龍と妖狐と魔法の小刀(5)頴州で一番安く買えるものは
芦楓は竈の前で仁王立ちになり、竈に火を入れてから鍋に米を入れた。
米は、竈の横に置かれていた。
芦楓は米を持って来なかった。
フーニャンも持っては来なかった。
つまり、米は、家に「あった」。
芦楓はそこに疑問を持たなかった。
「私にだって料理はできる」
芦楓は「ふふん」と笑う。
粥の作り方ぐらいは知っている。
苹州で炊き出しをしていたときに炊事場を見た。
大鍋に水を張り、米を入れて煮込んでいただけだ。
その自信を胸に、芦楓は竈の上に置かれていた鍋に井戸で汲んだ水を入れる。
そこで芦楓は立ち止まった。
「阿轍、聞いているか? 鍋に埃が浮いた」
苦情は壁に姿を見せた蛇に向けられている。
蛇はちらりと舌を出して「それで?」と親友である比轍の声で返してきた。
芦楓は蛇を睨む。
「わざわざ井戸から汲んできた水だぞ」
「だからなんだと言いたいんだ」
蛇が言い放った。
「井戸で汲んできたんだよ、水を」
「井戸の水はきれいにしたはずだが」
親友に話が通じていない。
「いや、井戸の水はきれいだったよ。そうじゃなく、井戸の水を鍋に入れたら、鍋に埃が浮いた」
「それなら鍋に埃がたまっていたんじゃないか?」
まったく通じない。
「水が」
「だから、もう一度、井戸まで行って汲め」
あっさり言った蛇に向かって芦楓は鼻を鳴らした。
「おまえと違って、私は本物の五心なんだ」
芦楓の文句に蛇が首を捻る。
「それで?」
「芦一族の技能は水を作るとか土を作るとかいう方向に割り振られていない。芦氏の技能は司法だ。うちは世の規範が倫理に反していないかを判断して、何事かが世間一般の倫理規範に反していたら取り締まる、あるいは取り締まるための法を整備するのが仕事で、そういう判断力に技能が偏ってる」
芦楓の主張を聞いた蛇が目を細めてちらりとまた舌を出した。
「じゃあ、世間一般の倫理規範を判断する技能が狂ったと親族に思われてしまった芦楓さんの特技はなんなの」
蛇を見つめ、それから芦楓は首を振った。
「地龍が人のなかで生きることができないのは、間違ってると私は思う」
芦楓と親友の連絡係として存在している蛇は、ボタリと壁から落ちて芦楓の足元に近寄ってから「シューッ」と音を立てる。
それから数拍置いて、比轍が芦楓に訊ねた。
「薪が爆ぜる音がするけど、もう竈に火を入れてしまったの?」
「入れたよ。鍋に水を入れる前に米も入れた」
蛇が沈黙する。
芦楓は蛇を見た。
「黙るなよ」
「……鍋に埃が浮いたなら、鍋、洗い足らなかったんじゃないの?」
芦楓は比轍の言葉に、返す。
「鍋を逆さまにして埃は落としたよ」
「あ、そう……米は……洗った?」
比轍の問いに芦楓は三回ほど、瞬きをした。
「米をなにで洗うだって?」
「……水ですすいだ?」
「なにを?」
「米」
ふたりの間に沈黙が落ちる。
芦楓はまた瞬き数回ぶん、蛇と見つめ合った。
「鍋には入れた」
「分かった。米入れて、そのまま竈に火を入れて、鍋に水を入れたんだな」
「いや、竈に火を入れて、鍋に米を入れて、水を入れた」
比轍との連絡係になっている蛇が芦楓を見上げて動きを止める。
「阿楓ひとりで食べるなら好きにしていいと思うよ。フーニャンにも食べさせるなら、もったいないけどその米は諦めて鍋をきれいにしたほうがいい。あとお粥に入れる薬味にネギ使ったらいけない。フーニャンはキツネなら、犬科だろうから死にかねない」
芦楓は蛇を見つめた。
「阿轍……おまえ気遣いができる男だったのか」
「十四年間、ずっとじゃないけど子供と二人暮らししたら気を付けられるようになった」
比轍はボソッと答えた。
「芳俊殿下が野良犬を拾ってきて飼いたいと言い出したから、犬についてもよく生態を調べた」
芦楓は蛇を見る。
「犬飼ってたのか?」
「飼ってたよ」
芦楓は「へえ」と呟くように言った。
蛇がスルスルと床を移動して「阿楓」と声をかける。
「なんだ」
「二択の選択肢だ」
「うん」
「もったいないが米を庭に捨てて鍋を洗うか、もったいないが埃まみれの米を煮るのか」
芦楓は蛇を振り返って沈黙した。
どちらにしても、もったいない。
「おう……」
蛇が頭を持ち上げる。
「ちなみに米の寄贈者は芳俊殿下なので、残念ながらおまえに王弟殿下ご下賜の米をダメにした男という異名を与えてやろう」
「やめろ、おまえに異名を付けられると千年残る」
蛇が「シャー」と唸った。
*** *** *** *** ***
フーニャンと熊震は頴州の街を見回すことができる楼閣に登った。
昔は頴州の人間で賑わっていただろう楼閣で、フーニャンは小さく嗤った。
「言葉を聞いてごらんよクマさん、あんたと同じ苹州の訛りや都の柳州の訛りが聞こえるでしょ?」
熊震は「ふむ」と頷く。
「あいつらがどういう連中か知ってる?」
「知らん」
首を振った熊震をフーニャンが「ふん」と鼻を鳴らした。
「外から来た仲買人」
「仲買?」
「そう」
フーニャンは頷く。
「頴州にそんな特産があった?」
「今、他の州より頴州で一番安く買えるものは人間」
フーニャンはまた「ははっ」と嗤った。
「外から来て、頴州で食い詰めた人を買って仲買人たちが競りにかけて売買する。龍たちはどうだか知らないけれど、人間たちはそういうことをする。戦の前からあったけど、敗戦後は余計にひどくなった」
楼閣から街を見下ろして、フーニャンは口を閉じた。
史娘とフーニャンが建てた芝居小屋も見える。
「頴州の人間に同情的なんだな」
熊震の言い方に、フーニャンは口を「だって」と息をつく。
「そりゃ、頴州の人間だって私たちみたいな狐狸仙と相性がいいとは言わないし、キツネなんて取って食われる獲物だけど、外から来た人間が同郷の人間を家畜同然に売り買いしてるの見ていい気味だとは思わないでしょ」
熊震は「それもそうだ」と頷いた。
フーニャンは窓の手すりに手をかける。
「史姐姐は、オミトオシだったの」
「うん?」
熊震の間抜けな声にフーニャンが軽蔑の眼差しを向ける。
「真っ先に買い叩かれるのは十代前半の女の子。次に小さな女の子と男の子。それから十代の男の子と二十代の男」
フーニャンは街を指差した。
「あそこで売り買いされるの」
そう言ったフーニャンの表情には、少しばかりの悔しさと諦めが浮かんでいた。
「とんでもない連中に買われるよりは、自分たちが買って守ろうって姐姐は言ったんだけど、仲買人のなかでも性質の悪い連中に目を付けられちゃったおかげで芝居小屋の裏はアヘン窟。姐姐は生かさず殺さず、正気を保てる時間が少しある程度にアヘン漬けにされて、アヘン欲しさに女の子を売り飛ばす側にいる。比轍の旦那からもらった小刀は、そういうあくどい連中から身を隠してくれる宝物なんだから、芦楓の旦那が自分で持っていたらよかったのにね」
そんなことを言いながら、フーニャンは熊震をちらりと見た。
「順番が逆ならまだよかったの」
ぽつりとフーニャンが言う。
「順番?」
熊震はフーニャンを見た。
「頴州の人が他の州から来る人たちと同じぐらいお金を持てるようになってからなら、飢えだとか貧しさで子供を売る親が減るでしょ」
熊震は「なるほど」と頷く。
「芦楓の旦那は龍族でも指折りの貴族だっていうから、芝居小屋買い取ってくれるんじゃないかなんて考えたけど、一族追い出されちゃって芝居小屋を買い取るどころじゃないわこりゃ」
フーニャンの言い方を聞いて熊震が「はは」と笑った。
「芦楓の旦那に近付いたのはそれが目的か?」
「いい人でしょ、あの旦那」
「……悪い天龍じゃない」
熊震は「ふん」と鼻を鳴らす。
フーニャンはその熊震を見た。
「私がキツネでもいいんですってさ。芝居小屋を根城にした連中に直談判して……お金払ったわけ、どれだけ吹っかけられたか知らないけど」
嗤うフーニャンを、熊震は見つめる。
「地龍は天龍や人間に売り買いされるような「物」じゃない」
「クマさんはそう言えるかもしれないけど、史姐姐や私は狐狸精で、クマみたいに大きくもないし素早くも力強くもないの。森で人間が仕掛けた罠にかかって捕まるような間抜けな仲間もいる。そういうキツネからしたら、人間も天龍も関係なく、助けてくれる人は「いい人」なわけ」
フーニャンは熊震の鼻に指を突き付けた。
「あのね「私たちは物じゃない」なんて、私たちは自分でよく分かってる。それでも、今この頴州じゃ天龍だろうが人間だろうが地龍だろうが、他州から来る金持ちや悪党どもに捕まって売り買いされる「物」に成り下がってる」
首飾りをいじりながら、フーニャンは手を下げて息をつく。
「比轍の旦那は、頴州には性質の悪い青楼が多いと言ったけど、そんなの頴州の天龍や人間や地龍が望んでそうしたわけじゃなく、そういう連中が頴州に集まってきてるだけ」
「そういう制度を作ったのは芦楓の旦那だ。恨んでないと言われてもなあ」
フーニャンは「ふふ」と笑う。
「この小刀、自分で持っていればよかったのにね」
熊震は「ふむ」と唸る。
*** *** *** *** ***
芦楓は蛇に悪態をつく。
「鍋を洗っておいてくれてもよかったのに」
蛇越しに比轍が「家を用意して井戸も綺麗にしてやったのに」と文句を言う。
「米だってどうすればいいのか……」
言いかけた芦楓を蛇が「え」と遮る。
「自信持って料理ができると言ったくせに」
笑ってから、蛇が芦楓の横でゆらゆらと頭を揺らす。
「炊き出しのお粥は飢饉のときに配るお粥だから、あんまり「料理」と言わないぞ」
「やかましいな」
芦楓は蛇を睨み付けた。
「あれだ、お坊ちゃんが無一文になって馴染みの女のところに転がり込む戯曲があった」
蛇が言う。
「一緒に見たな。あれだろう? 無一文になっても女のところで耳触りのいいことばかり言って、追い出されてどうなったかと思ったら葬儀屋で雇われていて、女に叱り飛ばされる話」
「それ」
「阿轍」
「うん」
「私は無一文になってはいない」
「ほぼ無一文でしょ」
「そうだけど」
芦楓は蛇から顔を背けた。
「阿楓、頴州に炎国からアヘンが入っている話は衙門から聞いているだろうか」
蛇が言う「衙門」という役所は各地にあり、警察と裁判所を兼ねたような役割を担っている。
「分かってるよ、司法が知らないと思うな」
「名誉を挽回するなら……」
「別に私の名誉は失墜してない」
蛇は芦楓をじっと見上げてきた。
蛇が見ているものは別に比轍には見えていないが、蛇は芦楓をじっと見上げていた。
「くそ、蛇のくせに」
「なんだって?」
「なんでもないから気にするな」
そう言ってから、芦楓は「アヘンのことは」と蛇越しに親友に声をかける。
「少し様子を見る」
比轍が「そう?」と小さく返す。
「阿楓、最悪の事態は想定しておいたほうがよい」
「どんな事態だ」
「王と螺珠様が頴州を無にして天龍も人間も地龍も含めて、頴州にいる者、頴州にある物すべてを消すと決める事態」
比轍の言葉に芦楓はぞっとした。




