カヴェイネン:異国から来た訪問者(25)ジャファからリリアナへの「唯一」
バルキアの王都、シャタンカル。
フォルクサン侯爵家の夜会はカストールとリリアナの正式な婚約発表を控えて懇親のために設けられた。
ジャファはカラスと侍女に支度されつつ、窓ガラスに映るリゲルをちらりと見た。
相変わらず肉付きの悪い細い体をしている。
スカートを捲り上げると脚も細い。
「お嬢様はなにしてらっしゃるんです?」
「もしかしてガーターがきついですか? それとも緩いかしら?」
ジャファはカラスを振り返る。
「コルセットって、緩くしたり……」
「しませんよ」
「やめてゴハンが食べられなくなっちゃう。王都の料理人がブタの丸焼き出すって聞いたのに」
「お嬢様はブタの丸焼きが楽しみなんですか?」
ジャファは侍女に訊かれて渋い顔をした。
「ブタは美味しい、ブタは罪の味」
「なんですか? それは」
「せっかく美味しく料理されるんだから、美味しく食べて、しっかりと食べつくしてあげなきゃブタが可哀想だ。ブタを天国に送ってやらなきゃ」
侍女は呆れた。
「それで、お嬢様がブタを天国に送るためにどうすればいいんですか?」
「コルセット要らない」
「なりません」
「……じゃあブタ食べるために紐を緩くして」
「いたしません」
ジャファはカラメル色に焼かれたブタを想像しながら諦めの息をついた。
*** *** *** *** ***
スタラーデはフォルクサン領主と並んでバルキア国内各地の領主を来客として前にしていた。
「ホールに、お見掛けしない方がいらしたようですが」
来客に訊かれてスタラーデは答える。
「妹の招待客です」
「男性のようでしたが?」
「ええ」
スタラーデは頷く。
「ヴェルタネンデへ買い物に行ったときに見かけたようで、理由を付けては頻繁にヴェルタネンデに出掛けておるような状態です。妹は昔から自由な性格ですが、浮ついていると言われて嫁の貰い手がないのではないかと兄として危惧しています」
来客として来た領主やその子息たちが笑った。
「それでカタラタンからシャタンカルまで? バルキアの侯爵家と縁ができると期待してのことでしょうか」
スタラーデもフォルクサン侯爵も、その言葉は苦笑だけでやり過ごした。
招待客の身分はカタラタンの王子でヴェルタネンデ領主のティーキムだったが、他の来客にそのことは伏せられた。
そうしてスタラーデはジャファールのことを考える。
ヴェルタネンデの弱点をひとつでも見つけてくればまだよいが、ジャファールにその様子はない。
二十タパカ。
スタラーデはチチチと小さく舌を鳴らす。
「安い買い物だ。たった二十タパカで自分の代わりにスジェに嫁ぐ弟が買える。ヴェルタネンデの弱みを何一つ見つけて来ない役立たずの従弟だが、嫁に行くぐらいはできる」
「カストール殿、なにかおっしゃいましたか?」
「いいえ、独り言です」
ここに来て、砂時計の砂は半分が下に落ちた。
残りの砂が落ちるまでにどれぐらい時間がかかるか分からない。
王墓の案内人はフォルクサンを統治しろと言ったが、父の代わりに統治を始めたフォルクサンの状況は芳しくない。
森を共有するような状態で国境を接するヴェルタネンデと交流を持っておきたいのはヴェルタネンデに行こうとする逃亡農民を追うために森に入った者たちがヴェルタネンデ側の警備兵に見つかっても、猟の間に迷い込んだのだという口実だけで解放してもらえる可能性がある。
ヴェルタネンデでティーキムは貧民の子供に読み書きを教えるというが、農奴に読み書きを教える必要はないと、スタラーデはジャファールの提案を却下した。
その後も、ジャファールがヴェルタネンデで聞いてくる情報はスタラーデが思うに役に立たない物ばかりだった。
土壌の改良をすると言うが、それには時間がかかるだろう。
人の得手不得手に頼り仕事の質を向上させたりするというが、それは人間の善良さと勤勉さを信じすぎているように感じられる。
ティーキムの手法は、スタラーデにとって自分では採用しがたいものばかりで、嫌がらせのためにわざわざ失敗する方法ばかりを従弟に吹き込んでいるようにしか思えなかった。
*** *** *** *** ***
ジャファの支度はカラスの言う「完璧なお嬢様」として完了され、控室に足を向ける。
控室にはリリアナがいて、スタラーデがその横にいる。
ジャファはスタラーデの横に座って囁く。
「リリアナって抱き着くと柔らかいよね。スタラーデ兄さんの好みなの?」
スタラーデはジャファを見ずに肩を寄せて囁き返す。
「ジャファール、いつ彼女に抱き着いた」
「兄さん知ってる? リゲルとリリアナは女の子同士なんだよ。警戒されないの」
ジャファの言葉にスタラーデはジャファの足を蹴ろうとしてドレスのスカートに邪魔された。
「ブタ残しといて」
「ブタ?」
「ブタは美味しいの。ブタは罪の味」
よくわからないジャファの言葉をしばらく考えてから、スタラーデは手を打った。
「おまえが育ったエルバハンはブタを食べない文化だったな」
「そう。エルバハンはブタを食べると地獄に落ちるって言われてる。フォルクサンで初めてブタ食べた」
スタラーデは「なるほどな」と頷く。
ジャファはもう一度スタラーデに顔を寄せた。
「エルバハンに帰っちゃったらブタ食べられなくなるから、今のうちに飽きるぐらい食べておかないと。もう一生ブタ食べなくてもいいって思えるぐらい食べないと」
「ならエルバハンに帰らなければいい」
帰らない。
考えてもそれはどうかとジャファは思う。
エルバハンには親身になってくれるおじさんとおばさんがいる。
「砂時計、まだ下に砂溜まらないね。俺いつまでリゲルなのかな」
「私なんかおまえより十五年も多くここにいる」
スタラーデに言われてジャファは笑った。
リリアナが後ろからジャファの肩をつつく。
「あと数日したら正式に婚約するの。お兄さんと妹かもしれないけど、あんまりくっつかないでくれる?」
ジャファはリリアナを振り返り、それから紙の包みをリリアナに差し出した。
リリアナはジャファを見て包みを受け取る。
「小さい婚約祝いだこと」
「ただのヴェルタネンデのお土産」
ジャファはリリアナにヴェルタネンデで用意した土産物の香水を渡す。
リリアナはジャファが土産だとだけ言って渡した箱を開け、小さく「わ」と声をあげた。
「タナンドール産のユリの香水。ブランドはタルシャ。オリジナルパッケージにアーケリシルクのリボンを飾って、箱には特別に、緑に白と金の香水瓶を入れてもらった」
ジャファはニヤリと笑った。
「どう」
得意げなジャファの笑みを見てリリアナは目を見開く。
リリアナの土産について、ティーキムはジャファに言った。
「ガラスの小さな香水瓶を渡したら中身が空っぽだと嫌味を言ったことにされた、合っているな?」
「合ってる」
ジャファの肯定にティーキムは頷いた。
「その彼女にはただ中身があるだけでは納得されない。器より中身をよい物にする必要がある。タナンドール産の香水はタルシャ、ベルダンデール、カルタナの三つ。最上品質で香りが長く続くと言われているのはタルシャだ」
ジャファはティーキムがデイジェンのことで言ったことを思い出した。
製品の品質は産地を有名にする。その製品に稀少性があれば話題になる。
それからリリアナの好み。
リリアナは「それ」とわかる物が好きだが、銘柄は大っぴらにせず、その銘柄を当てられる人間を選んで話を広げる。リリアナにとって「それとわかる人にだけそれとわかる物」は「好きなもの」であり、同時に会話を作るための「道具」でもある。
そしてガラス瓶ひとつで「中身が空っぽっていうこと?」と言うぐらい、その「物」に意味を見出そうとする。
「香水瓶は新しいのを用意した方がいいと思う?」
「思う。瓶を目の色と揃えようとしたから彼女本人のことだと言いがかりをつける隙を与えた。さて、今度は瓶の色をどうする?」
ティーキムに言われ、ジャファは目を彷徨わせる。
目の色と合わせたら文句を言われた。
無関係ならきっと「センス皆無」と罵られる。
「中身がユリなら、ユリと色を合わせる?」
「無難だな」
小さく「よし!」と拳を握り、ジャファは香水瓶は白と緑が入っていること、と頭に刻みつけた。
それでも金色だけは避けられない。
リリアナははちみつ色の緩やかな巻き毛の持ち主で、その金色はエニシャ産の香水瓶に必ず使われている金色と似ている。
そうしてタナンドール産の香水を扱う店にジャファが特注した箱には、タルシャのマークを透かしたが、白と緑の香水瓶をセットにし、香水の瓶にはラベルを付けなかった。
リリアナは香水が入った瓶を手に取って眺める。
「なんの変哲もないただの瓶ね」
「中身は間違いなくタルシャのユリ」
甘いけれどもすっきりとした香りの、よい香水。
「ありがとう」
「ベースはユリだけど、少し青い香りを入れてもらった」
「どういうこと?」
「オリジナルブレンドにしてもらったっていうこと。箱の裏書を見て」
ジャファはリリアナに伝えるだけ伝えて後ろを向くと、罵声対策で両耳を塞いだ。
箱の裏書には、調香師の名前とブレンドの分量、それにブレンドに付けた名前を書きこんでもらった。
「ブレンドの名前がリリアナ?」
リリアナがジャファの背中に「バカじゃないの!」と罵声を叩きつけた。
「こういうキザったらしいことは殿方がやることに意味があるのよ!」
そう言ってからそれでもリリアナは瓶を開けて香りを確かめる。
「ああもう! 悔しい! この香水を使ってしまったら、前のユリだけの香水が物足りなくなるじゃない!」
ジャファはカラスに「勝った!」と小声で勝利を宣言し、カラスに「なににですか」と呆れられた。
「リゲル嬢、私がこの香水で買収できると思わないでちょうだいね」
「買収?」
ジャファは顔をしかめた。
(またわからない話が出てきた)
「これであなたに甘くなると思ったら大間違い」
リリアナの甘ったるい声がジャファの耳に掛かる。
ジャファは呆れた。
「だけど今回のお土産は上出来でしょ?」
「あなたが男の子ならね」
今度こそジャファは気が遠くなった。
「好きで女なわけじゃない」
王墓の案内人が「弟殿下には別の道」と言ったのがこれだ。
スタラーデが男で自分が女なのは気に入らないが、それでもこの立場を利用してティーキムに近付き、ティーキムからヴェルタネンデを豊かにした方法を聞き出せれば二十タパカがもらえて白髪のカヴェイネンに金を返すことができる。
タジャンが仕掛けた命懸けのズルでせしめた小遣いはタジャンに返した。白髪のカヴェイネンとピンを危険に晒して手に入れた金でカヴェイネンに二十タパカを返す気にはならなかった。
*** *** *** *** ***
フォルクサン侯爵家の夜会はホールに大勢の来客を迎えてのものだった。
格式ばった晩餐のあとには男女別れて懇親会。
令嬢たちがリリアナの香水に足を止める。
「いつもと違う?」
「タルシャの香水なのよ」
リリアナが笑う。
「タルシャ? タナンドールの?」
「そう。リゲル嬢からのプレゼント」
「見せて」
「同じ香りが欲しいわ」
会話を聞いて、ジャファは笑みを浮かべた。
ティーキムに相談してよかった。
「残念だわ、同じ香りはオーダーメイドするしかないの」
「あらそうなの?」
「瓶を見せて。箱はタルシャだけど瓶にはタルシャの透かしがないのね」
「緑の瓶と、こっちは青い瓶。きれいね」
リリアナがちらりとジャファを見た。
青い瓶。
「瞳と同じ色なのね」
「そうよ素敵でしょ?」
中身が空っぽだと言いたいのかと嫌味を言われた瓶だ。
ジャファはリリアナを見つめた。
「中身は空っぽなの?」
なるほど、とジャファは頭を抱える。
令嬢たちの会話ではこういう質問になるわけだ。
リリアナは小さく笑った。
「違うわ、中身は自由だということよ。伯爵家の娘でも侯爵家の嫁でも、私は私。香水の箱にブレンドの名前が書いてあるでしょ? 見て」
令嬢たちは箱に書かれた「リリアナ」というブレンド名を見て感嘆のため息をついた。
「リゲル嬢は中身が空っぽだなんて意地の悪い発想しないわ」
そんな道具にされるとも思わなかったからだとジャファは思ったが、リリアナを見てそのしてやったりとでも言うような笑顔に心臓が跳ねた。
それからふと、自分たちが手にしているものがハーブティーだということに気付いた。
男性たちはアルコールを手にしていたが、女性たちはお茶を手にする。
スタラーデは葡萄畑を作ったが、人には土壌を変えるには何年もかかると苦情を言う。
ワインとて一朝一夕でできる物ではない。
ワインは男性の嗜好品。
彼らはワインで会話する。
ここにいる女の子たちは香水ひとつで話題ができる。
デイジェンはいけ好かない男だが、その領地ではアルコールではなくお茶を生産しているのだという。
砂漠に囲まれたオアシスでは柔らかすぎる草花の香りはどうかと思うが、バルキアでは違う。
茶会で彼女たちが好む会話を彩るものは?
ジャファは若い令嬢たちの輪を離れて母の横に座った。
「しばらく王都にいるのでしょ? 裏庭にハーブを植えてもいい?」
「別にいいけれど急にどうしたの?」
「料理やデザートのことも色々種類とか教えて」
リゲルの母は目を見開いた。
「どういう風の吹き回し?」
そう言ったリゲルの母は来客の夫人たちと顔を見合わせてキラリと目を輝かせる。
「どこのご子息が気になったのかしら?」
「うちの息子だと嬉しいわ」
「あら、リゲル嬢と年が近いのはうちの息子だと思うのよ」
ジャファは思わず一歩後ずさる。
うっかりオオカミの群れに足を踏み入れた羊の気分だった。




