カヴェイネン:異国から来た訪問者(22)リゲル・ヴァン・フォルクサン
カヴェイネンは黒髪の自分とティーキムの姿が現れたのを見て「ああ」と呟いた。
デイジェンとビジューがカヴェイネンを振り返る。
ビジューが見せるヴェスタブールの世界は、スタラーデとジャファにとっては「現在」かもしれない。
カヴェイネンにとっては「過去」だった。
「カヴェイネン殿」
声をかけたのはイェジンだった。
「リゲル殿をご存じか」
カヴェイネンは問われて頷く。
「知っています」
それからカヴェイネンは首を振った。
「どうなるかはまだここでは言いますまい」
思わせぶりなカヴェイネンの言葉を聞いて、デイジェンとビジューはタリヤ公を見る。
「同じ世界に飛んだということは、ジャファールもエニシャのエクセン・ドランであることは間違いないのでしょう」
タリヤ公は顔を上げてデイジェンに微笑を見せた。
「エニシャのエクセン・ドランは、力があると知れれば命の危険に晒される。だがペクタ・ドランやクアンツ・ドランを始末すると、今度はエニシャそのものが維持できなくなる。そういう状況に置かれて久しい。私たちのようなエニシャの王族は、誰が王になっても、自分の代で誰が真実の王であるかを告げることなく、ペクタ・ドランやクアンツ・ドランを欺いてきたものだ」
タリヤ公は言う。
「デイジェン殿もご存じのとおり、エクセン・ドランは一族の末子ほど新しく強い心臓を持っている。親族のなかで一番幼い者を隠すために兄弟で考えた策が、一度はすべてを封印することだった。さらに言うなら、自分たちの力で強い封印を施せばペクタ・ドランやクアンツ・ドランに気取られる。アーケリ王族のジャヒーア姫が協力してくださったおかげでジャファールを隠すことはできたが、ジャファールの父にあたる兄がペクタ・ドランと対峙するために盗賊という稼業を選ぶとは思わなかった」
タリヤ公は頭を掻く。
「もっとも、盗賊と言っても根回しはありましてな、実際にはその兄が狙うのは王による法的措置が取られることが決まった相手であって、根こそぎ存在が消された後に残された財産の一部を兄が没収していたというほうが正しい」
タリヤ公の言い分に、それを聞いていた誰もが思ったことを、ピンが口にした。
「エニシャ王族怖い。完全に不意打ちが来るんだな」
カヴェイネンはカヤネズミの姿で皿いっぱいに広げられたナッツにまみれていたピンをポケットに突っ込んだ。
*** *** *** *** ***
ジャファはスタラーデとティーキムを交互に眺めた。
スタラーデもティーキムも同じ王子様育ちで、自分の姿勢が他人の目にどう見えているかをとても意識している。
ひとりはエニシャ、タリヤの王子で、もうひとりはスジェ王。
それはそれとして、と、ジャファはスタラーデの隣にいる女を見た。
スタラーデの隣にいる女は気に入らない。
名前はリリアナ。リリアナ・ヴァン・ゴージャン。
カストールの許婚で近隣の伯爵令嬢だというが、なぜ彼女が今スタラーデの隣にいるのかがジャファにはよくわからない。
「カラス」
「はいはい?」
「あの女はなんでカストールの隣にいるの?」
カラスはジャファの質問に首を傾げて「さあ」とはぐらかした。
カラスは赤味のある白い肌にそばかすのあるふっくらとした女で、ジャファは彼女が好きだった。
特に性的な意味ではなく、安心するせいだ。
「未来の侯爵夫人だからということかもしれませんが」
そう言ったカラスに、ジャファは「ふうん」と頬を膨らませた。
リリアナがちらりとジャファに目を向ける。
「カストール様、私またリゲル様に睨まれてしまいましたわ」
これ見よがしにスタラーデの腕に自分の腕を絡ませるリリアナを見て、ジャファは目を逸らした。
「カラス」
「はいはい?」
「カタラタンの王子はなにしに来たの?」
「さあ?」
カラスが知っていてはぐらかしているのか、本当に知らないのかはジャファにはよくわからない。
「お嬢様はティーキム様が気になるのですか?」
「別に」
ジャファはティーキムを見てから「気になるわけじゃない」と首を振ってからカラスを振り返った。
「リリアナよりカラスのほうがずっと性格がよくていい女だと思う。カストール兄さまにはきっと女を見る目がない」
「お嬢様、そういう話は聞いてません」
カラスの冷静さにジャファは「はい」と不貞腐れた。
ティーキムはどうかと見れば、黒髪のカヴェイネンとなにかを話している。
ジャファの視線に気付いた様子のティーキムが視線を向けてきたのを、ジャファは見た。
それを目ざとくリリアナが見つける。
「カストール様、リゲル様はティーキム様が好みなのでしょうか? もしそうなら、私ぜひ姉として協力してさしあげたいわ」
ジャファはリリアナの声を聞いて「絶対にいま目を合わせてはいけない」と決心した。
*** *** *** *** ***
夜になって、スタラーデはジャファ部屋に来て不貞腐れているジャファの頭をガシガシと撫でた。
「リリアナのことで不機嫌?」
「姉として協力してさしあげたいわ、だってさ」
スタラーデはジャファを見て笑いを堪える。
「彼女に悪気はない」
「悪気はなくても企みはあるよきっと」
「企み?」
ジャファは頷いた。
「俺がティーキムと一緒にいたらスタラーデを独り占めできると思ってる」
ふふ、とスタラーデは笑った。
「彼女が独り占めしたいのはカストールと侯爵令息とどっちだろうな」
「ん?」
ジャファはスタラーデを見る。
「そういうことを気にせずに育っただろうが、貴族なんてそんなものだよ。スジェの王弟も自分は品物だと言っていただろう」
スタラーデはジャファの肩を抱き寄せた。
「……言ってた」
頷いたジャファに、スタラーデは息をつく。
「リリアナも同じかもしれないよ。それで、どうせなら自分よりも身分が高い男のところに嫁に行って、いい身分になろうとする」
「それかも!」
話に食いついたジャファを見てスタラーデは「どうだろうね」と首を竦めて見せる。
「それかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「むー……」
ジャファは唸って腕組みした。
「ジャファール」
「なに?」
「従兄がエニシャ王になるためにカタラタンの王子に嫁いでくれと言ったらどうする?」
スタラーデの質問をしばらく考え、ジャファは「お?」と奇妙な表情で首を捻ってさらに考え込んだ。
「え? わかんない、スタラーデを王様にするために、リゲルがティーキムのところに嫁に行くの? なんで?」
「ひとつ目、カタラタン王国は隣国だが、カストールとリゲルの父であるフォルクサン侯爵が従っているバルキア王国よりも力を付けてきているところで、特にその求心力の中心にティーキム殿が統括しているヴェルタネンデ自治領群がある」
ジャファはまじまじとスタラーデを見つめ、それから座り直して姿勢を整えた。
「スタラーデって頭よかったんだ」
「おまえ失礼だね、ジャファール」
「ゴメンナサイ」
もう一度きちんと座り直して、ジャファはスタラーデを見る。
「ひとつ目はヴェルタネンデのほうが強いっていうことで合ってる? ふたつ目は?」
「スジェのジュジェン王は私よりも年上で力が強い。ティーキム殿はきっと私が指導しきれないような力の使い方も心得ている」
スタラーデを見上げて、ジャファは唇を小さく咬んだ。
「それから? 他にもある?」
スタラーデはジャファを抱きしめた。
「ティーキム殿がどのように緑垣を強くしているのか、聞きだして教えてくれ。ジュジェン殿にできて私にできていないことが、ヴェルタネンデとフォルクサンの違いになってる。ヴェルタネンデに飲み込まれないようにバルキアとカタラタンの国境で持ちこたえるには、きっと今のフォルクサン侯爵のやり方では足りない。フォルクサン侯爵のやり方がバルキアの代表的な治国の仕方なのだとしたら、いつかバルキアはカタラタンと全面衝突して破れることになる」
ジャファはスタラーデにくっついた。
「ヴェスタブール人はドランじゃないから、ドランみたいに結界とか光の矢とか使って戦うわけじゃないよね?」
スタラーデは「ん」と頷く。
「ほとんどは剣と盾のぶつかり合いだ」
「カヴェイネンのオッサンみたいなの?」
「隣国の王子の護衛をオッサンと言うんじゃない」
スタラーデに頭を小突かれてジャファは「オッサンにゴメンナサイすればいい?」と唸った。
「明日からちゃんとカヴェイネン殿と言え」
「あい」
「タリヤに戻ったら二十タパカを返済すること」
「頑張るけど、リュヌ商会って俺にも仕事くれると思う?」
スタラーデはジャファの目を覗き込む。
少しの間を置いて、スタラーデはジャファの目を覗き返した。
「ひとつ目、ここでティーキム殿と仲良くなってヴェルタネンデの統治方法を聞きだす。ふたつ目、お互いに砂時計の光が落ち切るまで無事に生き延びる。案内人は教会の司教に成りすましてる。そいつが言うには、途中でこの砂時計が壊れたらタリヤには生きて帰れない」
ジャファはスタラーデを見つめた。
「ひとつ目の仕事が終わってタリヤに無事帰れたら、私がその仕事の代金として二十タパカを支払う」
「じゃあ契約書!」
スタラーデは目頭を押さえた。
「ちゃっかりしてる」
「イェジンのオッサンはすっごい長い契約書作ってた」
「わかった、わかったよ」
頷いて「契約書を用意する」と言って、スタラーデはジャファの頭を撫でて部屋を出て行った。
ジャファは寝台に座り込んで、クッションを抱いて「やったー!」と転がる。
「二十タパカ返せる!」
その光景をタリヤで見ている白髪のカヴェイネンが憐れを催して俯いてしまったことをジャファは知らない。
「お嬢様」
カラスが部屋を覗き込み、ジャファは勢いで「へい!」と素っ頓狂な返事をしてから「はい」と言い直した。
「リリアナ様が、お茶をいかがですかとお誘いですがどうします?」
仕事をもらって浮ついていたジャファの心は一気に沈んだ。
「こんな夜に?」
「お父様とカストール様とティーキム様が歓談なさっているので、お開きになるまでの時間ご一緒なさらないか、だそうです」
父とカストールがティーキムと歓談、ということなら、きっとフォルクサン侯が寝酒だとでも言ってティーキムとカヴェイネンを誘って酒を開けたに違いない。
「はぁい。しょうがないので行きます」
そう言ってカラスに支度をしてもらいながら、ジャファは鏡を前にぶつぶつと自分に暗示をかける。
「我慢だ、俺。頑張れ。我慢するんだ。二十タパカのためだと思え。ティーキムに話もしてもらえなくなったら二十タパカがもらえなくなる。お金返してカヴェイネンのオッサンにお礼するために頑張れ。あとでモヤモヤするのもう嫌だからな」
カラスがジャファを覗き込む。
「なにをひとりで呟いていらっしゃるんです?」
ジャファは鏡越しにカラスを見て、カラスにやる気のない笑顔を見せた。
「頑張る」
「はい?」
「リリアナは嫌いだけど、もし、カストールが好きだからじゃなくて、うちが侯爵家だから嫁ぐっていうことなんだとしたら、それはそれで可哀想だなって思った」
カラスはまじまじとジャファを見つめる。
「お嬢様がそんなことおっしゃるなんて思いませんでした」
「カストールと結婚したら、なにかあるたびにヒステリー起こされて物を壊されるんだよ。そんなところに嫁にこようとしてるんだよ、リリアナって。そう考えたら、リリアナちょっと可哀想」
カラスは小さく、うっかりしたとでもいうように笑いをこぼした。
「ちょっと、ですか?」
「そう。ちょっとだけ」
ジャファは笑って、リゲルの金髪を飾る髪飾りをちょっと動かして、鏡のなかのリゲルに合うようにして立ち上がった。
「お茶ってなんだろうね、ハーブティーかな、アーケリの紅茶かな、スジェの紅茶かな」
「さあ、なんでしょう」
「お菓子あるかな?」
そう言ってからジャファは動きを止めた。
ティーキムが黒髪のカヴェイネンを連れてフォルクサンに来ている。
ここは、フォルクサンであって、リリアナの父であるゴージャン伯爵領ではない。
「お菓子あるかなじゃないよね」
顔を小さくしかめてからくるんと振り返ったジャファを見て、カラスは目を見開いた。
「なんで自分の家で、お客さんからお茶に誘われるんだろうって話だよね」
カラスは「まあ」と頬を赤らめてジャファに向かって目を輝かせる。
「お嬢様がまともなことをおっしゃってる」
「普段がまともじゃなくてゴメンネ!」
ジャファはカラスを振り返ってやる気なく笑う。
「ティーキム殿もお茶にいるかな?」
カラスは今度こそ目を輝かせた。
「もうちょっと、こう、清楚な感じのドレスにします?」
「今はいい」
ジャファはカラスから逃げた。
そんなことがあってからリリアナのところを訊ねたジャファは、案に相違してお茶はリリアナと二人きりという現実に直面して肩を落とした。
「ゴージャンで仕入れたアーケリの紅茶ですのよ。リゲル様のお口に合うと嬉しいわ」
リリアナの言葉が怖い。
ジャファはカラスに「お菓子があったら持ってきて」とこっそり頼んでからリリアナの紅茶を見た。
「ご馳走になります」
にこにことしているリリアナは、ジャファが、というよりはリゲルが紅茶を口にするのを眺めていた。
その視線に見つめられながら、ジャファはエルバハンでしていたように濃い紅茶をポットから注いで白湯を足し、砂糖をたっぷりと溶かして「美味しい」と息をついた。
リリアナがジャファを見つめる。
「リゲル様?」
「はい?」
「私に紅茶が淹れられないとおっしゃりたいの?」
ジャファは首を捻った。
「そんなことないです。アーケリ産のいい紅茶でしょう? 美味しいです」
リリアナは顔をしかめた。
「当てつけみたいにお湯を足さないでちょうだい」
「そういうもの?」
おかしい。
ジャファがエルバハンで近所のおじさんやおばさんの相手をしていたときには、大きめのポットにこれでもかと茶葉を入れ、大量に濃い目に淹れた紅茶を薄めて飲むのが習慣になっていた。
色からして濃い目の紅茶が前にあり、手元には別に用意されたお湯があるのだから、カップに少なめに注いでから差し湯をするものだと思って淹れたが、どうもリリアナの想定とは違ったらしい。
しばらくリリアナを見つめたジャファは、一番リリアナに怒られそうにない答えを考えてからリリアナに言った。
「私もカストール兄さまも紅茶は薄めが好きだから、濃く淹れてお湯で薄めるのがクセなの」
それからジャファは内心で手を合わせてスタラーデに謝ってからリリアナに聞こえない程度の小声で呟く。
「どうせタリヤでも同じ飲み方だからいいよね」




