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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
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龍と妖狐と魔法の小刀(14)芦諷、選ばれなかった男

 夕闇が瀾州らんしゅう王府に落ちる。

 王府の建物に飾られた風鐸が夕闇に模様を溶かす。

 比轍と蘇透に向かって言いたい放題なことを言った芦諷は瀾州王府を出て行った。


 比轍は両手で顔を覆った。

 蘇透は比轍を見つめた。

 比轍と蘇透の間にある机には、カナヘビの血がべったりと付着している。

「あいつ……素手でカナヘビ潰した……」

「そうだな、素手でカナヘビ潰したな……」

 蘇透は比轍の言葉を繰り返した。

 比轍はカナヘビの血に触れて黙り込み、蘇透はその比轍を見て小さく引きつったように笑った。

 比轍はもう一度両手で顔を覆って机に突っ伏す。

「なんなのあいつ……普通、気に入らないからって素手で他人が寵物ペットにしてるカナヘビ叩き潰さないでしょうって……」

 蘇透は叩き潰されたカナヘビが床に捨てられているのを拾って比轍の前に置いた。

「阿轍、裏にこのカナヘビの墓を作ってやったらどうだ? 名前は?」

「カナヘビ」

「そのまんまだなおい」

 呆れた蘇透の前で潰れたカナヘビの体が小刻みに震えて頭をもたげ、蘇透は「うわ」と小さく悲鳴のような声を上げ、比轍は蘇透を見た。

 蘇透がカナヘビを指差す。

「おい、潰されたカナヘビが動いたぞ」

 蘇透に言われて比轍は顔をしかめたが、カナヘビは潰された頭の無事な片目だけを動かして比轍を見た。


「梅香殿」


 熊震ゆうしんの声が「梅香」の名で比轍を呼ぶ。

 比轍が人間の女性として苹州の田舎に隠れ住んでいたときに使っていた名前だった。

「……うわぁ……」

 だいぶ引きつった表情を浮かべながら、比轍は呟くようにカナヘビに言葉をかける。

「あなたからいただいたカナヘビ、潰されてしまいました」

「ああ、なるほど。だから先ほどから声が届きにくかったんですね」

 カナヘビが潰れた声で頷く。

「梅香殿がおっしゃったように、儀典官と相談して地公廟も旧頴州領を切り離します。芦楓殿と私は頴州内でアヘンを片付けますので、私の代わりに伎芸のげい一族と熊一族から螺珠らしゅ様、臥渓がけい様、梅香殿の護衛を出します。霓一族から梅香殿に付くのは、鷹の霓駿げいしゅん殿と、熊一族からはオオカミの熊遥ゆうようです。どちらも肉食ですから、食事はウサギあたりを用意していただけると助かります」

 比轍は潰れたカナヘビを見て「ウサギ」と繰り返した。

「そう」

 熊震が潰れたカナヘビ越しに答える。

「技芸の霓駿は鑑定眼の持ち主です。あなたは器の能力を見極めて伸ばすのに長けておいでですが、霓駿は相手の魂を分析する能力に長けています」

 カナヘビが比轍に片目を向けた。

「熊遥は包囲戦が得意ですから、いざというときには柳州内の熊一族やその眷属と配下の者たちが動きます」

「あ、そう……ああ、熊震殿、そこに芦楓ろふうはいますか?」

 カナヘビが小刻みに震えながら「うん」と頷く。

「阿楓」

「なんだろう」

 芦楓の声がカナヘビ越しに答えた。

芦諷ろふうという男を知っているか?」

「会ったのか? いけ好かないヤツだろう。従兄弟なんだが卑屈で陰鬱で感情的で粘着質なんだ」

 比轍は芦楓による芦諷の評価について、少しばかり芦諷が気の毒になった。

「卑屈で陰鬱で感情的で粘着質まで言わなくてもいいんじゃないか?」

「言いたくなるんだよ。一族で集まるといつも「おまえはいいよな」と嫌味が始まる」

 芦楓は潰れたカナヘビ越しに比轍に訴える。

「気持ちは分からなくもない。せっかく芦一族に生まれてなんらかの法縛術ほうばくじゅつの能力を持っているというのに、たまたま、運悪く、同じ能力の持ち主が重鎮にいて」

「待て阿楓」

「うん」

「法縛術というのは? 私はその術を知らない」

 カナヘビ越しに言った比轍に、芦楓が「言ってない」と飄々と答えた。

 蘇透は比轍が芦楓と話をしていることに良い顔はしなかったが、芦楓が言う「法縛術」については知りたかった。

 芦楓はカナヘビを通して比轍に言う。

「法縛術は芦一族固有の技能。蘇一族と比一族の六心が世界を作るのに対して、芦一族はその六心が統治する世界に法で干渉する。私の技能は六心の姿を別の六心から隠すために法を捻じ曲げる能力。芦諷の技能は六心の通り道を法で塞ぐ能力」

 比轍は蘇透に口の動きだけで問う。

「芦一族の能力、ご存じでした?」

 蘇透は比轍に首を振って見せることで否定した。

「芦諷の法縛術の使い道はふたつある。ひとつ、自分が属する六心の世界に他の六心に属する者たちを立ち入らせない。もうひとつ、自分が属する六心を他の世界に出さない」

 潰されたカナヘビを見て、蘇透は思わず訊ねる。

「……おまえの能力はなんだって? 法を捻じ曲げると言ったな」

「阿轍、一緒にいるのは誰だ?」

 芦楓は比轍に訊き、比轍は「透兄」と芦楓に伝えた。

「透公子」

「芦諷の能力が六心の道を開いたり塞いだりすることだというのは分かった。芦楓、おまえの能力は? 法を捻じ曲げて六心を隠すと言ったな」

 芦楓は「ああ」と小さく頷いた声をカナヘビが伝える。

「さようです。私の能力は、法を使って六心の姿を隠すこと。隠すというより、目晦ましをかける、相手に本人とは違う姿の幻覚や錯覚を見せる、そういうものです」

 蘇透は芦楓の説明を聞いて目を見開いた。

「待て」

 芦楓に対して蘇透は顔をしかめる。

「おまえが阿轍と一緒に遊んでいたとき、その術を使っていたか?」

「使いました。芝居小屋に連れていくにも六心の姿を人に見せるわけには行きません」

 蘇透は潰れたカナヘビの頭をつついた。

「変なとこ気を使うな」

 蘇透に言われて芦楓は蘇透に言う。

「皇子が生まれるときには、芦氏でもその皇子のための子供が作られます。その皇子が六心かどうかは問いません。ただ、その時に同じ歳の子供を学友として育てる。芦諷の皇子は、蘭俊殿でした」

 芦楓がカナヘビの向こうで大きく息を吐いたのが、比轍にも蘇透にも聞こえた。

「……透公子、結界を張ってください。私はもう芦氏から放逐されていますから、芦一族の者しか知らない話をします」

 蘇透は芦楓が言うままに比轍と自分がいる部屋に結界を張る。

 芦楓は言葉を選びながら、蘇透に向けて続けた。

「蘭俊殿が生まれたとき、芦諷は、合わなかった」

「合わなかった? なにが?」

 比轍が顔をしかめる。

「血が。蘭俊殿と芦諷は、血が合わなかった。芦氏私邸の奥に設けられた王廟で、芦諷に合わせることができる皇子を探しても蘭俊殿の名前が出てこなかった。普通なら五心の皇子でも「五心」として、繋ぐ必要がある相手かどうかぐらいは調べられる。今なら、蘭俊殿が王の実子ではなかったからだと言える。当時はその理由は分からなかった」

 芦楓は息を吸い込む。

「相手の皇子が見えないことというのは初めてだったそうで、芦一族ではずっと、芦諷に対して「何か魂魄に問題があるのじゃないか」とか「どこか出来損ないなんじゃないか」と言われ続けてきた」

 比轍と蘇透は顔を見合わせて首を竦める。

 芦楓は小さく笑った。

「芦諷に言わせれば、私はたまたま比轍と同じ年に生まれたから学友になっただけだ」

 蘇透は頷く。

「それで、私は……「いいですよねえ、王族は」と……」

「加えて私を嫌いな以上に阿楓が嫌い……なるほど……」

 比轍は呆れる。

「卑屈だ……」

 呟いた比轍の言葉を聞いて、芦楓は「そうなんだよ」と答えた。


 *** *** *** *** ***


 フーニャンは比轍とほとんど同時に「卑屈だ……」と呟いた。

「蘭俊てあの蘭俊か?」

 芦楓は「うん?」と熊震を振り返る。

「ああ、そう。私生児だった蘭俊。件の元頴州(えいしゅう)公。王の実子じゃなかったから王統譜に名前が出てこなかった。芦諷は、たまたま、本当は皇子とは認められない私生児のために生まれてしまった。誰も蘭俊のほうに皇子の資格がないのではないかとは疑わなかった。芦諷には六心と繋がる資格があったというのに、資格がないと思われたまま百年を生きてきた。そのせいで、泰俊たいしゅん殿と比轍が生まれたときも、慶俊けいしゅん殿が生まれたときも、芳俊ほうしゅん殿が生まれたときも、菖俊しょうしゅん殿が生まれたときも、芦諷には機会が与えられなかった」

 比轍がカナヘビ越しに「待った」と声をかける。

「菖俊殿のときにも、同じことが起きたのではないか?」

 芦楓は「そう」と頷いた。

「菖俊殿が生まれたときも芦氏に生まれた子供がひとり「皇子に見合う資格がない」と看做された」

 蘇透が芦楓に訊く。

「その子供はどうなった」

「……芦諷がなにを言われて育ったかを見てきた親が、殺しました」

 芦楓の言葉に熊震が眉間に皺を寄せて目を伏せた。


「残念」


 フーニャンがボソッと独り言のように呟く。

「なにが」

「その子供、五心龍だったのでしょ? その魂、もらいたかった」

 芦楓も熊震も、カナヘビも、フーニャンを見つめてしまった。

「もらってどうする」

 カナヘビが比轍の声で訊く。

「修行の足しにするに決まってる。私まだ尻尾が五本なのよ。五心龍の魂を食べて修養したら一本ぐらいは尻尾が増えたかもしれないじゃない」

 芦楓と熊震は顔を見合わせた。

「狐狸精が魂を食べるという話は本当だったのか……」

「なんの力もない人間の魂は要らない。私たちが欲しいのは、それなりに霊力がある人間とか仙の魂よ」

 フーニャンは芦楓と熊震を睨む。

 カナヘビ越しに、蘇透が「霊力?」と繰り返す。

「世の中には生まれつき霊力の高い人間や獣がいて、そういう魂を食べることで、時には自分の霊力を高めることができる。霊力を高めると尻尾を増やせる」

 自慢げに言ったフーニャンを見つめてから、カナヘビが比轍の声で「あ」と間抜けな声を上げた。

「そこに天龍の魂もいた?」

「さあ。分からないけど、いたかもしれないけど、たぶんいない」

 フーニャンが言えば、カナヘビが「そうか」と妙に納得した比轍の声を伝えてくる。

「地龍同士だ」

 比轍の言葉に熊震が「あ」と顔をしかめた。

「他の地龍が持つ心臓を食らうから、力が強くなるのか」

 熊震はがっかりした様子で肩を落とす。

「狐狸仙の修行というものに夢を見るなということか」

 芦楓が「なんの話だ」と熊震とカナヘビを交互に見て訊く。

「私にも分からん」

 蘇透が芦楓の疑問に同調した。

「おとぎ話には裏がある、という話です」

 比轍が淡々と蘇透に言う言葉をカナヘビが繰り返す。

「炎では天龍が天龍を食らい、蘇では地龍が地龍を食らう、なんだかなあ……」

 カナヘビ越しに比轍が呆れた。

「まあ、とりあえず、潰されたということであればそのカナヘビは庭にでも埋めてくれれば消えますから」

 熊震は潰されたカナヘビを生き返らせようとはしなかった。


 *** *** *** *** ***


 芦諷は自分の家に戻ってから、手に付いたカナヘビの血を拭った手巾はんかちを桶に汲んだ水に浸した。

 本家筋で本家の母屋に部屋を与えられていた芦楓と違い、芦諷は親戚筋の邸のはなれにひとりで住んでいた。

 親族の集まりに呼ばれれば行くが、それ以上に本家の邸に出入りすることはなかった。

 庭には小さな菜園と鳥小屋を作って、野菜と卵ぐらいは庭で自分で収穫する。

 それが芦諷の、小さな天国だった。


「カナヘビ、おまえはどこから来た」


 芦諷は水に浮かべた布から滲みだすカナヘビの血を指に絡めとる。

 赤い血に、緑を帯びた金が混じった光がきらめいた。

 ふっと芦諷は息を飲む。


「地龍……」


 芦諷は眉根を寄せた。

(地龍の眷属? 一族で天牢に投獄されていたときに、地龍王の公子が現れたという話は聞いたが、地龍どもは比一族の末子を取り込むつもりか?)

 目を眇め、芦諷は手巾はんかちごと桶の水を庭に捨てた。


「カナヘビ」


 芦諷が「比轍から肉をもらうタカとオオカミ」を見たのは、その数日後のことだった。

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