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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
異国から来た訪問者
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カヴェイネン:異国から来た訪問者(38)スタラーデに見えた形勢の天秤

 シャタンカル郊外

 貴族たちの狩猟場は獲物を放つ針葉樹の森と、獲物を追う短く刈り込んだ芝生とに、人工的に整えられている。

 獲物のウサギは小さく、芝生に丈があるとウサギが隠れてしまう。

 狩猟を前に草を刈るのは使用人たちの仕事で、彼らは第一環状の貴族たちが男ばかりで集まって今日の獲物は誰が用意したのかとか、どこの家の猟犬がどうだという話をする様子を眺めながら、猟犬がきちんと狩人きぞくの前に獲物を追い込むように犬とウサギを見張っていた。

「奥方たちは第八環状の施療院だってさ」

「ああ、フォルクサンのご令嬢が建てた病院」

「施療院のチャリティバザーで、クリスティナが焼いたクッキー売るんだってさ」

「誰だよクリスティナ」

「バセンタ侯爵家のスティルルームメイド。彼女のお菓子は世界一美味いと思うね」

「スティルルームメイド……お菓子の専門担当かー、絶対美味しいだろう、それ」

「だから、世界一美味いと思うって言ってんだろ」

 男たちは談笑する。

「知ってるか? フォルクサン侯爵家で皿洗いしてるスカラリーメイドたちが言ってたんだけどな、救貧施療院を第八環状に建てたいって言い出したのはご令嬢らしいぞ」

「跡取り殿が助言したんだろ?」

「違う違う、メイドたちが言うにはフォルクサンのご令嬢っていうのは使用人とも笑顔でバカ話や噂話をするような性格。農家の子供とも平気で遊ぶ。お坊ちゃんのほうは、妹に常日頃から「使用人と喋るな、目を合わせる必要もない、農家の子供は無視しろ、貧民に教育は必要ない、薬代を払えない連中に医者は勿体ない」と、妹さんに、使用人たちがいる部屋でも平然と、平気で言う、ヒトデナシ」

 言った男を周りの男たちが振り返った。

「なんだそりゃ……」

「妹が上手くやったのを褒められたのを見て、自分が助言したんだと夜会で自慢してる」

 男たちは顔を見合わせる。

「いるよなー、そういうヤツ!」

「成功する前は無理だとかくだらないとか言うくせに、成功したら手柄横取りするよな」

 そんなことを言う男たちに、別の一群の男たちが「おーい!」と声をかけた。

「そっちに行った! 頼む!」

 男たちは自分たちとは違う場所で犬を追っていた男たちに手を振る。

「引き受けた!」

 男たちは犬を追って針葉樹林を走り出した。


 *** *** *** *** ***


 スタラーデは、フォルクサン侯爵がカストールに統治権を譲る気がないことに苛立っていた。

(こちらには時間がないというのに)

 フォルクサン侯爵は馬の首を撫でながら、猟犬が獲物として放されたウサギを追って来るのをのんびりと待つ。

「父上」

「カストール、次はリゲルに助言をしてやるのではなく、自分の手柄を立てて見せてくれないかね? おまえの助言は妹を淑女らしい慈善事業に興味を持たせるためだっただろうと思うが、毛織物の産業化まで助言で済ませてやることはなかった。あれは人に売り込みに行くようなこともせねばならん、おまえが自分の手柄にしてよかったのだよ」

 フォルクサン侯爵はなんの嫌味でもなく、ただ純粋に息子に手柄に貪欲になれと言わんとしているだけだったが、スタラーデにとっては自分がジャファールに負けたのだという嫉妬を掻き立てる結果になった。

 自分が売ろうとしたのはワインで、ジャファールが売ったのは羊毛加工品だった。

 本当は、少なくともスタラーデが羊毛加工品についてジャファールに助言をした事実などない。

 火山性の土を持つフォルクサンではバラカのようなワインを生産できるだろうと思っていたが、そもそも葡萄が育つまでに時間がかかり、さらに経験のない農奴たちがワインに加工するためにまた時間がかかり、思った以上に進展は芳しくなかった。

 最初は見込みがないと怒られながら、口論を繰り返してまで作った葡萄畑とシャトーだったが、フォルクサン侯爵は「時間をかければよい」と笑う程度に収まった。それはフォルクサン侯爵自身の「すぐにできるものではない、無謀な挑戦だ」という見立てに間違いがなかったためであり、その横でジャファールがバルキア国内各地の陸海軍にフォルクサン産の毛織物を提供して一気にフォルクサンは羊毛加工品に長けているという知名度を作り、ひとつの産業として確立したことでどうにかなかった、という余裕がもたらした笑みでもあった。

 ジャファールは、ティーキムに力の使い方や領地の統治を学んでおきながら、単に自分がやりたいことや、できもしないと思われるような非現実的な案を持ってくるばかりで、なにひとつカストールには貢献しなかった。

 施療院も、羊毛加工品の産業化も、貧民への教育も、ただジャファールが「やりたい」というだけのことだった。スタラーデにしてみれば、やる義務もない、必要もない、思い付きでしかなかったというのに、ジャファールはそれをやり、その意味のない施策で人々の好感と信頼を勝ち取った。

 時間がかかるワインのほうは一朝一夕で有名な銘柄になるわけでもなく、試行錯誤を繰り返しながら味を調えているが、売り物にはまだならない。

 バラカとの交易で宰相に小金を稼がせ、宰相から上納されてくる金をシャトーの資金に充ててきたが、それにも限界がありヤンジェングルのケシというものがあることを宰相に告げた。

 自分の味方は宰相なのだ。

 バルキアの制度も国民も思い通りになる、そのはずだった。

 それなのにジャファールは、宰相が飼っている無法者たちが幅を利かせていた第八環状と第九環状に施療院という治外法権の場所を作り、第八環状や第九環状の、とても裕福とは言えない市民に逃げ場を与えた。

 それがなければ、フォルクサンの農奴を使うように、シャタンカルの市民もまた使えるようになるはずだった。


 ジャファールが出てきてからなにもかもが、思い通りにならない。

 昔からそうだった。

 エニシャ出身の父譲りで茶色の髪に青い目の、長身で見目がよく、いつもご機嫌な男。

 ケルグン出身の彼の母親はアーケリ出身の自分の母とは違い、身分への拘りが強くない。

 部下や使用人と平気で言葉を交わし、笑う。

 そのくせジャファールという従兄は自分の権力に自覚的で、部下は使用人からの訴えを直接聞いて自分にできることを探すのを楽しみにしていた。

 何がそんなに楽しいのかと訊ねたとき、従兄は言った。


「欲しいプレゼントのヒントを聞いているのだから楽しいに決まっている。自分がそのプレゼントを用意出来て、喜んでもらえたら嬉しいじゃないか」


 スタラーデには理解できなかった。

 だというのに、周囲の者たちはジャファールを褒めそやす。

 ジャファールはよい君主になる、エルバハンは安泰だと持ち上げる。

 同じバラカに滞在しているときにヤンジェングルのケシを香炉に入れ、一晩中切らすことなく焚くようにとバラカの使用人に言い含めた。

 滞在している間、エクセン・ドランにでも効くように純度を高く濃縮したケシを使われ続けたジャファールは当然のように体調を崩した。

 頭にもやがかかったようだと言い、貧血と眩暈めまいで倒れたジャファールにヤンジェングルのケシを与え続けた。それがヤンジェングルのケシだということをジャファールに打ち明けたとき、その従兄にはすでに何かを自分で判断できるような力はなくなっていた。

 腕を切っても、痛みを訴えることすらない。

 女の姿でと言えば、ジャファールは薬を手に入れるために姿を変えた。

 自分の所有物、その主張のためにジャファールの胸に蓮華模様の焼き印を押し付けた。

 切った体をカジュンガグラスで作ったガラスの箱に、さらに刻んで封印し、エクセン・ドランの力を加護に欲しがる各地の領主や豪商に送り、守らせた。

 善良な領主で理想的な君主、そう言われた伯父のイブレイムが我が子の体を取り戻すために、切り刻まれた従兄の「加護」を意味もなくありがたがる領主や豪商のところに自ら乗り込んでいると聞き、この世界に聖人君子などというものはいないのだ、と実感して爽快な気分になれた。

 父タリヤ公は、ジャファールを殺した息子を、同程度の残虐さで復讐することが許される法を背にしたイブレイムから逃がすためにスジェに縁談を打診したが、それはジャファールに邪魔された。

 そこまで恨みに思ってから、スタラーデはふっと薄ら寒さを感じた。

 リゲルはヤンジェングルのケシを見抜いた。

 ニオイ。

 ジャファールが、昔のままの従兄だとどうして思っていたのか。

 単純な善人、聖人君子。

 イブレイムという父の背を見て育ったジャファール。

「……違う」

 スタラーデは呟く。

 記憶の心臓はまだイブレイムに奪われていなかった。

 かつてのジャファールが見ていたのは理想的な君主イブレイムだが、今のジャファールが見てきたのは盗賊のイブレイムだ。

 もうひとつ、自分が想定していなかったことがあることにスタラーデは気付いた。

 死んだジャファールだろうが今のリゲルだろうが、ジャファールが本気で動いたときにどれだけの勢力を集められるのか。


「リゲルは大公夫人をチャリティバザーに招いた」

 治外法権の場所に。

 フォルクサン侯爵は息子をちらりと振り返った。

「その話はさっきしただろう。官憲が入れない場所があるのは王家にとっても面白くなかろう。大公夫人をお招きして施設を見てもらえば、後で謀反の拠点にするつもりだなんだと言いがかりを付けられても、大公夫人が擁護してくださる」

 笑う父の言葉が、スタラーデの思案にとどめを刺す。

 自分の手元にいるのは宰相であり、官憲の手が届く場所であれば市民を圧倒することができるが、その場所には施療院という避難場所が登場し、大公夫人がその場にチャリティバザーという口実を利用して視察におもむいた。

 第二環状の頂点に君臨し、バルキアの行政を担う宰相に対抗できる貴族たちの頂点、それが大公だと思えば、大公夫人がジャファールの味方に付くということは、宰相が施療院について何を訴えても、大公夫人が「施療院に疑わしいことはなかった」と言えばそれまでということだ。

 宰相が「謀反の証拠がある」と言えば「官憲が入れない場所で堂々と違法な捜査を展開した」と反論を求められ、「官憲は立ち入っていない」と言えば「証拠もなしに謀叛を訴えたのか」と言われることになる。

 スタラーデは角笛の音で我に返った。

「ウサギだ、見失うなよ」

 フォルクサン侯爵の声に、スタラーデは「ええ」と頷いた。


 *** *** *** *** ***


 ジャファは路地裏の理髪師の前で椅子に座った。

「切って」

 理髪師はジャファの長い金髪を見て目を動かした。

「切っちまっていいのかい? お嬢ちゃんこの髪ずいぶん長いこと伸ばしたんだろうに」

「いいから切って、うんと短くしていいよ」

「いいんだな?」

 ジャファの要望を確かめてから、理髪師はハサミを手に取る。

 ひと房、ひと房、理髪師は高値で売れるように慎重にジャファの髪を切った。

 髪を切り終えた理髪師がジャファに銀貨を一枚渡す。

 十五カー

 理髪師から受け取って、ジャファは椅子から立ち上がった。

「オジサンありがとう!」

「いいけどな、次にこれだけ伸ばそうと思ったら、伸ばす間に婚期を逃すぞ」

「へへ」

 ジャファは首を竦めて笑って見せてから、理髪師に手を振って背を向けて歩き出した。

 十五カーを銀貨から銅貨に崩して、ジャファは新聞売りや花売りの子供たちから情報を買う。

「ヤフェル兄ちゃん、この間は向こうの路地で馬車見たよ」

「そうそう、この路地に抜けてった」

 ジャファは子供たちが地図に宰相の紋章を付けた馬車を見た場所の印を付けて唇を咬んだ。

 男が子供たちを掻き分けてジャファを覗き込む。

「坊主、なに調べてんだ?」

「ゴシップ新聞の記者に売るネタを集めてるだけだよ」

 ジャファは男に地図を見られないように地図を体の陰に隠して畳んでポケットにしまい込んだ。

「どんなネタがあったのか聞かせてくれないかな?」

 男は腕捲りをしてからジャファに凄んで見せる。

(カヴェイネンのオッサンに比べたら、あんたなんか怖くないよ)

 ジャファは小さく笑って男の足を払った。

「オジサンごめんね! 足が痺れちゃってよろけたみたい!」

 言うが早いか、ジャファは周りの子供たちに「逃げろ!」と声をかけて走り出す。

 男はジャファに罵声を浴びせかけた。

「このガキ! 何が足が痺れただ! このあたりの倉庫なんか調べてどうする気か白状しやがれ!」

 ジャファは「倉庫!」と言いながら男を振り返った。

「へえ! 倉庫なんだ! なんの倉庫? ゴシップ記者のネタにして売れるような商品あったりするの?」

 嗤ったジャファは、男の剣幕が増したのを見て目を丸くする。

「あ、冗談通じなさそう」

 男に背を向けて全速力で走りながら、ジャファは考えた。

「倉庫、バラカワインとカジュンガグラスとヤンジェングルのケシ……他に、他にはバラカを経由してバラカが得しそうな物は……バラカの産品はティーキムが交易を止めたんだから、他の産地の物も混ざってきてるはずだよね」

 ぶつぶつと呟きながら、ジャファは走る。

 男は数人の仲間を集めて追ってきた。

「おい! 地図を寄越せ!」

「倉庫の話は誰にもするんじゃねえぞ!」

 ジャファは男たちを振り返る。

「やだね! 追いかけてくるってことはきっといい情報だ!」

 そう言って走ったジャファは、路地を曲がって一つ目の建物の角で誰かの手に捕まって口を塞がれ、建物の陰に引きずり込まれた。

 男の手がジャファを掴んで固定する。

 追って来る男たちが通り過ぎたのを横目で確かめてから、ジャファは自分を建物の陰に引きずり込んだ男の手を齧った。

「痛いっ!」

「ざまあ見ろ!」

 そう言って振り返ったジャファが見たのはヤフェル・フォルゲンゼルだった。

「ヤフェル?」

「第九環状でなにやってるんですか」

 声を潜めたフォルゲンゼルに、ジャファは「それは……」と言葉を濁す。

 フォルゲンゼルはジャファを見つめてから頭を掻いた。

「一度しかお目にかかってませんから、まだ信用していただけないのは仕方ないですね」

「そうね、それぐらいの警戒心はある」

「どうやって施療院の病室を出たんです? お嬢様の病室は三階だったでしょう」

「抜け出す方法は、色々ある」

 ジャファは笑って、フォルゲンゼルが呆れるのを見た。

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