龍と妖狐と魔法の小刀(23)マケイシュナ
百五十年前、その小さな芝居小屋は、もともと頴州の州都隗丹にあった。
芝居小屋を切り盛りしているのは、パッチリとした目の女だった。
背は高くないが、細身で動きはしなやか、気風がよく、役者らしく言葉がはっきりして声が大きい。
一座の芝居を好んで見に来る者は多かった。
その芝居小屋には見目のよい男が出入りしていた。
若いわけではない。
中肉中背、すっきりとした一重の目に、細めに整えられた口髭が似合っていて、眉は濃くしっかりと上がっていてきつい性格に見えるが、微笑を浮かべた口元が表情を和らげている、そういう男だった。
王都、柳州に芝居小屋を出さないかと言ったのはその男だった。
男は楚子哲と名乗った。
女は史娘と呼ばれていた。
*** *** *** *** ***
フーニャンは夕飯の皿を芦楓と徴景に手渡しながら、思い出話を口にした。
「その楚様っていうのがえらく羽振りのいい旦那でさ、芦楓のダンナと同じでときどき孤児や働き口のない子供たちを引き取ってくれるの。そういう子供たちを芝居小屋で養ってあげられるうちはいいんだけど、人数が増えると際限がなくなっちゃうからね」
そう言いながらフーニャンは羹の椀を出す。
「……百年前ですね?」
顔をしかめて呟くように言ったのは徴景だった。
「戸部に命譜の記録を問い合わせます。羽振りがよいというのであれば何かしらの記録があるでしょう」
徴景の言うことにフーニャンは「やめてちょうだい」と渋面を作る。
「キツネの昔話に出てくる男を調べてどうしようっての」
「楚子哲には心当たりがないが、蘇施徹ならば知っているからです」
フーニャンに向かって徴景は指を水に濡らして食卓の皿の隙間に「蘇施徹」と書いた。
芦楓がフーニャンを見る。
「七王爺の名前だ」
フーニャンは目を見開いた。
「七王爺?」
「百五十年前ならば、七王爺は頴州の州天公でいらっしゃいましたね」
徴景が頷く。
それからポツリと徴景はこぼした。
「なんで頴州っていうのはこうも災難続きなんですかね。州公が三人も変わったっていうのに」
三人
芦楓は唇を咬むが、徴景は特に芦楓の様子を気にすることなく続ける。
「ご領山っていうのは私のような三心が立ち入ることはできない禁領ですが、邑から、新しい州公はまだ子供だと噂で聞いています。子供って可愛いものとか動物とか好きじゃないですか。だから物の怪を愛でるようなこと思いつくんですよね、きっと」
芦楓は徴景に目を向けた。
「物の怪を愛でる?」
「そうですよ。狐狸精に戸籍を与えるという試験制度ができてから、他州から狐狸精が来る」
芦楓は頷く。
「人や天龍ではない、地龍が狐狸精として人のなかで生活するようになるなら、彼らにも領民として法を適用したいが、人以外の、つまり獣に生まれて人に姿を変えるようになった者たちには人としての籍がない。領民として街で生活するのであれば、籍が必要だ」
徴景は思い切りよく芦諷を振り返った。
「弊害も考えてくださいよ! そりゃ子供は好きでしょうよ! 耳とか、尻尾とか!」
「子供に限らんだろうけども」
言おうとした芦楓に徴景は指を突き付ける。
「あれを悪用して戸籍を変える連中が出て来ているんです」
芦楓は首を捻った。
「耳や尻尾のある者を連れて来て、こいつに戸籍が必要だから申請すると言うんです」
「んむ?」
「衙門では事務手続きを処理して戸籍を出します」
「うん」
「その戸籍が高値で売られる」
「……は?」
芦楓はポカンと口を開けて徴景を眺める。
「なんでそんなことになる」
「主に、犯罪歴のある者が他人に成りすますためですよ」
徴景はそう言いながらフーニャンが出した饂飩の器を手にした。
「薬味にニンニクあります?」
「ないよ。欲しかったら自分で用意して」
フーニャンは断言する。
「フーニャンはネギとニンニクで死ぬらしい」
芦楓は徴景に説明して自分の饂飩に手を伸ばし、徴景は不服を満面に押し出して箸を手にした。
「今の州公はアヘンの売買や戸籍の売買がまかり通っても意に介さない。前の州公はメギツネに踊らされて享楽に興じ州の領民が飢えるのもお構いなし、その前の州公は自分の息がかかった者にばかり利益を上げさせてきた。頴州の民は三代に渡ってずっと蔑ろにされています。なんででしょうね? これ、なんでしょうね? 私は制度の悪用がまかり通るのが嫌で明法科を受けようと思ったんです。今の衙門では江殿が同じ志の方なのでうまくいっていますが、散々な目に遭ったこともありました」
徴景を眺めて、フーニャンは「そうね」と頷く。
「なんで頴州ばっかりって思うのは、頴州で生まれ育ったら当然のこと」
徴景はフーニャンを睨み上げた。
「キツネになにが分かる」
「狐狸精が狡猾だと言うその口でキツネをバカにするんじゃないよ」
フーニャンは徴景を睨み返す。
「私の小さな友達は、口減らしのために親が山に捨てた子供だったけど、その子供に不思議な力があることを知った猟師に捕まった。木を育て、獣を作り、山を生かしていた子供が捕まった。頴州は貧しかった。それなのに王都に行ったら、頴州が貧しいなんてこと誰も知らないんだ。商売人たちはいい絹を着て化粧して遊び暮らす。まあ……王都にだって貧しい家はあったけど、頴州みたいに満遍なく貧しいなんてことじゃなかった」
芦楓は椅子に座って天井を仰いだ。
「私の失策だと言いたいのか?」
「そりゃ、耳が好きなのも尻尾が好きなのも多分、芦の坊ちゃん、あんたでしょう」
「……返す言葉はございません」
芦楓はフーニャンから目を逸らした。
「しかし人の姿を使うからには人として法に従ってもらうことも必要だし、人の法に倣うなら戸籍は必要になる」
「人ならそうだろうけど、私らいわゆる動物だからね」
フーニャンは芦楓を嗤う。
芦楓は「チッ」と舌を鳴らした。
「人の世界で生活するなら法に縛られる覚悟もしてほしい」
フーニャンは徴景に目を向ける。
「お坊ちゃんだから、法の悪用は法で縛れると思ってる」
徴景は頷いて「それはそれとして」と気を取り直して姿勢を出した。
「七王爺が私設した関がまだ使えることを考えると、七王爺の代に作られた私道が他にもあるかどうかは調べたほうがよいかもしれません」
芦楓は「うわあ」と項垂れる。
「比氏、誰か領山に残ってたっけかな……」
頭を抱えた芦楓を見て徴景は首を傾げた。
「比氏ですか?」
「比氏に頴州の……」
言いかけてから芦楓は「熊震!」と叫ぶ。
「クマさんは護身用の小刀持って砂州関を見に行ったまま帰ってないけど、どうしてか鳥もカナヘビも返事を返してこないの」
フーニャンはそう言いながら、芦楓と徴景の前に籠に入れたネギとニンニクをそのまま出した。
「自分で切って」
「……」
無言になった芦楓を見て、徴景は息をついた。
*** *** *** *** ***
「キツネの娘はどうした」
小刀のラーフマナに問われて熊震は「置いてきた」と軽く答える。
「よいのか?」
「どこに繋がっているか分からないないなら、まずは安全なところにいてもらったほうがよい。キツネだからと言って隠密行動が得意だとも限らない」
熊震の言い方にラーフマナは笑った。
「なるほどそうかもしれない」
「気になっていたのだが、ラーフマナ殿は天龍と地龍どちらだ?」
「ヤーナシュの眷属、ヤーナシュは天龍だ」
「……ラーフマナ殿は魔族だと言ったが、魔族というのは地龍ではないのか?」
「地龍だが、私は望んでヤーナシュの眷属になった」
「なぜ」
熊震はラーフマナに問う。
「何千年も前のことなんぞ覚えてないが、マケイシュナをアーケリから追放した世界樹のナーシャよりは、ヤーナシュに理があると思ったからだったかな。私は別にマケイシュナのためにアーケリに生まれたわけでもない。望んでアーケリに生まれた者として、二度とアーケリに戻れないマケイシュナより、ヤーナシュと契約してアーケリに残ることを選択した」
「ヤーナシュはなぜラーフマナ殿にアヘンを食わせて痕跡を追っている?」
ラーフマナに問い、熊震はふっと小刀が冷えたのを感じた。
「本来は地公に従うはずの草木に、別の意思を加えた者がいる。それがマケイシュナを怒らせ洪水を起こす原因になり、ヤーナシュはその誰かを追っている」
熊震は小刀を見る。
「数千年前ということは、ヤーナシュは現アーケリ王ではない?」
「違う、ヤーナシュは初王だ」
「……ヤーナシュがアーケリの初王だというなら、そのヤーナシュとナーシャとマケイシュナは本当に三大創世神だというのか? 伎芸天は五心だと思っていたが」
「ヤーナシュもナーシャもマケイシュナも、凱核が五心で済んだ頃の、上古の神と言ったほうがよい」
ラーフマナの説明を聞きながら熊震は「ん?」と訊き返した。
「凱核が五心?」
「何千年も昔、凱核の器はまだ五心だった。ただし、今、五心と言われている者たちとは違う。あくまでも凱核であって、力を使うときには創世三心がそれぞれに力の淵源を融通して増幅しあっていた」
「そんな時代があったのか……」
「今じゃ考えられないだろう」
ラーフマナは笑う。
「王が六心になったのは次の王が持つ心臓を食らうようになったからだ」
「王が王を食らったら力が暴走して死にかねないだろうに」
「だから、食らうより同化するようになった」
「同化?」
熊震は眉根を寄せた。
「自分よりも相手の力のほうが上なら相手の力を借りて永らえる。この小刀にかけられている加護の力はヤーナシュのもので、小刀のありかと私の存在を媒介してくれる」
「だんだん分からなくなってきたのだが、同化した場合、マケイシュナの意思や意識はどうなる」
「マケイシュナにはもう意思も意識もない。ただアーケリでマケイシュナが作り出した命の継承者を生かすためにマケイシュナの魂をその眷属たちが守っている」
小刀を見つめた熊震は、「ふむ」と頷く。
「なら、梅香殿はマケイシュナに力は貸していても意識を共有しているとか奪われるということはないのだな」
「ヤーナシュも、同じ眠りの状態だからな」
ラーフマナが小さく笑った。
「よし、戻るぞクマ」
「あんたまでクマと言うな」
「キツネの娘にクマと呼ばれていたじゃないか」
「……」
熊震は鼻を鳴らして不服を主張してから、小刀を懐にしまって襤褸屋に帰る道へと足を踏み出した。
小刀を持っているだけではあるが、熊震にとってラーフマナとスンスンという音だけで以心伝心の会話ができるのはそれだけで心強かった。
暗い道を歩いていく熊震は、去り際にエニシャ人のタジャンらが「魔眼の精霊」と呼ぶ斥候用の鳥やカナヘビを砂州関に置いて行く。
なにもなければ、熊震の眷属たちは「魔眼」で熊震に砂州関の動向を送るはずだった。
男は目を細めて足元のカナヘビを見つめた。
その肩で毛繕いをしていた鳥が、頭を動かしてカナヘビを覗き込む。
「そいつはジナか?」
鳥が問う。
「いや、自分の言葉も持たない下級の使い魔だ。術者が自分の魔力で作ったのだろう」
男に言われ、鳥がギラリを目を光らせる。
「そんな術者がスジェにいるのか? スジェに魔術は存在しないのじゃないのか?」
「魔術師とは限らない。死体を操る死人使いがいたのを忘れたか?」
鳥に言い、男は頭に布をかけて口元まで覆った。
「死人使いが使うのは魔術じゃない。もっと理屈の分からない幻術だ」
男と鳥はそれぞれに目を細めてカナヘビを眺める。
「いずれにしろ、スジェには精霊使いがいないから魔道具が売れるのだと思っていたが、スジェにも精霊使いがいるらしい」
日焼けして褐色に乾いた大きな手でカナヘビを掴み、男はそのカナヘビをベルトに括りつけていた袋に突っこんで閉じ込めた。
「こいつの目を奪えるかどうか、術者に見せてみるのも一興だ。うまくすれば、こいつを作った術者に痛い目を見せてやれる」




