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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
異国から来た訪問者
34/106

カヴェイネン:異国から来た訪問者(30)ジャファール・エルバハン

 ジャファは鏡に映るリゲルを見る。

 白髪のカヴェイネンが、言っていた。

 ヴェスタブールには、自分と同じ魂を分けた相手がいる。

 ティーキムがスジェ王であるように、リゲルはジャファール。

「スタラーデ兄さんは侯爵になる?」

 ジャファの質問にスタラーデは「ならねば帰れない」と砂時計を出した。

「俺、この国の宰相嫌い」

「それが、私が侯爵になるのと関係するのか?」

「ティーキムのやり方を真似てもダメなんだ。ティーキムの国は、ティーキムだから上手くいってるだけで、バルキアもフォルクサンも条件が違った。だから、兄さんが侯爵としてフォルクサンを統治する方法を一緒に考える!」

 スタラーデはジャファを見つめ、がっくりと肩を落とした。

「それが二十タパカの結論?」

「……そう!」

 ジャファの案にスタラーデは顔をしかめた。

「十五年もリゲルを見てきた兄を甘く見るなよ。リゲルもジャファールも、ウソをつくのが下手なんだ。おいで、隠し事はなし」

 ジャファはスタラーデの前に座り込んだ。

「兄さんこれ見て。シャタンカルの地図」

「この印は?」

「どれも宰相の荷馬車が目撃された場所」

「宰相の荷馬車?」

「密輸」

 スタラーデはわざと目を丸くしてジャファを見てから顔をしかめる。

「密輸? どうして密輸だと分かった」

「ニオイ」

 ジャファはスタラーデに自分の鼻を指差して見せた。

「リリアナの香水選びで鍛えた鼻はしっかりしてるんだよ」

「自慢げだ」

 スタラーデはジャファの肩を叩き、ジャファは胸を張った。

「密輸品、なんだったと思う?」

「なんだったんだ?」

 笑いながらスタラーデはジャファをからかう。

「最初に見つけたのはバラカワインと香油。次のときはカジュンガグラス。それでその次が最悪」

「なんだったんだ?」

「ヤンジェングルのケシ。加工済み」

 ジャファの言葉にスタラーデの視線が険しくなった。

「加工済み、間違いなしか?」

「間違いなし。親父がときどき連れて帰ってきた中毒患者のニオイ」

 スタラーデはジャファを見た。

「中毒患者を見たことがあるのか?」

「あるよ。親父がときどき連れて帰ってきて、寝床に縛り付けて暴れても放っておけって言われたけど、覗いた。昔は親父がなにか拷問してるんだと思ってたんだけど、図書室で毒の本読んで治療だったんだって初めて知った」

 しばらく考え込んでいたスタラーデは、シャタンカルの地図をパシンと叩く。

「おまえがこれまでに数えたのは、この三回?」

「そう」

「どうやって調べた」

「第八環状で見つけた」

 スタラーデはジャファを見つめた。

「ティーキムに虫の作り方を教えてもらったから、虫を作って、大学団の人とか第八環状の人とかに手伝ってもらって、ちょこっと倉庫を覗きに行っただけ」

「人前で力を使ったのか?」

「使ってない! 第八環状の新聞売りの子や郵便配達のお兄さんたちに、宰相の紋章を見かけたら場所を教えてとお願いしたの」

「どうやって」

 ジャファはスタラーデに訊かれて困ったような笑みを浮かべて小首を傾げ、リゲルの金髪を指に巻く。

「この金髪きれいでしょ? 兄さん髪って売れるんだよ知ってた?」

 スタラーデは沈黙した。

 ジャファはリゲルの金髪をくるくると伸ばして広げ、スタラーデに髪を見せる。

「久々に力を使う者が身近にいると、人間離れして見えるな」

「帰ったらスタラーデも人間離れしてるじゃん」

「エクセン・ドランはそもそも人間じゃない」

 ジャファはフスンと鼻を鳴らしてから、頬杖をつく。

「リリアナはリゲルよりちょっとお姉さんで、胸あるよね」

「うん」

「リゲルの胸ってリリアナぐらいの年齢になったらもうちょっと育つのかな」

 スタラーデは「知らん」と苦笑いで話を逸らそうとしてから、ちらりとジャファに目を向けて小声で付け加える。

「スジェは細身で胸があまりないのが美人だと言われるから、ティーキム殿も胸がないほうが好みかもしれない」

 ジャファはスタラーデをちらりと見て返した。

「ティーキム」

 ジャファはスタラーデににじり寄る。

「ヴェルタネンデに麻薬のこと知らせておいたほうがいいと思う?」

「間違いなく知らせておいたほうがいい。相手は今のところ人間だとしてもスジェ王だ。現実に戻ったときにスジェ王を敵に回しました、なんて絶対に言いたくない。国の序列はケルグン、スジェ、エニシャ、アーケリだ。ケルグンには放置されているが、スジェを敵に回したら父上たちに首を斬られる」

 スタラーデに言われてジャファは自分の首を押さえた。

「伝書鳩飛ばしとく」

「そうしておいてくれ」

 ジャファに言ってから、スタラーデはもう一度シャタンカルの地図を見る。

「加工済みのケシ、そんなものをどうするつもりなのか」

「人を中毒にするんでしょ」

 ジャファはあっけらかんと言った。

「なぜ」

「中毒者は薬が効いてるあいだはいいけど、薬の効果が切れたら薬を欲しがって言葉が通じないし、薬をもらうためなら何でもするようになる。毒抜きをしてるあいだって拷問に遭わされてるのかと思うほど」

 言いかけて、ジャファは蒼白になって口元を押さえる。

「ジャファール、どうした、大丈夫か?」

「誰に?」

 ジャファはリリアナの叔父という人が地下牢にいるのを思い出して内臓が冷えるような感覚に支配された。

「誰に使うんだと思う? 労働者? それとも政敵?」

「政敵にも労働者にも使えるだけ使うだろうな。ヤンジェングルのケシなんて、エニシャでも取引は禁止されてる。ただし催眠効果を狙って宗教儀式に使うところはいくつかある」

 スタラーデはジャファを見る。

「バラカ」

「バラカって五十年ぐらい前から妙に羽振りがいいって、親父がよく標的にしてた」

「羽振りはいいよな。スジェの第二王妃がバラカの出身で、特に王の寵愛を受けていた」

「王ってティーキム?」

 不安げなジャファに「まさか」とスタラーデは笑った。

「ジュジェン殿の父上だ。どちらかと言うとジュジェン殿はそのせいで不幸だったかもしれない」

 そう言ってからスタラーデは天井に目をあげる。

「バラカ。バラカワインと香油、カジュンガグラス。バラカからはタリヤにもエルバハンにも運ばれている。バラカワインはヴェルタネンデでは輸入しているがバルキアでは取引していないから、ヴェルタネンデに納品するものだと言えば、誤魔化せる。ただし宰相の紋章を付けた馬車でなければ、だ。紋章付きの馬車を使うのはシャタンカルの内部で検閲させないためだと考えれば、どこかで積み荷を一度別の荷馬車に積み替えているはず」

 スタラーデは目を閉じ、指を空中でいくらか動かした。

「ジャファール」

「あい?」

「バラカのことをどれぐらい知っている?」

 ジャファは少しばかり考えてから口を開く。

「バラカは、ワインが有名。それから、バラとかモツヤクの香油、領主はたしかペクタ・ドラン」

「へえ」

 スタラーデは感心したようにジャファを見た。

「バラカの領主がペクタ・ドランだとよく知っていたな」

「それだけはね、親父が目の敵にしてたもの」

「お父さんの名前はイブレイム?」

 ジャファは頷いた。

「なんで? 親父のこと知ってるの?」

「お父さんがなぜバラカを目の敵にしてるか訊いたことはある?」

「ないよ。バラカに一緒に行ったこともない」

「……バラカの領主はエクセン狩りのペクタ種だ」

 ジャファはスタラーデを見つめる。

「どういう意味?」

「バラカ候が薬漬けにするのはエクセン・ドランの子供で、最初の犠牲者がイブレイム様の長子だった。おまえのお兄さんじゃないかな」

 ジャファは目を瞬かせてから小刻みに首を振った。

「俺……兄さんいないよ?」

「いたのさ。でも母親が違う。ジャファール兄の母はケルグンの王女だった」

「俺とその兄さん同じ名前なの?」

「そう。背が高くて頭がよくて品行方正で男からも女からも好かれた」

「なにそのおとぎ話の王子様みたいな人」

 スタラーデは怪訝な表情になったジャファに背を向ける。

「バラカ候にとっては邪魔だっただろうよ。会合のためにバラカに行ったときに香炉に薬を仕込まれたんだ」

 ジャファはスタラーデの背中を見つめた。

「なんか……それ有名な話なの? 香炉に仕込まれたってわかってたの?」

 スタラーデは首を振る。

「知っているのは私と父とバラカ候だけだ。私も父に同行してバラカに行った。バラカ候に騙されてジャファール兄の香炉にヤンジェングルのケシを入れたのは私だ。ケシだなんて知らなかった。ただ、バラカ特産の香油を練り込んだ香なのだと、そう言われた」

 呟くような小さな声で言いながらスタラーデは肩を震わせた。

「ジャファール兄はヤンジェングルのケシで錯乱してバラカ候に殺された。聡明だった従兄が錯乱して殺され、悪霊憑きだと言われて手足を切り落とされ胴を切り刻まれるのを見せられたとき、私はジャファールと同じぐらいの歳の子供だった」

 ジャファは視線を彷徨わせ、それから「兄」の背中に背を向けた。

「父が弟としてイブレイム様から得ていた信用は失墜したし、イブレイム様はエルバハンを宰相に委ねて姿を消した。後悔してる」

 そのスタラーデの「後悔」の言葉から少しばかり無言の時間に支配されたジャファとスタラーデは、ジャファが「なんだかなあ」と小さく呟いたことで、その無言の時間から解放された。

「バラカってなんなの?」

「悪意と欲望のオアシス」

 スタラーデはジャファに答える。

「ジャファール、手を出すな。後ろにいるのがバラカならおまえの存在を知られないほうがいい。イブレイム様はきっと、おまえを守るために人のなかに隠したんだ。バラカの領主はどうやってかスジェなら地龍を捕まえることができると言っていた。封印がなくても人や獣に紛れる地龍を捕まえる連中なんだ、封印を解いたり力を使ったりしたらバラカに目を付けられる」

 ジャファはスタラーデを見てから立ち上がった。

「リゲルが力を使ったら、リゲルもバラカに目を付けられる?」

「そうだろうな」

 ジャファの質問に答えたスタラーデは弾かれたようにジャファを振り返る。

「やるんじゃないぞ!」

「やる! 王墓が見せる夢のなかでケシ中毒になったとして、王墓に帰ったときに 中毒になったままかどうかなんてわからないじゃない! まあちょっと失敗して、悪ければ中毒になる前にリゲル死んじゃうかもしれないけど?」

 スタラーデはジャファを見つめた。

「ジャファール」

「あい」

「おまえのそれは勇敢じゃなく、蛮勇という」

「なにそれ」

「周りの迷惑を顧みない無謀な勇気」

 ジャファはスタラーデに言われたことを考え、それからボソッと「面倒」と嘆息した。

「なんだって?」

「エルバハンにいたときは、「盗賊の子供が店に入ってくるんじゃねえ」とか、何もしてないのに「チビの泥棒め、とっととくたばっちまえ」とか、「親の機嫌ひとつとれない出来損ない、おまえなんか産むんじゃなかった」とか、「親の顔色を窺うしかできないのか」とか言われたのに、リゲルは逆で、なにをするにも周りの許可が必要で窮屈なお嬢様なんだ」

 ジャファは腰に手をあてて背筋を伸ばす。

「リリアナの叔父さんが王宮の地下牢に捕まってるんだってさ。宰相の悪事を調べてて捕まったんだって。リリアナが言うには、すごく有能でいい人なんだって。兄さんだったかもしれないジャファールみたいにケシが使われたら、地下牢で錯乱したって言われて殺されて終わり。その前に宰相にヤンジェングルのケシをどこかで使わせて、宰相の権力が届かないところから宰相を訴えて、過去の悪事を白状させたいなって、俺思うの」

 スタラーデは呆れたように首を振る。

「その叔父さんに使うかどうかは分からないだろう?」

「そうじゃなかったとしたら、労働者に使う? ケシを欲しがる労働者をタダ働きさせて使い捨て? それともケシ代で生活費巻き上げられて借金させられる? 払えなかったら家族は売り飛ばされて奴隷にされる?」

 ジャファの発想にスタラーデは「想像が極端すぎる!」と声をあげて顔を覆った。

「でも宰相ならやるかもしれないじゃない」

 ジャファは笑い、スタラーデはジャファの手首を掴んでグイと引っ張る。

「私は自分の目の前で、自分のせいで従兄が殺されるのを見たんだ。同じ名前の従弟がその兄と同じ方法で殺されるのは見たくない」

 ジャファはスタラーデを見上げて笑顔を作る。

「誰かの役に立つかもしれないって考えるのすごく嬉しくて楽しいの」

 それからジャファは一気にすべてがどうでもよくなったような表情を浮かべた。

「常に役立たずとか邪魔とかチビ泥棒とか出ていけとかくたばれとか言われ続けて育ってきたのに、よく分からないけど、なんかリゲルになった途端すごい腫物に触るかのように大切にされつつ、でも裏でなにを言われているかさっぱり不明な恐怖。どう心配されても信じられないこの不安。大人がこんなに子供を心配するとか、俺きっとジナに騙されてる。裏がある。ジナがなんか企んでる」

「落ち着けジャファール。世の中がそんなにおまえの行動いちいち気に入らないとか迷惑だと思っているとしか思えないなら、まず、私が思うおまえの行動に感じる迷惑を告げてやろう」

 スタラーデはジャファに言う。

「私にとっては、おまえが宰相やバラカの黒幕をおびき出すために囮になろうとしていることが迷惑だ。言った通り、私はもう二度と従兄弟の死体を見たくない。ヤンジェングルのケシで錯乱して人間らしさを失って行くのも見たくない。それは自分の精神を守るためにそう思うのであって、おまえひとりを心配してのことじゃない」

 そう言ってから、スタラーデはジャファの頭を撫でた。

「ここは王墓が見せる夢の世界だ。私は砂時計の砂が落ち切るまでにフォルクサンを統治する必要がある。頼りにしているんだ、宰相やバラカを相手に戦うよりも、フォルクサンを治める方法を一緒に考えてくれるとありがたい」

 ジャファは俯いて「あい」と返事をしてから頷く。

「頑張る……」

「そうしてくれ。ひと晩しっかり考えるんだ」

 スタラーデはそう言ってジャファを部屋から出すと、部屋の扉を閉めて目を細めた。


「愚かなジャファール。おまえの兄のジャファールもそうだった。頭がよく、正義感が強くてご立派な、自己犠牲を厭わない人だった。いつかイブレイム様が王になったとき、この人が王太子になるんだろうと誰もが確信していた。格下のタリヤに対しても対等に接してくれた。それがどれほど悔しかったと思う?」

 スタラーデは小さく笑う。

「バラカワインに香油にカジュンガグラス」

 マホガニーの重厚な机の前に立ち、スタラーデは鍵を差し込んでカラクリ仕掛けの引き出しを開けた。

 寝かせて置かれたカジュンガグラス、香油。

 タリヤで使っていた物と似た物を取り寄せてあった。

「ジャファール、バラカになんの伝手もない宰相が、どうしてバラカの荷を密輸できるようになったと思う?」

 スタラーデはカジュンガグラスに、ジャファがヴェルタネンデで真っ当に買ってきたバラカワインを注ぐ。

「行方をくらまし、自分の巻き添えにならないように距離を置き、ご丁寧にアーケリの封印まで施して「ジャファール」を私から隠したイブレイム伯父上に乾杯。母はアーケリの王女? ご冗談。あのジャファールの力の使い方はケルグン由来ですよ。よくもまあ、各地に隠された息子の死体を集めて作りなおしたものだ。心臓の封印を解いたとき、記憶の心臓がなにを思い出すのか、楽しみです」


 *** *** *** *** ***


 タリヤ公は息子の独白を聞いてモザイクで飾られた天井を仰ぎ、大きく息をついた。

 デイジェンとビジュー、イェジン、それに白髪のカヴェイネンとピン、アルタン、誰もがタリヤ公を見つめて言葉を待っていた。

「ジャファール殿はケルグンの王女を母に持っていた。スタラーデの母はアーケリの王女で、血筋の格で言えばジャファール殿が上だということは誰もが知っていたが、あの子は厳格な身分階級のなかで最上級の階級で育った母と一緒にいることが多く、自分よりも従兄のほうが格上だと言われることを嫌っていた」

 訥々と語るタリヤ公を前に、デイジェンはにこやかな笑みを浮かべる。

「タリヤ公」

「は、はい?」

「スジェにスタラーデ殿は要らない。ジャファール殿をいただきたい」

 呆気に取られ、それからタリヤ公は「いや」としどろもどろに慌てふためいた。

「し、しかし、それは、イブレイム殿がなんとおっしゃるか……」

「そこはあなたにイブレイム殿と交渉していただきたい。スジェはバラカと繋がりがある者を国に入れたくない。それにスタラーデ殿は見たところ好青年だが、プライドが高く、自分よりも格上の王子がいるというだけで面白くないとか悔しいと思うのであれば、アーケリの王女が輿入れしてくるまで彼が一番格下になるであろうスジェの後宮には向かない」

 イェジンが静かに、タリヤ公に向かって声をかけた。

「あなた方親の世代がジャファールを隠したのは、ペクタ・ドランやクアンツ・ドランの目からではなく、スタラーデ殿からであった、そういうことでしょうか」

 タリヤ公の邸が静まり返る。

 イェジンは続けた。

「不思議だったのです。あなたはジャヒーア姫が息子のために封印を施したとは言わず、ジャヒーア姫が協力してくださったとおっしゃった」

 タリヤ公はイェジンを眺めて目を細めた。

「あなたはジャファールが何者で、なにが起きているのかをご存じのようだ。デイジェン殿がジャファールを差し出してくる前に、あなたのネズミがデイジェン殿になにかを告げていた。違いますか」

 イェジンは「ふむ」と唸って髭をしごいた。

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