龍と妖狐と魔法の小刀(12)湯玉哨
地公廟の儀典官に様々なことを訊かれ、フーニャンは都度適当に答える。
「特技は変化とネズミ捕り」
儀典官はフーニャンの説明に「変化とネズミ捕り……」と淡々と繰り返した。
「熊公子から、螺珠様が飢え死にしないよう、獣や木の実を探してくれていたと聞いた」
「熊公子? ああ、クマさんね」
フーニャンは儀典官に頷いた。
「木の実をあげたあの子の名前は知らなかったけど、たぶんそれが螺珠様だと思う」
儀典官は資料の下読み役に命じて名簿を探させる。
下読み役はニ、三人で資料を探していたが、そのうちにひとりが「ああ」と小さく声を上げた。
「これではないでしょうか。九十年前に螺珠様の護衛として頴州に転生している子供がおります」
「護衛?」
儀典官は下読み役を振り返った。
「四心地龍、湯氏の出身ですから、熊氏配下の将軍家の娘です」
フーニャンは儀典官の前に勢いよく身を乗り出す。
「つまり私はなに? ただのキツネ? 芝居小屋の役者?」
「いいや、地龍で間違いない。地龍としての名は湯玉哨だ」
儀典官は言い返し、フーニャンは顔をしかめた。
「私に名前があったの? 自分で名乗ってるこの胡娘でない名前が?」
「ある」
フーニャンは小さく手を振る。
「キツネとなんの関係もなさそうな名前なんだけど」
「キツネとなんの関係ない」
「熊震はクマさんでしょう? キツネなら胡、じゃないの?」
儀典官が首を振る。
「熊公子の一族は、熊氏だからクマというわけではない。人間としての名前は段季といって苹州人の有力氏族である段氏の公子だ」
「……あのクマは人間なの?」
「姓が熊だと、クマなのかとからかわれることが多い」
フーニャンは頭を押さえたが、その手を取って儀典官は自分の手を重ねた。
「目を閉じて」
そう言われたフーニャンは、地公廟のなかに作られた泉に放り込まれて「ふざけんじゃない!」と泡を吹きながら怒鳴った。
*** *** *** *** ***
フーニャンは目を開いて、目の前に見慣れない天井が広がっているのを見た。
(初めて見る天井だ……)
体を起こして周りを見回すフーニャンの耳に、聞き馴染んだような知らないような声が飛び込んでくる。
「玉哨! いつまで寝てるつもりだ!」
怒鳴り声に驚いて飛び起き、フーニャンは鏡を覗き込んだ。
(うわあ! 誰これ! これが玉哨?)
黒髪を頭上で束ねた娘は、日焼けした顔に少しそばかすがある。
(目が緑だ)
部屋の戸が開いて男が顔を覗かせた。
「朝の稽古をサボる気かと親父殿が苛立ってるぞ!」
フーニャンは男を見つめてから「誰?」と眉間に皺を寄せる。
「誰じゃない、兄の顔を見忘れたか」
「兄? 私は兄なんて知らないけど」
男はしばらくフーニャンを見つめ、それから手をポンと打った。
「魂帰りか!」
「え?」
男は呆気に取られるフーニャンに背を向けて、窓から外に向かって叫ぶ。
「父上! 玉哨に魂帰りが起きているから玉哨は今日の朝稽古なしにしておいて!」
フーニャンは首を捻った。
(里帰り?)
窓から外に向かって叫んだ男はフーニャンが寝ていた寝台の前に椅子を持ってきて座り込む。
「ここは蘇地公領の常郡だ。常郡は東蘇を転生先に選んだ過去の地公が統治している郡のなかでは八番目。八代東蘇地公の領地で、うちは王都の将軍家の下で郡の守護を担っている湯という家。私は湯賢という、湯玉哨にとっては二番目の兄だ」
フーニャンは湯賢に向かって「そうですか」と頷くだけ頷いた。
「蘇の、州は?」
湯賢に問われてフーニャンは「ああ」と小さく戸惑いながら答えを探す。
「頴州、西婁郡」
フーニャンの答えに湯賢は頷いた。
「名前は?」
「あ、いや、ええと、胡」
「胡?」
「人に名乗ったり芝居小屋で書いたりしていたときは、胡娘とだけ書いた」
フーニャンは湯賢の前で指を動かす。
「キツネで、親からもらった名前は特になかったのよ」
湯賢は「キツネか」と笑顔を浮かべる。
「私はフクロウだ。夜目が利く」
フーニャンは思わず天井を見上げた。
「キツネの兄がフクロウ?」
「ははは! 地龍の家ではよくあることだ。特に武門や軍閥の子弟はだいたい、猛禽類、雑食獣、肉食獣を転生先に選ぶ」
湯賢の言葉にフーニャンは呆れた。
「そういうもんなの?」
「そういうもんだ。四心地龍は転生先の獣が持つ視力や聴力を自分のなかに取り込んで弱点を補ったり強みを増やして行かないと、五心の将軍家に追いついて行かれない」
あっけらかんとした湯賢の言葉を聞いて、フーニャンは安心した。
「さっきの魂帰りというのはなに?」
「魂帰りというのは、転生前の子供に転生後の意識が入り込んでくること。これもうちではよくある。他の家ではどうだか知らないが、うちではよくあることだから、勝手に魂帰りと呼んでいる。魂帰りで聞いた転生先を記録しておいて、転生の儀式で行き先を決めるんだ」
湯賢に説明されて、フーニャンは「へえ」と脱力した。
「それじゃ、そんな習慣があってこれから転生先を選ぶ私は頴州のキツネになったっていうわけ? それを知ってたらもっと違うことを言ったわよ」
フーニャンの後悔を聞いて、湯賢が「あっはっは!」と笑う。
「そう思うよな? 私もそう思ったことがある。でも経験したことや友人たちのことを考えると、結局同じ行き先を選ぶんだよ。バカだなあと思われるかもしれないが、私はフクロウという転生先を選んで、フクロウとして生き延びた先で恩師ができた。だから次にまた機会がもらえるとしたらやっぱり同じフクロウを選ぶと思うよ」
湯賢の話を聞いて、フーニャンは「そっか」と頷いた。
「私が胡娘の人生を選ばなかったらお姫様とは会えなかったし、史姐姐とも会わなかった。頴州に生まれていなければと思ったけれど、やっぱり同じ転生先を選ぶかも」
フーニャンの独り言に、湯賢が頷く。
「だから記録しておいてその転生先を選ぶんだ」
湯賢の言葉にフーニャンは笑った。
湯玉哨の家は、両親と兄が三人、妹がひとりという五人兄弟、それに親戚や従兄弟たちや軍の部下、とずいぶん賑やかだった。
「それで玉哨、頴州はどんなところだった? 美味しい物は?」
「ネズミとどんぐり」
「ネズミは美味しいだろうが、そうではなく」
「どんぐりだって美味しい」
だいたい獣生活を送ってきた親族たちは、熊震のようにネズミに嫌な顔をせず、フーニャンの「ネズミは食べる物として妥当だし美味しい」という評価に同意してくれた。
「ずっと戦乱続きだったから、頴州から柳州に出て芝居小屋で役者をやっていました」
湯玉哨の親族と話をしながら、今は頴州に戻って熊震に地公廟に連れて来られたというところまで来て親族たちの目が一斉に見開かれたのを見た。
「熊五公子と一緒に地公廟に来たのか?」
「クマさんが、地龍のはずだから聞きに行こうって言うからよ。それに森で会った女の子が公主様かもしれないって言うのだもの」
フーニャンは湯玉哨の親族にそう答えて肩を竦める。
湯玉哨の父が天を仰いだ。
「この湯家から公主の護衛が出るかもしれない」
「熊五公子と行動を共にするなら、玉哨の鍛錬内容を見直さねば」
「五公子は斥候隊の首領のはずだな」
親族たちはフーニャンにはよく分からない話をしてから、フーニャンを安心させるかのように笑顔を見せた。
「胡娘殿、よく話してくださった。これから玉哨が転生先を選ぶまでの間に、今、お嬢さんが必要としているであろう技能をしっかりと教えておこう。技官が玉哨の記憶を呼び起こしたときに、きっと役に立つ」
フーニャンは困ったように笑い返す。
「ありがとうございます」
そう礼を言ったところで、フーニャンは意識が遠のくのを感じて目を閉じた。
暗い意識の底で、フーニャンはもうひとりの「自分」である湯玉哨の姿を見た。
「あなたが私を選んだ」
フーニャンは玉哨に言う。
「あなたが私に、あなたを選ばせた」
玉哨がフーニャンに返す。
「私は、何度でも小さなお姫様を助ける」
「私は何度でも、その生を選ぶ」
フーニャンと玉哨は顔を見合わせ、頷きあって手を重ねる。
フーニャンは玉哨の記憶の奔流に身を委ねた。
目を開いたフーニャンは熊震を見る。
「自分が誰かわかったか?」
熊震に訊かれてフーニャンは笑いながら頷く。
「分かりましたよ、熊五公子」
「や、呼び方がクマさんじゃなくなった」
フーニャンは笑う熊震を睨んだ。
「常郡の湯玉哨」
「湯家の玉哨?」
フーニャンは熊震を見て機嫌よく笑い、熊震は嘆息する。
「なんだ、フーニャンはうちの斥候隊にいたのか」
「そういうふうに、湯家で手配されていたからよ」
どこか釈然としない様子の熊震を見てから偉そうに言い、フーニャンは息をついた。
「私は熊家の斥候隊で使う技術を全部持ってる」
「ありがたい」
「終わったら公主様の護衛で王宮に入ろうかしら?」
熊震は驚いたように、からかうようにわざとらしく目を見開く。
「まあ、螺珠様に同性の護衛をつけられるのは喜ばしいことかもしれない」
「今まで、護衛がいなかったのが問題なんじゃなくて?」
フーニャンは呆れ、それからおもむろに小刀を懐から取り出した。
「普通の匕首なら使えると思うのだけど、これはきっと使い方が違うでしょうね?」
熊震は小刀を見る。
「この間は光ったよな」
フーニャンは重々しく「光った」と頷いた。
*** *** *** *** ***
フーニャンと熊震が襤褸屋に戻ったとき、芦楓は軽度のアヘン患者を前に事情聴取の結果を記録していた。
「参ったよ」
芦楓は手元の帳面から目を放すことなく、フーニャンと熊震に愚痴をこぼす。
「アヘンを最初に手に入れたのはどこかと訊いてみたんだが、なんとも要領を得ない。ただ、戦乱期ではなかったと言うんだ」
フーニャンは芦楓の言葉に「そりゃそうでしょうよ」と冷ややかに返した。
「なんで」
「戦乱期にアヘンを売ったってなんの得にもならないもの」
芦楓はフーニャンを見て顔をしかめる。
「そうとも限らないだろう」
「アヘンは人をダメにするんだから、戦乱期にそんなもの売ったらお上に目を付けられるでしょうが」
フーニャンの言い分に、熊震が目を細めた。
「私なら、敵をダメにするために、敵の陣中にばら撒く」
熊震がそう言うと、フーニャンが熊震を振り返って嫌そうな表情を作る。
「そう直截に言うとえげつない」
「おう」
「あんたが私の前世の上司だなんて知りたくなかったわ」
芦楓はフーニャンを見てから熊震を見て「ん?」と首を傾げた。
「上司?」
「そうなんですって。このえげつないのが上司だなんて知らない方が幸せだったって思っちゃう」
熊震がフーニャンを睨む。
「フーニャン、私が、私なら敵をダメにするために敵の陣中にばら撒くと言ったのを聞いていたか?」
芦楓が熊震に向かって目を細めて見せた。
「ああ、なるほど?」
「ね?」
男ふたりが視線を交わすのを見てから、フーニャンは「ちぇ」と舌打ちする。
「なにが、なるほど、ね? だって?」
愚痴をこぼしたフーニャンに、芦楓が「先の頴州公の出身は」と説明のために言葉をかけた。
「先の頴州公がなに?」
フーニャンは眉間に皺を寄せる。
「炎の血を引いているんだ。熊震が自分なら敵の戦力を削ぐためにアヘンを敵の陣中にばら撒くと言うなら、逆に考えないと」
芦楓に言われてフーニャンは「ああ」と頷いた。
「そういうことか。炎の血を引く州公がアヘンを自分の国でばら撒くことはない、だからアヘンは戦乱期に入ってきたとは考えにくい」
熊震は「そう」と肯定する。
フーニャンは芦楓と熊震をちらちらと見てから息をついた。
「理由はどうでもいいけど、アヘンが戦乱期に入って来るわけがないっていうことには納得してもらえた?」
芦楓は「理由が違えば大きく違う」と言ったが、熊震は芦楓に首を振って見せた。
「戦には金がかかる。徴税額を増やしたいような時期にアヘンなんぞに金を使われたら金が外に流れ出すだけでしかない。それにアヘンで人がダメになれば徴兵もままならない事態になる。フーニャンが言うように戦乱期にアヘンを売ったところでなんの得にもならない。州が弱体化するだけだ。私はフーニャンが「なんの得にもならない」と言った背景を細かく言ったに過ぎない」
熊震の説明を聞いてフーニャンは「ほらね」と得意げに芦楓の前で胸を張る。
芦楓は俯いた。
「戦乱期に入ったものでないなら、敗戦後、苹州と併合してから旧頴州領に入ってきたということなのか? なぜだ?」
フーニャンはその芦楓を冷ややかに眺める。
(自分が州宰相として旧頴州にアヘンを呼びこんだっていう自覚はないわけだ。理想主義のお坊ちゃんにとっては貴賤を問わず趣味を問わず種族を問わずっていうのは妙案だったんでしょうけど、法律ばかり急ぎ過ぎて、民衆からしたら敗者をさらに惨めにするだけの愚策だった)
熊震は黙り込んでいるフーニャンの瞳孔がギュッと縮まっているのを見た。
*** *** *** *** ***
蘇透は王宮で弟である比轍の動向をひとつひとつ脳裏に刻みつける。
比轍の動向ひとつひとつを脳裏に刻みつけながら、蘇透は少々複雑な気分を味わう。
(親の片方は同じ瀾州王だというのに、私は瀾州王の麾下で普段なら大殿に近寄ることもできない。それなのに阿轍は大殿どころか奥の宮にまで赴くことができる。私たち瀾州王家の兄弟とて蘇氏を名乗ることができる立場だというのに、扱いが違いすぎる)
その蘇透の思いは知らず、比轍は王宮で王の宮に呼ばれて足を向ける。
蘇透は比轍の後ろに控えて息をついた。
「王にはご機嫌よろしゅう」
頓首した比轍の言葉に貞俊が「気楽に」と声をかける。
比轍の後ろで同じように頓首してから顔をあげた蘇透に、貞俊は目を細めた。
「阿透、久しいな」
貞俊の言葉に蘇透は目に笑みを作って見せる。
「一殿下には即位ご慶賀申し上げます」
恭しく言葉をかけた蘇透に、貞俊が苦笑して首を振る。
「慶賀というほどのこともない。血塗れの玉座だ」
貞俊の横にはカヴェイネンが控えていて、蘇透は思わずその赤味のある肌に白髪の見慣れない武人を見つめてしまった。
「そうだ阿透。この男はカヴィニンという。ヴェスタブールの出身で私の腹心なんだ」
蘇透は貞俊の紹介に頷き、畏まってカヴェイネンに挨拶をした。
「蘇透と申します」
「カヴェイネン・ダウ・ヴェルデンデルです」
比轍がちらりと貞俊を見る。
「カヴェイネン殿はずいぶんと長いお名前だったのですね」
「そんなこともない。ダウは騎士の称号を持つ者を示す、ヴェルデンデルは春の萌黄燃え盛る地を意味する、カヴェイネンの領地の名だ。ヴェルデンデルの領主、騎士カヴェイネン、と名乗っているに過ぎない」
貞俊の説明を聞いて比轍は「ヴェルデンデルの領主、騎士」と繰り返した。
蘇透は息をつく。
(王の近侍は西辺大陸に領地を持っている、とな)
瀾州王の精鋭兵を率いているが、蘇透にはそれ以上の地位も領地もない。
比轍が貞俊と蘇透を交互に見てから貞俊に体を向け直す。
「王」
小さく声をかけた比轍に、貞俊は「ああ」と声を上げてから比轍を見た。
「同じ六心だ、王の宮で畏まる必要はない」
比轍は「そうは参りません」とやんわり断ったが、蘇透はその断りを上の空で聞いた。
ただ、耳に繰り返し貞俊の言葉が響く。
同じ六心だ
蘇透は平静を装いつつ、自分の体が硬くなるのを感じた。
(轍が六心)
貞俊と比轍の会話が遠くで交わされる。
(鴻氏は蘇氏を名乗れなくなって三代が経つ五心。他の側室も、五心貴族から輿入れしてきた。片や、比氏には六心が生まれることがあるという噂は五心貴族なら誰もが知っている。しかし本当に轍が六心なのか? 轍が六心なら瀾州王との縁談を受け入れた比河も六心のはず)
蘇透は脳内を駆け巡る思案に気を取られた。
(もし本当に轍が六心だというなら、私と轍では、王にとって当然、私と轍は「同じ従兄弟」ではないし、轍の伴侶が皇子であることには意味があったということだ。それに比氏には六心が生まれるという噂はただの噂ではなかった。轍がいるから瀾州王府に与えられる俸禄が高いという逸兄の話は、轍が六心で、王府の守りを他の王府よりも厳重にしておく必要があるからか? 他の王府に精鋭兵一旅を持つことが許されないのに、瀾州王府が精鋭兵一旅を持つことを許されている理由もそれか? そんなことは考えたこともなかった)
蘇透は比轍が貞俊と談笑しているのを、暗い気持ちで見つめるしかなかった。




