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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
74/106

龍と妖狐と魔法の小刀(13)悪霊を払うまじない/芦諷

 襤褸ぼろ屋。

 芦楓ろふう比轍ひてつが用意した家を改めて眺めまわす。

 庭がある。

 井戸もある。

 だが苹州へいしゅうで王宮の混乱に巻き込まれて市井しせいに下りたときも、こう襤褸い家には住まずに済んでいた。

 フーニャンが言うには、それはずいぶんと「恵まれた生活」だったらしい。

 この家の井戸では常に冷たくて、そして衛生的で透明度の高い水が尽きることなく湧いているが、それは非常に珍しいことなのだという。

 五穀が尽きないのは友人がなにかしたからだろうが、井戸水が尽きないことに何の不思議があるのか、芦楓には理解できなかった。

(ただの水じゃないか。井戸に水があることのなにが珍しい)

 首を振り、芦楓は息をつく。

 フーニャンは芦楓の前に白飯と、それに肉と野菜の煮物を出して、自分の前には鶏の骨付き肉を広げた。

 芦楓はちらりとフーニャンの骨付き肉を見る。

「フーニャン、私もそれがいい」

「野菜も食べなさいよ。せっかく煮たんだから」

「食べるが、それも欲しい」

 芦楓の言葉にフーニャンが小さく笑い、骨付き肉を芦楓の前に差し出した。

「お肉は人生の大事な愉しみのひとつだから、しっかり噛みしめて食べてね」

「フーニャンは骨付き肉ひとつで人生ちょっと楽しめるのか?」

 フーニャンは芦楓を見て顔をしかめる。

「鶏一羽を捕まえるのも大変だってことを知らないからそんなことを言えるのよ」

「たかが鶏一羽だ」

 芦楓は言い放った。

「そのたかが鶏一羽のためにどれだけのキツネが日々恐怖に挑んでいると思うの」

 フーニャンは芦楓の鶏肉を取り上げる。

 熊震ゆうしんは買って来た自分の食事を広げながら、芦楓とフーニャンのやり取りを眺めていた。

 熊震の食事は、簡素なチャーハンだった。

 ただし豚肉入りの。

 フーニャンはちらりと熊震のチャーハンを見る。

「それも美味しそう」

「美味しい」

 熊震は頷いた。

「アヘンが流入してきたのは戦後。戦乱期には、先の頴州公が自分の後ろ盾である炎国からわざわざアヘンを流入させるということはない、というところまでは分かった。それから、小刀はそのアヘンに対してなんらか有効な力を持つかもしれないというところは、その男で試す、と」

 芦楓は鶏肉を齧りながら、椅子に縛り付けられた男に目を向けた。

 男は、アヘン窟と化した芝居小屋から熊震とフーニャンによって襤褸屋に連れて来られた憐れな一般人だった。

 天龍に地龍に妖狐、という、まったく人間がいないところで、その男だけが純粋な人間である。

 男は芦楓が齧っている鶏肉に、フーニャンが手にしている白飯、それに熊震が広げたチャーハンを見て辛そうに目を動かす。

「肉……」

 芦楓は男から鶏肉を遠ざける。

「私がもらったんだ」

 フーニャンが芦楓をちらりと見て「お菓子もらった子供じゃないんだから」と呆れ、熊震はチャーハンを小皿に取り分けて、男が縛り付けられた椅子の前に自分の椅子を動かした。

「これからおまえの毒抜きをするからな。チャーハンぐらい食わせてやろう」

 男は熊震を見て目を輝かせる。

 熊震は目を細めて眉を八の字に歪め、芦楓を振り返った。

「芦の旦那も鶏肉の半分ぐらい、憐れなこの男に食わせてやりなさいよ」

「私がケチみたいじゃないか」

 芦楓が不貞腐れ、フーニャンが笑う。


 *** *** *** *** ***


 男のアヘンを取り除く。

 ジーナ・アッバーフなんとか

 三人は男を寝台に寝かせ、熊震が比轍とタジャンの会話から聞いた言葉を紡ぐ。

「悪霊を祓え、戦神ラーフマナの爪」

 熊震に目を向けたのはフーニャンだった。

「戦神垃夫馬納(ラフマナ)?」

「アーケリで信仰対象になっている戦神のひとりだ。たぶん、この小刀に力を貸しているのがそのラーフマナなのだろう」

 熊震は小さくフーニャンと芦楓に説明する。

 アヘン患者を寝かした寝台に置かれた小刀が、カタカタと小刻みに揺れて光を放つ。

 アヘン患者の男からは、ゆらゆらと赤いもやが浮かび上がり、小刀から放たれた光で霧散する。靄は最初こそ光を避けているように見えたが、そのうちに光に捕まったというほうがよいかもしれない。

 一部の靄は芦楓と熊震に向かっていたが、それもまた小刀から放たれた光に消された。

 その状態をじっと見ていたフーニャンは、自分のなかで湯玉哨とうぎょくしょうが囁くのを聞いた。

(いまの赤い靄を見た?)

 フーニャンは目を眇める。


 赤い靄。


(いまの靄、動いてた?)


「……今の靄には意思があるように見えた」

 フーニャンの言葉に芦楓と熊震は顔を見合わせた。

「靄に意思」

「一部は、芦楓様に向かってた」

 熊震は芦楓をちらりと見て、芦楓の肩を叩く。

「明日は一緒に芝居小屋に行こうか。もし、あの毒が芦楓殿を狙っているなら、芝居小屋で人から引き剥がせるかもしれない」

 フーニャンはその熊震を見る。

「靄が、人よりも龍、三心よりも四心、四心よりも五心を狙っているとしたら?」

 芦楓と熊震はフーニャンに目を向けた。

 三心よりも四心、四心よりも五心。

 芦楓と熊震は眉をひそめる。

「アヘンの毒に意思がある?」

「可能性の話よ? 小刀を動かすのがラフマナの力だとして、ラフマナに、悪霊を祓えと命じる言葉が必要なら、そのラフマナがアヘンの毒を悪霊だと認識して攻撃して消したということはない?」

 フーニャンは芦楓を見る。

「もしあの毒が、人より龍を選ぶし、龍は龍でも三心より四心、四心より五心を選ぶとしたら、五心がふたりいるこの場でなら私は一番安全なのではない?」

 芦楓はフーニャンに目を眇めて見せたが、熊震はフーニャンに頷いた。

「次にひとり連れてきたときには、まず私と熊震様だけでやってみないと。芦楓様がアヘンにまとわりつかれるのは避けたいもの」

 フーニャンにそう言われながら、熊震はこれまでに聞いた音や声を思い出す。


 熊震が思い起こしたのは、エニシャのジャファールがヴェスタブールでアヘンを盛られたときの様子だった。

 あのときに、ジャファール王はヴェスタブールの少女の声でなんと言ったか。


 毒を体から追い出せたら


 小刀はアーケリの物だと比轍に小刀を渡した骨董屋は言った。

 アーケリには、毒を切り離して祓う術を見つけた者がいた。

 熊震は、そこまで考えて顔をしかめた。

 ジャファール王を殺した。

 三心より四心、四心より五心――ジャファール王は、六心。


 熊震はフーニャンを見て目を見開いた。

玉哨ぎょくしょう、もしや芦楓殿越しに比轍殿や王に影響する可能性があると考えている?」

 フーニャンは熊震を振り返る。

「可能性がないとは言わないでしょう?」

 熊震は頷いた。

「ないどころか、大いにある」

「そういうこと」

 フーニャンは芦楓に目を向けた。

「比轍様と話をしていた蛇やカナヘビは? まだ話ができる?」

 芦楓はフーニャンの問いを聞いてあたりを見回す。

「熊震殿」

「まだ切り離してない」

 芦楓はカナヘビを探した。

「いた!」

 カナヘビを見つけた芦楓は、掌に小さなカナヘビを掬いあげるように乗せて机に置く。

「比轍殿」

 熊震は自分の眷属であるカナヘビに声をかけた。


 *** *** *** *** ***


 瀾州らんしゅう王府の一角。

 比轍は熊震の声で喋るカナヘビを膝に乗せて正座していた。

 向かいには蘇透と、芦氏から新しく来た「学友」が座っている。

芦諷ろふうと申します」

 比轍はその芦諷から目を逸らした。

 芦諷という新しく来た男は、見目も芦楓とよく似ている。

(親友と同じ見た目で、へんだけが違う同じ名前)

 比轍は室内に置かれた机にカナヘビを置き、淹れ慣れた桑州産の茶葉を入れた壺を手に取った。

「桑州のお茶を飲んだことはおありですか? 芦諷殿」

 比轍の言葉に、芦諷は小さく「いいえ」と答えて首を振る。

「淹れましょうか」

「けっこうです」

 芦諷は自分の手を少し動かして比轍の手を止めた。

「比轍様には、楓との記憶をなかったことにしていただきたい」

 自分と蘇透のぶんのお茶を淹れようとした比轍は芦諷の言葉に動きを止める。

頴州えいしゅう……旧頴州領はどうせ近く廃止されて消される。そのときには阿楓も消えるのですから、あなたが阿楓のことを覚えている必要はありません」

 比轍は芦諷を見ることなく、桑州のお茶を淹れる手をまた動かし始めた。

 芦諷は言葉を止めなかった。

「比轍様、阿楓のことを一切合切ひとつ残らず忘れるのがあなたのためです」

 蘇透は芦諷の隣で比轍の表情を見、それから息をついて「厠に」と言ってすいと立ち上がる。

「芦諷殿、阿轍をこの建物から出さないように見張っておいていただけるように、お願いいたします」

 蘇透の言葉に芦諷は「はい」と頷いた。

「大丈夫です、私の能力は条縛じょうばくです」

 芦諷が蘇透に言い、蘇透は小さく顔をしかめる。

「条縛は、法のなかにいる者の行動を縛る、簡単に申し上げるなら空間から動けないように束縛する術です」

 比轍は芦諷に目を向けた。

「空間から動けないようにですか?」

「私が条縛の法であなたを縛ると決めたからには、あなたが立ち寄ってもよいと私が判断した場所にしか、あなたは出入りできないということです」

 蘇透は芦諷の笑みに目を眇める。

「そんな都合のいい術があるか」

「あるんですよ」

 芦諷は断言した。

「条縛は、六心相手にしか使えない特別な術ですが、その六心に属する五心以下の龍や人や獣のすべてを相手に効力を持ちます」

 芦諷は比轍を見て笑みを浮かべる。

「よろしいでしょうか? 私は、一族のなかで現在の比轍様に一番必要な相手として選ばれてここに来ております」

 芦諷は机にいた熊震のカナヘビを叩き潰した。

「あなたの横にいる、得体えたいの知れない者を潰すのも、私の役目です」

 蘇透は立ち尽くしたまま芦諷の手で潰されたカナヘビを見つめ、眉根を寄せる。

 弟にどのような言葉をかければよいか、蘇透には分からなかった。

(普通、寵物ペットにしているカナヘビ一匹、「得体が知れない」と叩き潰すか?)

 芦諷は比轍の前で、熊震の眷属として作られたカナヘビから手を放し、その潰れた小さなカナヘビを床に払い捨て、自分の手に付いた血を着物の身頃みごろで拭う。

 比轍はじっとそれを眺める。

 蘇透はいたたまれない空気に小さく首を振って比轍と芦諷に背を向けた。

「厠に」

「はい」

 比轍は頷く。

 蘇透はちらりと弟を見てから部屋を出ようとしたところで、背中に芦諷の声を聞いた。

「いいですよね、王族は」

 芦諷は蘇透を振り返ることなく、比轍を見ることもなく薄く笑う。

「たとえ五心に生まれても、比氏の末子が弟だというただそれだけで、私や将軍家の術者が「自分こそが六心の護身にふさわしい」とどれほど声を大にして訴えても手に入らない地位が手に入るのですから」

 それが自分に向けられた言葉だということは、蘇透にはよくわかった。

「芦諷殿、兄は私の護衛ではなく、瀾州王が私に付けた見張りです。兄は、私の兄だからということではなく、私の見張りとしてふさわしいと瀾州王が判断したから私を見張っている、それだけのことです」

 芦諷が身を乗り出して比轍を見た。

「あなたの兄上は、あなたの横に張り付いた虫にも気付かない程度の見張りです」

 ふ、と芦諷は比轍の顔を覗き込んだままで蘇透を嗤った。

「現に、カナヘビの本体が「外」にいることにも気付かなかった」

 比轍は芦諷を睨んで潰されたカナヘビの血の跡を撫でる。

「……おっしゃりたいことが分かりません。兄は私が飼っているカナヘビを見たことがなかっただけのことです」

 芦諷は笑みを浮かべたままで「さようですか」と蘇透にも聞こえるように声を上げた。

「あなたのカナヘビはただの愛玩動物ではないでしょう? あの心臓は誰かに縛られていた。私は、私が認めた者以外の誰かに縛られた生き物をあなたの傍には近付けない」

 蘇透は芦諷の言葉にゾッとして、比轍を振り返って目を向けた。

「厠へどうぞ、兄上」

 比轍は蘇透に向かって手で「外へ」と示して芦諷に視線を戻すと、芦諷に向けて笑みを浮かべて見せる。

「芦諷殿、王か王弟のどなたかに推挙する手紙を一筆したためましょうか? ご自分が六心を守るのに適しているのであれば、王宮や王府の六心を守るほうがきっと楽しいでしょう? 私には透兄上だけで十分です」

「そうでしょう、ええ、そうでしょう。なにしろ兄上殿はお優しい。カナヘビだろうと小鳥だろうと、あなたが寂しがるなら手元に置くことを許すでしょうから、私より兄上殿に見張られているほうが、あなたは楽なはずです」

 芦諷に言われて比轍は目を細めた。

 その芦諷は比轍と視線を交わしてから眉を小さく動かす。

「比轍殿、私はあなたが嫌いです。あなたには比氏六心の自覚が大変に乏しい。阿楓があなたをそのようにしたと思えば、阿楓はあなたにとって間違いなく毒でした。阿楓については、旧頴州領を処分するときに同時に処分するのが妥当です」

 比轍は芦諷の前でぐっと拳を握りしめた。

「あなたは、同じ芦氏の出身だというのにずいぶんと阿楓を悪しざまにおっしゃる」

「私はあなたを嫌う以上に阿楓が嫌いです。あれは、一族のなかでとりわけ目立つ能力があるわけでもないのに、年が近いというだけであなたの学友に選ばれた男です」

 芦諷は比轍が握りしめている手に自分の手を重ねて、ふっと笑う。

「阿楓が得意にしている術がどんなものかご存じですか?」

「……法の家で育った者ですから、阿楓は間違いなく法を知り尽くし、法の扱いを心得ているはずです」

 比轍の言葉に芦諷は「間違い」と鼻を鳴らした。

「あれが使うのは法術を使った隠形です」

 芦諷の手から自分の手を引いて、比轍は目を伏せる。

「それもあなたの術と同じように六心相手にしか使えない術ですか?」

「そうですよ。ですからあなたの配下に属さない相手から、あなたの姿を隠す、阿楓にはそれだけしかできない」

 比轍は口元を引き結んだ。

 潰されたカナヘビが熊震の声を伝えることはなかった。

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