カヴェイネン:異国から来た訪問者(48)蘇という国の儀式と決まり
蘇国後宮
螺珠は貞俊の側室ふたりからの訪問を受けていた。
ふたりの側室は、法を掌る芦氏の娘と儀礼を掌る恂氏の娘で、ともに五心龍だった。
人の身で産まれであっても、人のなかに子を隠すと言われる地龍のなかで六心龍王の娘という本性を持つ螺珠は、五心の側室たちよりも後宮での待遇がよい。
側室のふたりは螺珠と机を囲んで、お茶やおやつを広げて満足げに満面の笑顔で「ほ」と息をついて胸の前で手を合わせた。
「螺珠様ご覧になって? 芦娘様が作るおやつの美味しそうなこと!」
恂娘が言う。
芦娘は「それは褒めすぎです」と苦笑しながら、恂娘が持ってきた茶葉を見て「香りを確かめても?」と嬉しそうに恂娘を見た。
「どうぞ、今日は芦娘様が作るおやつは甘いお菓子だと聞いたので緑茶にしましたの。蔡州特産の竹里天です」
螺珠は言葉を挟むことなくニコニコとふたりを眺めた。
螺珠にはわかっている。
まだ、おやつに手を伸ばしてはいけない。
お茶会の参加者(三名)は揃っているとか、そういうことではないのだ。
これから芦娘と恂娘にはやることがある。
法を掌る家の娘と儀礼を掌る家の娘にとってそれは、「やらねばならないこと」なのだ。
螺珠は、この後宮に来てから数十回はくりかえされたであろう彼女たちの儀式に対する抗議申し立てを諦めた。
諦めを笑顔で隠す螺珠の前で、芦娘と恂娘はおやつのほかに饅頭や果物を手際よく並べてから、おもむろに線香を取り出して蝋燭を用意する。
螺珠は最初のうち、ふたりに言った。
「おやつの前にお線香を焚かなくても」
「いいえ! 螺珠様は蘇地公様でございますよ! 本来なら廟に祀られる神仙です!」
芦娘と恂娘はキリッとした表情で楽しそうに螺珠に向かって答えた。
そのとき螺珠は理解したのだった。
ここに並ぶおやつの数々は「私」と分け合うための物である以上に「神仙」へのお供物だということなのだわ……。
転生先にアーケリを選んだ姉妹、アーケリには「神憑き」という神子を崇拝する風習があると言っていた。
それと同じだ。
自分の本性は貞俊や芳俊との間に「天龍か地龍か」という違いしかない「同じ六心龍」だが、芦娘と恂娘にとっては、「これまで儀式を通してしか存在を知り得なかった地公の現身」であり、彼女たちが線香を焚き終えるまで、おやつが並ぶこの机は儀式のための祭壇であって、お茶会の机ではない。
螺珠は仕方なく彼女たちを待つ。
芦娘と恂娘は自分たちが納得したところで「さあ」ときらきらとした笑顔を螺珠に向けた。
「螺珠様、いただきましょう!」
「はい」
笑顔で返す螺珠は思う。
(私が地公にまつわる無意味な儀式をひとつひとつ潰さないと。今の私はアーケリのお姉さまがうんざりしていた「神憑き」なのだろうし、このままにしておくと、その「神憑き」であることを弟にも強いることになるのだわ)
ひとり、儀礼を変えてもらおうと決心しながら、螺珠は火を通した卵黄で作られた菓子を齧った。
「美味しい」
芦娘がパッと笑顔になる。
「よかったわ! わたくし彩りがきれいなお菓子を用意するのが好きなのです!」
恂娘は横に用意した机に火鉢を置いて湯を沸かす。
「緑茶は温度を低めにと言いますけれど、甘いお菓子と一緒なら少し熱めのお湯で渋みがあっても美味しいものだと思いますの」
「そうね、冷ましたお湯で淹れると甘みがあって爽やかだけど、少し渋みがあると甘いお菓子をもっと楽しめますもの」
芦娘は恂娘に同意を示した。
ふたりはその「竹里天」を淹れて、螺珠に差し出す。
「ねえ螺珠様、わたくし少し疑問なのですけれど、地公様と王の婚姻はとても儀礼的なものであって、皇子を求めるものではないと申しますでしょう? でも螺珠様は貞俊様をご覧になって一緒にいてもよいと思われた。それはなぜです?」
螺珠にそう聞いたのは恂娘だった。
恂娘を見てから、螺珠はひと口お茶を飲む。
「私、男性嫌いだから。世の中、普通の男性は女性にはなれないけれど、貞俊様や六心のご兄弟は女性にもなるでしょ? それに後宮にいると、おふたかたとこうやってお喋りができて、芦娘様の美味しいお菓子が食べられると知ってしまいましたのよ? ひとりで自分の宮に戻ってもこんな幸せありませんの」
笑みを浮かべて螺珠は言った。
「あら! 褒め言葉がお上手!」
芦娘がまたきらきらとした笑顔で笑う。
「私、地龍の宮から転生先の国を選ぶのに、美味しいお菓子の種類が多い国にしたのですもの!」
螺珠は笑い、またお茶の器を手に取った。
恂娘が芦娘が作ったお菓子を食べる手を止めて、ひとつ大きく息をつく。
「螺珠様が貞俊様の女友達になってくださってよかったわ。わたくしたちでは無理ですもの」
「お互いに避ける関係ですものね」
芦娘が同意した。
螺珠はふたりを見る。
「なぜです?」
芦娘と恂娘は一度顔を見合わせてから、困ったように苦笑して螺珠を見た。
「蘇王の皇子で、すでに側室がいるのは貞俊様ひとりでしょう? 泰俊殿は側室を持たないと言っても許されておりますし、芳俊殿は幼いうちに臥渓様との縁談が話に出ておりましたから、側室の話もなし」
恂娘は螺珠に言う。
「貞俊様は先王の一子で、しばらくは五心の蘭俊殿しか下におりませんでしたから、わたくしと芦娘様は側室という名目の教育係として輿入れいたしましたの。それが第一皇子に課せられる儀式でしたから」
螺珠は「儀式」と首を捻った。
芦娘が手元のお茶に目を落として息をつく。
「わたくしと恂娘様は父たちにとって、お茶会の前に焚くお線香なのですよ」
「おふたりがお線香?」
螺珠の疑問に恂娘が「さようです」と答えた。
「わたくしたちは地公の螺珠様とお茶会をご一緒するのに、お線香をあげて廟と同じ儀式をいたしますけれど、父たちにとっては、天公候補の貞俊様を神仙にするためのお線香がわたくしたち」
芦娘が頷く。
「貞俊様はお可哀想」
「あの方、天才というわけではございませんの。すべてが努力。蘭俊殿や泰俊殿と比べると地味で控えめで、第一皇子であることにも引け目を感じながらそれでも「ふさわしく」と力を尽くすような性格です」
螺珠は思った。
(側室にここまで言われる……蘭俊……あの蘭のやつめと違いすぎる)
弟の蘭俊は、傲慢で頭が悪く努力を嫌い享楽に耽る男だった。
(蘭のやつは最低な男だった……)
螺珠が蘭俊を思い出してムッとした様子で目を伏せたのを見て、芦娘と恂娘が慌てる。
「あの、貞俊様はよい子なのです」
「そうです、あの方はとてもよい子なのです」
ふたりの弁解で会話に引き戻され、螺珠が「ああ」と慌てた。
「貞俊様のことではないのです、蘭俊殿を思い出して嫌になっただけ」
芦娘と恂娘はあからさまにホッとした表情で「ああ」と胸を撫でおろした。
「蘭俊殿は比べてはなりません」
「そもそも太子になる資格のない五心でおいででしたもの、本来ならわたくしたちと同じく、第一皇子へのお供物になるはずでしたでしょうね」
ふたりは呆れたように「ねえ」と顔を見合わせてから螺珠に目を戻す。
「五心というのは、本来六心の盾なのです。六心の王や皇子が攻撃されたときには、五心の皇子がその盾として攻撃を受ける、それが慣わしです」
「慣わしというのは、嫌な言葉ね」
螺珠はふっと息をついた。
「六心の王子と五心の姫が一緒に嫁いでおいでになるのは、六心の子供と同じ血を引く五心の子供が、一番近くで六心の子供を守れるからだと言われています」
「最後の砦ですから、盾、と呼ばれることもあれば、壁と呼ばれることもございます」
芦娘と恂娘はお供物の皿からそれぞれに蜜柑なり桃なりを手にとって皮を剥き、切って小皿に並べる。
「どうぞ、螺珠様」
「ありがとうございます」
お供物がさらに食べやすいお供物にされたといったところか。
芦娘と恂娘は「それで」と言葉を続けた。
「貞俊様は先王の第一子でしたから、後に生まれる弟君がいようがいまいが……これは六心の皇子だから、ということですけれど、五心の側室を貴族から迎え入れることが法で決まっております」
「古くからの儀礼でもあります」
螺珠は食べようとしていた桃を落としそうになった。
「法で? 古くからの儀礼として?」
「さようです」
ふたりの肯定を見つめて、螺珠は言葉を失う。
ふたりは続けた。
「後に貞俊様より格上の皇子が生まれなかったり、あるいはその皇子が不慮の事故でお亡くなりになったりしたら、貞俊様が王になる。それは、王の験しを受けるかどうかということではなく、単純に、本来王になる権利を持つ皇子の代わりに王になる、ということです」
芦娘は言った。
恂娘が苦笑しながら付け加える。
「そうなったら外国から六心の皇子と五心の姫君を妃に迎えることになります」
「ええ」
螺珠はかろうじて頷いた。
「そのときに初夜で何もできないような皇子であっては困るのです」
恂娘のその言葉に、螺珠は首を捻り、意味を考えた。
考え、それから口元を押さえた。
「側室のお役目って、そういう……」
「つまり、そういう仕事です」
芦娘と恂娘は苦笑する。
「そのときにも一から十まで、法律とお作法が必要ですから、法律に関わる家の娘が右妾として、礼儀作法に関わる家の娘が左妾として、婚儀の席で王を補佐することになります」
芦娘が言い、恂娘は頷いてから「でもその、ね?」と言葉を濁した。
「貞俊様の場合は、二妃が蘭俊殿にも右妾と左妾をとおっしゃったことで、炎妃様が烈火のごとくお怒りになって、ね、芦娘様、覚えておいで?」
「……覚えてます。炎妃様はわたくしと恂娘様に「そなたらを蘭俊にやる気はない!」と大声でおっしゃったのよ。お妃様だと言うからてっきり後宮で異国の素敵なお姫様を拝見できるのだと思っていたのに、奥の宮で大柄な異国の男性に怒鳴られて、その横でまだ少年と言うにも小さいぐらいの貞俊様が芦家と恂家の父たちにちんまり挟まれて縮こまっておいでだったの」
「あれは貞俊様がたいそうお気の毒でした……」
螺珠は、なんとなく貞俊がどうしてああも事なかれ主義なのか理解するきっかけを得たような気がした。
*** *** *** *** ***
貞俊は長椅子に腰かけ、肩身を狭くして縮こまった。
螺珠からふたりの側室から聞いた顛末のことを問いただされたせいだった。
「ふたりの話に一切の誤りはない」
目を合わせようとしない貞俊を眺めて、螺珠は白い着物を持ったままで生温かい笑みを浮かべた。
「右妾左妾というのは、そういうしきたりなのだというのも、そうなのですか?」
「それは、私の代で終わりにしたいと思う」
貞俊は小さな声で螺珠に返す。
「そうですね。それで、リゲル嬢はどうなのです? お気に召したのですか?」
螺珠に訊かれ、貞俊は螺珠を見た。
「……年が違い過ぎる。炎王は、少なくとも見目はまだ子供だ」
「先王とエナ様も、年の差はずいぶんおありだったと、太后様から伺いましたけれど」
「だから、あの父と同じようなこともしたくない」
貞俊の逡巡を見て、螺珠は呆れる。
「ご自分のお気持ちは?」
「同じく国を預かる身として、よい友人になれると思う」
「さようですか……」
螺珠は嘆息混じりに帰した。
「縁結びの話になった途端に消極的で……これではわたくしも臥渓も、なんのお手伝いもできません」
貞俊は俯く。
「地公の手伝いはいらない。これは私の問題だ」
「よくお分かりですこと」
苦笑してから、螺珠は貞俊を白い着物の仮縫いをするために立ち上がらせた。
貞俊は渋々螺珠に付き合いつつ、鏡越しに見た少年の顔を思い浮かべて天を仰いだ。




