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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
81/106

龍と妖狐と魔法の小刀(20)七王爺の私道

 夜半、頴州(えいしゅう)

 蝋燭の火が揺れるなか、徴景ちょうけい芦楓ろふう熊震ゆうしんの前に紙を並べ、墨に水を加えて溶かしてから、この五年ほどの間に衙門やくしょに訴えられた事件の訴状を書き連ねる。

 芦楓と熊震は徴景が書き出した訴えに目を通して息をついた。

「五年前に多かったのは、窃盗やケンカ、変法へんぽう以降で増えたのは人身売買」

 口に出したのはフーニャンだった。

「それに、詐欺。この店もこの旅籠はたごも建物を乗っ取られてる」

 フーニャンは目を細めて瞳孔をギュッと小さくする。

姐姐(ねえさん)の芝居小屋と同じように、ならず者にやられたのかしらね)

 芦楓は熊震をちらりと見た。

「法を変えたせいか?」

「んー」

 熊震は適当に頷く。

「何がいけなかった? 変え方か?」

 芦楓が首を捻ると熊震は無言で首を振った。

「時節が悪かったのでしょう」

 言ったのは徴景だった。その徴景の視線がフーニャンの尻尾を見て険しくなる。

狐狸精こりせいはお嫌い? 今この州で狐狸精なんて珍しくもないのに」

「狐が嫌われるだけだ。特に女は嫌われる」

 フーニャンは徴景を睨んだ。

「そりゃ私が女の狐狸精で悪かったね」

螺女らじょ伝承も女の狐狸精の話だ」

「螺女伝承?」

 芦楓が目を見開いて徴景の前に身を乗り出すと、フーニャンは呆れてひらひらと手を振った。

「気にしなくていいわよ、徴さん。芦楓のダンナは物語が大好きなの。特に異種族交流」

 徴景はフーニャンを見て小さく「は」と笑い飛ばす。

「異種族交流というのは例えば、龍族と人族と? あるいはそれ以外との交流?」

「そんなところよ。それで螺女伝承っていうのは狐狸精の話なの?」

 フーニャンは徴景の嘲笑を真似て笑い飛ばし、問い返した。

 徴景は小さく頷く。

「百年以上前、頴州に狐狸精の子供がいた。狐狸精の子供はどうやってか人の子供に成りすましていたが、子供が歳をとらないことに気付いた親は、その子供を山に帰した。子供は山に戻って仲間のキツネと一緒に妖力を使って邸に金銀宝玉や珍しい獣を集めて過ごしたが、そのうちに山の生活に飽き足らなくなり、州公に取り入った。子供は女に姿を変えて螺珠らしゅと名乗り、王宮にまで上がった。螺珠は州公をそそのかして王宮で豪勢に遊び暮らしたが、頴州は螺珠の贅沢に耐えきれなくなった。頴州は螺珠の贅沢を許す州公に血税を搾り取られ、実りも徐々になくなり、州の民を養うことができなくなったが、州公はそれを顧みてはくださらなかった。州が貧しくなった頃、州公は他州に使いを出したが、他州は取り合ってくれず、ただ頴州との境を閉ざした」

 徴景は眉をぐっと眉間に寄せて険しい表情を作る。

 もともと濃く太い眉の持ち主で頑丈そうな徴景が顔をしかめると、人によっては怖がるのではないかと思われたが、頴州の襤褸ぼろ屋には、その徴景を怖がる者はいない。

 ただ徴景の話を聞いた芦楓が、面白がっていた表情を辛そうに曇らせただけだった。

 徴景は芦楓に肩を竦めて見せた。

「州公や州宰相が王都で何を見ていたかは知りません。私のような三心龍は、そういう話を聞いて、その螺珠とやらいう狐狸精がいなければ州がこうも傾くことはなかった、そういう愚痴を言って過ごしてきた。螺女伝承というのはそういう、州公を堕落させた悪辣な女の話です」

 目を伏せた芦楓を見て、徴景は首を振る。

「もっとも、州宰相はもともと苹州宰相でいらしたから、頴州をどうご覧になっていたか知りませんが」

 フーニャンは静かに徴景を眺めていた。


 *** *** *** *** ***


 昼の衙門やくしょ

 芦楓は「新入りのふうさん」として雑用を引き受けながら不貞腐れた。

「馮、すまないが条文を調べてくれ」

 こうが芦楓に声をかける。

「なんの条文です?」

 芦楓は江を振り返って訊ねた。

 徴景はその芦楓をちらりと見てから江に顔を向ける。

「馮はまだ書庫に不慣れでしょうから、私が代わりに探してきます」

 江は徴景を見た。

「慣れてもらうためにも馮に行ってもらわなくては。刑法の判例が欲しいんだ。先王の二十三年、まだ七王爺しちおうやが州公だった頃の桑州そうしゅうの」

 そう言った江の前で、芦楓は「ああ」と頷いてから首を捻る。

「七王爺が州公だったころの、先王二十三年の判例……桑州ならば……通行の……」

 芦楓は情報を記憶から探ろうとして「桑州」と呟き、徴景を振り返った。

「王命なく、王の許可も得ずに行われた州公による私道開設、桑州公であった王兄が朱国出身の母を慰撫いぶするために、桑州司空(しくう)比開(ひかい)の助力で朱国の阿蘭斯丹アランスタン州に通じる道を開いたが、朱国側がその道を公道として商用路に転用し、関所が儲けられていないまま交易が行われるようになったのを、当時の大司空比旅(ひりょ)が知り、先王に比開の処罰を申し出た事件だな? 百八十年ほど前の事件か」

 徴景が頷く。

「あれは六十年ほど前に、関所を設けることを条件に問題にしないという見直しが行われたはずだ。それこそ七王爺の訴えで……」

 言いかけて芦楓はグッと眉間に皺を刻んで床に目を落としてから、首を振って江に目を向けた。

「その判例を?」

「あ……ああ、いや、もういい」

 江の煮え切らない答えに芦楓は首を傾げる。

「もういい?」

「関所を設けることでお咎めなしということになったのであれば、よい」

 芦楓は江を眺めてから、江が見ていた書類に目を向けた。

「通行記録、砂州関さしゅうかん?」

「七王爺の頃に作られた関所だが、あまり使われたことがなかった。そこはまだ開いていると聞いて来る者が絶えないという噂があるらしく、法的に使用してよい関所かどうか問い合わせがあった」

 江は呆れながら首を振り、芦楓に言う。

 芦楓は顔をしかめるしかなかった。

(関は全体、閉じたのではないのか?)

 首を捻る芦楓を見ながら、かんが苦笑する。

「そりゃ砂州関は七王爺の頃に作られた私道だから他州の者には知られていないよなあ」

「私道……どこの州に繋がる?」

「砂州」

 徴景が芦楓に答える。

「炎国です」

 芦楓の背筋にゾッと寒気が走ったが、そのあいだにも徴景は喋っていた。

螺女らじょ伝承の時代から後、干ばつや飢饉、州が閉じられたりしたことで、頴州が交易に適さない土地になってからまったく通行人は減っていましたが、州公が変わってからまた行商人が砂州関を使うようになったようですよ」

 徴景の説明に、芦楓は唇を咬む。

(王都から王権で閉められる関は公廟まで含めて閉じたはずだったのに、私道が残っていたのか)

 それから芦楓はさらに首を捻った。

(七王爺の道を閉じるとしたら比氏の助力が必要になるが、頴州に誰か残っていたか?)

 徴景は芦楓を眺めて、その様子をじっと観察する。

「砂州関……炎……」

 徴景は芦楓の言葉を逃さず、江に声をかける。

「江殿、まず砂州関の通行記録を持つ者を集めてみてはいかがでしょう? 関の記録も残っているはずですから、砂州関を通過した者と、この先、砂州関も閉じるかどうかを判断するための資料として役に立つかもしれませんから」

 江は徴景の言葉を斟酌しんしゃくして「なるほど」と頷いた。

「ひとまずは、通行証に砂州関の記録がある者について名寄せなりして、その上でゆうからどうご領山りょうざんに起案してもらうかを審議した方がよいかもしれん。法については州宰相の認可が必要になるからな」

 江の言い分に徴景は芦楓を一瞥して目を逸らす。

「州宰相の認可」

 芦楓は徴景に目を向けて「ははっ」と笑い、それから江の様子をうかがった。

「邑からご領山への起案が必要ですか」

「当然だ」

 江は芦楓に頷いて見せる。

「しかし江殿、今、頴州の領山に州公はいないですよ」

 芦楓が小さく江に言った言葉を聞き咎め、江は目を細めて芦楓を睨んだ。

「ご領山に州公がおられないからと言って法を司り・執行する者が法を軽んじてよいことにはならない。誰がその規律を壊そうと、我々だけは法と規律に則って動く。法の守り人としての矜持だ」

 江の答えに芦楓は口元を引きつらせる。

「邑から州宰相に」

「州公がおられないから当然そうなる」

 芦楓は顎に手を当て、「頑迷だな」と小さく呟いた。

(砂州関、頴州から炎に直接つながる七王爺の私道……関を設ければよいという、法の抜け道を使って容認されているがゆえに、王権で閉じることができなかった交易路ではあるが、関があることでかろうじて封じることができている場所)

 ギュッと瞳孔を縮め、芦楓は息をつく。

「徴景、調べろ」

 言われて咄嗟に徴景は芦楓の袖を掴んだ。

「ここは、衙門がもんです、ふう公子」

 芦楓は徴景を振り返って目を見開く。

「衙門だ」

「私は明法担当、馮公子は」

「……下働き……」

「はい」

 芦楓に確認してから徴景は頷き、芦楓も頷いた。

「そうだった。自分で調べる」

「今は鍵がかけられていますので、書庫への出入りは江殿のご許可次第です」

 芦楓は息を吸い込み、それから満面の笑顔を浮かべて「江殿」と江を振り返る。

「砂州関のことを州宰相に出すのであれば、判例と合わせて州宰相が知りたいと思われるであろうことを調べてまとめる必要があるかと存じます。徴殿と、必要な事項を揃えますので書庫に入ります」

 丁寧に告げて、芦楓は江に手を差し出した。

「鍵を、お借りできますか?」

 江は芦楓を眺めて顔をしかめ、それから徴景を振り返る。

かんが言っておりましたでしょう、馮公子は龍族だと」

「言っていたな」

 徴景は江の耳に顔を寄せて声を落とす。

「私は三心の平民。馮公子は五心の貴族で州宰相とも知り合いです」

 江は徴景に何かを問うような目を向け、徴景は答えるように頷いた。

「知り合いです。それも日常的に顔を合わせるような仲です」

 徴景の言葉に江は瞬きを繰り返してから徴景の手に鍵を渡す。

「なんでそんなお偉いお坊ちゃんがここにいるんだ?」

「頴州にいるからです」

「なんで頴州にいるんだ」

「……それは、あのー……なんででしょうね……? あの……これは江殿に限って申し上げるので他言無用でお願いしたいのですが」

 徴景は声を落として江の耳元に囁くように言った。

「あ? なんだ?」

「あの人は王都の中央官吏です」

「は?」

 江は徴景を勢いよく振り返った。

「私が官吏登用試験を受けたときに、一緒に受けていたんです」

「官吏? さっき邑から奏上するのかなんていう適当なことを言っていたヤツが?」

 徴景は小さく頷く。

「甲科登用の宮廷官吏です。恐らくこれまで、司徒大人しとさまや州宰相と直接やり取りする立場にいた人なので、州宰相に届ける奏上を出すのに邑を通したことがないんです」

 江は徴景を凝視してから顔をしかめた。

「いや、なんでそんなお偉いさんが頴州の辺鄙な衙門に下働きに来るんだ」

「なんでですかね? なにか、あれですかね? 王命でお忍びとか」

 徴景が言うと江はさらに目を見開いた。

「なにを疑われているのかはともかく、そういうことならば、できる限りご協力せねばならんな?」

「そう思います」

 徴景は江に頷いて見せる。

 話を聞いて、江は、くるんと勢いよく踵を返して芦楓を見た。

「書庫は三つある。州宰相がお求めになるであろうこと、納得がいくまで調べてまとめるように願う」

 芦諷は徴景が江になにを言ったか分からないまま、引きつったように笑顔を浮かべて鍵を受け取った。


 *** *** *** *** ***


 芦楓は熊震ゆうしんの鳥を肩に書庫に踏み込む。

 徴景が芦楓を追う。

「なにを調べるんですか!」

 声をかけられた芦楓は勢いよく徴景を振り返る。

「砂州関を出入りした者の情報だ、特に、商人については荷駄の中身まで分かるようなら一覧にしたい。香木や薬草の類を持ち込んだ者は全員足止めにする」

「商人と荷駄ですね? こちらに通行記録と荷駄の持ち込み記録があるはずです」

「調べておけ、熊震に話がある」

 首を捻った徴景は、芦楓の肩にいる鳥が「なんだ」と熊震の声で喋るのを聞いて手に持った鍵を床に落とした。

「熊震、砂州関という、かつて七王爺が私設した関があるらしい。芦氏も比氏も感知していなかったが、関を設けてあれば許容するという言質を七王爺が先王に取り付けている。そこが炎に直接出入りできる交易路になっている可能性がある。香木や薬草を交易商品として持ち込んだ商人を洗い出すが、熊震はそこから炎を経由して王都の阿轍に連絡が取れるかどうか試してみてくれないだろうか」

 鳥が熊震の声で芦楓に反論するのが、記録を探している徴景の耳に聞こえてくる。

「炎からならば、イェジン様とジャファール様と骨董屋が比轍ひてつ殿に繋がる遠見鏡を持っているから、どれか使わせてもらえるかもしれない」

 熊震に訊かれて芦楓は引きつった。

「イェジン様は炎地公、ジャファール様は炎天公なのだから、私とおまえが連絡を取れるのは骨董屋一択じゃないか」

 熊震がケタケタと笑う。

「まあしかし、その道が使えるとして、比轍殿に怒られたりはしまいか」

「芦氏の仕事は法術で道を規制することであって、比氏のように力ずくで道を潰したり作ったりすることではないからな、開いている道があるなら、その道を使って特権的に出入りするぐらいのことはできる」

「わー芦様おさすがー」

「その言葉に心が籠っていないことは分かる」

 熊震は「それはそう」と鳥の口から頷く。

「イェジン様を経由するのは螺珠らしゅ様と阿達あたに影響しかねない。梅香殿に影響するのも不本意だ」

 熊震の言葉を聞いて芦楓は息を吸い込んだ。

「おまえがその梅香殿について、王弟殿下の許婚だと理解する日は来るのだろうか」

「残念。比轍が王弟殿下の許婚でも、人の名で常梅香、地龍の名でげい梅香と呼ばれる伎芸天は地龍の眷属だ。どこかに機会がある。だから、待つ!」

「相手が男でも構わないのだな」

「魂は男女を決めない。地龍は男女どちらでもないし、男女のどちらでもあり、ただ心の持ちようだけがそれを決める。天龍の世界に生まれた地龍の男女を決めるのは自分が得たうつわが男女のどちらかということだけだ。この世の中は、心の持ちようだけで男として見ることも女として見ることもできる。相手のうつわが男だ女だと言って一喜一憂するような地龍はそうそういない」

 熊震は笑い、芦楓は嘆息する。

「阿達はそうでもない。そのせいで芳俊殿下がどれだけ癇癪を起したか」

「阿達は別だ。臥渓がけい公主は魄を選ぶなら男にした方がよいと言われて男児を選んだし、男児であることに満足している。頴州との戦にも出たし、姉君である螺珠らしゅ様が頴州公に幽閉されたうえで使い捨てられ、一度は死に追いやられたこともあって頴州によい印象も持っていない。今でも、頴州と一戦交えるなら前線に出る勢いだ」


 芦楓と熊震の会話を聞き流していた徴景は、「螺珠」の名が出たことに耳を立てた。


(頴州公に幽閉されたうえで使い捨てられ、一度は死に追いやられた? 螺珠……螺女伝説の狐狸精だろう……? 姉君……? なんの話だ)


 徴景の視線をちらりと見た芦楓は、小さく笑った。

「世の中、違う場所に立てば見える物が違うということだ」

 芦楓は小さく徴景に言って、その肩を叩いた。

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