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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
異国から来た訪問者
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カヴェイネン:異国から来た訪問者(16)スジェ王弟・デイジェン

 タジャンへの怒りと自分への怒りで食事も喉を通らない日を過ごしたカヴェイネンとピンは、イェジンが連れてきた男を見つめた。

 男は、ヴェスタブール人ともエニシャ人とも違う、象げ色の肌に、光の加減で緑を感じさせる色味の黒髪の持ち主だった。細いと言うより薄いと言うほうが似合うその男のしなやかな様子はどこか女性的にも見える。

 端的に言うと、カヴェイネンから見て彼は「ちょっと叩いただけで折れそうな男」で「もっと鍛えたほうがいい」と言いたくなるような、頼りなさそうな男だった。彼を男だと判断したのは、薄いからでしかない。

 男はカヴェイネンを見てからイェジンを見た。

「カヴィニン?」

 男はジュジェンと同じ発音でカヴェイネンの名を呼んだ。

「スジェ人か!」

 カヴェイネンは男を見て目を見張る。

 イェジンは大きく頷いた。

「スジェ王の王弟、デイジェン殿だ。タリヤ公の娘を迎えにきた」

「デイジェン殿」

 デイジェンはにこりと柔らかい笑みを浮かべて優雅な動きで椅子に腰かける。

 男の格好は黒いローブのような衣装、その襟には朱色の布で別に縁取りがしてあり、その下にも何枚か、白い下着を重ねているようだった。よく見れば黒い衣装は二枚重ねで、一番上に着ている黒い布には透かし模様が入っている。

 王宮で見た金糸で彩られた華やかなビロードに比べて、布は美しいが飾りや彩は少ない。一番目を引くのは腰から下げられた石の飾りだろうか。男が動くと、半円に削られた白い石や穴を穿たれた瑪瑙がしゃらしゃらと音を立てる。

 イェジンがカヴェイネンに耳打ちする。

「ヴェスタブールの衣装と比べて金や銀の飾りがないだろう?」

 カヴェイネンは頷く。

 イェジンは小声で言う。

「そう見えるだけだ」

 カヴェイネンはその意図が分からず顔をしかめた。

「下着まで最上級の総シルクだ。あの衣装だけでスジェまで護衛してもらったときにあなたに支払う金額と同じぐらいの値段になる」

 イェジンに言われてカヴェイネンは肩を竦める。

 そんなに値が張る服だとは思わなかった。

「金モールでもビロードでもない」

「スジェでは金銀で飾りたてると趣味が悪いと思われる。あの着物はウィジ産の絹、黒一色に見えるが」

「透かしのような模様が入ってる」

「手をかけて、そういうふうに織られている」

 イェジンの言葉にカヴェイネンは「なるほど」と頷いた。

 カヴェイネンにはひとつわかったことがある。

 ジュジェンが贈答品に選ぶのはスジェの物ばかりで、中には布もあったが、少なくともジュジェンは布についてはまちがいなくヴェスタブール人好みのものを選んでいたということだ。

 デイジェンはイェジンとカヴェイネンが話し終えるのを待ちながら頭を掻いた。

「もうよろしいかね?」

 リュヌ商会の通訳とは違う通訳がデイジェンの言葉を逐次通訳で伝える。

「私はあなたがスジェに向かっていることを弟の恋人から聞いた。兄にはまだ伝えていない」

 通訳越しに言うデイジェンの肩には鳥がいた。

 カヴェイネンの左肩でカヤネズミ姿のピンが「おそろい」と鳥に向かって髭を動かす。

「本当にヴェスタブールから?」

 デイジェンに訊かれてカヴェイネンは頷いた。

「ヴェスタブールで、ジュジェン様は本当にスジェにいると聞いた」

 デイジェンはカヴェイネンの言葉に頷き、それから通訳に何ごとかを告げる。

 スジェ人の通訳はリュヌ商会の通訳にその内容を伝えた。

「恐れ入りますが、スジェでは王の名を直接呼ぶのは憚られますので、スジェにお入りになったら気を付けてください」

 リュヌ商会の通訳に言われ、カヴェイネンは「分かった」と頷いてピンに囁く。

「スジェというのはどうやらいろいろと厳格な規則がある国のようだ」

「保守的な国です」

 ピンはカヴェイネンに囁いて返した。

 そのあいだに、デイジェンの肩にいる鳥が声をあげていた。

 スジェの通訳がリュヌ商会の通訳に訊く。

「五王弟殿下がカヴェイネン殿に訊きたいことがあるそうです」

 カヴェイネンは首をひねった。

 五王弟殿下。

 イェジンが声をかける。

「ティーキム殿が一番上で、二番目がシジェン殿、故人。三番目がデイジェン殿で四番目がチジェン殿、五番目がファンジェン殿」

 イェジンの説明を聞いてカヴェイネンが「二人足りない」とピンに言い、ピンが「ふたりいなくなったんで」と言って返した。

「いなくなった?」

「元二番目と元七番目は王妃と不倫相手との子供だと知れて籍を外されたんです」

 ピンが言い、カヴェイネンは「ああ」と呆れた。

(どこの国も同じか。それともジュジェン様とティーキム様が同じ魂の持ち主であったからそういう環境で育っていたのか)

 デイジェンはカヴェイネンを眺め、それからしばらくして鼻をこすって鳥と何事かを話してから通訳に声をかけた。

「緑垣というのは本当にある場所ですか?」

 カヴェイネンは「ええ」と頷く。

 デイジェンが「本当に?」と通訳を介して驚きを露わにした。

「ではティーキム王も本当にいらした?」

 戸惑いながら、カヴェイネンは頷く。

「兄の作り話だと思っていた! ではティーキム王は父王の首を取った?」

「ええ」

 カヴェイネンはまた頷く。

 デイジェンは天井を仰いで大きく息をつき、それから俯いて厳しい表情で何かを思案し始めた。

「王墓は本当の世界で験しをさせる?」

 しばらく黙り込み、デイジェンはじっと何事かを考え込んでからカヴェイネンに向かって改めて声をかけた。

「ティーキム王が兄の記憶を持つ者として緑垣にいたのは、何年間ほど?」

 カヴェイネンはデイジェンを見つめ、それから天蓋を見つめて年数を数え、通訳に向かって答える。

「二十年ほどではないだろうか?」

 デイジェンはまた俯いて、今度は口いっぱいに空気を溜めて頬を膨らませてからプウッと息を吐きだして首を振った。

 カヴェイネンはじっとデイジェンを見つめ、それから左肩のピンを振り返った。

「なんだと思う?」

「さあ?」

 デイジェンは椅子から立ち上がって室内を右往左往する。

「二十年ほど?」

 呟いて、それからデイジェンは椅子に座り直してクックッと笑い出した。

「なるほど人が変わったようになるわけだ」

 デイジェンは椅子をカヴェイネンに寄せて通訳を横に呼ぶ。

「ティーキム王のことを教えてくれ。どんな人だった? 容姿は? 性格は? 勇敢だった?」

 身を乗り出してくるデイジェンにたじろぎながら、カヴェイネンはティーキムのことを訥々とデイジェンに話し始めた。

「第一王子だったティーキム殿下が自分のことを、自分はスジェのジュジェンだと言うようになったのは九歳のときだった」

 カヴェイネンにはティーキムの容姿のことを言う気はなかった。

 デイジェンには、容姿のことよりもティーキムがどんな人間だったかのほうが興味深かろうと思ってのことだった。


 *** *** *** *** ***


「ヴェスタブールでのティーキム殿下は」

 言いかけてカヴェイネンは言葉を選んだ。

「ジュジェン殿下は、ティーキム殿下がヴェルタネンデ、緑垣に行く前日の夜に目を覚ました。ヴェルタネンデに行くことになったのは第二王妃に城を追い出されたせいだが、自分のことをジュジェン殿下だと言うようになったティーキム殿下は、緑垣に行くのがとても楽しそうで、それまで泣いてぐずっていた子供とは別人のようだった。別人だったわけだが」

 カヴェイネンは言う。

 デイジェンは話を聞きながら、ときどき「ああ」とか「ふむ」と相槌を打った。

 最初のうちデイジェンは「私が知っているあの人だ」と言っていたが、父の首を落としたあたりから「そうか」と頷くようになり、最後にカヴェイネンを守って命を落とした話のところでデイジェンは深く息をついた。

 しばらくの静寂があり、デイジェンは通訳に言った。

「王の首を取る直前までは、間違いなく私が知っているジュジェン殿と同じ動きだ。あの人は慎重で、用心深く、他人の思考に干渉することよりも、自分の領分を守ることに専念する、そういう人だった」

 デイジェンは目を閉じて沈思する。

 カヴェイネンが見ている前で、デイジェンがぶつぶつとなにかを呟く。

 通訳が時々、その呟きをカヴェイネンに訳して聞かせる。

「人として龍の力を使うことができない世界で、人であることの制約の中で人を知る必要がある? 人が人の命を奪うことの意味を考える?」

 デイジェンが呟く。

「エニシャ経由でヴェスタブールからの注文があって金糸を使った刺繍を作り始めたのが十数年前、スジェでは使わない意匠の布ばかりだった」

 通訳がとぎれとぎれにデイジェンの言葉を訳す。

「同じ時間のなかに、ジュジェン殿ががふたり」

 またデイジェンの言葉が訳され、カヴェイネンは通訳を見てからデイジェンを見た。

「王のためしは、王の候補者に欠けたものを見せつけるということか」

 カヴェイネンは通訳を見て「王の試験?」と訊き返し、通訳はカヴェイネンに「確かにそう言いました」と頷く。

 デイジェンはまだひとりで何事かを呟いている。

 しばらく目を閉じていたデイジェンは、目を開いてオニキスのような瞳をカヴェイネンに向け、微笑した。

「兄は戦が嫌いな人だった。戦を避けて二妃との関係から逃げるように自分の州に引きこもっていた。兄にとって、自分の領地というのは自分のことを顧みない父と二妃から遠ざかって自分の世界だけを見ていればいい場所だった」

 デイジェンは言う。

「私は自分を、いざというときのために軍を統括することができ、武力で相手を制圧することを厭わない決断力のある性格の持ち主だと思っていた」

 カヴェイネンはときどき通訳を見ながらデイジェンの言葉を聞いた。

「兄のことは、自分の領地に引きこもっている事なかれ主義の頼りない男だ、そう思っていた」

 デイジェンの話を聞きながら、カヴェイネンは思う。

(ジュジェン殿下は、そういう人ではなかった。自分の民にどれだけ良い生活を与えることができるか、それがあの人が自分を評価する基準だった)

 口には出さず、カヴェイネンはデイジェンの話を聞いていた。

「兄がティーキム王子としてヴェスタブールで生きているあいだ、私は兄がどんな性格の人だったのかを見せられた」

 カヴェイネンもイェジンもデイジェンを見つめる。

 デイジェンは笑った。

「私が自分の軍を揃えて二番目の兄との持久戦で引きこもっているあいだに、ジュジェン殿は二妃のわがままで国が乱れて行くのを止めるために父の説得を試みていた。何度無視されてもそれを続けていた。何十年もそれを繰り返していた。それだけのことではあるが、兄は国を見ていて、私は国を見ていなかったのだということを思い知らされた。兄に足りなかったのはまつりごとにはときに武力がいるという覚悟だ」

 カヴェイネンはデイジェンを見て、彼に頷いて見せた。

「王の首を取るまで、たしかにティーキム様は武力を使うことを嫌っていた」

 デイジェンはカヴェイネンの意見に「ああ」と納得したようだった。

「王の首を取ってから、変わった?」

 通訳を介したデイジェンの問いにカヴェイネンはまた頷く。

「積極的になったと言うべきでしょう」

 そう言って伝えてから、カヴェイネンはじっとデイジェンを見つめて「あなたも」とふと口にした。

「あなたも、スジェの武術をなさる?」

 カヴェイネンの問いにデイジェンは頷いて顔をしかめる。

「あなたは、兄が、ジュジェン殿が武術をなさると言ったか?」

 なぜデイジェンがそれを問い返してくるのか、カヴェイネンには分からなかった。

 デイジェンは通訳に言う。

「私はジュジェン殿に武術の心得があることを知らなかった」

 カヴェイネンは驚いた。

「ずいぶんな人数を相手にして立ち回りをしていらした」

「それは」

 デイジェンは言葉を探して視線を彷徨わせ、首を振る。

「知らなかった。ジュジェン殿は本当に慎重に自分の素顔を隠していらしたのだな」

 呟くようなデイジェンの言葉。

 素顔を隠していた、というデイジェンの言葉に、カヴェイネンは「ああ」と呟いた。

(そうか、素顔を隠していた、か)

 デイジェンはカヴェイネンを見た。

「それでカヴィニン、あなたは兄に会うためにスジェに?」

「私はティーキム王の護衛だったが、王に守られてしまったもので、せめて、スジェで生きているジュジェン様を見たいと、できることならその、改めて護衛としてと思ってスジェに行くところです」

「そうか」

 デイジェンは頷いた。

 イェジンはそのデイジェンにちらりと視線を向ける。

「タリヤ公は正統なエクセン・ドランだと聞きますが、本当にエクセン・ドランですか?」

「そうなのだろうよ。タリヤ公の姉がジュジェン殿の生母だから、それは疑いようがない。なぜ?」

 深く息をついて、イェジンはデイジェンに告げた。

「もしそうだとしたら、央原君から、墓の主とは別に縁談が来るのだろうかと心配になっただけです」

 じっとイェジンを見つめて、デイジェンは首を振って応えた。

「タリヤ公が王の験しを受けてエニシャ王になるならそういうこともあるだろうが、その儀式が途絶えているなら、別に改めて婚儀の話もないでしょうよ」

 イェジンは「なるほど」と納得した。

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