龍と妖狐と魔法の小刀(16)自分にできること/講談を貸本に
アヘン窟の向こうに、芝居小屋の面影がある。
フーニャンは口元を布で覆って芝居小屋の近くに潜み、アヘン窟から出てくる者たちを標的にして、ラーフマナを呼ぶ。
「ラーフマナさんちょっといまいち美味しそうじゃないけどゴハン来ましたよ」
「その「ちょっといまいち美味しそうじゃない」は言わんでいいから」
小刀のラーフマナがフーニャンに小声で文句をつけた。
「だって、なんの妖力もなさそうでやせ細った人間ばかり。魂も美味しくなさそう」
フーニャンは小さく笑う。
「人間の魂は食べないからどうでもいい」
「まあそうでしょうね」
小刀に向かってそう言い返して、フーニャンは息をついた。
アヘン窟から漂い出す赤い靄を金色の光で捕食して、小刀は光を収める。
「あれを食べ続けると、なんか力溜まるの? 強くなる?」
フーニャンは小刀に向かって囁く。
小刀のラーフマナは笑った。
「靄を喰えばその靄が通ってきた道が見える。道を辿るとそいつがヤーナシュの敵かどうかが分かる。ヤーナシュというのは私の主人だ。人は私を魔族と言うが、元々は命の王、龍王ヤーナシュに近付く者を排除するために、望ましくない道や好ましくない魂の輩がどれだけ増えているのか、あの靄を喰らいながら確かめるのが役目で、靄を喰って集めては道の名前や、あの嫌な魂の淵源をヤーナシュの上級法術師に伝える」
フーニャンはちらりと小刀を見る。
「法術師。ラーフマナさんは法術師なの?」
「技官が小刀に仕込んだ戦神だ軍神だという合言葉で呼び出されるだろうがその端くれではある。道を追うと、どこを仕留める必要があるのかを突き止めることができる。小刀が作られてから、獲物が見つかるほどの情報量を集めようにも、間抜けな人間や天龍どもは小刀の使い道を理解していなかったが、おまえは同じ魔族で言葉が通じた。そして標的は同じあの、赤い靄だ。助かる」
ラーフマナの言葉を聞いたフーニャンは息を吸い込んだ。
「赤い靄……あれはなに? 毒? 悪霊?」
ラーフマナが小さく笑った気がしてフーニャンは顔をしかめる。
「ラーフマナさん、あれはなんなの?」
「あいつらはエンシャの裏世界で作られた、形を持たない間者だ」
フーニャンは手を握りしめた。
(暗殺者? アヘンの毒が?)
「草の中毒じゃないの?」
「草に潜むんだ。草に潜んで時期を待つ。人に潜み、三心に乗り換え、四心に乗り換えながら、機を窺う。五心に近付く機会を、だ」
フーニャンは小刀を凝視する。
「スジェリ王族は頴州を切り離し、捨てる判断をした。いい判断だった」
「いい判断、ねぇ……」
フーニャンは息をついた。
「いいか、嬢ちゃん、魔族なら覚えておけ。エンシャの骨董屋たちは技官たちが作りあげた道具を魔法の道具だと言って売りさばくが、世界に本当の魔法なんてものはない。技官たちは、誰の力をどの道具に込め、どの道具で誰を呼び出すか、そういうことを心得て道具を作るんだ。この小刀には敵から身を隠すための目晦ましの法術と、間者の情報を集めるための、このラーフマナ様を呼び出す合言葉が付けられている」
小刀はフーニャンに告げる。
「それはそれとして、今日の収穫はここまでで十分だ。どら、おまえが言うところの襤褸屋に戻ろう、小娘」
「小娘と言わないでちょうだい、私は胡娘、フーニャンよ」
フーニャンはラーフマナに不満をぶつけた。
「あなた私には、自分の名前をちゃんと呼べと言ったでしょ。私のことも嬢ちゃんとか小娘と呼ばないでちょうだい」
ラーフマナはフーニャンの文句を聞いて「小娘が」と苦々しげに吐き棄てた。
*** *** *** *** ***
夜。
熊震は地公廟の地龍たちのところへ向かった。
フーニャンは尻尾をふさふさと動かしながら寝台に潜り込み、龍の姿で小さく丸くとぐろを巻いた芦楓を抱え込む。
史娘はまだアヘン窟にいる。
アヘン窟から出てくる者たちをラーフマナと一緒に狩っても、ラーフマナには史娘を優先的に助けるギリなどない。
ラーフマナが欲しいのは、情報。
(アヘンの毒は、炎国で作られた形のない間者。赤い靄には間者がどこで作られたのかという情報があって、ラーフマナはその情報を集めている)
フーニャンは小刀を見た。
「ラーフマナさん」
スンと鼻を鳴らすようにして小刀に声をかけ、フーニャンはラーフマナを呼ぶ。
「夜じゃないのか? 寝られる夜は寝ろ」
ラーフマナが呆れたように、フーニャンに声を返した。
フーニャンは小刀を見る。
「赤い靄を作ったのは、エンシャの裏世界と言ったでしょ? エンシャの裏世界っていうのはどんなところ?」
「知るか。ただ、裏道でしか辿り着かない世界だ。地上ではなく、天上でもない、地下と言うのがふさわしい気がするが、そうだとしても次元が違う。まともな者が立ち入っていい場所じゃない。もう寝ろ」
ラーフマナはそう言ってフーニャンを黙らせた。
フーニャンは黒く艶々としたキツネの鼻から湿った息を「ふーっ」と出してから仕方なく目を閉じる。
夢のなかで、フーニャンは湯玉哨として祖父を見つめていた。
「熊一族には色んな将軍がいるのでしょう? おじいちゃまの将軍はどんな人だった?」
「おじいちゃんの主は、将軍のなかでも都である方州の南を守っていたよ、南門将軍と呼ばれていた」
「そのまんまなのね」
湯玉哨は笑いながら身を乗り出す。
「おじいちゃまの力は南門将軍の役に立った?」
「役に立ったとも。天龍の世界から戻ってきた地龍たちの血を見るんだ。彼らがどこに住んでいたのか、どこで自分が地龍だと知ったのか、どこを通ってきたのか、そういう経歴を見て南門将軍に一覧にして渡すんだよ。なかには病を持ち込む者もいるからね、そういう者は検疫院に向かわせる」
検疫院。
湯玉哨は祖父を見つめた。
「病人を見つけることもできるの?」
「いや、どこを通ってきたかということを確かめる。過去に同じ場所を経由してきた病人がいたら引き留めて検疫院で、現在の状態を調べてもらう」
祖父の言葉を聞きながら、フーニャンは「どこを通ってきたか」と呟き、祖父の目が湯玉哨を見たのに気付いて瞬きした。
「やってみたいかね?」
フーニャンは湯玉哨として、興奮気味に頷く。
「私にもできるかしら?」
「できるとも、湯玉哨、おまえは湯一族の者だからね。やり方を教えてあげよう。いつか転生先から戻ってきたときに役に立つだろう」
フーニャンはパチンと目を開いた。
その目は獣の、捕食者の瞳孔だった。
(彼らが辿ってきた道を追跡するのは湯一族がしてきた仕事のひとつ。ラーフマナと同じことを湯氏のじい様がしてきた。ラーフマナとは違う術であっても、湯玉哨にできることがある)
フーニャンはシューッと音を立てて鼻から吸い込んだ息を、フーッと口から吐いてまた目を閉じる。
(粘り強く地公廟に連れて行ってくれたクマさんに感謝。五心のお坊ちゃんたちとは違うけれど、私もただのキツネじゃない。私にも史姐姐を助けられる手がきっとある。湯一族にはきっとラーフマナがヤーナシュのために情報を集めるように、情報を集めてどこかに……)
フーニャンは薄く目を開けて「クン」と鼻を鳴らした。
どこか。
ある。
あった。
(私の上司、クマさんだったじゃないの。そしてクマさんは斥候部隊の頭領じゃないの。クマさんの一族は東西南北の四将軍を抱えているのだもの、そうなると、毒が間者だというラーフマナさんの話を伝えておいたほうがいいのかも)
フーニャンはひとりで納得してヒゲをぴくぴくと動かしてから、また「フーン」と息をつく。
「犬くさ」
寝ぼけた芦楓のひと言に苛立ち、フーニャンは尻尾で小さな龍を軽く叩いてから「私が犬くさいなら、龍のあんたは生臭い」、とフーニャンは不機嫌な声で芦楓に悪態をついて寝直した。
*** *** *** *** ***
柳州、王都の朝。
夜空が白み始めると鶏が鳴く声がけたたましく聞こえてくる。
貫海宮、貫海山とも呼ばれる天龍たちの都の片隅で、どこからともなく、と言いたいところだが芦諷の住処では違った。
芦諷は庭で数羽の鶏を飼っている。
芦諷に仕えている数少ない使用人のひとりが、雌鶏の小屋から卵を拾って台所に運ぶ。
「ひどいもんだよ」
卵を拾ってきた使用人は、鍋に水を張ってそこに卵を入れ、湯を沸かしながら鼻息を荒くする。
聞いている誰かがいるわけではなく、彼の、つまりその使用人は男なのだが、その彼のただの独り言だ。
まだ朝早い時間の台所では、小さな窓の前にある竈の赤い火がよく目立つ。その火を背にしてまな板に向かい、使用人の男は包丁を研いで干し肉を勢いよくぶつ切りにしていく。
男の独り言は続く。
「うちの坊ちゃまがずっと日陰者だったのは、皇子が皇子じゃなかったからだってさ。九十年も放ったらかされてきた」
男は沸騰した湯から茹でた卵を一度取り出して軽くひびを入れ、湯に戻してから茶葉、それに桂皮や八角を入れて濃い口しょうゆと塩で味付けして、卵を煮る。
「茶葉卵を作るのに使うお茶だって、本家で使ってる物とは段違いの安物。ニセ皇子のせいでどれだけ不幸な存在がいたか知らないが、うちの坊ちゃまだってニセ皇子のせいでずいぶんと人生を踏みにじられてきたもんだ」
男がニセ皇子と呼ぶのは、先王の第二皇子として扱われてきた蘭俊のことだった。
茶葉卵を煮る鍋から八角の強いにおいが香り出す。
「この世に神様というものがいるってなら、これから先の年月、坊ちゃまが一族の集まりに堂々と出て行かれるようにしてほしいもんだ」
その「坊ちゃま」は、王弟である先王の皇子たちのひとりではなく、芦氏と肩を並べる比氏、つまり芦氏から見れば同格の貴族に仕えることになったのだという。
相手は王府の公子でもあると言い、王族のひとりに数えられるとは聞くが、王弟たちと命運を共にする従兄弟たちと比べてしまうと、やはり見劣りするのは仕方ない。
その比氏の公子のこれまでの相手は、本家のなかでは変わり者で突拍子もないという噂しかなかった芦楓という男だった。
そこまでは男も知っている。
「どうせなら、その楓公子でなく、どこかの王弟の相手がどうにかなっちまえばよかったのにな」
鼻を鳴らし、男は茶葉卵を作る横で、粥を煮始めた。
男は、自分の手をグッと握り、それからパッと開く、その動きを幾度か繰り返す。
「……悔しいなあ……俺だって坊ちゃまがちゃんとした皇子と繋約してさえいれば戦で役に立てたはずなんだ。俺の小さなクモたちはどこまで遠くまで攻撃者が逃げても、攻撃者に印を付けて追跡できるってのに」
その坊ちゃまこと芦諷は、すでに白髪になって久しい乳母に髪と着物を整えてもらいながら、乳母のお喋りを相手にしていた。
格子窓から差し込む朝日が室内をゆっくりと明るくする。
「坊ちゃまは今日も王府にいらっしゃるのでしょう?」
「うん」
「坊ちゃまの繋約相手になる予定の、お名前がなんであったか……王府の公子は、よい方でしたか?」
鏡に映る乳母のにこやかな表情が目に入り、芦諷は小さく寂しげな笑みを浮かべる。
「轍殿だ」
「はい?」
「……王府の公子、私の繋約相手の名前。車輪の跡、道を意味する、轍」
「その轍公子は、気の合いそうな方でしたの?」
芦諷は努めてにこやかな表情を作って鏡越しに乳母に見せた。
「まだよく知らないが、そう願いたいものだ」
芦諷の乳母は品のよさそうな笑みで目の下に刻まれた皺を深くして、嬉しそうに芦諷を見つめる。
「あとで小豆餅を作りましょう」
「うん?」
芦諷は首を捻って乳母を振り返った。
「お手土産ですよ。その轍公子と一緒にお召しあがりくだなさいな」
乳母に言われて芦諷は「ああ」と頷く。
「坊ちゃま、昔から小豆餅がお好きでしょう? お相手の轍公子がお好きかどうかは分かりませんけれど、持っておいでになれば好きなお菓子ぐらいは聞けるかもしれません。なにせ坊ちゃまは他人と話をするのが苦手ですからね、きっと話をするきっかけにはなりましょうよ」
芦諷は乳母に背を向けて、「そうか」と上の空で返した。
比轍。
芦楓の学友だと言う、その一点がわだかまりとして存在するだけで、比轍の態度は冷たいものだった。
芦諷に向けられた比轍の視線は、友人の居場所を奪う敵を見つめるものだった。
本来芦諷の繋約相手になるはずだった皇子蘭俊が私生児だったことが判明し、芦諷に対する一族の態度はこれまでの出来損ない扱いから大きく変化した。
本家の廟で、改めて央原君に芦諷が持つ法術について問い合わせが成された。
央原君から告げられたのは「条縛」という、芦諷と繋約した六心が作る世界に干渉できる相手を決め、管理する能力だった。
国そのものの鎖国や開国といった行動に関わる、大きな力だという。
同じ能力の持ち主は一族のなかで他にふたり。
どちらも高齢で、同じ世代には「条縛」の力の持ち主はいない。
朝餉を食べて庭の菜園を手入れしていると、あっという間に日が高くなる。
瀾州王府への出掛けに、乳母は芦諷に小豆餅を並べて入れた籠を差し出してきた。
「坊ちゃまは博識ですから、きっと轍公子にも気に入っていただけますとも」
芦諷には乳母の言葉が重かったが、それでも目を伏せるだけで頷いて籠を受け取る。
芦諷が瀾州王府に行く前に立ち寄ったのは、貸本屋だった。
貸本屋の奥には、まだ市場に出回っていない講談の筆写なども置かれていて、そこから選んだ本を貸本用に物語として書写するといくらかの稼ぎになる。
「このあいだ頼まれた本の書写を持ってきた。新しく書写が必要な本はあるか?」
声をかけた芦諷に、「ああ! どうも!」と奥から貸本屋の店主が顔を覗かせた。
「陸旦那、二冊、上下巻の本を頼めますかね?」
貸本屋の店主は芦諷を陸と呼んだ。
書写の担当者欄にも、陸風、という名が書いてある。
「余詞? 初めて見る小説家だ」
「ええ、巷で語りをしている男が作った話らしいんですが、宮中の話がえらく仔細だというんですよ。貸本屋としては売れるかどうかわからんのですがね、まあ宮中っていうのは、ほら、殿上人の世界じゃあありませんか。ひとまずうちも置いてみようと思ったんですよ」
芦諷は店主の言うことに頷いて、パラパラと本を捲る。
捲り、目を眇めた。
(主人公は宮中で産まれた皇子、一転して市井に落とされるのか……私は相手の皇子が私生児だったと知れて、これまでの冷遇が一転して厚遇に変わって戸惑っているが、これを講談で話す男は、どんな風にこの皇子の物語を続けるのだろうな)
皇子が、いつか自分の身分を明かして宮中に戻り王を補佐したりするのか、それとも新しく王朝を起こそうとするのか、芦諷の口元に、知らず笑みが浮かぶ。
「やろう。上下一冊ずつ、まずは少し講談の語り口調を文語に直して本として読みやすくするところからでどうだろうか?」
芦諷の申し出に、店主が嬉しそうに表情を綻ばせて頷いた。
「お願いします」
講談が筆写されたものを手に、芦諷は貸本屋を出た。
芦諷は馬で王府に向かう途中で小さな川を跨ぐ橋に差しかかり、軽く手綱を引いて馬の足を止める。
橋の上から下を覗けば、渡るのにニ十歩も要らない小さな橋の下を、青々とした梅花藻を浮かべた清流が流れている。
芦諷は梅花藻の上にある水面に映る自分と馬の姿を眺める。
余詞のことを、比轍に話すかどうか。
それを考えたところで、芦諷は眉間に皺を刻んだ。
お茶を淹れましょうか?
比轍が最初に言ったその言葉は、乳母が言う「話のきっかけ」を作るためだったかもしれないが、彼の視線には敵意があった。
芦諷は橋の上でうずくまる。
あの日、比轍に会うまで内心では密かに、比轍という男が芦楓という学友を失うことに落胆していることを期待していた。
落胆している相手に、軽く追い討ちをかけてから慰めればよいと思っていた。
相手は、落胆などしていなかった。
(友人が遠く離れたのを慰めるというのは有効ではなかったということか? いやそもそもこれまで私の友人というのは、貸本屋の書写仲間ぐらいで、陸風という名前の一般庶民を騙って、万年書生だとかそういう友人とばかり集まっていたから、貴族の子弟なんぞ見かけたら揶揄する対象だったのに、いきなりそれが他家のそれも年下の相手と仲良くなれなど、無理難題だ)
簡単に言って、芦諷はこれまで他家の公子との交流がなかった。
芦諷は乳母が持たせてくれた小豆餅を川に捨てようとして動きを止める。
(さすがに大人げない。それに入れ物を持って帰らねば乳母にも心配されるに違いない)
そこで思いとどまって、芦諷は馬に乗りなおす。
致し方なく。
致し方なくだ。
馬をゆっくりと歩かせ始めた芦諷のおくれ毛を、風がかすかに揺らした。




