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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
71/106

龍と妖狐と魔法の小刀(10)毒はいつから

 アヘン窟に比較的近い路地の裏に、黒い影が揺れる。

 影は、路地裏に身を潜めた。

 よく見ればそれはフーニャンと熊震だったが、そこに芦楓はいなかった。

 フーニャンと熊震は、特に鼻をしっかりと覆うように布を当てて頭の後ろで縛って顔を見合わせる。

「まずは、意識がハッキリしている者」

 フーニャンと熊震は小さな声で標的の特徴を決め、周囲を見回した。

 熊震は近くの木に停まっている鳥をちらりと見上げる。


(あの鳥、襤褸ぼろい家からずっと一緒に来ているな)


 フーニャンの肩をそっと叩き、熊震は鳥を示した。

「あの鳥を知っているか?」

 フーニャンはちらりと鳥を見る。

「あのしつこい鳥なら、アヘン窟の見張り番で、芝居小屋を姐姐(ねえさん)から奪った連中の仲間だっていうことだけ知ってる。それ以外には名前も生まれ育ちも興味ない。私の姿が見えなくなったからクマさんを見張ってるのでしょ」

 熊震に言い放って、フーニャンは「ふん」と鼻を鳴らした。

「それでクマさん、アヘン窟の連中に小刀の力を験すの?」

「今日は口説き落として襤褸ぼろ屋に連れ帰れる者を捕まえるだけ」

 フーニャンは熊震の言葉を聞き流すかのように小さく頷いてからアヘン窟と化した芝居小屋を眺め、出入りするアヘン窟の客をひとり、またひとりと数える。

「あぁあ、あれが芝居小屋の客なら、飲むも食べるもしてくれて儲かるんだろうけど、毒の中毒患者だなんて残念……クマさんあの連中を見た? 何人いたと思う? この小半時だけで二十人も入ったまま出てこない。軽く五十人か六十人は芝居小屋のなかにいるんじゃないの?」

 熊震はフーニャンを見て呆れた。

「あの芝居小屋はそんなに広いのか?」

「アヘン窟の元締めどもが地下を広げてたからね」

 フーニャンは熊震に答え、熊震はその答えに顔をしかめる。

「地下?」

「地下」

 頷いて、フーニャンは繰り返して続けた。

「地下。あの場所から地下にアヘン窟の小さな部屋がいくつも作られてるのよ」

 熊震は顔を俯かせて眉間を抑える。

「面倒だが、出入りできるとしたら鼠爺そやの一族か」

 フーニャンは目を見開いた。

「鼠爺? 鼠? あんたネズミを食べないの?」

「フーニャン、あんたは食べるのか?」

「……食べるでしょ? 私や姐姐(ねえさん)はキツネだからね、ネズミは必要なゴハン。麦畑の横に小さな巣を作るネズミは見つけやすくて捕まえるのが楽なの知ってる?」

 熊震は目を瞬かせてフーニャンを見つめる。

「麦畑の横に巣を作るネズミ……」

 聞いたことがある。

 比轍に従わせている眷属越しの会話だ。

「カヤネズミ」

「なんだ、知ってた? クマさんは森から出ないから野のカヤネズミは知らないのじゃないかと思ったのに」

「ナッツが、好物だというカヤネズミを聞き知っている。勇敢な戦士らしい」

 フーニャンは顔をしかめる。

「あのひと口で飲み込めるようなネズミが?」

「生きたまま丸飲みしたらきっと腹の中を刺してくる」

 熊震は会ったこともない小さな勇者を思い出して首を竦めた。

「やだ怖い」

 フーニャンは思わず自分のみぞおちを抑える。

 熊震は小さく笑って言葉を続けた。

「ひとりかふたり、まだアヘンに依存しきっていない、小屋からまともに歩いて出てこられる者に声をかけたら、芦楓の旦那に引き渡す。それが終わったら地公廟であんたの属性を確かめてもらう」

 熊震の言葉にフーニャンは目を細めた。

「地公廟に行くの諦めてないんだね」

「私は地公の兵なんでね」

 笑い、熊震は鼻を鳴らす。

「地公っていうのは、どれだけえらいのかしら」

「当今地公は名を螺珠らしゅ様という。頴州えいしゅう出身だそうだ。枯れて死にそうな木々に再び命を与えて生き物を駆け巡らせる」

 フーニャンは熊震の腕を掴んだ。

「姫様だね?」

「そう」

「生きてるの?」

「……一度は死んだ。頴州公に殺されて、霊魂だけの状態で自分の宮に籠っていたが、新しい器を天公が用意なさったから、今は無事に後宮においでだ」

 フーニャンは熊震の腕を掴む手に力を入れた。

「姫様はいまどうしてる? ひどい目に遭ったりしてない?」

「それは大丈夫だ。私は比轍様越しにしかお会いしたことがないが、王と螺珠様は形式的な婚姻ではあっても気は合うと聞いている」

 熊震に対してフーニャンは目を眇めて見せる。

「そういうことを心配しているんじゃなくて、あのお姫様は木々を蘇らせたりする力の持ち主だから、便利に使われてしまったりしていないかということ」

 フーニャンの心配を聞いて、熊震は小さく笑った。

「頴州公には公主がひどい目に遭わされたと聞く。頴州公は五心だったからな」

「五心? 王族に五心なんている?」

 声を潜めて笑いながら、フーニャンは肩を竦める。

「……どうやらいるんだこれが」

「王は、六心?」

「六心だ。戦が終わったときに田畑や森が芽吹き、育ち、実りを得たのを覚えているだろうか?」

 フーニャンは熊震に向かって首を振った。

「私はそのとき都にいたけど、そんなことがあったの? それは姫様のおかげ?」

「王と螺珠様がふたりでやったそうだ。王は草木を生き返らせ、螺珠様が草木の命を芽吹かせた。天公は器の作り手、地公は命の作り手。どちらか片方の力でだけ作られた生き物は、数日しか生きながらえることができないのだそうだ」

 熊震の説明を聞いてフーニャンは「へえ」と小さく息をつく。

「六心っていうのは神様候補だって言うけれど、本当はなんなの? 芦楓様も、比轍様は影とか世界を作るとか言うけれどそんなことができるもの? そりゃうちの姫様は木々を生き返らせるけど、天龍の六心も同じなわけ?」

 フーニャンは熊震を見つめた。

「そりゃこの目で見てなきゃ、天公なんて天上の伝説みたいな存在だ。天公廟で、廟の祭司官たちが「天公のご意思です」なんてもっともらしく言うのを聞いてありがたがる程度には、誰も王たちの存在は目に見えない。人の世界で出会えるのは三心か四心まで。芦楓の旦那は状況が状況で人の世界に逃げてきたから会えただけで、普通なら会える相手じゃない」

 芝居小屋に目を戻して言う熊震に、フーニャンは頷く。

「そりゃそうよ。私だって芝居小屋で役者に声をかけてきたのが芦氏のお坊ちゃんだと聞いてびっくりしたもの」

 小声で話をしながら、フーニャンと熊震は芝居小屋に入っていく男たちのなかに、芝居小屋から出てきた男をひとり見つけて顔を見合わせた。

「声をかける?」

「ひとまず、とっ捕まえる」

 熊震の言葉にフーニャンは「クマさんには簡単かもしれないけどね」と呆れて見せた。


 *** *** *** *** ***


 人をひとり捕まえて襤褸屋に届けたたところで、フーニャンは息をついた。

「私たちはこれから地公廟に行くわけだ」

 熊震は頷く。

「仙になれるのはだいたい地龍の魂を持っている者だ。三心、四心、五心、キツネさんがそのどれかは知らないが、なにかしらの役目は必ずある」

「必ず、ねえ」

「必ずだ。それが螺珠様のお役目か臥渓がけい様のお役目かは知らない」

 フーニャンは熊震を見上げた。

臥渓がけい様?」

 熊震は頷く。

「螺珠様の弟君、苹州の出身」

「姉と弟で出身が違うわけ? 戦禍を避けて……でも姫様には両親がいなかったはず」

「それは人の世界での話であって、地龍は魂だけの繋がりで親子兄弟や一族の関係を認識する。螺珠様も臥渓様も六心の王龍として力を振るう。私は熊一族の者として王龍や地龍の眷属に危害が及ばないように天龍の世界を見張る武門の五心」

 フーニャンは顔をしかめて熊震を振り返った。

「クマ! あんた五心だったの?」

「クマさんならまだしもクマと呼ぶな化けギツネ!」

 熊震はフーニャンに言い返し、フーニャンは熊震を見つめたままで首を捻る。

「芦の坊ちゃんは、法律、クマさんは武門、私はなんだろうね」

「それを儀典官に訊きに行く」

 フーニャンは熊震から目を放し、隣に並んで息をついた。

「いいよ、だけどクマさん、あんたが地公廟に行こうと言うからじゃない。自分が、子供の頃に一緒にいたお姫様が地公かもしれないと分かったから行く。ただそれだけ」

 熊震はわざとらしく驚いた表情でフーニャンを振り返る。

「姫様姫様と……さっきから螺珠らしゅ様をそう呼んでいるのが気になって仕方がない。螺珠様を知っているのか?」

「たぶんね。頴州の森で彷徨ってたときに、人間の小さな女の子と会ったの。その女の子は、口減らしに捨てられたんだろうね……地公廟に行くんでしょ? 歩きながら話すよ」

 フーニャンは熊震の肩を叩いた。

「どこの森だったかも忘れた。山のなかに人間の女の子がいるのは珍しいからずっと見ていたのだけれど、夜になっても迎えに来る大人の人間はいなかった。一日、二日、三日経っても迎えに来る大人はなし。しょうがないからネズミを捕まえて与えてみたけど、人間はネズミを食べないんだね。食べないで逃がしちゃったわけ。それで捕まえてきたリスも食べなかった。そのリスも逃げちゃったもんで、どんぐりを集めてみたら、どんぐりから木の芽を育てて木にしちゃったもんで、これはすごいと思ったの。友達の木に伝えたところから、鳥や獣が集まって、人間の食べ物を研究したりして……まあね、お肉は……まあちょっと、鳥や小さなものがいるところでは出しづらかったけれど、小麦はネズミが集めたし、どんぐりもリスやイノシシが集めてきたし……だけどそれが人間の猟師に見つかった途端に、うちの小さなお姫様はその猟師に連れて行かれちゃった」

 熊震は自分が年若い苹州天公や臥渓から聞いた、螺珠に関する話と頭の中で突き合わせながら、軽く頷いた。

「たぶん、その小さなお姫様は螺珠様だろうな」

「それなら自分が地龍かもしれなくて、地公の役に立つかもしれないなら自分がどんな役目か知るのもいいっていうことにしておこう」

 ひとりで納得した様子で、フーニャンは熊震の隣を地公廟に向かって歩く。

 フーニャンがいわゆる狐狸仙になってから、初めて抱く疑問。


 私は何者? ただのキツネ?


 *** *** *** *** ***


 襤褸屋で、熊震の手で気絶させられ寝台に縛り付けられた軽いアヘン中毒の男を前にして、芦楓は椅子に腰かけていた。

 芦楓は自分が比轍から無許可の青楼ふうぞくを放置していると言われたことを思い出して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「王都と苹州しか知らないでなにが青楼だ。自分で青楼に行ったこともないだろうに」

 そう自分で呟いてから、芦楓は視線だけで天井を見た。

 自分は比轍を青楼に連れて行ったことはない。

 どんなものかと見に行ったことはある。

 官の許可を得た場所だ。

 自分には縁がない場所だと思ったし、比轍に見せる必要もない場所だと思った。

「芝居小屋は、小さくてもキラキラしていて比轍にも見せたい場所だったが、青楼はギラギラしていて、比轍には似合わない場所だと思った」

 ただ、こうした者たちは、王や州公が意図せずとも生まれてくる。

 苹州で第三皇子煕俊(きしゅん)に仕えていた頃、天公の宮で央原君に法の徹底と青楼の撤廃を訴えたことがあるが、彼らはその案を否定した。


 青楼は人の暗部、その一切もいとなみである以上撤廃はできない。


 芝居小屋では、色々なおとぎ話を見た。

 威風堂々とした龍王、龍と人の恋、人と狐狸精の恋……。

 彼らが、人目をはばかることなく幸せになれるような土地にするにはどうすればよいかと考えてみて、頴州の法を整えるときに改めて整えた。

 法を司る者として前後を顧みたことはあるかと、一族の先達から叱責を受けた。

 自分の主になる者だと言われて同窓で育った比轍からは、無許可の青楼が多いと王が懸念していると聞かされた。

 なんとも面白くない。

(人は増えたじゃないか)

 芦楓は不貞腐れる。

 だがしかし、アヘンの毒。

(これは徹底して排除しなくてはならない。六心に毒が渡らないように……どこから毒が入ってきたものか、その穴を塞ぎたいが、どこに穴があったものか……)

 フーニャンのことは、地龍ではないかと言う熊震が連れて行ってしまった。

(熊震はフーニャンが何者かを気にしている? 比轍の考えでか? それとも)

 ひとりでいると、どうも考えが悪い方向に悪い方向に向いてしまう。

 考え込んで、芦楓はちらりと鏡を見た。

「比轍に、地公廟の側からなら連絡が付くのだろうか?」

 少し考えてから、芦楓はまた鏡から目を放す。

「アヘン、ヤンジェングルのケシ、炎国の毒」

 炎

 先の頴州公

 炎二妃――

 芦楓は息をついた。

「なあカナヘビ。なにも答えずただ聞いてくれ。私にとっては王がなんと言っているかは問題じゃない。比轍がなんと言うかが問題なんだ。無許可の青楼について王が顔をしかめていると聞いたところで聞き流せる。だが比轍、おまえはどう思うんだ。私が頴州で、狐狸仙が狐狸仙らしく生きられるだとか、種族や性別に関係なく恋愛も婚姻も自由だという法にしたいという奏上を、芳俊殿下は認めてくださったが、それが比轍なら? おまえは認めただろうか?」

 湯を沸かして茶葉を煮た鍋から茶を汲みだして、芦楓はひと口喉に流す。

「小説を書くというと、人は嗤うが、小説のなかには世界がある。比轍が世界を作るときには、きっと比轍が思い描く世界になる。空にはいつでも虹がかかっていて、大地は神々の涙で潤う、比轍が描くのはそんな幻想的な別世界だ」

 そう言ってから芦楓は目を動かし、もうひと口茶を喉に流した。

「いやまあ、比轍が書く話にも血腥い闘争の話はあったか」

 芦楓はひとりで頷く。

「さて、炎国の毒はいつから頴州に出回っているのだろうか」


 *** *** *** *** ***


 フーニャンは熊震が腕に巻き付けている眷属のヘビ越しに芦楓の呟きを聴きながら、呆れた。

「お坊ちゃんが法律を変えてからよ」

 熊震にはフーニャンの小さな呟きが聞こえていた。

(胡娘の話にはまだ確証がない。だがもし本当に芦楓殿の失策であればそれを許した芳俊殿下に累が及ぶ)

 それを考え、熊震は聞かなかったふりをしつつ、地公廟でフーニャンを儀典官に引き渡した後で比轍にこっそりと懸念を伝えておくことにした。

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