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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
異国から来た訪問者
30/106

カヴェイネン:異国から来た訪問者(26)立ち止まる者、歩み行く者。

 二十時。

 ジャファとスタラーデは廊下で女性陣の話と男性陣の話を交換していた。

「リリアナのために用意した香水、評判よかった」

「そうなのか?」

 スタラーデは顔をしかめ、ジャファは頷いた。

「あのね、タナンドールの香水って有名なの。そのなかで、リリアナにプレゼントしたタルシャっていうのがいっちばん香りが長持するんだって。あと「ル・タルシャ・ナ・ヴェルデン」っていうヴェルタネンデの店には調香師っていう香水をブレンドする職人がいて、そこの店でオーダーメイドする香水はブレンドの割合をそこでだけ管理するから、そこでしか二本目を買えないの」

 スタラーデは舌を巻いた。

「それはすごいな」

「エニシャじゃ考えられないよね」

「その場で調合するのか?」

「そう。ブレンドしたい香りを選んで調合してもらうの」

 スタラーデは肩を竦めた。

 ワインは出来によって風味を調整するためにブレンドするが、香水のブレンドはカストールが香水に縁がないこともあって考えたことがなかった。

「すごいな。香水に対する執着だ」

「兄さん、それ違う」

 ジャファは「チチチ」と指を振った。

「違う?」

「彼女たちはお喋りのネタに情熱かけてるの。あのさ、リリアナにプレゼントしたエニシャによくある香水瓶あるでしょ?」

「うん?」

 スタラーデは頷く。

「中身がないのねっていう嫌味かしら、だって。リリアナの考えすぎだと思ったら、本当に同じことをリリアナに言った令嬢がいた」

「あからさまだな」

 ジャファはスタラーデを見上げた。

「そうなの?」

「オジサンたちなら損得を匂わせるだけで終わらせる」

「怖い。兄さんの部屋は? オジサンたちはヴェルタネンデの商人に興味ありそう?」

「なさそう」

 スタラーデは息をついた。

「ヴェルタネンデとの交易に出せそうな各地の産品があればオアシスみたいに交易拠点にできるんでしょ?」

 頭を掻いて、スタラーデはジャファの質問に「そうではあるんだが」と言葉を濁す。

「フォルクサン産のワインはまだ時間がかかるし、ティーキム殿がヴェルタネンデで扱ってもよいと思える相手が来客にいればいいが、どうも話が弾まない」

 ジャファはひとつスタラーデに質問した。

「兄さんはティーキムをなんて紹介したの?」

「おまえがヴェルタネンデで捕まえてきた商人」

「話が弾まない原因それだと思う」

 スタラーデはジャファに目を向ける。

「そうか?」

「相手はエニシャの領主たちみたいに商売に敏感じゃないよ。アーケリ王族並みに階級差別するバルキア貴族だよ。スタラーデは俺がジャヒーアの子だから差別しないんでしょ? でも俺が本当に盗賊の子で母親がジャヒーアじゃなかったら相手する?」

 スタラーデはジャファを見つめたままで少し間を置いてから天井を見上げた。

「しない」

「弟の俺がエルバハンで見つけてきた商人だよ、話してって言われたらどうする?」

「胡散臭いと思うだろうな」

 ジャファはスタラーデを見つめる。

「バルキア貴族、すっごい差別するよ。スタラーデだっていつも農民を農奴って言うじゃない」

 天井を眺めていたスタラーデは、頭を掻きながらジャファに視線を落とした。

「おまえは盗賊の子だと差別されてきた経験から敏感になっているのではないか?」

「そうなのかなあ? そうじゃないと思うけどな。ここじゃ女の子たちだって親の爵位で上下を意識して話をするよ」

「そう見えるか?」

「見える。リリアナは兄さんの婚約者になることが決まっているからか、もともとそういう性格なのか、リゲルにつっけんどんだけど」

 ジャファはそう言ってから息をついた。

 リゲルにとってリリアナは、きっと「最高の友人」だ。

 リリアナが本当にリゲルを貶めようとするなら、青い瓶を瓶だけで贈ったことを吹聴すればいい。カストールの婚約者になることが決まっているのだから、リゲルに恥を掻かせたところでスタラーデが知らなければそれでいい。

 それだけの話だ。

 もしかしたらそれはオメデタイ頭だとスタラーデにもティーキムにも呆れられるような考えかもしれないが、香水をオリジナルブレンドで贈ったときのリリアナの赤面は、嫌いな相手にしてやられたと思っている様子とは違った。

 ジャファは顎に手を当てて、ハッと何かに気付いたように顔を上げた。

「もしかして俺ってすごくいいやつ? リリアナが顔赤らめてた」

「警戒されない女の子同士なんだろう?」

 自分が言った言葉をスタラーデに返され、ジャファは「うん」と素直に頷いた。

「そうなんだけど」

 スタラーデが「ふふん」と鼻を鳴らした。


 *** *** *** *** ***


 スタラーデはまじまじとティーキムを見た。

 カタラタンの王子がお忍びでバルキアの王都にいると知れたら困るのだが、身分としてはヴェスタブールの商人として査証を発行しているので、彼が王子と知って命を狙う者がいるとしたら、なんらかの情報がフォルクサンかヴェスタブールのどちらかで漏れているということになる。万が一にもそのようなことはあってはならないし、警戒しておくに越したことはない。

 スタラーデがティーキムを呼んだのは、シャタンカルかフォルクサンに、フォルクサン侯爵家の紋章を入れてヴェスタブールに出荷できるようなものがあるかという相談のためであり、リリアナとの婚約を控えた懇親はティーキムにバルキアの貴族との繋がりを作る場という手土産として設けたものだった。

 しかし、スタラーデが見る限りティーキムはどうも一般的な社交の挨拶を受ける側として存在しており、特に自分からバルキアの貴族たちに話を持ち掛けているようには見えない。

(スジェ王は消極的なのだな)

 バルキアの貴族たちも貴族たちだ。

 彼らの奥方や娘たちはヴェルタネンデは近隣諸国の交易中継点として力を付け、ヴェルタネンデでしか買えない物があると理解している。

 ジャファがリリアナのために買った香水などがそうだ。

 女性たちが香水を選ぶ基準はスタラーデにはよくわからないが、ジャファとリリアナによれば、タナンドールの香水はブレンドをオーダーできる点が他の地方で出している店と違うのだという。そしてオーダーを受け付ける店はヴェルタネンデにしかない。

 コヴェンデ諸島のリネンもヴェスタブールで荷揚げされる。

 良質なコットンはほとんどがヴェスタブールで競売にかけられて買い占められ、そこから各地に流通する。

 一旦ヴェスタブールに集まった富はヴェスタブールの商人や仲買人たちがヴェスタブールを起点に各地に流出させていく。しかしヴェスタブールから流出する以上の富がまたヴェスタブールに流れ込んでいく。

 ヴェスタブールについて聞けばよかろうと思うが、それをしない。

 スタラーデはジャファが言った「アーケリ王族並みに差別する」というそのバルキア貴族評価を思って納得する。

(ジャファールはアーケリ王族のことなんか知らなかろうに)

 ただ、ティーキムが孤立しているのを見る限りその評価は正しいのかもしれない。

 スタラーデはティーキムと肩を並べた。

「申し訳ございません、この状態は少々想定外でした」

 相手は隣国の王子である以上にスジェ王だという先入観がスタラーデを委縮させる。

「構いません」

 ティーキムの声は冷淡だった。

「よいものを見せていただいたことに礼をしたいが、なにか要望はおありですか?」

「よいものが見られましたか? この、女性であれば壁の花と言われても致し方ないような状態で?」

 スタラーデの問いにティーキムは頷く。

「拝見するに、バルキア王の求心力は強くない」

「なぜそう思われました?」

「あなたが私に侯爵領の通行証として商人に与える査証を発行している。バルキア王が強ければ、フォルクサン侯爵がヴェルタネンデに強硬な姿勢を見せてもおかしくないはずです」

 ティーキムに言われてスタラーデは「なるほど」と小さく頷いた。

「こうして密かに私に便宜を図るのだから、バルキアにもカタラタンにも内密に手に入れたい見返りがフォルクサンか、カストール殿ご自身のどちらかにあるはず」

 スタラーデはゆっくりと「ええ、そうです」と肯定した。

 王墓に入る前のジャファの罵声が耳に甦る。


 俺は道具じゃない、スタラーデも物じゃない。


 ジャファがどんな風に生きてきたかは知らないが、ジャファがデイジェンに訴えたその言葉で、父の物であり、母の物であり、漫然と周囲に流されてきたスタラーデの目に映る世界が変わった。

 統治者になるには物である自分を受け入れるだけでなく、自分が流れを作る必要もあると気付いた。その一歩目は葡萄畑だったが、すぐには結果が出ないという焦りを感じた途端にその先に進めなくなってしまった。

「ティーキム殿、リゲルはいい子でしょう?」

「楽しい子供ですね」

 スタラーデはティーキムの耳元に囁き、ティーキムは返す。

「ようやく方向性が決まったと言った年齢でしょう」

「ティーキム殿」

「はい」

 少し間を置いてスタラーデはティーキムに問う。

「私とあの子ではどちらが領地をうまく統治できるでしょうか」

 ティーキムはスタラーデを振り返ってから首を捻り、「さあ」とだけ答えた。

「私はあなたが葡萄畑を作りワインを生産するとは聞いたが、それからどのように民に回るのかを聞いていない。リゲル殿は私によく、ヴェルタネンデはどのようなことをしているかと訊くが、リゲル殿がフォルクサンでなにをしたいのかを聞いたことはない。どちらが統治者に向いているか、私は考えたことがない」

 ティーキムの意見にスタラーデは頷く。

 それからティーキムはスタラーデをちらりと見た。

「バルキアは女侯爵も一般的なのですか?」

「いえ、ちょっとした疑問です」

 スタラーデはティーキムに答えて、小さく笑った。

 ジャファは傍目に見れば相変わらずのんびり自由にしているが、ティーキムに教わったことを自分の理想と突き合わせて色々と考えようとしている。

 親や兄が「農奴」と呼ぶ者たちに文字を教えるというティーキムの事業を教わってきたときには、興奮気味でもあった。

 そのやり方は、恐らくティーキムがジュジェンとして様々な資料を集め、情報を確かめてヴェルタネンデにふさわしいと判断したはずだ。スタラーデには同じことがフォルクサンの農村やエニシャのオアシス都市で通用するとは思えないままだった。

 ティーキムはそのスタラーデの疑問に大きく頷く。

「リゲルを妻にどうでしょう?」

 スタラーデの提案にティーキムは手にしていたワインを喉に詰まらせてむせた。

「リゲル嬢を?」

 ティーキムは声を落とす。

「バルキアからカタラタンに嫁に出すとおっしゃった?」

「王妃ではなくてもよいのです」

 ティーキムは小さく俯いて笑った。

「カストール殿、縁戚関係ができればヴェルタネンデに干渉できるとはお思いにならないことだ」


 *** *** *** *** ***


「ジャファール」

 月夜、スタラーデに声をかけられてジャファは顔を上げた。

「教会で農奴に言葉を教えるつもりでいるだって? 農奴は領地の物で私たちとは身分が違うと何度も言ったはずだし、先日まではおとなしく納得していただろうに」

「スタラーデ」

 ジャファは膝を抱えて俯く。

「生まれてくるときに、自分がどの身分に生まれるかなんて自由に選べるわけじゃないよ。農奴って生まれながらに誰かの所有物って決まってるの?」

 スタラーデはジャファの頭を撫でた。

「王族はすべての所有者、その下の者たちは順に誰かの所有物になっていく。ここでは領主が所有者で農作業に従事する者はその所有物だ」

「エニシャでは? 商人たちは自由じゃない?」

「彼らには彼らの世界がある。彼らだって奴隷を買う」

「奴隷はなんで奴隷になるのさ? 奴隷の子供に生まれたから? 俺が盗賊の子供って言われたり、人と違うからって石投げられたのと農奴って言われることになんの違いがあるのさ」

「おまえの父親が盗賊だというのなら、その盗賊に村を襲われたりなどして捕まり売り飛ばされ奴隷になる者がいただろうよ。エニシャでは奴隷はそういう者が多い。ヴェスタブールでは、どうやら違う。農地とそこに住む住人たちは、領主たちが土地を奪い合い、その土地を奪い取った者が支配者として彼らを所有する。フォルクサン侯爵の家もそうだっただろう。どこかで手柄を立てたか、あるいはここを武力で奪い取って侯爵になり、この土地の住民を所有するようになった」

 スタラーデはジャファを見つめる。

「それで? ジャファール、農奴に読み書きを教える、それがカタラタンのティーキムからおまえが得たフォルクサンをもう少しマシにする手段?」

「ティーキムは、読み書きができる子供には読み書きで仕事ができるようにする、そうでない者にはそうでないなりの仕事ができるようにして、貧民にならないようにするんだってさ」

 スタラーデはジャファの話に息をついた。

「他には?」

「カヴェイネンが、ティーキムは自由交易の制度を整えたって言ってた」

「フォルクサンは国境ではあるが、カタラタンとの交易路から外れてるから商業制度を整えたところで豊かになる保証はない」

 ジャファはスタラーデに言われて「あー……そう……」と言ってから続ける。

「土をよくすることもできるって言ってた。土がよくなると農作物の実りもよくなるって」

「火山性の土壌だから風味の違うワインができる。そんなことはとっくにやっている」

 ジャファは「あ、そう……」とまた肩を落として膝を抱えた。

「自分の領地の住人を幸せにするのが目標だって」

「そんなのは領地を持つ者なら当然の責任だろうが」

 ジャファはプンと頬を膨らませようとしてかろうじて思いとどまり、スタラーデから顔を逸らす。

「それが当然の責任ならフォルクサンの農村の教会にだって読み書き教える日曜学校があってもいいじゃん……」

 スタラーデはジャファの肩を軽く叩いた。

「バルキアはまだその段階じゃない。文字を知り読めるようになることの意味が分からなければ学ぶことに意義を見出せない者も必ずいる」

 首を振り、ジャファはスタラーデを見る。

「それでも中には文字を知ることで農奴の身分から解放されて自分も他の人と同じように生きる権利があることに気付く者だってきっといるよ。少なくとも、白髪のカヴェイネンは俺を盗賊の子供だとか腕輪を盗んだチビ泥だなんて言わないで、話を聞いてくれた。タジャンは強欲で他人より自分の利益を優先するダメな商人だけど、腕輪と引き換えに俺を奴隷にするなんてことは言わなかった」

 仕方なく、スタラーデはジャファに図書室の鍵を渡して小首を傾げた。

「もっと学べ」

「スタラーデに言われたくない」

「悪いがこれでもタリヤの次期領主としては勉強してる」

 ジャファは図書室の鍵を手に、にこりと笑った。

「頑張ったらいくらか足してくれる?」

「は?」

「二十タパカにいくらか足してくれたら、自分のお小遣いになる」

 スタラーデはジャファを見て呆れた。


 *** *** *** *** ***


 ジャファはスタラーデから渡された本を読みながら首を捻った。

「契約? 土地?」

 そう言いながら読んでいった先に「農奴」の言葉を見つけてジャファは手を止める。


 しばらく考え込んだジャファは、本を手にスタラーデの部屋を覗いた。

 スタラーデはジャファを見て手招きしてソファに座らせた。

「読んだか?」

「読んだ。貴族とか領主ってみんなこんな難しいもの読むわけ?」

「知識として読むわけじゃない。現実に人を縛るものとして読むんだ。他の領地の領主たちもそうだが、農奴に読み書きを教えないのは、彼らを罪人にしないためでもある」

 ジャファは顔をしかめた。

「どうして農奴に文字を教えることが罪人にすることになるの?」

「本の中には様々な世界がある。ヴェスタブール、エニシャ、アーケリ、スジェ、それにケルグンも……まあ、ヴェスタブールで読める本のなかにスジェやケルグンの情報はほとんどないからエニシャとアーケリのことがせいぜいだが、それでも、そこに農奴という制度がないことを知ったら、彼らは反乱を起こしかねない」

 本を膝に置いてジャファは首を捻る。

「反乱を起こすかもしれないっていうのは、反乱を起こされそうなことを自分たちがしているという自覚があるっていうことじゃないの?」

「まあそう」

 スタラーデの答えにジャファは不貞腐れた。

「じゃあさ、たとえばこの契約がわかれば村の人たちは農奴の身分から解放される、なんていうこともある?」

「あるが、バルキアは保守的な地域なんだ、そう簡単じゃなかろうよ」

 ジャファはスタラーデを見つめて唇を指でこする。

「人が物扱いされるの、俺やっぱり嫌だな」

「嫌だと言うだけで変わるなら、私は何千回だって嫌だと言ってやるがね、現実はまったくそうじゃない」

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