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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
85/106

龍と妖狐と魔法の小刀(24)知識の塔

 フーニャンは以前なら自分から来ることのなかった場所、地公廟で胡坐をかいて技官と向かい合っていた。

胡娘こじょうさんですね? どうも、技官の燕です。名前で分かる通り元はツバメです」

「そりゃどうも」

 フーニャンは燕に向かって会釈する。

 技官の燕は背が高くふっくらとした女だった。

「人の姿でいても嗅覚が研ぎ澄まされているというのは、キツネの部分が強く出ているからだと思います。この軟膏は一時的に嗅覚を麻痺させるものですが、だいたい三十分程度で効果が切れるようにしてありますので時間を気にしながら使ってください」

 技官の燕からフーニャンが手渡された軟膏は、クルミの殻に詰めて首飾りにしてある。

「赤い紐の結び目が可愛く飾り結びにしてある」

「可愛いでしょう! 飾り結びって紐さえあればできるから好きなの。光物ひかりものなんか使ったらカラスのヤツに目を付けられてしまうから、無理」

 フーニャンはツバメとカラスの関係を思って「なるほど」と苦笑いした。

「……カラスいるんだ」

「いるのよー……なんていうか、いけ好かないわー……どこから拾って来たか知らないけど銀の腕輪なんかしちゃって、他人が光物の飾り持ってると、ちらっと見るのよ、本当にちょっと、ちらっ……と。それから「あらごめんなさい、カラスの本能だから許して」って言い訳するのだけど、わざとらしいったら……」

 技官の燕を生温かい目で見たフーニャンの視線に気付いたのか、燕は肩を竦める。

「初めて会った人にする話じゃないわね、カラスの悪口みたい」

「まあ、それがカラスの本能だって言われたらツバメには何も言えなくなるでしょうけどね」

 フーニャンは首を振った。

「軟膏ありがたくいただいて行くわ」

「足りなくなったらまた来てちょうだい」

 技官の燕はフーニャンに笑顔で手を振る。

 フーニャンは苦笑した。


 *** *** *** *** ***


 鼻に嗅覚を麻痺させる軟膏を塗って、フーニャンはアヘン窟と化した芝居小屋を見て目を細めた。

 親が小さな人形を抱いた子供を連れている。

 裕福には見えない親がアヘン窟の女と話をする。

 アヘン窟の女は子供の頭を撫でて、きれいな着物を持って来させて子供に見せている。

 人形にきれいな着物、子どもは女児なのだろう。

 きれいな着物を見て子供が顔をあげ、女を見て会釈している。

 フーニャンはチッと舌打ちする。

(芝居小屋だからきれいに見える着物には事欠かないのよね。着物をもらうってことは芝居小屋に売られるってことなんだけど、子どもはそんなことに気付かない。きれいな着物を着せてもらって可愛くお化粧をしてもらって、可愛い可愛いと褒められてご機嫌なうちに親は子供を置き去りにしてどこかに消えてしまう。何度も見た光景だし、お化粧をしてあげることもあった。それも日常のうちだったわね)

 きれいな着物で子供を喜ばせておいて、大人たちはその「子供」の代償としてアヘンを売買する。アヘン窟になる前の、小さな芝居小屋もそういう場所だった。ただ、子供の代償はアヘンではなく、金銭であったり食料であったりした。


 あらきれいね

 いい子ね、みんなに見せて褒めてもらいましょうね

 あの旦那がおまえの支援者だからね


 そう言って褒めそやし、自分が親に売られたことを子ども自身が悟ったときに、掌を返す。


 きれいな着物を着せてやるんだから悲しむんじゃないよ

 あの旦那がおまえのために金を出してくれるんだから、旦那からどんな仕打ちを受けても恨み言なんか言うんじゃないよ


 フーニャンはゾッとした。

(あたしも子供たちに言ったっけね、「親がない身で、寝場所も着物も食事もあるんだからありがたいと思わないとね」なんて子どもを慰めたところで、そんなのは、あたし自身が頴州えいしゅうから柳州りゅうしゅうに逃げて受け入れてもらったことを恩に思っていたから言えただけのこと)

 芦楓ろふう比轍ひてつのような、恵まれた貴族のお坊ちゃんには分からない世界に違いない。彼らは苦労したことなどないに違いない。

(だけど、前に芝居小屋にいた子供たちは、芦楓ろふうのダンナがまとめて金を払って引き取って公廟や孤児院に預けた。今いる子供は、その後に来た子供たちだ)

 フーニャンは拳を握った。

(子どもたちも史姐姐(ねえさん)も、全部助けたいのにどうしろって? 芦楓のダンナは金がないとか言ってるし、クマのダンナはのらりくらりしてるし、そのあいだにまた子供がアヘンの代償として売られてくる)

 フーニャンは唇を咬んだ。


 *** *** *** *** ***


「ねえタジャン」

 ジャファはモザイクランプを手にタジャンを見る。

「おう」

「ヤンジェングルのケシは、女神アシュタナが洪水で押し流そうとしたのに流されずに残った古代種なんだよね?」

「一昨日ハシムのヤツが言ったおとぎ話のことなら、どこまで信憑性のあるものかは分からんぞ」

「そうなの?」

 タジャンは口ひげをいじりながら息をついた。

「なにせ千年も万年も昔の伝説だからな」

「アシュタナとケシの話ってそんなに古い伝説なの?」

「分かっているのは、アシュタナに関係するおとぎ話は世界各地にあるが、人に転生したという数千年前の昔の洪水以来の新しい伝承はこの世にひとつもないということだけだ」

「……豊穣の女神なのに洪水を起こしたから嫌われたとか?」

 タジャンはジャファの肩を叩く。

「出掛けるぞ」

「行ってらっしゃい。俺、このへんにあるもの磨いとくよ」

「王様も来るんだ」

 タジャンはジャファの肩を掴むようにして杖代わりにし、膝を立てて立ち上がった。

「俺はハシムの胡散臭い話だけで十分商売になるが、スジェにエニシャからアヘンが売られてて、しかも俺のひと言でスジェが鎖国状態になっちまったんじゃ、俺とて俺にできることをするしかあんめえよ」

 ジャファはタジャンを見つめて真顔になる。

「タジャンが真人間みたいなこと言ってる、やだ怖い」

「王様なのは分かってるのに、ジャファに言われると腹立たしいのはなんだろうな」

「なんでだろうね」

 ジャファは澄ました表情で言いながら立ち上がった。

「それで、どこ行くの?」

「図書館だ」

「図書館? そんなものがあるの?」

「あるんだよ。そんでな、俺やハシムは骨董品に箔を付けるために「こいつは高値で愛好家に売りつけたい」という品物の由来を聞きに行く」

「聞きに行く?」

 タジャンは頷く。

「例えば、こいつはだいたい三百年前にアーケリで作られた魔道具だ」

 自分の腰に付けた小刀を叩いて見せ、タジャンはジャファに視線を向ける。

「おまえと初めて行った旅でひどい目に遭ったから護身用に持つことにしたんだがな」

「待ってタジャン、あれはあんたが勝手についてきて、しかもあんたが魔道具をエサにして天龍をおびき寄せたんであって、ひどい目に遭った理由は完全にタジャンの自業自得じゃんね」

「そうとも言う」

 タジャンは開き直った。

「そうとしか言わない」

 ジャファは否定した。

「それで、こいつが持つ力は簡単な魔除けだ。精霊ジナを呼び出して自分の周りに三十分間ほど目には見えない防御幕を張ってくれる。今、一番怖いのはヤンジェングルのケシにやられることだからな、ヤンジェングルのケシのにおいがしたら、こいつの力を借りて身を守る」

 タジャンの説明を聞いたジャファは、恨みがましい目をタジャンに向ける。

「……タジャンのオッサンさあ……」

「なんだその目は」

「なんだじゃないよ……そんなものがあるならなんでもっと早く言ってくれないわけ」

「ん?」

 タジャンは首を捻る。

「三十分とか言わないで、常時防護幕っていうのないの?」

「そんなもんがあったら値千金だ。スジェのビジュー様に売りつけてたよ」

「なんでビジューに売りつけるのさ」

「ご友人の婚約祝いで色々と買って行った。あのときほど王族の財力をまざまざと見せつけられたことはなかった。しみじみ思ったね、ああ、俺はみみっちい小金持ちの成金ばっかり相手にしてたんだなってな……リュヌ商会から預かってた「これ絶対売れねえな」と思ってたお宝を日常の生活に必要になるだろうからってさ、日用品として買って行きやがった……」

「どんなもの売ったの?」

「そうだなあ……水が尽きることなく湧き出すかめだろ? 米や小麦が減らないかめも売ったし」

「え? リュヌ商会の骨董品にそんなものあったの?」

「あったんだよ」

「タジャンのオッサンのことだから、適当なこと言ったんじゃなくて?」

 ジャファに睨まれてタジャンは首を振る。

「リュヌ商会から預かったのは掛け値なしのお宝だ。エルバハンはかつて、アララック王国と呼ばれていたのは知ってるか?」

「それは知ってる。一週間前に親父が連れてきた家庭教師から叩きこまれた」

 タジャンはジャファを見つめる。

「おまえ王様で王子様だもんな、知っててもらわにゃイブレイム王も困るわな」

 ジャファはタジャンの足を踏んづけ、タジャンは「こら!」と言ってジャファの額をペチンと叩いてから自分の足をジャファの足の下から引き抜いた。

「アララック王国で使われていたのは古語だ」

「……待って、タジャンもしかして古語読める?」

「骨董品鑑定眼の持ち主を侮っちゃ困る。古語は必須教養だ。古アララック語に古エタン語に古アッシャラ語、それぞれ骨董品に刻まれることが多いものぐらいは読める」

 胸を張ったタジャンに、ジャファは目を丸くする。

「イカサマ詐欺骨董品屋だと思ってた」

「ふん、イカサマとハッタリだけで上顧客の信頼は得られん。あとはな、鑑定眼ってのが骨董品に刻まれた銘の場所を教えてくれる」

「へえ……鑑定眼って便利なんだね……」

「鑑定眼の持ち主ってのは希少価値だからな、商工会が学費を出してくれる。その代わりにだいたいが俺みたいなロクデナシになりかねんがね」

 ジャファはタジャンから目を離して俯いた。

「学費ってことは、学校行けるんだ」

「学校ったって商売人が学びに入れるような場所だ、ご立派なもんじゃねえし、教えてくれるのも商工会の商売人たちだ。古語みたいな立派な学問も、イカサマやハッタリみてえなものも、ごちゃまぜに習う。ハキムも同じだ。あいつに鑑定眼はないが、一度聴いた話は何度でも一言一句間違えずに繰り返せるってえ特技がある。その特技を見込まれて学校に来ていた」

 ジャファは「はあ」と感心したように息をつく。

「それで、図書館もその学校のなかにある?」

「その、とおり! 図書館の生き字引、ジャナハンって爺さんがいる」


 *** *** *** *** ***


 エルバハンの商工会が持つ「学校」は、砂漠に近い郊外にあった。

 浅く掘った水路には澄んだ水が流れていて、水草の揺らぎが見える。

 水草は赤や黄色の小さな花を咲かせ、その細かい葉の隙間からは絶えず小さな空気の泡が水面を目指して、浮かんでは消えていく。

 門を飾るアーチを抜けると、三階建ての建物が中庭を囲んでいるのが目に飛び込む。

 図書館はその三階建ての建物とは違う、塔を持つ二階建ての建物だった。

 タジャンがジャファを振り返る。

「あの塔が、知識の塔と呼ばれる図書館の管理人たちの住処だ」

 ジャファは塔を指差してタジャンを見る。

「あれに住んでるの?」

「住んでる」

 タジャンは頷いて塔を目指した。


 老ジャナハンは図書館を訪ねてきたタジャンを見て白い顎鬚をしごいた。

 ジャファは白いターバンを大きく巻いた、骨と皮で生きているような老人を見て、背筋の寒気に襲われて震える。

(この爺さんはきっと、王墓の門番の仲間だ)

 老ジャナハンはジャファを見て皺に覆われた砂色の頬を動かした。

「王様のお越しは千年ぶりですかな。王の心臓を得て、この塔を思い出されましたか」

「俺は知らない! タジャンが連れてきてくれただけで、この塔は初めて来たんだ!」

 ジャファの否定を聞いて老ジャナハンはカッカッと笑う。

「王墓に行かれましたな? 王」

「いっ……行ったけど……行っただけだよ」

「いいや、その紅玉の首飾りは王の象徴」

 老ジャナハンはケラケラと笑い、タジャンを見た。

「よう王を連れて来てくれたの、鑑定眼の主。おまえさん魔道具だけでなくドランも鑑定するのかいね」

「たまたま、店の商品になってた魔道具をくすねた小僧が王様だっただけでさね」

 タジャンは鼻を鳴らす。

「そりゃ運だね。王たちの魂に呼ばれたに違いない」

 老ジャナハンがタジャンに指を向けた。

「おまえさんも意思無き者とは違う、歯車のひとつだってことだ。もっとも、そんなことは鑑定眼の持ち主だというだけで分かり切っていたことでもある」

 タジャンはジャファをちらりと見て黒い眉を動かす。

「昔からこういうジジイだ、いちいち気にするんじゃねえぞ」

「そうなんだね、気にしないことにする」

 ジャファは頷いた。

「さて、エニシャ王ジャファール・エルバハン、アシュタナ神に導かれて砂嵐を起こしたのはおまえさんだね?」

 老ジャナハンが白く長い眉の下で灰色に濁った眼をギラリと動かす。

「砂嵐は起こしたことあるけど、アシュタナには会ったことないよ」

 ジャファは首を竦めた。

「いいや、会ったことがあるはずだ。スジェでアシュタナが目を覚ましたことぐらい、王墓に仕える者は皆知っている」

 老ジャナハンの言葉にジャファは息を吸い込んだ。

「アシュタナはスジェにいるの?」

「王は会ったことがあるはず。タリヤで王墓までの道を開いた女神がおったでしょう」

 顔をしかめ、ジャファは老ジャナハンを見つめる。

「あれはスジェのビジュー殿だ」

「アシュタナを宿した者だ。スジェでは伎芸天と呼ばれる」

 ジャファは老ジャナハンの前に身を乗り出した。

「例えば、もし、ビジューがアシュタナならヤンジェングルのケシをただのケシにできるだろうか?」

「無理でしょうな」

 老ジャナハンはケタケタと笑う。

「ヤンジェングルのケシはすでにアシュタナが作り出した物ではなく、違う者の支配を受けておりますからな」

「違う者?」

 ジャファは訊き返してからタジャンを振り返り、顔を見合わせて首を捻った。

 老ジャナハンは右手を動かし、ジャファの鼻に骨ばった人差し指を突き付ける。

「アシュタナは手を貸してくださるだろうが、この国に根付いたヤンジェングルのケシを支配しておるのは、若き王、おまえさんだ」

 ポカンとしたままのジャファをそのままにして、老ジャナハンは座布団から立ち上がって部屋を出て行ってしまった。

 タジャンはジャファを覗き込んで、心配そうに様子を窺った。

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