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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
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龍と妖狐と魔法の小刀(45)瑚煌と梅香と比氏の決まりごと

 梅香が小鳥がいなくなった鳥かごを見ているあいだ、瑚煌ここうはじっと梅香を観察する。


(この女が六心王龍……)


 四王府の三姉妹は鳥かごの前で考え込む比梅香を蘇(りょう)のために用意されていた椅子に座らせてから、蓋碗の茶を渡した。

梅妹ばいめい胡娘フーニャンというのは芝居小屋の女優なの?」

 綾に問われ、梅香は「はい」と頷く。

「ただ、芦楓がキツネの娘を妻にすると言ってキツネ娘と穎州に行きましたが、そのキツネ娘が胡娘だとは思いませんでした」

 龍が人の形を作るのは常識だが、キツネも人の形になるとは、と、梅香の返答を聞いていた夫人たちは互いに顔を見合わせた。

「ヤンジェングルのケシとは、なんです?」

 夫人のひとりがおずおずと梅香に向かって問う。

 梅香がその問いの主である夫人を見れば、夫人はゆっくりと立ち上がって梅香に会釈してから躊躇いがちに微笑した。

たい家の芙蓉ふようと申します」

 梅香は小さく「岱家」と繰り返して会釈を返す。

 岱家は先々代蘇王の庶子から分かれた蘇氏の分家であり、その先々代がそもそも五心であったがため、分家となったときからすでに蘇姓を名乗らなくなった庶流である。

「ヤンジェングルのケシは、ケシの一種ですが、朱国原産で麻酔作用が強い種類です。朱国では見られなくなりましたが、炎朱国境の炎国側にあるヤンジェングルという谷地で栽培が続いていて……そのケシから採取される麻酔薬は医術に重宝されます。ですが強い中毒性、催眠作用、幻覚作用があり、使い方次第では六心王龍をも殺せる薬になります。百年以上も前に炎国で、エルバハンの王子ジャファール・エルバハンがその中毒で殺されるという事件が起きました。六心王龍殺しです」

 梅香が説明した内容は、問いを発したたい芙蓉ふようだけでなく、瑚煌や他の夫人たちの表情も暗くした。

「その香を使ったのが、タリヤ王の長子で同じく六心のスタラーデ・タリヤです。従兄弟であったジャファール・エルバハンの意思を奪い、生きながらにして四肢を削いだうえで、心臓を抉ったそうです」

 胸を押さえて梅香の話から顔を背けたのは綾だった。

「六心の心臓を抉るなんて……」

「炎には、五心が六心を食らえば力を得られるという迷信があるのだそうです。私に言わせれば、なんの根拠もない、くだらない迷信です。五心が六心を食らったところで、六心の力に内側から食い破られるか……さもなければなにも起きないか、どちらかです」


 ふっと梅香を見た年輩の夫人が柔らかな動作で椅子から立ち上がり、腰を落として会釈する。

杜氏とし耀ようと申します」

「杜夫人、私は姉たちに連れてこられただけですのでお気楽に」

 腰を浮かせて断りを入れかけた梅香が姉たちの視線を受けて背を伸ばす。

「ご夫人に失礼いたしました、改めまして、比氏、梅香と申します」

 杜耀が梅香を見つめ、それから「ほほ」と右手を口元に添えて笑った。

「四王府の公主たちに可愛がられておいでなのね。その梅香さんに、ひとつ、伺いたいの」

「私がお答えできることであれば、お答えします」

 梅香の返答を確認した杜耀はゆったりと頷く。

「もし、先王と七王爺がおいでの場で炎二妃が先ほどおっしゃってらした香を焚いていらしたとしたら……それを確かめるすべはあると思われます?」

 杜耀の問いに梅香は目を眇めた。

「杜夫人、それをお聞きになるのはもしや、炎二妃が先王と七王爺に香を使っていたかどうかが知りたいということでしょうか」

 意図を確認された杜耀が、梅香に微笑で肯定を返す。

 瑚煌はハッとして、梅香が視線を落として思案するのを見つめた。

「梅香さん、わたくしが欲しいのは、炎二妃が香を使った証拠ですわ」

「証拠ですか……」

 梅香が目を伏せて眉間に縦皺を刻んで杜耀の期待を思案する。

「証拠です」

「……先王はいなくなり、父は天牢に入ってもう何年も経ちますわ」

 瑚煌は言ったが、杜耀は黒髪に数本混じった白髪を曇天で白く濁った陽光にきらめかせながら首を振った。

「先王のことは助けられませんし、百年に渡って国を傾けてきた先王を本紀に英邁えいまいと書くような愚は許されません。それがきまりです。ただ七王爺はまだご存命ですし、少なくとも減刑という形で助けることはできますでしょう」

 杜耀の言葉に瑚煌は縋るような目を向け、それから梅香を振り返る。

「先ほどの胡娘フーニャンという娘、父にケシが使われたかどうかを確かめる術はあるかしら?」

 梅香が目を眇めた。

「胡娘とラーフマナさんとやらが、なにをどのように見て、ケシの悪意を辿っているのかが私にはわからず、申し訳ありませんがお答えいたしかねます」

 瑚煌は梅香の返答を聞いて、細く書かれた柳眉を八の字に寄せて俯く。

「そうね、それはそうだわ」


(比梅香。身の程を弁えない、身持ちの悪い、使えない女。お父様の減刑もお兄様たちに恩を売るのも、これでは無理だわね)


 視線を自分の手に落とした瑚煌を見つめた梅香が、なにかを考え込むかのように顎に手をあて、息遣い三つぶんほど間をおいて、床を見つめて息を吐いた。

「もし」

 梅香の声を聞き、瑚煌は顔を上げた。

「先王と七王爺がスタラーデの手で蘇に持ち込まれたヤンジェングルのケシを使われていたとして、その証拠が出たら、穎州えいしゅうの関を理由に……ああ、いや、それでは穎州に七王爺が関を設けた理由の説明が付かない……関が、ケシより後で、ケシの関係で関が作られたことを証明することができれば、七王爺の減刑は叶うかもしれない。しかし朱妃と朱二妃がどう出るか……あちらは煕俊きしゅん殿下を冤罪で亡くしておられる。煕俊殿下の一件に七王爺が関与していない証拠が……だめだ、七王爺が毒を盛った官吏の後ろ盾になっていたことは王も泰俊殿下もご存知だからこの点はどうにもならない」

 ひとり言のように呟く梅香の首に、青い光が薄く糸のように絡みつく。

 その光の先は蘇慧そけいの指につままれていた。

「悪く思わないでちょうだいね、あなたが勝手に動きそうなときは、綱を付けるようにお父様から言われているのよ」

 慧のおっとりとした言葉を受けて、梅香が顔を上げ、ゆっくりと慧を振り返る。

「父上が、慧姐に命じられたのですか?」

狐娘フーニャンの言うとおり、王宮に出仕する時間以外は、なるべく四王府のお嬢様としておとなしくしていてちょうだいな」

 慧の微笑を見てから梅香が首を振った。

「姉上、七王爺の件は杜夫人のおっしゃるように、もし、先王と七王爺がケシのために正しい判断ができない状況にあったとしたら刑を見直すべきです」

「それを決めるのはあなたではなく司法の芦範ろはんよ、違うと思うならば反論してごらんなさい」

「……姉上のおっしゃる通りです」

 視線を落として俯いた後に梅香は目を伏せがちにして両手の指を絡め、不服そうに、なにかを言いたいが言えないとでもいうように動かし、それから膝に置くというなんとも言えない仕草を見せ、その仕草を目にした瑚煌はふいの既視感に思わず瞬きをする。


(見たことがある動きだと思うのだけれど、いつ、どこで見たのかしら)


 それから瑚煌は記憶を辿り、園遊会で幼い従弟が見せたことのある仕草だということに気が付いた。彼がまだずいぶんと幼いころで、比氏の末子ではあるが、四王爺の末子でもあるという理由で王家の園遊会に連れてこられ、四王府の兄弟姉妹たちの後ろで居心地悪そうにしながら両手の指を組んで所在なさげに動かしていた。


(六心王龍……五心のわたくしよりも力があり、五心を従えて使うことができる女)


 瑚煌はじっと梅香を見つめ、それから自分の手に目を落とす。

 己の力を差し出せば、梅香のほうが自分よりも上なのだと認めることになる。さりとてなにもしなければ、六心の王龍から才覚の有無を測られることも彼らの中で己の力を誇示する機会を得られることもなく、いままでと何ひとつ変わらない鬱屈を抱えるだけのこと。


(わたくしの力は六心の役に立つはずよ。王にだって認めてもらえるはずの力なのよ。なのに、お父様もお兄様たちも、わたくしを六心のどなたへも、繋約者けいやくしゃとして推挙してはくださらなかった)


 では、目の前のこの女が六心だとして、己の繋約者に相応しいのか?


 瑚煌は自分の手に落としていた視線を梅香に向け直した。

 ゆっくりと、梅香の仕草を見つめ、それから梅香の心臓にその視点を移す。

 気付かれないように。

 梅香の輪郭を透かして心臓の核を探す。


 心臓の核から素性を読むことは、誰にでもできることではない。

 特に六心の心核に入り込むことなど、その六心の許しなしにはできない。

 それでも瑚煌は、自分にならばできることを知っている。

 子供の頃からいたずらに、王家の従兄弟たちの心核を読んできた。


 瑚煌の目に映る梅香は徐々に輪郭を失くし、彼女の両親たちが与えてきた姿かたちがいくつもその心臓から枝分かれして姿を現す。


(六心の素性を読むときの、このいくつも作られた姿を見るのはいつだって楽しい)


 彼ら六心は、少なくとも男女ふたつの姿を持っている。

 現王貞俊(ていしゅん)は四つ、蘇氏の男女と炎氏の男女の姿を持つ。

 今は亡き二王弟煕俊(きしゅん)は蘇氏の男女と朱氏の男女の四つ。

 三王弟泰俊(たいしゅん)は蘇氏の男女ふたつだが、玄氏の姿を持たない代わりに玄氏特有の力が及ぼす範囲の広さや効果の強さが底上げされている。


(比氏は五心だと思っていたから、比河や比嵩を読んだことはなかったわね)


 瑚煌はそんなことを思いながら比梅香を見つめて息を飲んだ。


(六心の核は、六つ……あら、嫌だわこの女、十七もある。王族よりも格上じゃないの。青金が六……金が六……緑金が五……青の名前は蘇氏比轍……なんだ、梅香なんて名乗って人間のふりをしているだけだったのね……そう、騙されたわ)


 それから瑚煌は意識を現実に戻す。


「お姉さまたちに言いたいことがあるなら、言葉になさい。言葉にすれば伝えられることも言わなければ伝わらないのよ、阿轍あてつ


 瑚煌の言葉に、梅香が驚いたように目を上げて瑚煌を凝視した。


「……瑚煌様」

煌姐こうねえさまでいいわ、あなたが昔も、園遊会で言いたいことを言わずに指遊びをしていたのを思い出しただけよ」

 瑚煌は小さく息をつく。


(思い出したのは仕草だけだけれど)


 梅香が目に見えて頬を紅潮させる。

「ありがとうございます、煌姐」

「よかったわね大好きなお姉さまに優しくしてもらって」

 冷ややかなりょうの言葉を聞いた梅香が怖いものでも見たかのように瑚煌のほうへと心持ち身を寄せたのを、居合わせた者すべてが見た。

「……私が園遊会で煌姐と言葉を交わしたのは七十年ほど前のことで、私はまだ子供でしたから、きれいなお姉さまに優しくされたら、そりゃあそのお姉さまの思い出は、王府でお会いするたびに私のことをお人形だと思って遊ぶお姉さまの思い出よりも、美しいものになるわけです」

 綾の視線から逃げるように顔を背けた梅香に、慧と盈が苦笑する。

「綾はずっと自分が姉妹の一番下だったから、自分にも妹が出来たのが嬉しくてあなたと遊びたかったのよ」

「その可愛い妹が他家の男の子として育てられるのは面白くなかったでしょうけれど」

 四王府の姉妹が言うのを聞いて、瑚煌は「ふ」と笑いだした。

「ふふ、思い出しましたわ。あのとき綾姐姐りょうねえさまが阿轍を妹なのだと紹介なさって、それで阿轍が嫌そうになにか言いたげにしていたの。七王府では、伝えたいことはすべて言わねば始まらないと育てられるので、阿轍にも同じように、言わねば伝わらないと言ったら、園遊会のあいだ、ずっとわたくしの後ろをついてきたのだったわね」

「姉たちに文句を言ってもよいのだと言ってくださったのは、煌姐だけでした。それは立派に私が煌姐を美しいと慕う理由になるので」

 瑚煌は梅香の言い分を聞いて幼いころの園遊会を思い出して苦笑しつつ、四王府の従姉たちが梅香を残念そうに見つめていることに気付く。

「梅妹、いえ阿轍、あなたが珍しくおとなしくこちらにきたと思ったら、きれいなお姉さまに会いたかっただけだったのね」

「俗物だこと」

「憧れのお姉さまにはきっと呆れられているわよ」

 姉たちに責められた梅香が、澄ました様子を取り繕って椅子に腰かけ直したが、梅香よりも長く生きている夫人たちはそれを見て笑いを堪えた。


「残念だけど、わたくしはあなたが嫌いなの、比梅香」


 瑚煌が面白い玩具を見つけたように梅香に声をかければ、梅香が驚いたように瑚煌を振り返って顔色を失う。

「人の身でありながら比一族に取り入って、わたくしが憧れてやまない四王府のお姉さまたちを、図々しくお姉さまと呼び、芦楓と芝居小屋で逢引きして、書庫でも別の男との逢引きだなんてとんでもないわ。そのうえ、そんな身持ちの悪い女が六心王龍ですって?」

 悪しざまに言われた梅香は、反論もなく視線を彷徨わせてから俯いた。

 それでも瑚煌は続ける。

「ただ、二王弟煕俊(きしゅん)殿下が先王弑逆(しいぎゃく)を企てたという冤罪で囚われたこと、それは炎二妃と当家の父が企てたことです。煕俊殿下の審議を訴えた比氏、芦氏の二氏族について、分家の末端まで累が及び、その折は比氏の末子である比轍、あなたも罪人の身に落とされたと聞きました。そのことが梅香という立場を作らねばならない理由であったなら……いえ、違うわね」

 瑚煌は視線を自分の指に嵌めた翡翠の指輪に落としてから言い直した。

「それ以外に、あなたが梅香という、比轍とは別の存在を必要とする理由はないわ」

「そうね」

 ひと言で返したのは、慧であった。

「講談のなかでこの子は、七王爺の息子に与えられるものを奪う嫌な姉の侍女で、身の程を弁えないがゆえに天牢に投獄されて爪を剥がれる拷問を受け、泣いて許しを請う役だわ」

 梅香が慧を振り返る。

「自分の名誉のために弁明しておきますと、爪は剥がされましたが吐いても許しは請うてません」

 夫人たちは梅香を見つめた。

 慧がじっと梅香を眺め、それから大きく嘆息する。

「当家の妹は炎二妃と七爺のせいで命を落としかねない立場に落ちて爪まで剥がされたというのに七爺の減刑に手を貸そうだなど、初恋にでもほだされたのかしら」

 梅香が「姉上」と首を振った。

「連座で処刑されそうだったのは比轍であって、梅香は、比轍と芦楓の居場所を知っているだろうから自白しろと、爪を剥がされたり、焼きごてを押し当てられたりしただけです。命までは求められませんでした」

 瑚煌は思わず知らず、腰を浮かせる。

「爪を剥がされて焼きごてを当てられた話は講談の作り話ではなく、本当なの?」

「それは、ええ、本当に起きたことです」

 梅香の返答を聞いて瑚煌は両手で顔を覆って首を振った。

「あと、梅香というのは落ち延びるために作ったわけではなく、人間の器が欲しくて、ですね、あの、煌姐が罪悪感を感じる必要はないのです。煕俊様の領地では例年、地公廟が開放される祭祀の時期があると地理志にありまして、その地公廟への参詣は天龍では立ち入りができないというので、人間ならば、入れるのではないかと……まあその頃は、この器は人間のものだと信じていたので」

 そこまで言った梅香に、杜耀が首を傾げる。

「梅香様……比轍様、恐れ入りますがあなた様は比氏の末子でございましょう?」

「さようです」

「柳州からどころか、王都からお出になることを禁じられているはずです」

「ですから、人の器が欲しかったのです。龍族の身ではきっと、王都から出られません」

 神妙に頷いた梅香を眺め、瑚煌も、四王府の姉妹も、夫人たちも絶句した。


 比氏の末子は王都より外に出てはならない。


「王都から出てはならない理由を、ご存知ないはずはございませんわね?」


 この場では一番年若い梅香は、恐らくこの場で一番年嵩であろう白髪の女性に問われて俯いた。

「……存じております……」

 小さく、か細く、梅香が答える。

「比氏の末子は代王です。王に異常があったとき、王に代わってこの国の万物を維持するのが役目です。それはお分かりですね?」

「はい、あ、いえ、あの、そのためにも……地理志に書かれた祭祀がどのようなものか見ておきたくてですね……」

 焦ったように弁解を試みる梅香を、白髪の女性が手で制する。

「代王として比氏の末子が求められるときは、あなた様の自我も記憶も経験も、すべて、王のために白紙にされて、あなた様が培い育てた力だけが王のために残されることになります。地理志に記載された記録を知ることはこの国を維持するために必要ですが、あなた様がご自分で見に行って知る必要はございません。無益なことはなさらないことです」

「……無益……」

 瑚煌は頌夫人の話しが終わるのを待ち、頌夫人を見ておもむろに自分の疑問を口にした。

「頌夫人、わたくしの不勉強ではございますが、比氏の末子は、自我も記憶も経験も白紙にされるとは、どういうことです?」

「言葉のとおりですのよ、瑚煌様。比氏の六心は自分を守る本能が強いものですから、王が器を乗り換えるときは比氏に意思の主導権を取られかねません。ですから彼ら比氏の者が意思を持たないよう、自我も記憶も経験も、すべてを白紙にしてから王に力をお渡しするのが手続きとして決められております」

 頌夫人の説明を聞き、まだ白髪には遠い女性たちは言葉を失った。

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