カヴェイネン:異国から来た訪問者(47)食の差騒動
カヴェイネンは食事の準備をしながら、ときどきジャファを眺める。
食事の場所は砂漠のど真ん中だった。
テントを張り、ラクダを休ませるためにジャファが水場を作る。
「こりゃ便利だ」
イェジンが泉を作るジャファを眺めて満足げに笑った。
「ラクダに優しく」
「ジャファがいてくれて助かる」
イェジンに褒められて、ジャファは自慢げに目を輝かせながら胸を張る。
カヴェイネンはリュヌ商会とスジェの一行が火を起こして食事を用意するのを手伝いながら、リュヌ商会の地龍たちがパンを平たく伸ばして砂に埋めているのを見た。
不思議そうな顔をしているカヴェイネンを見て、リュヌ商会の龍たちが笑った。
「昼の砂漠はこれでパンに火が通るぐらい熱いんですよ」
「そんなに熱い場所を歩いてくれるラクダはすごいな」
「ええ、ラクダは偉いんです」
リュヌ商会の者たちがまた笑った。
食事の支度ができると、ジャファはイブレイムとは距離を置いてビジューの隣に座り、言葉少なにパンを千切って食べ始めた。
イブレイムがカヴェイネンに「スジェ王が大人すぎて相手にしてもらえなかったんだ」と囁いて、「はっはっは!」と嬉しそうに笑った。
「嬉しそうですな」
「スジェ王が嫁に来るなら年上だろうが「好きならよい」と喜んでやる。自分の子を嫁に出すなら話は別だ。とっくに成人していたジャファールのほうなら、大人同士で話をしろとも言えるが、チビじゃだめだ。百も過ぎた大人がチビに言い寄られて手放しで迎え入れるなら、それこそ俺は相手の良識というものを疑う」
イブレイムはそう言いながら立ち上がってジャファの隣に腰かける。
「ジャファール」
「……」
イブレイムは一度返事がないぐらいでは諦めなかった。
「ジャファール」
ジャファは無言でピッとイブレイムを見る。
イブレイムは反応が返ってきたことに笑顔を浮かべた。
「干し肉いるか? 取ってきてやろうか?」
「いい。自分で取る」
「……」
カヴェイネンはイブレイムとジャファを見てから、ピンとふたりで「んむ」と頷いた。
「親子だな」
「親子ですね」
ピンはそう言いながら、イェジンが用意してくれたバッタの山に登る。
カヴェイネンはパリパリと音を立てながらバッタを齧るピンを見て沈黙し、ビジューはピンに「それは美味しいのですか?」と思わず訊いた。
ピンはビジューを見上げる。
「いつもナッツでは飽きます」
「なるほど」
デイジェンがなぜか納得したビジューを笑った。
「桑州でも食べる」
「は?」
ビジューは顔をしかめた。
「バッタをですか?」
「そう、バッタ。軽く揚げてからはちみつと醤油で炒めて唐辛子で味付けする。甘くてカリカリしてる」
そのデイジェンの解説にはピンが怪訝な様子でデイジェンを見上げ、齧りかけのバッタを抱えたまま動きを止めた。
「……人間がバッタを食べる話は初めて聞きました……」
そう言ってピンは自分の足元に積まれたバッタの山に目を向けてから、躊躇いがちにもう一度デイジェンを見上げる。
「バッタ……少しいりますか?」
「代わりにハチの子をやろう……」
「ハチ……」
「炒めると美味い」
ピンが期待の眼差しでデイジェンを見る。
「炒める」
ピンが訊き返し、デイジェンが頷く。
「炒める。あと、煮る」
「煮る」
デイジェンはピンが繰り返し、齧りかけのバッタをポタッと足元に落としたのを見た。
「美味いぞ」
ピンはササッと齧っていないバッタのなかから一番「美味しそうなバッタ」を探し、精一杯に腕を伸ばしてデイジェンに差し出す。
「バッタと交換」
デイジェンはぐっと両手の親指を立てて見せる。
「よし、ハチの子を炒めてもらってくる」
デイジェンとピンの、語彙力の貧しい感じの会話を聞いたビジューが頭を抱えて「チ」と舌打ちしながら言葉を探し、カヴェイネンはぎょっとした。
「ビジュー殿?」
「あ、失礼、なんと言えばよいか、言葉が見つからなかったもので……まさかだって、自分の国の皇子が虫を食べる話でネズミとこんなに静かに盛り上がるとは思わなくて……」
カヴェイネンはビジューを見つめてしまった。
「まあ……誰も虫を食べる話でネズミと王弟の話が合うなんて思わないでしょうな」
ビジューは「そうですよね」と言いながらデイジェンとピンを見る。
「これはタガメ」
デイジェンは黒い虫を掌に出してピンに見せ、とうとうビジューが首を振って両手を挙げた。
「殿下、止まって、もうその辺で止まって。スジェの王宮で常に虫料理を出してるみたいに思われますから、そろそろその辺で終わりにして」
「おまえだってサソリ食べるじゃないか」
「サソリは虫ではありません」
どっちもどっちだと思ったカヴェイネンは、ふと「あ」と声を上げた。
「なんです? カヴェイネン殿」
「ヴェスタブールでは、カタツムリを食べる」
場が静まり返り、カヴェイネンは表情だけで「不本意だ」と訴える。
カヴェイネンとしてはカタツムリなど、バッタやハチの子に比べたらまだ食べ物だが、ピンも含めて、デイジェンやビジューにとっても、カタツムリよりはバッタ・ハチの子・サソリのほうが食べ物であるらしい。
「ティーキム様は、召し上がった」
「よし! 兄上に食べられるなら私にも食べられる」
何を根拠にかデイジェンが胸を張った。
イブレイムがジャファに顔を寄せる。
「おい」
「なに?」
「カタツムリってなんだ」
「父さんカタツムリ知らないの?」
イブレイムはジャファを見た。
「カタツムリを知らなくたって生きてられる」
「カタツムリに生死かけなくていいよ」
ジャファは小さく、やるせなさと諦めを含んだ表情で嗤ってから、イブレイムの手に手を重ねる。
「お?」
嬉しそうにニヤリと笑ったイブレイムを見て、カヴェイネンは目を逸らしてピンに小さく首を振って見せた。
「耳塞いでおけ」
ピンは首を傾げてから、小さな手で耳を塞ぐ。
「ジャファール! なんだこいつは! ヌルッとしたぞおい! なんのいたずらだ!」
イブレイムの怒号が砂漠を揺らし、ジャファが「ははははは!」と心底楽しそうにひっくり返って笑った。
「カタツムリ怖がってる!」
「ああ? こいつがカタツムリか! くそ!」
「カタツムリ咬まないから! ヌメッとしてるだけだよ!」
笑うジャファに呆れながらイブレイムの手を這うカタツムリを指で摘まんで、イェジンがパチンと手を打ってそのカタツムリを消す。
はあ! と息をついてジャファが焼かれた肉に手を伸ばそうとしたところで、イブレイムはジャファの額に手を当てて、パン! と張り倒し、ジャファは「くそ」と悪態をつきながら額を撫でつつ、目当ての肉を自分の皿に取った。
ジャファはビジューの左隣に座り、肉を齧って満足そうに咀嚼する。
左で肉を齧るジャファを見て微笑を浮かべるビジューを見てデイジェンがムッとした表情を浮かべたのを、カヴェイネンとピンは見た。
スジェの一行について来ていた料理人がデイジェンに皿をふたつ出す。
「バッタとハチの子です」
デイジェンはちらりと料理人を見て、それからピンがそわそわと尻尾を動かしているのを見て頷いた。
「ありがとう、ハチの子はネズミ殿に」
スジェの料理人は皿に盛ったハチの子をピンの前に出して苦笑する。
「ここでも食べやすい味にしたつもりです」
「ありがとうございます」
ピンは山盛りのバッタの上で丁寧に料理人にお辞儀をし、料理人を笑顔にした。
「ハチの子!」
ピンが自分でひとつ手に掴み、空いている手でもうひとつ掴んでカヴェイネンに渡す。
「ありがとう」
カヴェイネンはそう言ったものの、ハチの子、と内心で呟いた。
「味付けがはちみつ絡めたナッツ」
ピンの言葉に、カヴェイネンはしばらく掌のハチの子を眺めてから口に放り込む。
「ああ、なるほど」
感想としては、なるほど食べられるのだな、が最初だったが、デイジェンがバッタの炒め物を箸で摘まんでいるのを見て、なんとも言えない表情になった。
人間、だいたいなんでも食べられる。
ビジューはパンを千切りながらジャファを気にしていた。
「なにか気になりますか?」
「ティーキムはスジェの王様」
ジャファは肉を咬みながら言う。
「そうです」
ビジューは頷く。
デイジェンはバッタを摘まみながらビジュー越しにジャファを覗き込んだ。
「なんだ急に」
「ヴェスタブールで知ったんだけど、やらないといけないことってティーキムとカストールで違って、や、結局、カストールは葡萄畑と密輸の元締めぐらいしかしなかったけど」
ジャファの言葉に大人が口々に「密輸の元締めはダメだろう」とジャファを諭す。
ジャファは続ける。
「俺がやらなきゃいけないことと、スジェ王がやらなきゃいけないことは違うよね」
「違いますね」
ビジューは淡々と、それでも笑顔を見せて答える。
ジャファは恐る恐るイブレイムを見た。
「エニシャの王様ってなにすればいい?」
「そんなもん父が知るか。父はな、息子が「盗賊カッコいい」って言ったら領地捨てて盗賊になるようなお調子者だ」
イブレイムの開き直りにジャファは冷ややかになった。
「ダメ親父に訊いた俺バカだった」
「ダメ親父と言うんじゃない、お父さん傷付いた」
ジャファはイブレイムから顔を逸らす。
「反抗期」
ハチの子を齧りながらピンが言う。
ジャファはまた肉に歯を立てながら、イブレイムに苦情を申し立てる。
「盗賊カッコいいって言われたら、盗賊カッコよくないぞって言うもんじゃないの?」
「そんな説教、息子のバラバラ死体集めるためとはいえ、実際に盗賊みたいなことやってる親父ができると思うのかおまえ」
「……」
父の反論に、ジャファは肉を咥えたままで父を見てから「むう」と唸った。
「イブレイム殿は変なところで常識的だな」
デイジェンが呆れる。
「エニシャってのはそういうところがある国なんだよ。そもそも、スジェやアーケリに比べてエニシャとケルグンの民族集団は、組織化された国ってものが合う性格じゃない。どこのオアシスにも定住者はいて、そこは都市化されたオアシス王国になる。だがそれは都市の生活を好む人間のために整備する場所であって、遊牧民にまでなにかを強制するような統治権でもって王国であるわけでもない」
イブレイムの説明にジャファは肉を食べる手を止め、デイジェンとビジューは興味深そうに目を見開いた。
カヴェイネンは要領を得ないというように首を捻る。
「国というのは、領土、領民、権力で形作られるものなのではございませんか? オアシスが個々に独立した権力を持ち、そこに従わない遊牧民がいるというなら、その遊牧民は多国間を自由に勝手に行き来しながら、その土地の草木を勝手にラクダや羊に食わせているということでしょうか?」
「あっはっは!」
イブレイムはカヴェイネンの疑問を笑い飛ばした。
「そりゃあんたがいたヴェスタブールでは、国ってのはそういうものだったかもしれん。ここはエニシャだ。ヴェスタブールによくある封建国家みたいな「国」が、王の権力や宗教で支えられているわけじゃない。簡単に言って、オアシスを都市として整備できる能力のあるドランが各々の能力でオアシスを統治するし、人間たちだって別に過ぎた権力を求めようとはしない」
カヴェイネンは「過ぎた権力」と顔をしかめる。
「ヴェスタブールの権力者は特に支配欲が強い。スタラーデにはたぶん合ってるだろう」
イブレイムは顔をしかめながら言った。
「そういう意味では王墓がヴェスタブールを験しに使うのも」
顎鬚を撫でて、イブレイムは言葉を選ぶ。
「なんとなく、なんとなく分かる。王というのは、権力欲が強くないといかん。だが権力欲には色々な方向がある。そこだけで言えば、スタラーデにだって王の資格はあった。王墓でなにがあったかは最後しか見てないが、リゲル……チー……ビ……じゃなく、ジャファがスタラーデと違うところがあったとしたら、その権力欲が向かう先ってことだ」
ジャファは「チビって言った」とイブレイムにまた文句を言ったが、イブレイムは無視して話を続ける。
「スタラーデの性格からすれば、その権力欲が向かう先は自尊心の満足だ。手の届かない他人との比較はあいつにとってどうでもいい。身近な人間からの賞賛がスタラーデが何より欲しいものだ。従兄を殺し、麻薬を売りつけてでもその賞賛を手に入れたい」
イブレイムはジャファを見た。
「こいつは違う。こいつの権力欲は……」
言葉を止めたイブレイムは、パンを千切って口に運び、羊とスパイスのスープで喉に流し込んでから口元を拭う。
「権力欲の向かう先ってのが、チ……」
イブレイムは咳払いした。
「ジャファの場合は、自尊心をくすぐられるってことに魅力は感じない」
また肉に齧りついてひと口、噛みちぎってからジャファはイブレイムを見る。
「さっきからその自尊心ってなに? スタラーデは自尊心とか、俺は自尊心くすぐられるとか」
「自尊心くすぐられるってのは、おまえにとっちゃ魅力的じゃねえって言ったんだ」
イブレイムはジャファに向かって指を振った。
「まったく、そういう勉強はなんにもしてねえのか」
「ほったらかしたの親父だよ」
ジャファはそう言いながら肉を飲み込んだ。
「自尊心ってのは、あー……」
イブレイムが言い淀んだのを見て、ビジューがジャファに顔を向ける。
「リゲル嬢はすごい、リゲル嬢はさすがだ、リゲル嬢がいればなんでもできる、そう言われたらどう思います?」
ジャファはビジューを見た。
「すんごい気持ち悪い。全部俺なの? 俺だけじゃなにもできないよ? ティーキムに色々教えてもらったし、リリアナのおかげだし、オルジェン教授も手伝ってくれたし、色々あったし」
ビジューはジャファの反論に頷いた。
「スタラーデ殿ならなんて言うと思います? さすがカストール殿、カストール殿のおかげでバラカと取引ができました、おかげで大儲けです」
ビジューに言われてジャファは考える。
考えてから、また肉を齧った。
「スタラーデなら、鼻高々で「そうでしょうとも」とすごい得意げに言うと思う」
「そうです。それが、自尊心というものによる反応の違いです。自尊心をくすぐるというのは「すっごい褒めて、すっごいお世辞をたくさん言う」という意味です」
ジャファは怪訝な顔で口から肉を落とした。
「それ……言われて楽しいの? スタラーデは楽しいだろうけど……」
「言われて楽しい人はスタラーデだけじゃないってことです」
デイジェンがハチの子を摘まみながらジャファに「そういうことだ」と言葉をかける。
「だがそういうお世辞を言うヤツはなにかの目的があって近付いてくる。自尊心というのは、これは私の勝手な考えだが、自分の内面に自信がない者ほどお世辞を言われ、賞賛されることを悦ぶ。その言葉に有頂天になっているうちに、いつの間にか自分はすごいと、自分がその催眠にかかっていく」
デイジェンは嗤った。
「だがジャファ殿の権力欲は、自分が褒められたり他人を蹴落として満足するものじゃない。もっと、もっと欲張りなんだ。それはティーキムのせいじゃない、だがティーキムととても似ている」
イブレイムは首を伸ばす。
「似てるだと?」
「ふたりとも、より貧しい者、虐げられている者を取り巻く環境をよくすることが、金よりも名誉よりも大事だし、それを達成するために権力に近付いていく」
デイジェンはイブレイムを見た。
「そういう欲求の持ち主は、金や名誉が倫理観よりも大事な者や、自分が正義の味方でありたい者にとっては、すごく目障りで、理解しがたい性質の持ち主だろうな」
イブレイムはじっとデイジェンを見つめる。
「それがおまえさんの持論か」
「だいたい、人には「イチから十まですべてが同じ」なんて性質はないでしょう。自分の欲望の向く方向と、そしてそれを達成するために乗り越えなくてはならない障壁をヴェスタブールという、同じ世界にある別の国で験される。ジャファ殿は、スタラーデ殿とその欲望の強さを競う必要があり、兄は自分と父のどちらの「家族」を守りたいか、その欲望の大きさを測られた」
デイジェンはそう言って息をついた。
「そういうことなんだろうと思う」
ビジューは「はあ」とため息をこぼしながら、パンをちぎってかじる。
「そのあいだ、私は王墓で王墓の管理者に日記を書き写させられていたのですよ」
「私は真実が知りたいと言って、父と兄の記録を見せられた」
イブレイムは「なるほどな」と頷く。
*** *** *** *** ***
蘇王宮
貞俊は朝堂で行政の建て直しにかかり切りの大臣たちの奏上を聞いた。
そうして一通りの奏上を聞いた後も、大臣たちは朝堂を退出することなく貞俊を見つめていた。
貞俊は居心地の悪い玉座に座らされたまま、大臣たちを眺めまわす。
王権の玉を通して彼らの意図を見れば、そこに浮かんだのは分かりやすい要望だった。
妃を決めろ
玄がよい
玄妃がよい、ひとり目は玄からにしてほしい
貞俊はうつろな目で、二百数十歳から五百歳に至るまでの大臣たちを眺め、くたびれた。
「鴻盧卿」
「は」
頭を下げたのは、外務を掌握する鴻盧寺の大臣だった。
「炎王の一行が蘇に向かっていると泰俊からの知らせがあった。饗応の支度を頼む」
鴻盧卿は長く伸びた眉の下で目を瞬かせてから、「は」と頭を下げる。
「いつ頃のご到着か、泰俊殿下からはなにか報せがございますか」
「一週間後か二週間後になるだろうと聞いている」
鴻盧卿は長い眉がピッと天井に向くかと思われるような勢いで表情を動かした。
「泰俊殿下はいつその報せを王に」
「数時間前だ」
鴻盧卿が泰俊を罵る言葉が王権の宝玉を通して貞俊の耳をつんざく。
あの軍事バカ皇子!
貞俊は頭を抱えた。




