カヴェイネン:異国から来た訪問者(23)できることを探すだけのこと
カヴェイネンはリゲルを眺めながらピンに言う。
「おとなしくなかった、あんなにおとなしくなかったぞ」
ピンはカヴェイネンを見上げて髭を動かした。
「ジャファですもんね」
「ジャファだからだったのだな」
そうは言いながら、カヴェイネンはジャファを眺める。
エクセン・ドランはペクタ・ドランやクアンツ・ドランに狙われる、鱗は高額で、血はさらに高額で取引される、それは間違いないのだろう。
そうでなければタジャンがいくら金に汚いと言っても命を危険に晒してまで天龍の鱗を集めようとまではしなかったのだろうし、それが金になるのだと言われてジャファも小遣い稼ぎに龍の鱗を剥がす手伝いをするような真似はしなかったに違いない。
カヴェイネンはポケットから左肩に上がってきたピンに小さく言葉をかける。
「タリヤ公はジャファのことを守ろうとなどしていないよ」
「そうなんですか?」
「ジャファの父親が身を隠したのも、本当にペクタ・ドランやクアンツ・ドランに狙われたせいかどうかわからんぞ」
「そうですか」
カヴェイネンはビジューが映し出すリゲルを見つめる。
イェジンがカヴェイネンの肩に顔を寄せた。
「彼女……リゲルは、カタラタンに?」
イェジンの小さな疑問にカヴェイネンは首を振った。
「バルキアで亡くなりましたよ」
「なぜ?」
「なぜ……ふむ、簡単に言えば、魔女狩り」
イェジンに小声で答えたカヴェイネンを見上げて、ピンは小さな手でカヴェイネンの耳をぺたぺたと叩く。
「なんだろう」
「魔女狩りっていうことは、旦那、あの子は人前で力を使ったんですか?」
「誰かが、リゲル殿に力があると告げた」
誰か。
「あのリリアナっていう子ですか?」
カヴェイネンは小さく「いいや」と呟くように返した。
「見ていればわかる」
そう言ってからカヴェイネンはピンに声をかける。
「タリヤ公の動きに注意して、必要があればピンはイェジン殿をお守りしてほしい。アルタンにはスジェの王弟殿を頼む」
ピンは「チィ」とひとつ鳴いて頷いた。
アルタンはピンから伝言を聞いてカヴェイネンの横に膝を進めてデイジェンとビジューの前に盾を張るために控えた。
タリヤで大人たちが眺める限り、リリアナの嫌がらせはジャファには有効ではなかった。
リリアナにとっての「習慣や大切」と、ジャファの「習慣や大切」が違っていたせいだ。
たとえばエニシャでもヴェスタブールでも、紅茶の茶葉はだいたい細かく砕かれている。
リリアナは多くても三杯分程度のポットで薄めずに注ぐというヴェスタブールの特に富裕者層によく親しまれた淹れ方をするが、ジャファとスタラーデはエニシャ風に、大量の茶葉を煮て同時に沸かした差し湯で濃さを調整して飲むのがふたりで話をするときの習慣になっている。リリアナがリゲルのために濃く渋みさえ無視して淹れた紅茶は、ジャファが習慣的に入れる差し湯と砂糖で無効化された。
ジャファが大量の差し湯と砂糖を入れるのを見て、誰よりも顕著に「理解不能」と表情に出したのはスジェのデイジェンとビジューだった。
「ブロークンリーフなんだから抽出時間はもっと短めでよかろうに」
「最初からカップに差し湯するぐらいなら、ねえ。砂糖を入れるならお湯じゃなくミルクを入れたほうが合うでしょうに」
悲しそうに言うデイジェンとビジューにタリヤ公が咳払いをして気を惹く。
「エニシャでは紅茶と言えば、だいたい濃く煮だして薄めるものです」
デイジェンとビジューは顔を見合わせ、タリヤ公を見た。
「さようですか……」
頷いてから通訳に口止めをして、デイジェンはビジューに何か言っていた。
イェジンの通訳が後ろから小さく囁く。
「エニシャ向けの茶葉は品質を落としてもよさそうだ、と」
イェジンは通訳の耳打ちに「ぷ」と小さく笑った。
大人たちがそんな話をしているあいだに、ジャファはなにかを主張したいときに物を壊すこと自体がストレスになったらしく、人目のある場所で物を壊すでなく、人目のないところでひとり癇癪を起こしては、人が来る前に壊したものを直すようになった。
*** *** *** *** ***
リゲルの変化を見ていたのは、意外にもリリアナだった。
「物を壊さない、紅茶を薄めない、ドレスを汚さない」
茶会でリリアナに言われて、ジャファはリリアナを振り返る。
「いい子になったこと」
ジャファは内心で呟く。
(二十タパカ返済のためにティーキムと話をしないといけないし、物を壊すのやっぱり怖いしもったいない)
「別に」
スタラーデから頼まれたのは、ティーキムからスジェ王がどのようにヴェルタネンデを統治しているかを聞き出せということだ。
それができれば、二十タパカに近付く。
ジャファには、自分には教養や体面を気にするという部分が欠けていたことが、ヴェスタブールに放り込まれてよくわかった。
自分たちエニシャの庶民が声高に喧嘩して自分の権利を獲得するのとは違う。
ここの貴族たちにはここの貴族たちの戦い方がある。
スジェの王弟デイジェンはスタラーデと自分を物のように扱う嫌な男だと思っていたが、ヴェスタブールでスタラーデやカストールとリゲルの父が同じように人を物のように扱うのを見て、彼らは他人を物として扱うように、自分たちもまた誰かに使われる物であると承知して動いているということを知った。
まるでゲーム盤の上に並べられた将棋の駒のように、誰かが自分を動かすものと思いながら、自分もまたその手に抗うための駒を探し、時には自分自身をその手駒として広大な見えないゲーム盤の上に置いているのだ。
ジャファはリリアナを眺め、それから何かを諦めたかのように目を逸らして息をついた。
彼女も盤上にいる。
ティーキムはどうなのだろうか?
「どうなんだろう」
「なによ」
「ティーキム王子は……」
そう言ってから、ジャファはまたリリアナを見て「なんでもない」と返し、しばらく目を彷徨わせてからあらためてリリアナを見た。
「ヴェルタネンデに行くとしたら、どんな手続きをしたらいい?」
「ティーキム王子に会いに?」
「うっかり会えるなら。カヴェイネンには会えるかも」
リリアナが小さく笑い、姿勢を正す。
「堂々と買い物に行ったら? ヴェルタネンデは商業都市なのだから買いたいものがあると言ったらきっと止められることはないわ」
「そっか」
ジャファは紅茶に砂糖を入れて飲み干す。
「砂糖をしっかり入れるのだけはやめないのね」
リリアナが呆れた。
「だって、お砂糖は贅沢の味だもの」
ジャファが言う。
「そうね、お砂糖は贅沢の味」
「リリアナ知ってる?」
「あなたが知っていて私が知らないことってなにかしら?」
「日常のお砂糖は罪の味」
「罪?」
「エニシャではお砂糖たーっぷりのお菓子は断食祭のあとの楽しみ」
リリアナは「あらま」と首を竦めた。
「エニシャのことに詳しいのね。ティーキム王子はスジェに詳しいそうよ。スジェのこともお勉強なさったら?」
「どうも」
ジャファは紅茶を注ごうとして、ティーポットが空になっていることを発見した。
*** *** *** *** ***
黒髪のカヴェイネンは、目の前にいるリゲルを見つめていた。
「ティーキム王子に教えてもらいたいことがある」
「それでここまでいらしたんですか? バルキアから?」
「そう!」
ジャファはカヴェイネンの左肩を叩く。
白髪のカヴェイネンの肩ならば、そこにはピンがいる。
白髪のカヴェイネンは自分の左肩に手を伸ばす。
ピンが、そっとカヴェイネンが伸ばしてきた手の指に小さな手を添えた。
「あれはピンに挨拶してたのか」
「ティーキム王子は?」
「教会におられます」
「教会?」
「貧民街ですから侯爵家のご令嬢が行くような場所ではありません」
ジャファはカヴェイネンの言葉に跳ねた。
「ティーキム王子は貧民街でなにしてるの?」
「貧民街の子供に教会で読み書きを教えて仕事ができるようにしています」
ジャファはぽかんと口を開いた。
「貧民街の子供って、貧民でしょ? 読み書きを教えるの?」
「貧民でも読み書きができれば、読み書きができないよりも合う仕事があるかもしれない。自分の領地に生きている者を幸せにするのが殿下の仕事だそうです」
「それが殿下の仕事……」
「さようです」
ジャファは「わあ」と呟いた。
「それって、貧民も読み書きをしてお金を稼げるようになるってことだよね。みんなそんなに読み書きできるようになる?」
「向かなければ向かないなりに武術を仕込んで市中警邏に回ったりしますよ」
黒髪のカヴェイネンに聞いてジャファは目を見開いた。
「仕事ができたら、その子供たちにはお給料が支払われる?」
「さようです」
ジャファはスタラーデとティーキムを思い浮かべる。
王弟のデイジェンの威圧的で人を見下したような言葉よりも雄弁にスジェ王ジュジェンの考え方に近付いた気がした。
スタラーデとジュジェンのどちらの国で生きたいか。
ジャファは内心に呟く。
(やばい、スタラーデの領地より確かにこっちのほうがマシって気がした。実はスタラーデを嫁に出すほうがタリヤの民は幸せだったり? いや、でもエルバハンとかは同じ龍なのに龍を食うって追いかけてくるんだよな。そういう連中よりはスタラーデのほうがいい、のか?)
黒髪のカヴェイネンがジャファに声をかける。
「お嬢様、ティーキム殿下がお戻りですよ」
「え、ちょっと待って!」
「待ちません」
ティーキムがジャファを見て小さく口角を上げた。
「わざわざフォルクサンから? 欲しいものがヴェルタネンデにおありでした?」
「そう」
「欲しいものが見つからなければ言ってくれるといい、次に来たときには見つかるようにしておく」
それだけ言ってティーキムがそのまま馬車に乗り込もうとするのを見て、ジャファは黒髪のカヴェイネンを見上げてから止めようとしないのを確かめてティーキムの腕を掴む。
「欲しいものはあなたが持ってる!」
「私?」
ティーキムは少年らしからぬ怪訝な表情を顔に浮かべた。
「王に必要なことって、なに?」
直接的なジャファの問いに、ティーキムは白けたように首をうなだれた。
「私は王には向かない。王に向くのは、たとえば自力で自分の領地がどうすればよくなるか考えられる領主、それから自分の領地を自力で守る努力をし実際に守れる領主、ほかには想像力で新しい大地を生み出せる領主、そういう領主たちが王に向くんだ。私にはそのどれひとつもない」
拍子抜けしたようにジャファはティーキムを見つめた。
王になる男。
スタラーデのように、領主とは堂々としているもの、領民の所有者、そういう自信を持っているのではないかと思っていた。
「王に向いてないの?」
「向いていない」
ジャファはティーキムを覗き込む。
「王になるのではないの?」
「まだわからない」
ティーキムは自嘲するように笑った。
「父には自分を第二王妃と呼ばせる愛妾とその妾腹の息子がいて、つまりそれは私の異腹の弟なんだが、父は私よりその弟が気に入っている」
ジャファは俯いた。
「そうかな」
「父や弟が道を踏み外すようなら、道を踏み外すなと言う努力をする。私にできるのはそれだけだ」
白髪のカヴェイネンは「これをジャファにも言ったのか」と頭を抱えた。
デイジェンは「卑屈だ……」と呆れ、ビジューは「そういえばそういう時期でしたね」と息をつく。
「このティーキムは、たしかに兄上なのだろうな。ときどき見せる表情が」
「仕草が間違いなく貞俊殿ですね」
デイジェンとビジューが顔を見合わせて呆れた。
ティーキムはジャファに馬車を示す。
「乗るといい」
「どうも」
馬車に乗ってふたりになったところで、ジャファはティーキムに向かってグラスに入れたラズベリーを差し出した。
「どうぞ」
「これは?」
「ラズベリーは嫌い?」
そう言いながら、ジャファはグラスに入れたラズベリーをナッツに変えて見せる。
ティーキムはしばらくジャファを眺め、それから眉間に皺を刻んだ。
「これはどうやって?」
「兄が言うには先祖返りで、龍の力だって」
ジャファに差し出されたグラスを軽く押し返して、ティーキムは首を振る。
「この国では力を使わないほうがいい。異端者として教会に弾劾される」
「ティーキム王子は龍の力の使い方を知っているはずだって、人から聞いた」
「私に龍の力はないが」
「ないと知らないは同じ?」
ジャファはティーキムをじっと見つめ、ティーキムは呟くようにジャファに問いかけた。
「王墓に関係があるか?」
「ある。スジェじゃなくてエニシャの王墓だけど」
ジャファは小声で返し、それから改めてティーキムを見る。
「エニシャではずっと封印されてて力を使ったことがないから、あまり役に立ちそうなことができない」
ティーキムはジャファを見つめて頷いた。
「自分になにができるか分からないなら、少しずつできることを探るしかない」
「たとえば?」
「土を豊かにするとか、雨を降らせるとか」
ジャファは顔をしかめた。
「教会に異端者と言われない?」
「言われる。だから人に知られないように使う術を探す必要がある」
「土を豊かにしたり雨を降らせたり、ほかにはどんなことができると思う?」
ティーキムはジャファの疑問に息をついてから答えた。
「恐らくだが、怪我や病気も治せるだろう。だからと言ってその力を使うことは勧めない。カタラタンでもバルキアでも、かつてその力を使った者たちは龍や魔女と言って弾圧された」
ジャファは自分の手を見つめた。
「龍や、魔女」
「魔女だと言われたら、自分は魔女だと認めるまで拷問にかけられて胸に銀の杭を打たれると聞く」
「痛そう」
ジャファは思わず首を竦めた。
「エニシャの王墓と関係しているということは、エニシャ王族か?」
「さあ。父は盗賊。人が言うには母はアーケリ王族。でも自分が実際なんなのかは、自分でもまだ全然わからないでいるところ」
笑ったジャファに、ティーキムも小さく笑った。
「私はスジェ王族だ」
「知ってる」
「なぜ?」
「王墓の案内人が言ってた。お手本にしたらいいって」
ティーキムはジャファの言葉に苦笑する。
「王墓の案内人は、スジェでもエニシャでも無責任だな」
「ホント」
ジャファはティーキムに釣られて苦笑した。




