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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
異国から来た訪問者
36/106

カヴェイネン:異国から来た訪問者(32)カストールのクッキー、リリアナのスズラン

 リリアナは「施療院?」とジャファに訊ねた。

「そう。教会の横に、勉強するところじゃなくて施療院を作るの。施療院の設置や運営や慰問は普通女性がやるよね?」

「そうね」

 リリアナは頷く。

「施療院ならどんな人間を受け入れても不審には思われないから、牢に出入りする人たちがいたっておかしくない」

「それで?」

「地下牢の叔父さんが無事かどうかぐらいは、訊けると思うんだ」

 ジャファはそう言いながら、オルジェンや学生たちと「どこに施療院を作るか」相談した結果を地図でリリアナに見せた。

「王宮の地下牢って言うけれど実際に政治犯が収容されるのはこのあたり。外周に近い、第八環状と第九環状が途切れたところ。牢の見張りが住んでいたり、配膳の厨房があるのもこの第八環状のあたり」

「なにが言いたいの?」

 リリアナに訊かれてジャファは笑顔を作る。

「第八環状の教会あたりに施療院を作れば、そこで働く人たちも来るようになるよ。そしたら叔父さんの様子が聞けるようになるだろうし、それができたら叔父さんと協力して、叔父さんの罪がでっち上げだっていう主張の根拠を作って行かれるかもしれない」

 ジャファは地図を本に挟んだ。

(ヤンジェングルのケシが地下牢と労働者とどちらに使われても対応できる場所に施療院がないといけない。地下に、中毒患者を治す場所がないといけない)


 *** *** *** *** ***


 侯爵家が第八環状に救貧施療院を作るという話は、オルジェンの学生たちを経由して第八環状と第九環状の市民に広まった。

「このあいだの事故のせいかな?」

「爺さんが宰相の荷馬車に跳ねられた事故か」

 救貧施療院。

 第八環状の居住者たちがハッとしたように顔を見合わせた。

「もしや医者が安くなるのか?」

「ぼったくりじゃねえとか?」

「ヤブじゃねえとか?」


 *** *** *** *** ***


 施療院の案を出してから半年ほど忙しく動き回り、ジャファは最後の書類をリゲルの母に差し出して見せた。

 この半年の間にも宰相の荷馬車は第八環状のところどころで目撃され、そのたびに第八環状の者たちに情報を追ってもらいながら、ジャファはその「宰相の荷馬車」が主にバラカの品々を運んでいるのを確かめた。

 ヤンジェングルのケシはまだ使われた気配がなく、それが不幸中の幸いではあるもののいつ使われるか分からないという怖さは消えないまま、書類を持つジャファの手には力がこもる。

「母様、これは母様のサインが必要!」

せわしないことね」

「貧乏暇なしって言うの」

「貧乏なんて言ったらお父様とお兄様に怒られますよ」

 リゲルの母に言われ、ジャファはやるせない笑みを浮かべる。

「父様と兄様には、甲斐性って言葉が必要だと、ときどき思うの」

「あなたどこでそんな言葉覚えるのかしら? そういえば刺繍の先生がハンカチから先に進まないと困っていらしたのよ」

「……人間得手不得手ってあると思うの。女の子だから刺繍ができるとか言ったら、違うと思う。仕立て屋の男物はオジサンが仕立てていたもの」

「そうね」

「女の子だから料理が好きとかも違うと思う。厨房の料理長は男だもの」

「そうね。でもそれは不得意だからと刺繍をサボっていい理由にはならないのよ」

「サボっているわけではなくて、諦めただけで」

「サボるよりさらに残念だことね」

 ジャファはリゲルの母への反論を諦めた。

「刺繍もお料理もできないけど施療院の手続きはできるの。だから母様、ここにサインをしてくれたら、母様とリリアナとリゲルが、侯爵家としてフォルクサンだけでなく王都にもちゃんと貢献してますって言える」

 食い下がる娘を眺めて、リゲルの母は「そうね」と頷いて書類にサインを書きこむ。

 リリアナとジャファは顔を見合わせて目配せしてから、侯爵家の家族、執事、王都の公証人数名と、オルジェンら大学団の法律研究者、学生、それに医学校の教授数名や学生を前にして施療院設立に関する書類の全文を読み上げてもらった。

 医学校の学生には王都での生活と学費を侯爵家が援助することを条件に、数年は救貧施療院で仕事をしてもらうという契約書が示された。

 医学校の教授のなかから、解剖研究用に死後検体がある場合は治療費や施療院への入院費なども負担するという契約書を作ってほしいと要望が出たときには、法学のオルジェンや学生たちから、遺族の感情を重んじる倫理の面も考慮する必要があるから急がないでほしいという制止が入るなどもし、その契約書については後日また大学団の法学者や医学校の教授らを集めて議論することになったりと、ジャファが思った以上に前途多難な様子はあるものの、リリアナとジャファは書類を整えてひとまず満足した。


 フォルクサンのワインは、スタラーデが葡萄畑を整備してからやっと初の醸造分が完成したばかりでまだ知名度がない。

 週末にはフォルクサンに戻るようにして、ジャファはワイン以外のなにか、とフォルクサンの領内でなにかできそうなものはないかと探し、羊を見つけた。

 ティーキムがよく仕入れる布は多くがシルクで軽い。シルクはそもそも稀少性が高く、値段も高い。それが輸入品だから、さらに輸送費などで値段が上がる。

 女性たちの間で人気があるのはコヴェンデ・リネンやコットンで、植物性。麻布や綿布はエニシャでもよく使われるが、コヴェンデ・リネンは糸の細さが特徴的で、伸縮性に乏しいものの、扇子などにはよく似合う。

 問題は毛織物だ。

 毛織物はあまり女性陣には人気がない。

 だがしかし、男性陣には人気がある。

 油分を含む繊維が雨を弾くし、寒さを凌ぐにもよい。

 ジャファは旅行用のコートや薄手のストールを試しに作ってみてほしいと第六環状の仕立て屋に渡して欠点や改善点をノートに書きこんでいった。

 そんなことをする合間に髪を売っては伸ばして自分の小遣いを貯めて、また施療院のための資金にしたり、第一環状の女性陣を集めてチャリティバザーをしてみたり、思いつくことに一通り手を出して、結果を眺めてジャファはソファにひっくり返る。


 スタラーデはソファにひっくり返っているジャファを覗き込んで、居眠りしているのを確かめた。

 周りには様々なノートが散らばっている。

「散らかし放題だな」

 施療院の設立、毛織物の商品化、チャリティバザー。

 評判は悪くない。

 悪くないどころか、上々だ。

 施療院の設立では大学団の法学と医学を繋いで医療に関する法律の調整を試み、自分では王宮に赴くことのないジャファは父の権力を使うことに決め、医療に関する法律の改善を王宮で進言した父は評判を上げた。

 毛織物では陸海軍の将校に従軍用のコートや毛布をフォルクサン侯爵家からの品として渡して知名度を作った。

 チャリティバザーではフォルクサンで育てたハーブを使ったお茶やポプリや菓子類で第一環状の女たちを味方に付けた。

 スタラーデは気を失ったように居眠りしているジャファの鼻をつつく。

「兄が兄なら弟も弟か」

 目の前で寝ているジャファはエルバハンのジャファール兄のような高潔な聖人君子には程遠い、粗野で短慮な子供だ。

 ただ行動力は、ある。

 なにかを考えたと言ってヴェルタネンデのティーキムのところに教えを請いに行ったかと思えば、大学団を連れ帰ってきたりする。

 ジャファが施療院を作ると決めたあたりから、第八環状や第九環状の市民が「侯爵家」の動きに期待を寄せるようになっているという。それでは第一環状の貴族が面白くなかろうと思えば、今度はチャリティバザーで女性陣をまとめてしまった。

「まったく、手柄を父上と母上に渡してばかりで、私への手土産はどうした」

 鼻を鳴らして小さく文句を言ってから、スタラーデは手近にあったノートに手を伸ばす。

「救貧施療院」

 ノートの走り書きには、「ケシの中毒患者対応」と書き付けてあった。

「ヤンジェングルのケシはフォルクサンのために使うんだよ、農奴は農奴として以上のことをしなくていい。分不相応な読み書きなど、できるようにならなくていい」

 スタラーデに頭を撫でられたジャファはぼんやりと目を開いて体を起こした。

「寝ちゃった」

「色々と動いて疲れたのだろう。厨房でクッキーを焼いてもらった」

「クッキー?」

「お腹は空いていない?」

「空いてる!」

 ジャファは飛び起きてクッキーをひとつ口に入れてから、少し間を置いてスタラーデを見た。

「残りもらっていい? 本読みながら食べる」

「いいよ。本は汚すな」

「ん。ありがと」

 スタラーデにお礼を言って、ジャファは自分の部屋からスタラーデを追い出す。

 扉を閉めて、鍵穴に結界を仕掛けてからジャファは顔をしかめた。

 甘い香り。

 焼きたてのクッキー。

 それに混じったなにか。

 ジャファは口に入れて幾度か咀嚼したクッキーを吐き出して、考え込んだ。

(なんだこれ? 砂糖でもはちみつでもない感じの味が混じってる)

 吐き出したものをスタラーデに見つからないように消して、ジャファは残りのクッキーをちらりと見た。

「美味しくないって言ったら、スタラーデがガッカリするじゃん」

 誰かを喜ばせたくて用意した物。

 だけれども、好きではない味が混じっていた。

 それがなぜ好きではないのかは分からない。

 ジャファはパチンと手を叩いてクッキーを消す。

 食べない物を部屋に残しているのも、自分が「食べたくない」と思ったものを他人に押し付けるのも、ジャファならともかく、侯爵令嬢のリゲルがしてはいけないだろうと思ってのことだった。


 *** *** *** *** ***


 フォルクサン侯爵家の慈善事業のひとつとして王都に建てた救貧施療院は、ジャファとリリアナが思った以上の評判を上げた。

 ジャファは救貧施療院の屋上で医者や患者を眺めながら思う。

 ティーキムやオルジェンが言うように、人は「自分にとって何が一番大切か」という価値観や正義がそれぞれまったく違う。

 タジャンのような男にとっては商売の材料を手に入れる好機を逃さないことがかなり大切で、そのために自分や同行者の命も天秤にかけてしまう。

 ティーキムにとっては領民が幸福であることが重要で、そのためには旧来の秩序も組み替えていってしまう。

 カヴェイネンにとっては主に忠実であることが重要で、たとえ別の姿であってもそこに主がいるのだと言われれば会いに行ってしまう。

 救貧施療院から声をかけても応じなかった医者たちは贅沢ができるだけの報酬が得られるかどうかを重視した。一方で、救貧施療院の招聘しょうへいに応じた医者には、これまで治療代をとりっぱぐれてきた貧民相手の医者もいれば、助からなかったときには治療費や入院費は要らないから解剖させてくれという医者もいる。解剖したいという医者もさらに、研究のため、学問のため、後進育成のため、と誰も彼も理由が違った。

 新聞配達の子供が屋上のジャファを見つけて手を振る。

 ジャファは手を振り返した。

 奨学生になった医学生が頭を下げる。

 ジャファはこれにも手を振った。

 子供たち、労働者たち、貧民、農民……親を亡くした者、伴侶を亡くした者……慟哭にかける言葉はどうやってもジャファには見つからない。

 なにより言葉を見つけられないのは、子供を亡くした親の慟哭だった。

 新聞配達、郵便屋、そうした者たちも救貧施療院には出入りする。

「本当に、なんの違和感もないわね」

 呟いたのはリリアナだった。

 ジャファは頷く。

「だから言ったでしょ? 第八環状と第九環状でも、施療院なら怪しまれないって」

「それに侯爵家が出資者だから、私とあなたも堂々とここから地下牢の裏を見られるのね」

 リリアナは呆れたのか感嘆なのか分からないため息をついてから、くるりとジャファを振り返った。

「カストール様が呆れていたわ」

「兄さまが?」

「女のくせに動きすぎ、やりすぎだ、ですって」

 ジャファはリリアナを見て笑う。

「それって褒め言葉?」

「褒めてないわよ! でも褒められたと思いたいなら、褒められたと思っておけばいいのじゃない?」

「なら褒められたと思っておこう」

「侯爵家はあなたが女の子で残念でしょうけど、でもあなたが女の子でよかったわ」

 リリアナの奇妙な言い方に、ジャファは首を捻った。

「どういう意味?」

「あなたが男の子だったらカストール様とあなたのどちらが次期侯爵にふさわしいかってきっと分裂するでしょう? そうしたらフォルクサン侯爵は困るわ」

 ジャファは思いがけないことを聞いたとでも言うような表情でリリアナを見つめる。

「私は……兄さまみたいに立派じゃない」

 リリアナは首を振る。

「あなたが自分で気付いていないだけで、ここの施療院に通う人たちは、みんな侯爵家というよりは「リゲル」を信じてる。大学団の人たちも、医者や医療修道士たちも、患者も、ここで仕事を見つけた人たちも、やろうと思えばいつでもできたのにやらなかった侯爵家ではなく、それを形にしたリゲル嬢を信じているの」

 今度こそ、ジャファはリリアナを前に言葉を失った。

「胸を張りなさいよ。ただの貴族のお嬢様じゃなく、自分たちの味方だと認識して、フォルクサン侯爵家のリゲル嬢がなにかをするなら手を貸す、邪魔をしない、そうやって味方になる市民が出てきているということなんだから」

 ジャファはリリアナの腕にくっつく。

「リリアナも?」

「叔父様のことをあなたに言ったときから、私はあなたと一蓮托生の関係なの、あなたまさか知らなかった? スズランの香水、お揃いにしてって言ったでしょ?」

「スズランとユリがどちらも甘い香りで好みなんじゃなくて?」

「違うわよ!」

 リリアナはジャファを睨み付けた。

「スズランは毒なの。なにも知らなければ小さくて可憐で清純な花に見えるけれど、私とあなたは宰相の毒に別の毒で対抗するって……思ったのだけど、そうね、さすがにこれは言葉にしないと伝わらなかったわ」

 耳を赤くしたリリアナを見て、ジャファは「そうね」と頷いた。


 *** *** *** *** ***


 白髪のカヴェイネンは、タリヤ公を見つめた。

 しばらく無言でタリヤ公を威圧してから、カヴェイネンはリゲルに目を向ける。

「あと一年」

 呟くように言ったカヴェイネンに向かって、ピンが「なにがです?」と訊いたが、イェジンは「なるほど」と息を吐いた。

「その一年の間に何かがあり、ジャファは魔女狩りで殺されるわけか」

 白髪のカヴェイネンは納得した様子のイェジンに頷いた。

「さようです」

 模型のなかで、ジャファは砂時計を見ることも忘れているかのようにあれこれと奔走していた。

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