カヴェイネン:異国から来た訪問者(8)封魔の腕輪
夕闇が夜の闇に変わりつつある濃い紫の空に、砂金を散らしたように星がきらめく。
カヴェイネンとピン、それに骨董屋と少年が湖沿いの道からイェジンの商隊が宿にしている緑の家の敷地に入れば、緑の家も輪郭を闇に溶かし、中庭を囲む回廊の天井を支えるいくつものアーチにかけられた数えきれないほどのモザイクランプが、中にくべられた火の揺らぎに合わせて色とりどりの光を放って幻想的に揺らしていた。
骨董屋が「こりゃすげえ」と感嘆の息を漏らす。
カヴェイネンは骨董屋を振り返った。
「このあたりに店を構えているのではないのか?」
骨董屋は頭を掻いた。
「ここは祈りの館でしょう? 我々のようなここの地元の人間はこの祈りの館を魔術師の家と呼ぶのです。祈りの家に出入りする者は精霊を従えているというので、子供たちが近付かないようにしています」
骨董屋の言葉にカヴェイネンはちらりと左肩のピンに目を向ける。
ピンはカヴェイネンの視線を受けてカヤネズミの真っ黒い目をパチパチと瞬かせた。
カヴェイネンたちはランプの光を反射する中庭の池を取り囲む回廊を歩き、黒く艶々とした大理石のパネルを貼った両開きの大きな扉を開いて客室に入る。
ベージュの大理石は上にいくつかの絨毯が敷かれ、大きめに作られた俵型のクッションを乗せて宿泊者の帰宅を待っていた。
カヴェイネンは部屋の扉を閉めてから少年を右肩から下ろし、絨毯の上に腰を下ろす。
ピンは相変わらず左肩に乗っかったままだったが、カヴェイネンは彼をそのままに、少年と骨董屋に座るように勧めた。
骨董屋は四十代の後半から五十代ぐらいか、イェジンと同じようにしっかりと日焼けした赤ら顔に、漆黒まではいかないが随分と濃い髪はきつい巻き毛で、喉元ぐらいの長さで整えた髭もチリチリと巻いているように見える。もっともこれは、だいたい髭を伸ばしているとこうなるかもしれない。頬骨が浮くような薄い肉付きの顔には、多少誇張されているようにも見える立派な鼻がついていて、ともすれば意地が悪そうにも見られかねない眼窩のくぼんだ吊り目が太い眉で精悍さに書き換えられていた。
一方の少年は十四、五歳だろうか。黒に近い茶色の髪にターコイズのような明るい青い目の持ち主で、肌は日に焼けて茶色く、頬の赤みや輪郭には幼さが残りるが、子供特有の丸さはもう面影もなく、これから頑丈になっていくであろう発展途上の細い筋肉をまとっている。よく見れば着ている服は、今はすでにボロボロだが、元はそれなりに良い仕立てだったのだろうと思われた。
「きみの名前は?」
カヴェイネンが問うと、少年はくっきりとした二重の目を眇めて顔をしかめた。
「いきなり逃げるのを邪魔してきたオッサンに答える必要ある?」
「大いにある。なにしろ私はこれから君が盗んだ腕輪の代金を支払う」
大柄で幅のあるガタイをさらに大きく見せたカヴェイネンを前にして、少年は渋々といった様子で口を動かす。
「ジャファ。ジャファール」
カヴェイネンは「ジャファか」と繰り返した。
「骨董屋」
カヴェイネンは骨董屋を振り返ってから、金貨の袋を取り出す。
「金二十タパカだ」
「はいはい」
骨董屋はササッと手を出してカヴェイネンが差し出した金貨の袋を受け取り、中身を出して数え始める。
骨董屋が金貨を数え終えるのを待って、カヴェイネンは腕輪について改めて骨董屋に質問した。
「その腕輪は封魔具としては珍しく壺や瓶ではないと言っていたが、しかし封魔具であるのは確かだと言っていたと思う。それはどういう代物なのだろうか?」
「ただの腕輪だ」
口を出したのはジャファだった。
「それは母の形見だ。母はその腕輪を魔道具だとか封魔具だとか、そんなこと言ったことなかった。母が死んで父がそれを売りに出した」
カヴェイネンは「ふむ」と頷きながら顎鬚を撫でる。
そしてカヴェイネンは違和感に気付いた。
「ヴェスタブール語」
自分はエニシャ語を喋れない。
カヴェイネンは慌ててジャファを見る。
外国語を話せるなら、きっとそれなりの教育を受けるか、受けられる場所があるのだ。かつてジュジェンがヴェルタネンデで貧困層の子供たちの学習支援をどのようにするか工夫していたように、エルバハンにも子供たちが学習できる制度が作られているのかもしれない。
「ジャファ、おまえさんヴェスタブール語が喋れるのかね?」
カヴェイネンは質問してみたが、しかし骨董屋とジャファは顔を見合わせて変な表情になった。
「おじさん大丈夫? 俺ヴェスタブール語なんてひとつも知らないし、全然喋ってないけど」
ジャファが言うと骨董屋も頷く。
「私もヴェスタブール語は喋っていません。市場からここまで、ずっとヴェスタブール語で話をしていると思っていらした? あなたはヴェスタブールからいらしたんですか?」
骨董屋の怪訝な表情を見つめて、カヴェイネンは「んむ」と頷いた。
「私はヴェスタブールのカタラタンから、スジェに行くために商隊に同行している。商隊の者がだいたいヴェスタブール語で喋ってくれるものだから、だいたいエニシャ語を知らずに済んでいたもんで、あなたもヴェスタブール語を喋っているものだとばかりと思っていた。ジャファもヴェスタブール語ができるのかと驚いたから訊いてみたのだが、そうではないのだな」
カヴェイネンは「はて?」と言いながら天井に目を向ける。
骨董屋はもう一度ジャファと顔を見合わせてからカヴェイネンをしげしげと眺め、それから「や」と目を見開いた。
「首にかけてるその紐」
「これか?」
骨董屋の指摘に、カヴェイネンはリベリンから渡された緑の石を首にかけていたことを思い出し、引きずり出して見せる。
「そいつだ。あなたそれを手放してはなりませんよ。そいつは小さいが立派な魔道具だ」
そう言いながら、骨董屋はカヴェイネンが見せた緑の石を右から左から眺め、また「ふむう」と唸って息をつく。
「なんとまあ、良質なエメラルドに言葉と位置の上級魔法、あなたこいつはなかなかの魔道具だ」
カヴェイネンは緑の石を見た。
「言葉と位置の上級魔法かね?」
「さようです。あなたこれが何物かも知らずに身に着けていらした?」
骨董屋に問われ、カヴェイネンは頷く。
「ここに来て、人からお守りとしてもらったものだ」
「なるほど」
骨董屋は石をカヴェイネンの首にかけさせたまま、自分が座っていた場所から四つ這いで身を乗り出してカヴェイネンのほうへ、いや、緑の石のほうへ、身を乗り出した。
「この石を作った魔術師は相当に強い力の持ち主なんでしょう。言語を操るために、私やジャファにも干渉している。それから位置、これは言葉よりも重要ですが、大雑把にではなく、かなり細かな場所まで把握するように術がかけられている。これは重要ですよ」
重要だ、と繰り返して、骨董屋は感嘆する。
「この石を持っていれば砂漠で迷っても、すくなくとも前日にキャンプした場所までは戻れる」
骨董屋は吊り目を眇めて顔をしかめながらしきりに首を振り、それから天井を仰いで嘆息した。
「大きな商隊では交渉事で間違いが起きないように、こうした言語魔法をかけた通訳石を持っていると言うが、噂に聞くだけで、本物を見たのは初めてだ。それに導の魔法」
カヴェイネンは左肩に座っているピンをちらりと見て「聞いたかね」と声をかける。
「どうやら鑑定眼というのは本当にあるらしい」
骨董屋はカヴェイネンを上目遣いに見上げた。
「信じていただけましたかね?」
「信じる」
カヴェイネンは頷いた。
「ところで」
骨董屋がカヴェイネンの肩に座っているピンを見る。
「このネズミはペットですか?」
「このネズミ?」
カヴェイネンはナッツの袋を見つめているピンのために小皿にナッツを出してピンの前に差し出す。
「彼はピンという。ピンは私のことを守ってくれる重要なパートナーだ」
カヴェイネンが言うと、ピンがナッツの皿から顔を上げた。
「光栄です、異国のお客人」
骨董屋とジャファが仰け反る。
「そのネズミ、いま喋りませんでしたか」
訊いた骨董屋に、カヴェイネンは頷く。
「なに、魔法の国だと思えば不思議なこともない」
豪快に笑ったカヴェイネンを見て、骨董屋とジャファは乾いた笑いを返すしかなかった。
*** *** *** *** ***
ジャファの母親が遺したという腕輪は、骨董屋が言うには間違いなく封魔具だと言う。
カヴェイネンが腕輪の代金を支払ってジャファに腕輪を渡すと、ジャファは腕輪をランプの灯りに照らして傷みがないかどうかを確かめた。古びた金色の腕輪は幅広で、そこには見たことのない動物が描かれている。
「これは?」
カヴェイネンが首をひねると、骨董屋が腕輪を覗き込んで「ああ」と口を出した。
「アーケリの動物です。ゾウです」
ゾウ。
カヴェイネンは「うむ」と唸った。
この世界には、見たこともない動物がちょくちょくといるらしい。
そういえば、ラクダというのもエニシャに来て初めて見た。
「ゾウが彫られている腕輪というのは、だいたいがアーケリからの渡来品です。そもそもゾウというやつがアーケリ以外にいませんからね」
骨董屋の蘊蓄に、カヴェイネンは目を瞬かせる。
「たとえば、他にも特定の国にしかいない動物というのはいるのだろうか?」
カヴェイネンの質問に骨董屋は大きく頷いた。
「ラクダはエニシャにしかおりません。ラクダの足は砂漠を歩くのに特化されていますが、外国には砂漠がありませんので、ラクダの足はあまり役に立ちません。スジェにしかいないのは、観賞魚でしょうか」
骨董屋は首をひねり、それから腕組みして唸る。
カヴェイネンは聞いたことのない生き物に戸惑って、骨董屋が解せないとでも言うように考え込んでしまったのを見てさらに戸惑った。
そもそもカンショウギョとはなんなのか。
「観賞魚とはなんだ?」
「観賞用の魚です」
「魚?」
「さよう、魚です。スジェ人は、食べるためではなく、育てて眺めるための魚を重宝するのです」
カヴェイネンは目を丸くした。
「食べるためでなく、か」
「重要なのは見た目ですから、可食部が異様に少ない」
小刻みに頷きながら言った骨董屋に、カヴェイネンが「んむ」と唸り、ジャファは「スジェ人て変なの」と呟く。
これにはカヴェイネンも骨董屋も同意した。
ピンだけは、カヴェイネンの肩から下ろされてナッツの皿を前に、アーモンドかカシューナッツか、それともピーナッツか、残った三種類で悩んでいた。
ジャファがいたずらにピンの皿にナッツの袋からクルミを取り出して追加し、ピンがジャファを悲しそうに見上げて髭を下げる。
「おまえさんなかなかネズミに酷なことをするね」
ジャファは首を竦めて「ゴメン」とピンに謝った。
「それで腕輪の話ですが」
話を戻したのは骨董屋だった。
「二十タパカ。実のところ、魔道具としてはあまり高いほうではありません。実際、封魔具ならばスジェに向かう商隊に売る魔道具のほうがずっと値が張ります。スジェは特に新品に拘らないというか、どちらかというと古い物や由来のある物をありがたがるので、どのような来歴の物か、その来歴が明確でしかも古い物ほど重宝されて値が上がります。まあ最新の物もスジェでは喜ばれるので、由来が明確で古い物と新しい物は、だいたいスジェ行きの商隊が来たときのために裏に置いておくのです」
カヴェイネンとピンは、骨董屋を見て「ほう」と頷いた。
骨董屋は続ける。
「この腕輪をスジェに出さないのは、ここに彫られているゾウが理由です」
「これが?」
ジャファが腕輪をランプにかざして線で彫られたゾウがみんなに見えるようにする。
「ゾウの模様は、普通のゾウと普通でないゾウの二種類に分かれる。これは、普通でないゾウのほうだ」
骨董屋が声を落として言い、骨董屋の声をよく聞こうとしたカヴェイネンと、腕輪の由来を聞こうとするジャファが骨董屋に体を寄せ、絨毯の上でひとりポツンと上を見るしかなくなったピンは、腕輪に一番近い場所、ジャファの手首を目指してジャファの膝から肩へ駆け上がり、腕を伝って走り、ジャファが「ピン! くすぐったいよ!」と笑いを堪えた。
そうして顔を寄せあった四人は、腕輪を見る。
「このゾウの横には熱帯の菩提樹が描かれている。菩提樹とゾウの組み合わせはアーケリ王族の紋章だ。つまり、これが本物か贋物かは分からないが、アーケリ王族に由来する腕輪だということになる。次に封魔の魔法だが、普通なら、封魔具はジナや魔物を封印するためにあり、そのために瓶や壺の形をしている」
骨董屋は腕輪を指差した。
「ジャファ、こいつが封印するのは自分だ」
そう言われてジャファは骨董屋に青い目を向けた。
「自分を封印する?」
「そう、理由は分からない。だが、こいつは魔術師が、自分が魔術師だと知られないようにするために自分の魔力を封印する、そういう封魔具なんだ。力の強いジナや魔物と戦うために封魔具を必要としている相手に売っていいもんじゃない。だから本来なら売り物にならないガラクタだが、こいつはアーケリ王族の紋章が入っている値段が付く」
骨董屋は「贋物かもしれんがね」と付け加えて首を竦め、それからもう一度ジャファが持っている腕輪を指差した。
「しかもこいつは純金だ。贋物にわざわざ純金を使う理由もない。本物の、アーケリ王族由来の封魔具だと思ったほうがいい」
カヴェイネンは太い指でピンの髭をつつき、ピンが嫌そうにカヴェイネンの指から逃げてブルブルと体を震わせ、それからまたジャファの手首に戻る。
「ピン、イェジン殿を呼んでくるから、骨董屋殿とジャファと一緒にいてくれ」
カヴェイネンの言葉を聞いて、ピンはしゃんと背筋を伸ばした。
「承知いたしました、お客人殿」
堂々としたピンの受け答えを聞いて、骨董屋とジャファはジャファの手首で気取っているピンをまじまじと眺めた。
*** *** *** *** ***
恰幅のよい黒髪の姿で部屋に来たイェジンは、骨董屋とジャファの話を聞いてからジャファの腕輪を眺め、しばらくランプにその腕輪をかざして眺めてからジャファを振り返った。
「ジャファ」
名前を呼ばれて、ジャファはイェジンを見る。
「なに?」
イェジンはジャファに体を向けて腕輪を返して大きく手を広げた。
「おまえさん、胸のあたりに蓮華模様のアザはないかね?」
「あるけどそれがなに?」
ジャファはイェジンの問いにぶっきらぼうに答えて口を尖らせる。
イェジンはジャファの返答を聞いて小さく頷いた。
「お母さんの名前は、ジャヒーア?」
ジャファはじっと答えを考え、答えるべきかどうかを迷った様子だったが、その躊躇いの末に頷いた。
「ジャヒーアで合ってる」
イェジンはジャファの手首を取って見つめ、それから手をひっくり返して裏表を確かめてから、「なるほどな」と鼻を鳴らす。
指を動かしてイェジンがジャファの手首を横になぞると、ジャファの手首にオレンジ色に光る鎖のような模様が現れた。
「よいかねジャファ。本来はおまえも魔力持ちのドランだが、この光の腕輪で魔力を封じられている。お母さんの腕輪は、お母さんの魔力を封じていたんだろう。この腕輪は確かにアーケリ王族に由来する物だが、アーケリ王の紋章はゾウが両脇に菩提樹を従える。この腕輪に描かれている菩提樹はひとつ。だからアーケリ王家ではなく、分家のどなたかが作らせた物だ」
ジャファが自分を見たのを確かめてから、イェジンは続ける。
「アーケリ王族の娘でエニシャに嫁いできたのは、王の従妹であるジャヒーア姫だ」
イェジンはそう言ってから、息をついた。
「ジャヒーア姫は輿入れの途中で結納品の宝物を盗賊に狙われて襲われ、行方不明になったと言われていた」
そこで言葉を切って、イェジンはジャファに訊く。
「自分が何者かを受け止める覚悟はあるかね?」
カヴェイネンはピンを左肩に乗せて骨董屋と並んで座り、イェジンとジャファを見つめた。




