
「外の州から、わざわざわたくしの芝居を見にいらしたとおっしゃったでしょう?」
女に言われて青年は俯いて扇子を広げ、羅紗の代わりに顔を隠す。
「お嬢さんが史娘ですか?」
「さようです。わたくしが一座の座長を務める史娘です。せっかくおいでくださったのにごめんなさいね。今日の舞台はお休みですの」
青年は史娘に向かって柔らかく微笑んだ。
「では、明日また参ります」
「明日も舞台はお休みですけれど、お茶かお酒を用意してお待ちしてますから、ぜひいらして」
史娘の指が青年の頬をゆっくりとなぞる。
青年は史娘の指を自分の頬からゆっくりとどけて、史娘に微笑む。
「それでは、明日またまいります」
答えた青年に向かって史娘も微笑を見せる。
「お待ちしてます。お名前を」
「崔と申します」
「……崔様」
青年は頷いてパチンと扇子を閉じ、「また」と言って史娘から身を離した。
*** *** *** *** ***
適当な宿屋に入って青年から姿を変えたフーニャンは宿の男に銀子を渡して一部屋借りると、小刀を部屋に据えられた寝台に置く。
「史姐姐だった」
ラーフマナが「うん?」と声をあげる。
「囚われているわけじゃない? どういうこと? 自由に出入りができて……自由に客と話をする」
フーニャンの疑問に、ラーフマナは「は」と嗤った。
「さもなくば、その史姉さんとやらが本当に自由なのか」
「なんでそうなるわけ」
「アヘン窟の者たちの仲間かもしれんぞ。あそこにいて無事なのだからな」
ラーフマナはフーニャンに「その史姉さんには気を付けろ」と注意を促した。
「おまえが鼻を麻痺させておかないと意識を持っていかれるような場所に平気で住んでる女だぞ」




