カヴェイネン:異国から来た訪問者(28)ジャファ思うに見過ごせないことがある
白髪のカヴェイネンはピンとアルタンを見て暴漢をひっくり返して悪態をついたリゲルを指差してから、「見たか」と呆れる。
「あれがリゲル嬢だ」
ピンとアルタンは呆れたように何度も細かく頷いた。
「ジャファだ」
「どこからどう見てもジャファですね」
カヴェイネンはピンとアルタンに首を竦め両手を広げて見せた。
*** *** *** *** ***
オルジェンは学生たちから聞いたジャファの行動に呆然とした。
「ナイフを持った暴漢をひっくり返して脅した?」
「そうなんですよ。しかも相手の荷馬車は貴族の紋章入りだったのに」
学生の言葉を訊き咎めて、ジャファは「違うよ」と声をあげて本から顔を上げる。
「あの紋章は宰相のだ。第一環状の世襲貴族の紋章じゃなくて、宰相が一代貴族として申請してる。だから、紋章が付いていたことは気にしなくて大丈夫。宰相には話が伝わるかもしれないけど、あの馬車の積み荷は密輸入品だから公に調査できない。あと、あの暴漢は殺人者なのに仮釈放中だって。そんなやつを紋章付きの馬車に護衛として乗せてたなんて、宰相の醜聞でしょ」
淡々と言うジャファを見つめて、オルジェンと学生たちはぞっとした。
「ところでヤフェル、君が二日続けて来るのは珍しいな」
「それは教授、自分が昨日やらかしたことを考えると、来ないわけにいかないのです」
珍しく何かを悟り切ったようなジャファを眺めて、学生たちは「ぷ」と一瞬笑ったが、そのジャファが言う「昨日やらかしたこと」を思い出して笑うのをやめた。
オルジェンはジャファに向かって手を動かす。
「ヤフェル、君は本気で、相手は宰相だと知ってもなお大丈夫だと思っているのかね?」
「先生、世の中には宰相より怖い人も、宰相より悪い人もいっぱいいるよ。俺は宰相より兄さんが怖いもの」
ジャファは笑ってまた本に目を落としたところでオルジェンの研究室に昨日通りに駆け付けた警邏隊の男がノックと共に足を踏み入れてきた。
「ヤフェル・アーバハン?」
「お巡りさんどうも。昨日の馬車、積み荷見た? 現場調査ってするでしょ?」
警邏隊の男は顔をしかめてジャファの襟首を掴んで本の山が崩れるのも気にせず椅子からジャファを引きずり上げる。
「シャタンカル第八環状区警邏隊長のバルナガランだ。ヤフェル・アーバハン、そんなやつは第八環状の居住民台帳になかった。ふざけるなよ、小僧」
ジャファはバルナガランに笑顔を見せる。
「第八環状の居住民台帳に俺の名前があるわけないじゃん。だって俺は第八環状の住人じゃないもの」
バルナガランは顔をしかめた。
「お巡りさん治外法権て知ってる?」
刑法の本をバルナガランに見せながらジャファは小声で言う。
「俺を探すのに第八環状の居住民台帳を見ても無駄だよ」
「だったら第七環状か? 第六環状か?」
笑うバルナガランに、ジャファは笑い返した。
「ハズレ」
思えば母やスタラーデ、盗賊の父、リリアナ、みんな、同じことをしていた。
ジャファはバルナガランの手を払い、バルナガランの制服の襟に手を伸ばしてその襟を整えながら言う。
「知ってる? 週末から一番地の大公様が王宮通りの貴族を集めて三日間ぶっ通しの宴を開くんだって。俺はそこの招待客だから捕まえに来たら?」
バルナガランは引きつった笑顔で「馬鹿な」と呟くように返す。
「警邏隊長さんは頭がいいもの、第二環状と王宮通りの違いなんて俺よりよく知ってる。そうだよね?」
ジャファの言葉をかみしめてから、バルナガランは「チッ!」と大きく舌打ちしてジャファを突き放してオルジェンの研究室を出て行った。
ジャファはバルナガランが研究室から出て行ったのを見送ってから、回廊に仁王立ちになって腕組して格好を付ける。
「警邏隊長だかなんだか知らないけどさ! あんたが第八環状の権力者としてじいさんより殺人犯を庇うなら、俺だって自分の権力を躊躇いなく主張してやるからね! いや、まあその……俺のは親の七光りだけど!」
最後の捨て台詞に学生たちが「ぷ」と笑った。
研究室に入って扉を閉め、本に戻ったジャファにオルジェンは目を向けた。
「改めて聞かせてほしいのだがね、君は、何者だ?」
ジャファはぷんと頬を膨らませてオルジェンを見る。
「法制度って正しい物じゃないの? 貴族の領地では貴族が農民を所有物として土地に付属した契約で縛っていて、第八環状じゃ警邏隊長が宰相の密輸入に目をつぶってる。俺が厭味ったらしく親の権力をちらつかせるだけで、警邏隊長は逃げて行く。その下で、第八環状の居住民は宰相の密輸を見逃す警邏隊長を降ろすこともできない」
オルジェンはジャファに首を振って見せた。
「だからと言って子供が権力に文句を言うのはあまりにも単純に正義を追求しすぎた、無謀で危険なことだ」
「先生、正義ってなに?」
困ったように小さく首を振り、オルジェンは息をつく。
「正義はとても多面的で複雑だ。誰にとっての正義かを特定しなければ、なにが正義かは分からないし、その一方で、利害関係が一致しない相手から見れば正義は簡単に悪にも罪にもなる」
ジャファは本の山に持っていた本を戻して渋面を作る。
「ごめんなさい」
オルジェンと学生たちは「は?」と訊き返した。
「何者だって、訊かれたでしょ? 今……」
「訊いたね」
オルジェンは頷き、ジャファは視線を彷徨わせた。
「最初の一回は、第六環状の仕立て屋で侍女から逃げて来ました。あとで侍女にものすごく怒られました」
不貞腐れた声で自供を始めたジャファを、オルジェンも学生たちもポカンとして眺める。
「怒られたのか、なるほど? 二回目以降は?」
「一回目と同じ手を使って、また侍女に怒られました」
ジャファがゆっくりと座り込んで本の山に隠れる。
「それで? それから?」
沈黙。
「三回目は仕立て屋から逃げられなかったので、正直に侍女に白状して協力してもらうことにしました!」
そこまで言ってからジャファはちらりと本の山から顔を半分覗かせてオルジェンと学生たちを見た。
「ゴメンナサイ」
小さな声で言ってから、ジャファはピンも驚くような素早さで本の山に引っ込む。
「十五歳です」
オルジェンは呆れた様子で息をついた。
「子供でも大学団に入ろうと思えば入れる。ちゃんと親御さんに話をしよう」
ジャファはすっくと立ちあがって本の山から身を乗り出した。
「ほんと! 先生話してくれる?」
「教授だけじゃ心配なら、僕らも話してみるよ」
麦わら色の髪の、リーダー的な存在の学生が苦笑する。
「本当に?」
そう言ってからジャファは項垂れて力無く首を振った。
「やっぱり無理だと思う」
「先生や仲間を信じてみたら?」
学生に言われても、ジャファはまた本の山に埋もれた。
「リゲル」
「なんだって?」
「本当の名前」
研究室が静寂に包まれ、それから「は?」という引きつった声が学生のひとりからこぼれた。
「リゲル……長い金髪……リゲル嬢? 口の悪さが酷くて昨日は悪党相手に暴れた……ヤフェル・アーバハンが?」
「ソウデス」
ジャファは小さな声で学生に答え、本の山の中でオルジェンと他の学生がリゲルの正体に気付いたらしい学生に「知ってるのか?」と問うのを聞く。
訊かれた学生が誰だったかはよく覚えていないが、声を聞くにたぶんサルジェと名乗っていた二十代前半の男だ、とジャファはあたりを付けた。
「リゲル嬢……覚えておいでか分かりませんが、今年の新年のご挨拶で一度お目にかかりましたね? サルジェ・フェン・クラーレと申します」
ジャファは「フェン・クラーレ」と呟いて天井を見上げる。
ヴァン、は伯爵以上の家に付く。
フェン、は子爵以下の家に付く。
クラーレ。
「男爵家」
サルジェが「さようです」と言って咳払いし、ジャファは腕を上げた。
「大学団に入り浸って年末まで帰って来なかったと言って平服に髭面で挨拶に来たクラーレ男爵の三男?」
「さようです」
サルジェはもう一度肯定してから、オルジェンと学生仲間に向かって言った。
「覚えていてくださって光栄です、リゲル・ヴァン・フォルクサン侯爵令嬢」
ジャファは唇を咬んで立ち上がり、サルジェを見る。
「……ドア開けて、出て行くから」
サルジェはポカンとして首を捻った。
「そんなに機嫌を悪くなさらないでもいいでしょう、リゲル嬢」
ジャファはサルジェを睨み付け、「エルバハンのジャファール」を「フォルクサン侯爵家のリゲル」の役割に戻すことに決めて本の山から出る。
「サルジェ殿はお父さまとお兄さまに言う?」
「まさか! 王宮通り六番地の侯爵家に男爵家の三男が勝手に行って侯爵に会えるわけがないでしょう!」
ジャファは息をついた。
「ティーキム殿はヴェルタネンデで貧困区の子供たちに教会で読み書きを教えて、学びたい子供は勉強を続けて読み書きが必要な仕事に就くことができるようにしているというから、フォルクサンでも読み書きを覚えたい子供が教会で学べるようにしたいと言ったら、兄さまが教授の本を出してきて、農奴っていうのは制度だと納得できなくても納得しろと言うの。納得できなかったからそういうときにどうしたらいいのか訊きたくて」
ジャファはサルジェに言って、金髪を帽子に入れる。
「バルキアじゃ、農家の子供は農奴だからと彼らがくれる花ひとつもらうことができないし、第八環状区じゃ警邏隊が密輸入に加担しているのも放置するしかない」
そう言ってからジャファはハッとしてサルジェを振り返った。
「昨日、第八環状区にいらした?」
「おりました」
ジャファは目をパチパチと瞬きする。
「あの……」
「一部始終見ておりました」
がっくりと肩を落としてから、ジャファはわざとらしい笑みを浮かべた。
「あれはその、やってみただけです」
「侯爵家の令嬢は、やってみただけでナイフを持った男をひっくり返してナイフを取り上げて脅せるのですか?」
サルジェを見て黙り込み、ジャファは首を振る。
「そりゃもちろん……頑張りましたよ」
「怖くありませんでしたか?」
ジャファはサルジェに冷ややかな視線を向けた。
「そう思うなら逃げたらよかったでしょう。私は逃げたくなかったし、自分が跳ねた老人を助け起こしもしなかったあの荷馬車の男に文句を言いたかった。私が勝手にしたことです」
サルジェが眉をひそめて首を振り、ジャファを正面で睨み付ける。
「自分が、見過ごしたくなかった、文句を言いたかった、なるほどそうですか。しかしリゲル嬢、あなたを第八環状区のコーヒー・ハウスに連れて行った者の誰一人として、あなたがフォルクサン侯爵令嬢であることを知りませんでした。昨日、第八環状区であなたが殺されても、誰もフォルクサン侯爵家にそのことを伝えることもできなかった」
ジャファは不貞腐れ、それでも頷いた。
「フォルクサン侯爵家では、娘が殺されたことも知らず行方不明になったと心配するでしょうが、私はなにも知らずにヤフェル・アーバハンについて、どこの子供かは知らない、とあのあなたが嫌いな警邏隊長に言うしかなく、あの警邏隊長は宰相に密輸入品のことを知った子供は始末しましたとでも伝え、宰相がそのことで警邏隊長を褒め、ともすれば褒美のひとつでもやっているあいだに、荷馬車に跳ねられた老人は」
「思慮が足りませんでした」
ジャファは座り込み、オルジェンと学生たちはジャファを眺める。
「……勝てるもの」
「は?」
「先生たちがよいの。ヴェルタネンデのカヴェイネン殿とか、エニシャのピン殿とかアルタン殿とか」
オルジェンとサルジェを含む学生たちはジャファの言い分に呆気に取られた。
「勝てると思ったのか」
「ちゃんと考えれば勝てるんです」
ジャファは言い切った。
「それでも、リゲル嬢、周囲は子供がひとりで粗暴な男に向かって行ったら心配するものなんです」
サルジェの主張を聞いたジャファは、誰がどう見ても不服を露わにしていた。
*** *** *** *** ***
白髪のカヴェイネンとピンとアルタンは頭を抱えた。
「子供が飛び出して来たら怖いがな」
「子供を守らないといけないことに気が行って、こちらが危ない目に遭いかねないのですが、まだそこは考えたことがなさそうですね」
ピンがふたりの間で頷く。
「ジャファは、あまり周りの大人に大事にされなかったのでしょうね」
そのピンの言葉に、カヴェイネンもアルタンもピンを見つめた。
「なんて?」
アルタンに訊かれてピンはカヤネズミの姿で頭を上向かせた。
「父親が盗賊だろうがエニシャ王族だろうがあまり関わったことがなくて、リゲルの様子からすると母親のアーケリ王女の仕草には威圧されて来ただろうし、リュヌ商会の商隊にくっついて行くと言っても、オジサンとオバサンは付き添いにも護衛も出さない。王墓に入ってからのジャファを見ればエクセン・ドランなのだと納得するけど、盗賊の子ならそれを罵られたりそのことで差別されたり、したと思うんだよ」
ピンはそう言いながらアルタンに向かって髭を動かす。
カヴェイネンは「ああ、そうか」と小さく頷いた。
「周囲に心配された経験が少ないのか」
「たぶんですけども、そうなんじゃないかと思いますよ」
ピンはカヴェイネンとアルタンに向かって頷いた。




