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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
72/106

龍と妖狐と魔法の小刀(11)瀾州王府の父と兄たち

 頴州えいしゅうの地公廟で、フーニャンは熊震が手続きを済ませるのを待つ。

 地公廟とは言っても、柳州のきれいに掃除され磨き上げられた地公廟とは違い、頴州の地公廟は戦乱でだいぶ放置されていたのだろうと分かる程度には荒れていて、なんとも言えない不気味さが漂っていた。

 フーニャンがゾッとしたように肩を震わせている間に、奥から儀典官が顔を覗かせて熊震ゆうしんを迎え出た。

「熊公子、ご無沙汰しております」

「一族の特定をお願いしたい。胡娘という元はキツネの女性で、狐狸仙になる程度にはしっかりとした力がある。過去には螺珠らしゅ様と親交があったらしい」

 儀典官が熊震の言葉に目を見開く。

「螺珠様と?」

「そのあいだに私は孟子おさに会う」

 儀典官はピッと目を上げた。

「熊一族が動く必要のある事態が起きているということでしょうか」

「そうなる可能性があるのではないか、と、比轍殿が疑っている。頴州地公廟が地公の水鏡で繋がっていることも懸念しておいでだ」

 熊震の言葉に儀典官は「さようですか」と頷く。

「比轍様がご懸念の事態がどういうものかは分かりませんが、伎芸天の一族から比轍様の助力として物事の分析や鑑定に長けた技能の持ち主を傍に置いてもらえないかと伝えておきます。熊一族からも公子が信頼できる者を護衛に出してもらえるように、お伝えいただけますか」

 儀典官の言葉に熊震は眉を動かした。

「天龍たちの居城に地龍を送り込むのか?」

「比轍様は臥渓様が眷属になさった技芸天です。地龍の魂も織り込まれていることをお忘れなきよう願います」

 少し間を置いて息をつき、熊震はフンと鼻を鳴らす。

「大きすぎる器というのは恐ろしい。貪欲に、玄の魂魄も地龍の魂魄も取り込んでいく」

「王の影、代王ですから、その気になれば王の鏡として王と同じだけの力を操る方です」

 儀典官は熊震に向かって頭を下げ、フーニャンに目を向けた。

「お嬢さん、こちらへ」

 フーニャンは儀典官の招きに応じて頷いた。


 *** *** *** *** ***


 蘇国王都、柳州。

 人で賑わう街中を二頭立ての馬車が道の石を踏みながら進む。

 四面を壁で覆い屋根を張った車を見れば、誰の目にもそれが貴族の車であると明らかなもので、道行く市中の者たちは、ときにその車に迷惑げな視線を向けながら、それでも車を避けては混み合った人の流れに戻る。


 車の上で、比轍ひてつは目を閉じ、両手で顔を覆うようにしてじっと俯いていた。

 苹州へいしゅうに統合された旧頴州(えいしゅう)領で、ヤンジェングルのケシが横行している。

 いつから横行しているのかは分からないが、芳俊ほうしゅん臥渓がけいも、数年前の戦乱期に頴州でそんなものが横行していた印象はなかったと言った。

 ならば、それは復興が始まってから流入した物に違いない。

 螺珠らしゅもまた、自分の世界からこの世界に戻ったときに人を惑わせるような毒の気配はなかったと言った。


少爺ぼっちゃま


 車が止まり、馭者から声をかけられて比轍は目を開く。

「王府に着きましたよ」

「うん」

 比轍は頷いて、馭者が出した踏み台に足を置いて車を降りる。

 大きな門に「瀾州らんしゅう王府」の扁額が飾られている。

 瀾州は、比轍の母が皇子であった頃に所領にし、貞俊ていしゅんが王に即位してから改めて母の統治に戻された州の名だった。

 王府の者たちが比轍を見て動きを止める。

 少しばかり湿気を含んだ風が邸の木々を揺らし、比轍の頬を撫でて去る。

(足が重い、いや、気が重い)

 比轍はそんなことを思いながら、王府の門の前に立つ。

「少爺」

 門番に声をかけられ、比轍は門番に取り繕ったような笑顔を向けてから、すいと背筋を伸ばした。


 いつの頃までだったか、比轍は自分のことを「無責任な末っ子」だと楽天的に考えていた。

 王都から出てはいけないと言われているのは、比氏が貴族だから目の届く範囲にいろということなのだろうと適当に考えていた。

(王府の王妃ははぎみがいると思うと、その夫のはずの王爺が自分の「母」だと考えるだけで頻繁には来たくない場所だな)


 そんなことを考えながら歩く比轍が一歩足を踏み出すたびに、その足元で、白い玉砂利がザリザリと音を立てる。

 男がひとり、比轍に声をかけた。

「阿轍、久しく遊びに来なかったじゃないか」

「逸兄上、ご無沙汰しております。王府に来いと王府の父上に呼び出されたので参上しました」

 言葉では「王府の父上」と言ったが、比轍にとって王府の父は「別邸に住んでいる母」で、比家で「母上」と呼んでいる正妻とは別に存在している「実母」という、複雑な相手だった。

 比轍に逸兄上と呼ばれた男は、笑いながら比轍の肩を叩いてから比轍の耳元に顔を寄せて囁く。

「父上のところに、比嵩から訴えがあったそうだ」

 比轍は王府の兄にちらりと目を向けた。

「比氏の祖父上じじうえから?」

 逸が比轍に頷いて見せる。

「勝手に炎国に出たと聞いた」

 比轍は「勝手ではありません」と逸に見せるように首を竦める。

泰俊たいしゅん殿下が道を繋いでくださったので随行しました」

 逸は比轍の返答に顔をしかめた。

苹州へいしゅうから帰ってきたと思ったら今度は炎国。苹州には芳俊殿下の許可があり、炎国行きには泰俊殿下の許可があったと聞いて、皇子たちの教育が蔑ろにされた結果だと父上がお怒りで困る」

 比轍は逸に気まずそうな視線を向ける。

「殿下たちにお怒りなら、私にはもっとお怒りでしょうか」

「当然、お怒りだ。比家からも、おまえの行動を制限してほしいと要望が来ている」

 逸に言われて比轍は玉砂利を踏んで進む足を止め、俯いた。

(調子に乗りすぎた)

 その比轍の気まずさを見て取ったか、逸が比轍の肩を抱き寄せる。

「よいか阿轍、父上も含めて、兄も姉も、おまえの身を案じていることを覚えておけ」

 比轍は逸に言われて苦笑しながら「はい」と頷いて逸と別れた。


 *** *** *** *** ***


 蘇国では王に氏姓はないが、親王位を与えられた王爺は慣習上、自身と子女の二代までは「蘇氏」を名乗り、三代目となる孫からは、ほとんどが土地の名前を姓にしている。

 逸は、王爺である先王の弟を父に持つ二代目で、蘇逸と呼ばれる。


 蘇逸は比轍を父のところに送り届けてから、庭の四阿あずまやに足を向けた。

 四阿では、ぎょうゆうかんという弟――比轍にとっての「王府の兄たち」が蘇逸を待っていた。

「轍はおとなしく縛られてくれそうですか」

 逸にそう訊いたのは、由だった。

 逸は息をつく。

「轍が大人の権威におとなしく縛られてくれるような子供ならば、父上も比氏から引き取るまいよ」

 僥が四阿の真ん中に置かれた机に並ぶ果物を摘まみながら肩を竦める。

「逸兄上がことあるごとに、おまえは庶子だから邸が違うのだとか、比氏の正室に快く思われていないから表に出してもらえないのだとか、適当なことを轍に吹き込んだのがいけなかったのではありませんか?」

 逸は僥を睨みつけて眉間に皺を刻んだ。

「まるで私が轍をいじめていたようではないか」

 環がその逸を嗤う。

「轍を可愛がっておけとおっしゃったのは逸兄上ですからね、逸兄上が轍をいじめるような真似をなさるとは思いませんよ。比氏から王妃が差し出されるわけでもなかったおかげで、王妃ははうえも轍をただの小さな客人として扱っておいでになる」

 今度は僥が環を睨む。

「私の母に対して含むところでもあるのか?」

 環は僥を見た。

「とんでもございません、父上がお亡くなりになったら兄上たちのどなたかが瀾州王府を継いでどこかの州のどこかの郡を領地としていただくことになるでしょう? 私は側室の息子ですから、兄上のどなたかに従うことになります。王妃を当てこすって、兄上たちと轍を比べてもいいことなんてありません。もちろん、王妃がどれほど轍を嫌ってもいまだ三公の一角である比氏と、今は蘇氏を名乗れなくなった鴻氏出身の王妃では比氏のほうが格が上ですから、兄弟の序列で言えば轍のほうが嫡子になってもおかしくはないのは確かですけれど」

 僥は顔をしかめたままで環を見つめる。

「なにが言いたい」

「私は轍よりも僥兄上を重んじておりますよ、ということです」

 環は鼻で嗤い、机に並べられた果物に手を伸ばした。

 逸はじっと、その僥と環を眺める。

 それから由はと見れば、我関せずとばかりに淡々と机上の果物を消費している。

「忘れるな。轍がいるだけで、瀾州王府は他の王府と違う待遇を受けられる。王爺ちちうえが比氏との縁談を受け、公主として轍の母になることを受諾したから他の王府よりも俸禄が高いのだからな。瀾州王府の財は轍がいるだけで倍になる。轍を大切に扱え」

 僥と環はちらりと逸に視線を向けて口角を上げた。

「逸兄上にとって轍は金のなる木ですか」

「轍のご機嫌を取っておくだけで他の王府よりも贅沢に暮らせる、何度も聞きましたよ」

 逸はふたりの弟に笑みを返す。

「轍が王府にいる間は、轍に王宮との往復以外の外出を許すでないぞ」

 僥と環は逸に向かって頷いた。

「心得ております」

 由が桂花酥けいかそに手を伸ばしながら息をつく。

「つくづく、芦家のバカ息子が轍に芝居小屋通いなどという余計な遊びを教えたせいで瀾州王府も比家も迷惑していると、芦家に文句を言いたいものですね」

 ちらりと由を見て「まあな」と肩をすくめたのは僥だった。


 *** *** *** *** ***


 比轍は「母」を眺める。

「最近は私と会うときもずっと「王爺」の姿でおいでですね」

 瀾州王は着物を整えて椅子に座る。

「せっかく州公に返り咲いたのだ、まだ私の威厳は損なわれていないぞと兄弟に示しておかねばならん」

 比轍はその言い分を聞いて「そうですか」と適当に相槌を打った。

「それで、本日はなんのお呼び出しでしょうか」

 瀾州王は末の息子を眺めて目を眇める。

「自分には心当たりはないとでも言うつもりか?」

 比轍は俯いて目を伏せた。

「ございます」

「まずは、数日とはいえ王の書記官を束ねる史公が王都を留守にしたことについて、申し開きを聴く」

 比轍は小さく「王でもあるまいに……」と毒づいて睨まれた。

「轍、史公という役目を軽んじているのか、親への説明を蔑ろにしているのかどちらだ」

「申し上げます。いずれも軽んじるつもりはございません」

 瀾州王は比轍をじっと見つめる。

 比轍は瀾州王の視線に身を竦めた。

「王は」

 言いかけたところで、蘭州王の視線にとがめられて比轍は手を握りしめる。

「轍」

「……はい」

「おまえは先王が史官を皆殺しにしたなかで生き延びたというだけで、史公の約目を暫定的に預かっているだけだが、それでも史公という役目は三公に並ぶ高官であることが分からないわけではなかろう。下級の史官からいきなり史公に抜擢されたのは、王に腹心がいないなかでおまえが目立っていただけに過ぎない」

 比轍は床に手をついて頭を下げた。

「心得ておきます」

「これまで心得ていなかったとでも言うような言葉だな」

 蘭州王の言葉が比轍に突き刺さる。

「申し訳ありません」

 さらに視線を落とした比轍に、瀾州王は息をついた。

「阿轍、顔をお上げ」

「はい」

 比轍が顔を上げると、瀾州王は顔を上げたその比轍の首に、青い光を巻き付ける。

「これは?」

 瀾州王は比轍の額にも青い光で印を付けた。

「王宮と王府の往復以外に寄り道をしたら首が締まる。覚えておけ」

 比轍は母を見て幾度か目を瞬かせる。

「ご冗談でしょう?」

「六心の手で縛られたくびきが冗談だと思うのか?」

 瀾州王に睨まれて比轍は「いいえ」とまた俯いた。

とう!」

 瀾州王が声を張り上げる。

 比轍は目を瞑った。

 透は王府の兄たち数人のなかで、特に武術に長けていることで瀾州王の信頼が他の兄弟よりも篤く、瀾州王麾下(きか)の精鋭兵を率いている。

 部屋の扉が開かれる音がして、比轍は後ろを振り返り、透が姿を見せたのを見た。

「父上」

「轍の送り迎えを任せる。必要だと思ったら更衣だろうと厠だろうと傍に立っておけ、ひとりにするな」

 比轍はちらりと母を見上げる。

「私はそこまで信頼がありませんか?」

「おまえに対する信頼なぞ勝手に炎に出たと聞いて地の底に落ちたわ!」

 瀾州王の怒号に、比轍は思わず目を瞑って首を竦めた。

「透兄上、更衣と厠は逃げ場がありませんからその……」

「私は信じないよ。更衣だろうが厠だろうが見張るからな」

 透は末弟の首根っこをひっ捕まえて転がす。

「おまえは比氏の中でも特に力が強いと聞いている。比氏は空間を扱う。そこが空間である限り、おまえに逃げ場がないということはなかろう」

 比轍は転がされたまま兄を見上げて小刻みに首を振った。

「空間の座標が分からなければ、私にだってなにもできませんよ」

 透の目がちらりと瀾州王を見る。

「座標を特定するのも比氏の技能だ」

 瀾州王の言葉を聞いた透は比轍に目を戻した。

「反論はあるか?」

「ありません」

 諦めた比轍を前にひとつ頷いて、透は比轍を引きずり起こす。

「父上とて好きでおまえの首にくびきを着けるわけではない。これもおまえを守るためだ」

 比轍は瀾州王を振り返った。

 王爺の姿で立つ母の視線に視線を返して、比轍は息を飲む。

 瀾州王が比轍の前に腰をかがめて比轍の顔を覗き込んだ。

「阿轍、芦楓は一族から追放された。おまえを比氏から預かったときに、書簡のやり取りなどはすべて監視の対象にしてくれと芦氏から申し出を受けた。芦氏からは近々新たに別の者がおまえの学友として寄越されてくるから追い出してくれるでないぞ」

 比轍は言葉なく幾度か口を開きかけては閉じ、それから喉を引きつらせた。

「芦楓は……友人です。一族を追放されたかもしれませんが、書簡のやり取りぐらいは許されてもよいでしょうし……学問所を出て久しい今……今さら新たに学友が来ると言われても……」

「国には国の法があり、家には家の規則がある。王府の規則は覚えているであろう」

 母に問われて、比轍は「はい」と頷く。

「芳俊殿にも芦楓には関わらぬよう、旧頴州(えいしゅう)領に立ち入ることもないようにしていただきたいと芦氏からの請願が来ている。芳俊殿下はおまえの助言ならば聞くだろう」

 比轍は目を見開いた。

「芳俊殿には頴州に触れないよう、すでに申し伝えてあります」

「手回しがよいな」

 瀾州王に褒められて比轍は頷く。

「頴州には炎国由来の毒が出回っているかもしれないというので……その……阿楓から連絡があったから近付かぬようにと……」

 言いながら、比轍は自分の声がだんだんと小さくなるのを自覚した。

「轍」

 比轍は言葉を止める。

「はい?」

「おかしいね、私は、頴州では無許可の青楼ふうぞくが乱立しているから他州に影響が出ないように切り離すと聞いているだけで、毒についてはなにも聞いていないぞ」

 瀾州王の言葉に、透が比轍の肩を掴んで引き寄せる。

「知っていることを隠さず言えば、王府の父上も雷は落とさんと思う」

 比轍は「はは」と引きつったように笑って、事の顛末を洗いざらい話した。

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