龍と妖狐と魔法の小刀(4)悪龍除け
鳥の声がやけにうるさく聞こえて、フーニャンは木の上を見る。
「おい! 小娘! どこに逃げた!」
フーニャンは鳥を見つめ、それから首を傾げた。
「変なの」
熊震がフーニャンに「行こう」と促す。
フーニャンは芦楓に「行ってきます」と手を振った。
*** *** *** *** ***
地公廟までの雑談として、熊震はフーニャンに小刀のことを訊く。
「さっき芦楓からもらっていた小刀は、誰からもらった?」
フーニャンは熊震を見上げた。
「これ? 比轍っていう、旦那様のお友達が婚約祝いだって言ってた。本当は芦楓様の護身用にしてほしかったんだと思うな」
そう言いながらフーニャンは小刀を懐からちらりと見せて、しまい直す。
熊震は「そうか」と頷いた。
「しっかり持っていなさい。その小刀には呪いがかけてあるようだからね」
「おまじない?」
「悪い龍たちから身を隠すための呪いだ。さっき、鳥が騒いでいただろう。あの鳥が何者か知らないが、どうもお嬢さんを見張っていたようだから、その小刀は芦楓の旦那よりお嬢さんが持っているほうがいい」
熊震はフーニャンに言い含めて、地公廟に向かって歩く。
「比轍様はどうして旦那様にお守りの小刀を渡したのかな?」
フーニャンが首を傾げ、熊震はそのフーニャンに顔を向けた。
「どうして?」
熊震に訊かれてフーニャンは一度ちらりと熊震を見上げた。
「比轍様はこの小刀におまじないがしてあることに気付かなかったのかな?」
熊震は「ふむ」と唸って考える。
(どうして梅香殿が、悪龍除けの呪いをかけた小刀を芦楓の婚約祝いに贈ろうと思ったか)
心当たりがないが、もしかしたら比轍が常梅香として過ごしていた頃になにかあったのだろうか。
そうは思いつつ、熊震は前を向いた。
「ご存じだったかもしれないし、ご存じなかったかもしれない」
そう言った熊震を振り返りもせず、フーニャンは「そっか」と頷いた。
「知っててこの小刀くれたならすごいよね。知らなかったら偶然てすごいね」
どちらにしてもすごいと思えるフーニャンがすごいなと熊震は感心する。
フーニャンはふっと目を細めた。
「頭が弱い振りなんてもうやめ。クマさんも一緒に来て」
急に言葉遣いを変えたフーニャンを振り返って、熊震は息を飲む。
五本の尻尾。
「欲しい尻尾はあと四本。姐姐が九尾になるまでに五百年かかったと言うのだから、私はこれからあと四百年以上もかかるのかしら」
熊震はフーニャンの尻尾を見つめて言葉を失った。
「おかーさん、あのお姉ちゃん尻尾があるよ」
母親と手を繋いで道を歩くあいだにフーニャンを振り返って指差した子供の声に熊震は慌てる。
「尻尾を隠せ」
フーニャンは熊震を見て首を振る。
「この州は自分が何者でもいい、そういう州でしょ。そういうふうに芦楓の旦那が法律を変えたんだもの」
そう言いながら、フーニャンは史娘と、それに劇団の仲間と建てた芝居小屋が遠目に見えたのを指差して熊震に見せた。
「今じゃ、裏はアヘン窟よ。」
熊震が顔をしかめたのを見てフーニャンは「あっはっは!」と笑う。
「言われないと気付かないなんて、クマのくせに鼻が利かない? これ以上あの建物に近付くと甘ったるい臭いで鼻がバカになりそうだから近付けなくなっちゃったの。まったく嫌になるったら、姐姐と劇団の人たちと一緒に自分たちが理想的だと思える芝居小屋を作ったっていうのに、まったく嫌になっちゃう」
熊震は呆気に取られてフーニャンの仕草や態度、それに言葉遣いの変わりようを眺めた。
「私これでも役者なの。芦楓様は「可愛らしい」のがお好きなのですって。ああ、誤解がないように言っておくけれど、別に私の性格をご存じないわけではなくて、ただ「胡娘」よりもキツネの「フーニャン」のほうが楽しそうだからフーニャンとして一緒にいるのだということは覚えておいて頂戴、クマさん」
*** *** *** *** ***
芦楓はひとつ大きく息をつき、着物を着替える。
フーニャンは自分が片付けると言ったが、ここでよいと言うなら片付けるだけ片付けたほうがよかろう。
芦楓自身、こういう生活に馴染みがないとは言わない。
十年以上、芦一族は龍としての力も地位もない状態にあった。
芦楓も比轍も、政治犯を収容するために作られた天牢にまで入ったことがある。
「一年か二年ぶりの、懐かしい生活」
ひとりそう言って芦楓は袖を捲り上げた。
「まずは床か」
フーニャンがいれば、芦楓はきっとこの間違いを犯すことなく済んだに違いないが、フーニャンはいなかった。
芦楓は手頃な桶を手に取って庭にある井戸に向かう。
井戸を覗き込めば、井戸の水はそれなりに澄んでいて、ありがたいことに澱んではいない。
水を汲むために横に置かれた縄付きの桶を井戸に放り込み、揺らして水を汲み上げてみて芦楓は「ほ」と息をついた。
「このままでも飲めそうだ」
他に誰かがいれば怪訝な顔をされただろうが、ここに他人はいない。
持ってきた桶に水を入れて、芦楓は屋内に戻った。
桶を足元に置いて周りを見回せば、板張りの床は上に積もった埃のせいで白くくすんでいる。
「やるか」
芦楓は雑巾と思われる布を濡らして絞って床に放り出す。
床に積もった埃のせいで、雑巾はあっと言う間に黒く重くなった。
腕が疲れる。
「いや、帰ってきてきれいになっていたら、まあフーニャンを驚かしてやれるに違いない」
そんなことを言いながら、芦楓は前向きに雑巾を絞る。
「それにしても比轍め、どうせ家をくれるならもっときれいに掃除してからくれればよかったのに」
ぶつぶつ言うには言うが、芦楓とて「婚約祝い」で貰うには骨董品も家も、過ぎた物だということぐらいは理解していた。
「心配性なやつ」
芦楓は王都のほうを遠くに見て、友人の顔を想像しながら呟く。
それから時間をかけて一部屋分の床を磨いた芦楓は、上を見て気付いた。
蜘蛛の巣がひどい。
「ありゃあ……あれを落としたら床をやりなおさないとだめか……」
芦楓はそこで嫌になった。
*** *** *** *** ***
フーニャンは尻尾が数本あるキツネを振り返る人々を見ながら小さく笑う。
「人も獣も、私や姐姐みたいなキツネを見ると、化け物だと言って憚らない。クマさんはどう?」
熊震がフーニャンの尻尾を見て首を振る。
「他に見たことがないから、すごいなとは思うよ。芦楓の旦那がそういう好みだというのも知っているし」
フーニャンは熊震をちらりと見た。
「あなたも?」
「は?」
「あなたも芦楓の旦那に、あの熊の姿で取り入ったの?」
熊震はフーニャンを見つめた。
しばらく間を置いて、芦楓は頭を掻いた。
「熊の毛は剛毛だから芦楓の旦那が好きな感じじゃあない。私は、頴州兵に占拠された苹州城を奪還するときに協力者になった程度の関係であって、頴州の者として芦楓の旦那に取り入ったわけじゃない」
熊震の言葉を聞いたフーニャンの眉が少し動く。
「クマの旦那は苹州の人なのね。よそ者だったわけだ」
フーニャンの言い方に熊震は顔をしかめた。
「よそ者だよ。頴州はいま、敗戦で辛い目に遭ってるかもしれないが、数年前には苹州が頴州兵に占拠されていた。地公がまた……頴州兵から退けと命じたせいで、頴州兵が通ったあとには草も生えないような状態になったこともあった」
熊震は身震いする。
「あんただって一度は王都にいたのだろう?」
「そうよ。封鎖される前に王都に行って、王都から帰ってきたのは敗戦後」
フーニャンは笑った。
熊震が息をつく。
「芦楓の旦那は、一族から追放されて奮起するかと思ったが、どうなるかね」
フーニャンは「そうね」と呟いてから懐から小刀を取り出して見る。
「頴州って邦をどう見るかしらね」
史娘を助けるのに、この小刀はきっと役に立つ。
ただ、アヘン窟に近付くのが難しい。
フーニャンは空を見上げた。




