龍と妖狐と魔法の小刀(3)狐狸仙
芦楓、追放されたので親友が襤褸屋をくれました。
頴州
芦楓は新しい家を見て呆れた。
「なんだこりゃ。比轍の奴、追い出される友人にこの襤褸屋か? もうちょっと選んでくれてもよかろうに」
フーニャンが横で「わあ」と声を上げる。
「これは……すごいボロボロ……」
芦楓はフーニャンを振り返る。
「今日の宿を探してくる」
「片付けないの?」
「他を探す」
フーニャンは出て行く芦楓の背中を見送って、隣で鳥が「ほほう」と鳴いたのを見た。
フーニャンと視線が合って、鳥がフーニャンを見る。
「どうするね、いい子ちゃんなら、あの坊ちゃんが帰って来るまでにこの襤褸屋をきれいにしてお出迎えだろうが、あの坊ちゃんの好みはどんな女だろうな? おまえも見ただろう? あの坊ちゃんのお友達は、今をときめく史公様だ。どんなお人か知らんが、骨董品屋に選ばせた小汚い壺や箱でも、炎人の商人に売れば一攫千金だって言うんだ。銭が足りなくなったら壺でも箱でも売り飛ばして、損しないうちに金持ってくるんだよ。いいね、何年経ってもいいから金だけは持ってきな。男は要らないよ」
フーニャンは鳥を見つめた。
「……それができたら史姐姐を助けてくれる?」
「金が十分ならしっかり助けてやるさ」
鳥が「ふん」と鼻を鳴らす。
「だが胡娘、おまえのことは見直したよ。よく芦氏と比氏のお坊ちゃんたちを前にして「姐姐を助けてくれ」と言わずに通したじゃないか」
フーニャンは鳥から目を逸らした。
「姐姐があんたたちのところにいるのだもの、うっかり「助けて」なんてお役人の、それもお偉い大夫様に泣きついたら、助けてもらうより前に姐姐は殺されてしまうかもしれないじゃない」
鳥がフーニャンを見て笑う。
「こっちだって物わかりのいい女は嫌いじゃない、史娘のために何かしたいというおまえを助けてやりたいから、史娘のアヘン代をおまえに稼がせてやってるんだ。あの旦那を逃がすんじゃないよ」
「見張り、いつまで付いてるの?」
フーニャンの問いに鳥が「さあな」とけたたましい笑い声を上げて家の外へと飛び立った。
鳥が庭の木にいるのを確かめて、フーニャンは窓を閉める。
窓を閉め、芦楓にもらった小さな遠見鏡を手に持つ。
「貴族のお坊ちゃまに気に入ってもらえたところまではよかったんだけどなあ……もう……お坊ちゃんが家を追い出されちゃったら、史姐姐を助けるにもお金も手段もないじゃない……もらった婚約祝いだって、くれたのは骨董品くれた人だけで、炎人に売り飛ばしたら買い戻してくれるって言ってたけどさ、すぐ売っちゃったらきっと、なんでだって言われるじゃない」
フーニャンは比轍からもらった骨董品を眺めた。
これをくれた男は、比家の次期当主で婚約者は王子。
(男同士に見えたけど)
恵まれた立場のお坊ちゃんだ。
(頴州は青楼がどうだって言ったけど、そんなのは恵まれた人だから言えるんだってこと、あのお坊ちゃんは知らないんだろうな)
そんなことを思いながら、フーニャンは芦楓が襤褸いと言った家の中を見回す。
比轍が用意した家、比轍にもらった骨董品の数々に、比轍に対する文句。
フーニャンは天井を見上げた。
生まれたところは森の中。
巣穴から出たところを人間に見つかった。
頴州は貧しい州だった。
子狐は見つかったら簡単に捕まって食われる。
震えているときに、「お姫様」に拾われた。
彼女は小さかった。
自分も小さかった。
森の中で、彼女は木々を芽吹かせ、森の中に生きる者たちと生きていた。
悪い人間が彼女を捕まえてしまうまで。
一緒に森にいた木が言った。
「おまえさん、狐狸仙の素質があるね」
狐狸仙とはなにか、木に訊いた。
木は答えた。
「狐狸仙ていうのは人間に化けることができる者たちのことだよ」
「人間に化けて、どうするの?」
「そいつはおまえさん次第だ」
木はそう言って、老人に姿を変えた。
「木はジイサンだったんだね?」
「雌雄別性の男木だからな」
小さなフーニャンは木を見上げて訊いた。
「狐狸仙にはどうすればなれる? 狐狸仙になったら、公主様に会える?」
「どうだろう。だが狐狸仙になる素質があるのだから狐狸仙になれるよう努力してみたほうがいい」
フーニャンは木と約束した。
自分は狐狸仙になる。
それから数十年かけて狐狸仙になったころ、頴州はさらに貧しくなっていた。
木は言った。
「おまえさん狐狸仙になったんだ、柳州に行ってごらん。そこにも狐狸仙がいる」
「本当に?」
「そうともさ、史娘と名乗って芸事で稼いでいるそうだよ」
「行ってみる!」
史娘は、若い狐狸仙のフーニャンを嬉しそうに出迎えてくれた。
小さなお姫様とは違ったが、きれいな女性だった。
そのうちに、頴州が王権を持った一皇子とその弟である苹州の若い州公に敗れて、建て直しが始まるという噂が流れた。
史娘と一緒に頴州に戻ったフーニャンは、荒れ果てた野山をふたりで眺め、それから小さな芝居小屋を開いて、柳州で人気のあった演目をいくつか上演した。
誰もが戦後の荒廃した荒地で、誰が住んでいたとも知れない場所を早い者勝ちとばかりに見つけて我が物にし、あるいはもともと本当に住んでいた家を売り払って金にし、そのどちらもできない者が、すでに戦で主を失った邸にひしめくなどして生きていた。
人間も、そこに紛れ込む史娘やフーニャンのような者たちも。
そこに来たのは、頴州を再興しようという若い州宰相だった。
州宰相は、先の戦で功績があった者たちが彼ららしく生きられるように、人間であろうと狐狸仙であろうと差別はされない、同性同士で好きあう者ならば、それもよい、と、色々と制度を変えた。
それは、頴州の民にとって屈辱だった。
頴州は戦に敗れた州だった。
その頴州に、戦に勝った州から、狐狸仙やその類の仙たちであったり、男同士あるいは女同士での婚姻を望む者たちが流入してきた。
彼らを受け入れざるを得ないのだ、自分たちは敗戦者なのだという屈辱を押し込めながら移住者たちに表向き笑顔を見せる者もいれば、見るからに悪態をつく者もいた。
そうして、頴州には戦後の混乱で弱者になった者や、頴州の風土にまだ不慣れな移住者を相手にした闇商売を行う者たちが出てきた。
史娘の芝居小屋は、闇商売を行う者たちにとって都合がよかった。
闇商売を行う者のなかには、人間もいたし龍もいた。
それに狐狸仙のような元獣の者たちもいた。
ときに仕掛けと称して仙の力をこっそり使ったのを、彼らは見ていた。
「史姐姐」
(史姐姐の芝居小屋をダメにした州宰相、フーニャンが悔い改めさせて、史姐姐を助けますからね)
そう自分のなかで呟いて、フーニャンは比轍が選んだ襤褸屋を探検に出る。
芦楓は襤褸屋と言ったが、襤褸屋と言うには屋根も少し修理すれば雨漏りもないだろうし、森の巣穴で育ったフーニャンとしては、広いと思う。
比轍は頴州の状況を、青楼が蔓延る無秩序な州だと思っている。
フーニャンから見れば、その状況に拍車をかけたのは芦楓だった。
芦楓はその状況を、頴州が自由で明るい州にするための途中経過であり、闇商売に関わる者たちを辛抱強く潰していけば問題ないと思っている。
比轍は、そうではなかった。
だが、芦楓がそれをしなければよかったとも、芦楓にどうにかしろと言うのでもなく、ただ王はそれをよく思っていないと言った。
フーニャンからすれば、どちらの言葉にも自分たち頴州の民など眼中にない。
ただ、蘇という国で頴州に住む者が自由であることを自分は望むのだ、いや問題が起きないことが王に望まれることなのだと、地位も権力もある貴族の息子たちが語っているだけでしかなかった。
この襤褸屋もそうだ。
比轍は親友の婚約祝いのひとつとしてすぐに用意して地権書を用意した。
芦楓は親友が用意してくれた庭付きのそれなりに立派だっただろう家を見ても、襤褸屋だ不満だと言って比轍に対する愚痴をこぼしながら、きれいなところを探すと言って出て行ってしまった。
あの州宰相にしてあの友人ありとでも言えばいいだろうか。
庭の木からは見張りが鳥の姿でこちらを見張っている。
フーニャンは鳥を見た。
「ねえ! この家、片付けるからね! あの元州宰相がどう逆立ちしたって、貴族の家を追い出された無職の男がここより条件のいい家を見つけるなんて無理に決まってる!」
鳥が「はっは!」と嗤った。
「片付けてもいいけどね、屋根は直すんじゃないよ。雨が降れば雨漏りする。雨漏りすればまた家を探すだろうからしっかり吹っかけてやらなきゃさ!」
フーニャンは呆れて息をついてから雨戸を閉めて床を見る。
戦乱と貧困の数十年で打ち捨てられた家の床は、あちこちが抜けそうだった。
数時間後、芦楓はフーニャンが思った通り納得できる家を見つけられずに帰ってきた。
「おかえりなさい!」
飛び跳ねたフーニャンの前で、男がひとり芦楓にくっついて入って来た。
「ここが我々が探したなかでも一番まともな家なんだから、おとなしく妥協してくれ。螺珠様と梅香殿の頼みだからと思って使える耳目を総動員して探させたんだ」
男が芦楓に文句を言っている。
「ただでさえ家が高くなってるような州で家を用意するのに、梅香殿がいくらかけたかお分かりか?」
「ああうるさい」
芦楓が男の小言に耳を塞ぐ。
「この襤褸屋の権利を買うのに、梅香殿は白玉に透かしで模様を飾った花瓶を一揃い手放したんだぞ! アーケリの商人に売り飛ばして、一千金!」
芦楓が怪訝な顔で男を振り返った。
「あいつめ、この襤褸屋にそんな金を出したのか?」
「頴州はいまこの襤褸屋が一千金になるほど、相場が高騰してるんだ」
フーニャンには男の言葉の意味がよくわかった。
闇商売で儲ける連中がいて、安く手に入れた家々を高く、もっと高く、と売り買いしながら間で金を回している。
ここだって、元は二束三文で手に入れて、相場を知らない梅香殿とやらに売りつけたに違いない。
その梅香殿は、名前からして女だろう。
白玉の花瓶などという代物を売り、この家を買うのに一千金も出したというなら、きっと闇商売の男たちに目を付けられたはずだ。
(きっとその梅香殿とかいう人にもなにか口実を作って集りに行く)
フーニャンは芦楓をちらりと見た。
「フーニャン、怖がらなくてもいい、この人は怖くない」
男はフーニャンを見て「狐娘?」と顔をしかめ、それから狐の尻尾に目をやって「隠しておけ」と小声で言った。
「私は熊氏だ、熊震」
フーニャンは「ゆう?」と繰り返すと、男は一瞬だけ熊に姿を変える。
「あなたも狐狸仙なんだ!」
「まあそんなところだ」
熊は「はは」と笑った。
「まだ尻尾がしまえないのか?」
「芦楓様が、尻尾かわいいって言うの」
フーニャンが言った言葉を聞いて、男は芦楓を睨む。
「狐狸仙はまだまだ人間に歓迎されない。せめて尻尾は隠させるほうがいい」
「隠させる必要もない。尻尾も含めて彼女だろうが」
芦楓は小さく顔をしかめて男を睨んだ。
「生まれつき天龍の世界で育ったお坊ちゃんは知らないだろうがな、地龍っていうのは、こういうちょっとした人間との違いひとつで他人から石を投げつけられる」
芦楓は熊震に反論する。
「そうしてはならないという法を整備した」
「法を整備したって、やる者はやる。特に頴州はまだ戦乱から立ち直り切っていない。人はまだ困窮してる。生きるか死ぬかの状態まで追い詰められて困窮した人間は、自分たちこそが救われるべき存在だと信じて疑わない」
熊震はフーニャンの肩に自分が羽織っていた長い上着を着せかけた。
「そこに頴州ほど困窮したことがない人間や、木や巣穴があれば人が作った建物がなくても風雨を凌げる地龍たちが、頴州の者たちから見れば潤沢な資金を持って入ってくる。きれいな着物を着て、ふかふかの真綿を詰めた布団を抱えてきて、道端で食事も買えず着物や飾りを米や芋と交換した頴州の者たちを見て、こう言う」
芦楓は熊震をじっと眺める。
「泥だらけで汚い、痩せた貧民」
熊震は言った。
「金のある者たちは彼らに金を見せて、雇ってやろうとおためごかしに言うんだ」
そう言いながら熊震は、「まあ」と付け加える。
「私は元段家のお坊ちゃんで、今は地龍たちのまとめ役だから二束三文で雇われてやるようなことはないけれど」
熊震はフーニャンを見て笑顔を見せた。
「身内はいるか?」
フーニャンはふるふると首を振った。
「親兄弟は戦乱で? それとも人間に食われたか?」
「……分かりません……」
熊震はフーニャンに頷いて見せる。
「なにかあれば私を頼ってくれていい。明日は暇か?」
フーニャンは首を傾げて芦楓を見た。
芦楓が肩をそびやかし、仕草だけで許可を出す。
「大丈夫です」
「なら地公廟で命譜を確認しよう。仙というのはだいたいが地龍でな、龍の一族として魂を持っている者なんだ。ただ、獣に生まれた者は運悪く他の地龍い出会う前に食われてしまったりすることも多いから、尻尾が隠せないにしても人間に化けられるようになっただけでも立派だ」
フーニャンは熊震を見上げて目を見張った。
誰かから、立派だと言われたことはなかった。
「あの、もう一度」
「ん?」
熊震がフーニャンを見る。
「人間に化けられるだけでその」
「立派だ」
熊震は繰り返してから頷いた。
「元州宰相殿」
「元と言うな、元を付けるぐらいなら名前で呼べ」
芦楓が憤然として、熊震が笑う。
「一緒に頴州の天龍相手に戦った仲だ」
「だから余計に元州宰相と言われるのが嫌なんだ。あの時だって力は封じられて州宰相からは外されていた。後任がいなかったから仕事をしていただけだ」
芦楓がそう言うと、熊震は肩を揺らしてまた笑った。
「あのとき比轍殿は人間の女だった。子供連れの母親か幼い妹を連れた姉といった風情で苹州に来て、力を封じられた。彼女は宿を引き払ったあと、ここよりひどい家に身を隠していた。ここはまだマシだ」
フーニャンは熊震に「比轍様?」と上目遣いに訊く。
「力を封じられたってなんですか?」
「比轍様も芦楓殿も頴州の前州公と対立して天龍の力を失くした。比轍様は十数年間、食堂で女中をしたり子供たちに字を教えたりしながら子供を一人育てていたんだが、私が養うのはどうかと言ったら断られた。早い話が振られたんだな」
熊震はあっけらかんと笑った。
フーニャンは改めて襤褸屋を眺めまわして探検の結果を思い出した。
(庭があって、畑作れて、池が近くて、竈が二つもある。井戸も庭にある)
埃が積もっていて泥だらけだし、床も壁も木が乾燥して隙間だらけにはなっている。
熊震が言うように本当に千金ぼったくられただろうが、しかしいまここを手放しても、この場所を売った金と婚約祝いの骨董品を売り飛ばす金額を全部いけ好かない連中に巻き上げられるかもしれない。
フーニャンは芦楓を見た。
「旦那様、他を探さなくていいですよ。フーニャンがきれいにします」
芦楓は「そうか?」と険しい顔をしたが、「分かった」と頷いた。
小刀はまだ出番がありません。




