カヴェイネン:異国から来た訪問者(46)リゲルとジャファと現実と
蘇国王宮
艶のある黄色い瓦屋根の上に鳥が止まる。
蘇王貞俊は鳥を見て顔をしかめた。
「熊殿か?」
「常梅香殿からの伝言を預かっております」
貞俊は鳥を手元に招いて、左手に停まらせた。
「梅香が昨日から邸に戻っておらんと比嵩が顔を曇らせていた」
「泰俊殿下に呼ばれて、炎においでだそうです」
鳥が言う。
貞俊は「炎」と目を丸くした。
「炎王とご一緒だそうです」
「炎王?」
貞俊はまた顔をしかめる。
炎は王が表に出て来ることがない。
その炎王と一緒だというのはよくわからない。
「王のご都合のよろしい時間に、水鏡で呼び出していただきたいとのことです」
鳥はそう言って飛び立って行った。
貞俊は頭を抱える。
「炎!」
*** *** *** *** ***
ジャファはビジューの隣で鏡を覗き込んだ。
「これティーキム?」
「はい、ジュジェン殿です」
ビジューは鏡に映した貞俊をジャファに見せる。
「すごーい! オッサンだ!」
ビジューは「ぐ」と口元を抑えた。
「考えたことなかったけど……百歳って……思ってたよりオッサンなんだね……」
「そうですよ。私とデイジェン殿も、七十ぐらいですけど」
「スタラーデと同じぐらいだ」
「そうですか?」
「スタラーデ、七十二って言ってた」
「なら……そうですね、同じぐらいです」
ジャファはじっと鏡のなかの貞俊を見つめる。
「色白い」
「そうですか?」
「あんまり外出ない?」
それからジャファは貞俊の着物を見る。
「スジェの着物?」
「そうです」
「あの飾りどうなってんの?」
「飾り? ああ、腰の飾りですか?」
「重そう」
「そうですね、私の玉飾りより、使われている玉が多いですからね」
ビジューは笑った。
ジャファは貞俊を眺めて「ふふん」と嗤う。
「この顔、なんか面倒臭いなと思ってるんだろうな。ティーキムよくこんな感じにため息ついてた」
ジャファとビジューは貞俊の声を拾う。
「比轍め、王墓から記録が来ていないと文句が来たのに、あいつどこに消えよったかと思ったら、炎? 炎王と一緒だと? どういうことだ」
ビジューが躊躇いがちに、鏡越しに「あのう」と貞俊に声をかけた。
水鏡を振り返り、貞俊が「比轍か」と呆れる。
ジャファは目をきらりと光らせて貞俊を覗き込んだ。
貞俊がジャファを見て小さく表情を動かす。
ジャファは自分の首飾りに引っ掛けてある赤い宝石を見せた。
「見て!」
水鏡越しに貞俊が少し何かを考え込んで、掌を広げる。
貞俊の手の上に赤い宝石が浮かぶのを見てジャファはまた目を輝かせた。
「おそろい!」
貞俊は水鏡越しにジャファを見る。
「炎王殿には初めてお目にかかる、これほどお若いとは思わなかった」
ジャファは心底なにかがおかしかったようで、貞俊に満面の笑顔を見せた。
「俺もティーキムがこんなおじさんだと思わなかった」
貞俊は小さく顔をしかめてジャファを見つめる。
「カヴェイネンもいるよって言ったら驚く?」
ジャファは貞俊を見て「ふふん」と胸を張った。
「なぜティーキムとカヴィニンをご存じなんです?」
「リゲルだから!」
貞俊は鏡越しにジャファを見つめてから「ん?」と首を捻った。
「リゲル? カヴィニン?」
「ティーキム、俺が最後に書いた手紙覚えてる?」
「エニシャに……」
ジャファは鏡越しに貞俊が頭を抱えたのを見た。
「待て待て待て、リゲル嬢は……いや、たしかに王墓に」
「大変申し訳ございませんでした」
ジャファの隣でビジューが深々と頭を下げる。
「なにが」
「炎王を炎国王墓に放り出したのは私です」
「おまえは、そういう星の元に生まれ付いたのか、さもなければ央原君に良いように使われているのだな」
ジャファがビジューを振り返る。
「どういう意味?」
「いや、まあ、ええ」
言葉を濁すビジューを見て、貞俊がジャファに向かって鏡越しに指を振った。
「私が王墓に行ったのも、そいつと泰俊……デイジェンのせいだ」
「王墓に行くとおっしゃったのは貞俊様です」
「ああそうだとも」
「それもかなりやる気十分でいらした」
「それも否定しない」
貞俊の言い方にジャファがビジューの膝にくっついてひくひくと腹を抱えて笑う。
「ティーキムだ」
「なんです?」
「話し方、すごく淡々としてるの、ティーキムっぽい」
ビジューは貞俊を見て鏡をジャファに向けた。
「箸が転んでも笑えるぐらいの子供が見えますでしょうか」
「よく見える。リゲルもなにがあろうと楽しそうだった」
ジャファがビジューの膝から飛び起きる。
「リゲル覚えてる?」
「忘れていない」
淡々と言う貞俊を眺めて少し黙り込み、ジャファはビジューを見た。
「……鬱陶しいと思われてたらどうしよう?」
「こういう人ですから気にしないことです」
「比轍、適当なことを言うんじゃない」
貞俊の苦情を聞いて、ビジューは目を細める。
「喜怒哀楽を表に一切出さない、理路整然と叔父上様とお父上の弾劾を行う、好き嫌いを言葉にしない。君主として理想的です、比一族としては伯父の躾の成果を誇りに思います」
貞俊はビジューを見て表情を動かした。
「正気か?」
「正気ですとも。帝王とは自分の好き嫌いを顔や態度に出すことなく、一切合切を淡々とこなしてこそのスジェ王」
ジャファが怪訝な顔でビジューを見る。
「そうなの?」
「そうです、王が好き嫌いを顔に出したら、周りの者たちはその顔色を窺って話をするでしょう。それはよいことではございません。ですから、喜怒哀楽は、使い分けていただく必要があります」
ジャファはビジューを見つめる。
貞俊は息をついた。
「炎王殿、あー……リゲル、簡単に言うと、それが言っているのは、王の喜怒哀楽と王である我々の喜怒哀楽は違うから、自分の喜怒哀楽は自分の私的な空間でだけ許されるもので、一歩、あー……例えば、カヴィニンやカラス以外の者がいる場所に出たら、すべての喜怒哀楽は相手に見せるためにあると思えという……」
ジャファは貞俊に向かって鏡越しに、まったく理解できないという表情を作って見せる。
「ヤダ」
ジャファはきっぱりと言ってから、しばらく考えた。
「ここビジューしかいないから、好き勝手なこと言えるよ。ええと……あー……あのね、イブレイムは父さんなの! だからティーキムがリゲルのためにイブレイムを呼んでくれたときすごいびっくりした! なんでいるんだこの親父って思った!」
貞俊は眉を動かして小さく何度か頷く。
「なるほど、リゲル嬢に間違いなさそうだ」
「最初はカヴェイネンのオッサンに捕まってタジャンのオッサンに引っかかってデイジェンに突き出されてビジューに王墓に入れてもらって、スタラーデに反抗して、そしたらティーキムが来た」
ジャファに向かって貞俊は手を振った。
「落ち着け、繋がりがまったくわからない」
貞俊の質問にジャファは指を立てて見せる。
「カヴェイネンのオッサンがエニシャに来なかったら、イェジンのオッサンにも会わなかったし、スタラーデにもデイジェンにもビジューにも会わなかったの! だから、カヴェイネンのオッサンには絶対にエニシャに来てもらわなくちゃいけなかったの! そうじゃなきゃ、俺は自分が龍だなんてことも知らないで、エルバハンで適当に物をかっぱらったり近所のオジサンやオバサンに家の物売り払われたりしながら、その日暮らししてた」
貞俊はジャファの告白に小さく笑った。
「なるほど、リゲルが農家の娘や貧民の扱いに関心を寄せたのは、同じような境遇を見てきたからだったか」
ジャファは困ったように目をギュッとつぶって首を竦め、ビジューの影に隠れる。
「あのー」
ビジューが貞俊に声をかけた。
「殿下としては、リゲル嬢をどう……」
沈黙。
ジャファがビジューの影から貞俊を覗く。
貞俊はビジューを眺め、それから指を振る。
「おまえ私と炎王の恋物語を楽しみにしているだけだろう」
「だって気になりますでしょう? 王墓が結んだ縁がどう決着するのか」
「炎王殿、その女の興味は聞き流してけっこう。もともと小説や演劇が好きで、恋愛沙汰となると時間を作って聞きたがる」
ジャファはビジューの後ろから顔を覗かせて貞俊を見た。
「ジャファだよ」
「うん?」
「エニシャ王じゃなくて、ジャファっていうの、名前」
貞俊は頷いて小さく笑う。
「ジャファか」
「ジャファールの、ジャファ。俺はジャファールじゃなくて、ジャファって呼ばれるほうが好き」
「なるほど、賢王の名前だ」
貞俊が笑顔でジャファに言った。
「賢王?」
「エニシャ王のなかで、あれは……何代目だったかな……五代目か六代目ではなかったかと思うが……一度バラバラになったオアシスを再統一した王の名前がジャファールだったはずだ。イブレイム殿の愛情か期待か……」
ジャファはしばらく貞俊の姿が映る鏡を眺め、それから訊く。
「……ティーキムは……リゲルの最後の恋文、見てくれた?」
「見た」
貞俊は淡々と答える。
「スジェ王にとっては……あれは別世界の、別の誰かがもらった恋文? ジャファもリゲルも、人生で初めて書いた恋文だったのに」
「そうだ」
貞俊は微笑を浮かべた。
「ヴェスタブールでカタラタンのティーキムがフォルクサンのリゲルからもらった、人生で唯一の恋文だった」
ジャファは貞俊を見つめる。
「俺のこと子供だと思ってる」
「まだ龍の歳で四十ぐらいの子供だろう? 見た目だって人間ならばまだ十四、五歳ぐらいにしかなっていない」
貞俊の言い方に、ビジューはサッとジャファの手を握った。
「貞俊殿下」
「比轍、泰俊と芳俊に、次はおまえたちが王墓の験しを受けるようにと伝えてくれ。私は、誰かが私からあの宝玉を奪ってくれるのを待っている」
ジャファはビジューを見上げた。
「どういうこと?」
ビジューはジャファには答えず、「チッ」と小さく舌打ちする。
「私は貞俊殿下のそういう気弱で卑屈なところが嫌いです! こんな小さな子供が国も関係なしに慕うぐらい心酔しているのに、よりによってその子供がいる前で、なんです! 泰俊殿は兄上様に感服していて、芳俊殿はまだ領地をまともに統治した経験も浅い! 煕俊殿下がおられない今は、貞俊殿下のほかに人選はございません! それに殿下は比一族と芦一族が、それぞれの一族から自慢の躾役を出して英才教育を施した第一皇子なのですから胸を張っていただきたい!」
貞俊はビジューを見て胡乱な表情を返した。
「おまえときどき従兄弟同士だと思って言いたいことを言うね」
「周りに人がいなければ、ただの従兄弟ですから」
腕組みしたビジューを見て貞俊が息をつく。
「リゲルが王になるなら炎は安泰だろう。蘇と炎は違う、私のやり方でもカストール殿のやり方でもない、リゲルのやり方で炎の民ならどういう状況で幸福を感じて笑顔になれるかをしっかりと考えられる」
ビジューにくっついて、ジャファはじっと貞俊を見つめた。
「……エニシャに……タリヤにいるからって書いたから、デイジェンが迎えに来てくれたんじゃないの?」
「それはそうだが」
貞俊はジャファに返す言葉を探す。
「王であるなら私情よりも国を優先したほうがよい」
「むー……」
ジャファはまた鏡越しに貞俊を見つめる。
「……カヴェイネンもいるから、スジェ、行くからね。会ってよね」
「会うだけならば喜んで会う」
貞俊は鏡越しにジャファに告げた。
*** *** *** *** ***
「貞俊様は青と赤は着慣れておいででしょう? 白、いかがでしょう?」
「螺珠殿、私はそなたが、男嫌いだとか男性が苦手だと言うからこうやって女の形でいるが、そなたは相手が女であれば緊張することなしに話ができるのだな」
螺珠は貞俊を振り返って笑みを見せた。
「ひどい男のせいでひどい目に遭いましたもの。でも貞俊様は、本当は私以上に相手が男でも女でも触れられるのがお嫌い」
「比氏にも芦氏にも王がそれでは困ると言われた」
貞俊は長椅子で手にした奏上を見たまま、螺珠に「着物は好きな色を選ぶといい」と空いている手を振る。
「エニシャの王子は天真爛漫で元気がよいとイェジン兄から聞きました」
「うん」
「ああ、貞俊様、着物の丈を合わせたいので少し立っていただけます?」
貞俊は奏上を閉じて横に控えていた宦官に渡し、立ち上がるのを支えようと手に触れた宦官の手を「不要だ」と払って立ち上がった。
「リゲル嬢は天真爛漫で、相手にしていると飽きないのは間違いない」
螺珠は宦官に手で「外へ」と示して人払いする。
貞俊はそれを見て大きく息をついた。
「助かる」
螺珠は貞俊に笑みを返して白い絹を貞俊の肩に合わせて背中に流す。
「エニシャ王はまだ子供なのでしょう?」
「それがよくわからん。わからんが、よい王になるだろうな」
「わからん? あ、あー、貞俊様、今動かれると針が刺さってしまうから動かないでくださいな。この絹は薄くて目が細かいので針の痕が隠せないんです」
「螺珠殿の趣味のおかげで女物の着物ばかり増える」
「女性の姿かたちのほうがおきれいですよ。男性なんて考えていることは権力と女のことばかり。女性相手のほうが安心感ありますでしょうに」
貞俊は着物を仕立てるのだと言って採寸している螺珠を振り返った。
「相手が女か男かにそう違いはない。男にだって権力も女もどうでもよいと思っている者はいるものだ。ただそういう輩も、ときに女を「いかに自分が身綺麗か」を訴える道具に使うことはある」
「あら面倒」
「女のなかにも色々いる。二妃などは権力のために不倫も隠して、そなたを好きに使えると思ったか、贅沢三昧だったというではないか」
「さようですね」
「そなたと私はだいたい利害が一致することが分かったし、天公地公という関係で形としての婚姻関係を結んで、本来は別にそなたも後宮にいる必要はないのに後宮にいる」
「だって後宮の外には男性がいるのですもの。貞俊様はこうして女性として女性の姿でお相手してくださるから好きですよ」
螺珠は笑う。
「王は五心の側室ふたり以外にまともに妻を娶る気がないと、梅香は比氏の邸で毎日のように苦情を聞かされているのだそうです」
貞俊は呆れた。
「ジジイどもが梅香によう言うわ。なぜこうも他人に触られるのが嫌なのかなんて、連中のせいに決まっているだろうに、想像もしやしない」
「そのジジイどものせいなんですか?」
「その気もないのにいきなり手ほどきの女の前に突き出されて着物を脱がされて、一晩中観察されたなんぞ、思い出したくもない悪夢だ」
螺珠はじっと貞俊を見つめて、それから「悪夢」と繰り返す。
「……」
貞俊は螺珠を振り返ると、螺珠は無言で何とも言えない表情で佇んでいた。
「他人の期待を裏切るのが怖いですか?」
螺珠が貞俊に問う。
「……炎王の期待を裏切るのが、怖いですか? オッサンと言われてがっかりなさった?」
「炎王は見た限りまだ子供だ」
貞俊は息をつく。
螺珠も息をついた。
「側室のお姉さま方は、貞俊様は潔癖症で几帳面、夜もなにか用事を見つけては仕事をしたり武芸の鍛錬をしたりと真面目なのだとおっしゃってましたけれど、そういうことではなく、貞俊様は、夜、やることがないと困るんですね」
自分を見つめてくる貞俊の目を見て、螺珠が首を振る。
「螺珠殿に言うと」
「なんでしょう」
「自分が比轍の妻にならねばならんかもしれんと覚悟していたのが、泰俊に決まったときには心底安堵した」
螺珠は思わず「うっふっふ」と笑ってしまった。
「貞俊様の貞という字は、貞淑の貞、貞節の貞ですね」
「それがどうした」
「いいえ、毎晩のように後宮で女をとっかえひっかえなんて、できるような方じゃございませんね、と、思っただけです」
貞俊は螺珠の言い分に自分で呆れて「んむ」と頷いた。
「そういうのは好きじゃない」
「炎王との歳の差が気になります?」
「まあ、うん」
貞俊は螺珠の採寸は終わったと見て、また長椅子に横になる。
「カヴィニンとリゲル、後で王墓に行ってみよう」
「楽しそうで何よりです」
螺珠は笑った。




