龍と妖狐と魔法の小刀(44)小鳥の伝令
ゆるりとした時間が流れる瑚煌のもてなしのなか、講談を聞いた夫人たちは、じっと四王府から公主の姉妹たちと共に来た侍女を見つめ、宮中を描く講談の終わりを待つ。
「父上に」
侍女が小さく言葉を発した。
「お父様に言いつけても無駄よ、今日はわたくしたちがお父様からあなたを借りてるの。お許しが出ているから首が繋がってるのはわかっているのでしょ?」
「……首……」
侍女が顔を青ざめさせたのを見て、綾が小首を傾げる。
「少なくともあなた、いま、息できているでしょう?」
「息はしてます」
「そういうことよ」
盈と綾の笑い声に侍女がちらりと瑚煌に視線を向け、それから列席した夫人たちに視線を向けてから、助けがないのを知って背筋を伸ばして夫人たちに頭を下げた。
「比氏、梅香と申します」
瑚煌は「あら」と目を見開いて比梅香を凝視する。
「……比氏の梅香様ならお名前聞き及んでおりますわ。人の身でありながら比家の養女でいらっしゃるのにお席も用意していなかったわ……お待ちになってね、すぐに椅子を持ってこさせるから」
瑚煌が慌てたのを見て梅香も同じように慌てた。
「お気になさらないでください、ひと言の断りもなしに同席する羽目になったのは姉たちのせいですから」
梅香の言い方は瑚煌を少しばかり苛立たせる。
「あなた四王府の公主たちを姉と呼んでいるの?」
苛立った瑚煌の声の粗さに苦笑したのは蘇盈だった。
「わたくしたちがそう呼ばせているのよ」
蘇盈と蘇綾の姉妹は、梅香を前に立たせた。
「やっと末妹を皆さまにご紹介できるわ」
「打たれ弱そうに見えるけれど、なかなか手強いのですよ」
きらきらとした笑顔で言う盈と綾を、最上位の席に座っていた四王府の長女が、指を翻すように動かして黙らせる。
瑚煌は従姉妹の最年長である蘇慧の仕草に目を奪われた。
(威厳、威風、やはり四王府のお姉さまたちは美しいわ)
そう思うにつけ瑚煌は、従姉妹たちに六心王龍である皇子たちの横で力を揮う機会が与えられないことが悔しい。
(わたくしにだって政略以外にも自分にしか扱うことができない力があるはずなのに。それにしても、比梅香という女。比家の養女だからとお姉さまたちを、お姉さまと呼ぶのは図々しい女だこと)
四王府の姉妹以外に招いた十人は、みな五心貴族の龍族として、かつて蘇氏であった王族の血を引く夫人たちだった。
(彼女たちのひきつった表情をごらんなさいな、比梅香)
列席者は誰もが潜在的に、歯車として氏族ごとの能力を扱う生粋の五心貴族とは違い、王龍の末端として何らかの力で六心王龍たちの力を増幅できるだけの力を持っている。そのなかで人でありながら比家の養女になり、四王府の姉妹たちを臆面もなく姉と呼ぶというのは、王龍族への態度として間違っていると瑚煌は思う。
「梅妹、これほど詳細な話が出回るのよ、講談師はきっと宮中の者だったのでしょう?」
慧の言葉に瑚煌も頷いたが、梅香は気が抜けたように表情を楽にした。
「ああ……そのことですか、恐らく菖俊殿の世話係であった宦官の、楡四という者です」
「あっさり白状したわね。その楡四はいまどこでどうしているの?」
「申し訳ありませんが姉上、それは私にもわかりかねます」
「……七王府の血を引く子供を連れているのでしょう?」
「それは玄太后がお許しになったことです。宮中では宦官ひとりと奴婢の子供がひとり死んだことになっていますから、太后直属の監視部門である東廠の手の者が楡四と菖俊殿を探すことはありません。講談師が楡四であると知れてしまうほうが彼らの命を危険にさらすことになると思いますので、我々は探さない方がよいでしょう」
梅香は答え、瑚煌はその答えに安堵する。
(まだ子供なのだもの、生きていてくれるならそのほうがよいわ。それに四府の彼らが捜していないというなら、先んじて七府で見つけられるかしらね)
「東廠が動かないのは当然でしょう、蘭俊殿と菖俊殿は私生児です。七王爺のお子であったとしても、煌妹の兄弟として七王府の公子であったこともないのよ」
瑚煌は慧の言葉に歪みそうになる表情を、目を閉じてゆっくりとやり過ごした。
(慧姐姐のおっしゃることは正しいわ。父の子たちであったとしても、彼らは一度たりとも七王府の兄弟であったことはなく、先王に可愛がられていた皇子たちだった)
「それで梅妹、あなたたちはなにを探しているの?」
「なにとは」
梅香が慧に問い、慧は梅香を振り返りもせずに「梅妹」と呼び方を変えた。
「講談の話をお父様の耳に入れたのはあなたでは」
言いかけた慧の前でひとりの夫人が椅子から立ち上がり、おっとりとした仕草で小鳥を捕まえる。
「皆さまご覧になって、初めて見る珍しい鳥ですわ」
「あなたいまどうやってその鳥を捕まえました?」
「うふふ、わたくしこうやって鳥獣を捕まえるのが得意ですの」
夫人がそう言う手のなかで、鳥が梅香に向かって声をかけた。
「梅香殿がいらっしゃるな? ちとお訊ねしたいが梅香殿、そこは柳州だろうか?」
「熊震殿か?」
「炎からあなたを目印に鳥を飛ばした。鳥が柳州に辿り着いているなら……最悪だ」
鳥の言葉に、梅香は部屋の中を見回して花瓶に飾られた柳の枝を見つける。
「瑚煌様、鳥の止まり木にあの枝をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「鳥かごを持ってこさせるわ」
梅香の手から止まり木に場所を移して、鳥はまた喋った。
「行き先がわからず私のところに戻ってくれれば、まだ道は閉じられていると安心できたんだが、あなたのところまで飛んでしまったということは間違いなく、王は穎州を閉じきれていない」
「王が穎州を閉じきれていない? 熊震殿、あなたはいまどこにいる? 芦楓とともに穎州に閉じ込められたはずではなかったのか?」
「穎州から炎に抜けた。七王爺が私設した関所が炎まで開いていて、まだ使える」
瑚煌は梅香を押しのけて鳥かごの前に身を乗り出す。
「七王爺が私設した関所ですって?」
「ええと、申し訳ないがどなたかな?」
鳥が戸惑い、瑚煌に押しのけられた梅香が裾をはたきながら嘆息した。
「七王爺の公主です」
「……芳俊殿は」
「傲氏のところだ」
「しばらく傅には奥宮へご足労いただくようにして、芳俊殿を奥宮から外に出さないでくれ。螺珠様と阿達も別宮から出さないように儀典官に依頼するつもりだ」
「私の状況をお忘れかもしれないが、芳俊殿を縛るより先に自分が父に縛られている」
「ならば丁度いいから王と芳俊殿にも一緒に縛られてもらってくれ」
「なにゆえ」
鳥が少しばかり黙り込んでから、熊震の声は女の声に取って代わられた。
「梅香ってことはあんた比氏のお嬢ちゃんね? いまから、とっても残念なことを言うから聞いてちょうだい」
「キツネ娘か? ずいぶんとしっかりした言葉遣いになった」
「あっは! あなた昔からよく、芦の坊ちゃんと一緒にうちの芝居小屋に来てくれたでしょう? 嬉しかったわ。あなたの素顔見たことないけど」
「芦楓と一緒に芝居を見ていた私を知っているのか?」
「史娘と舞台に出ていた書生役覚えてるかしら? あれ、あたし」
「あれは胡娘という女優だった」
「そうよ、それがあたし」
「しかしキツネ娘は尻尾が」
「芦の坊ちゃんが尻尾好きだからよ」
「……ああ……」
胡娘との会話を聞いていた姉たちが、梅香に呆れた視線を向けていたが、梅香は気付かないふりで一歩だけ、瑚煌のほうへとすり寄る。
鳥はその梅香に顔を向けて告げた。
「いいこと? バラカはたぶん蘇の王龍を奪いに行くと思うのよ。あの男はどうしても六心王龍を食らいたいの。特に地龍」
「胡娘、あなたの言うあの男というのは誰だ?」
「星辰と名乗っている男。スタラーデ・タリヤ」
瑚煌はその名を聞いて「は」と小さく笑い、梅香は笑った瑚煌をゆっくりと振り返る。
「瑚煌様、ご存じなのですか?」
「久しぶりに嫌な名前を聞いたわ。あの男の視線にはいつもぞっとしたものよ」
梅香に声をかけられ、瑚煌は梅香に視線を向けた。
「七府にも来たことがあるの、いつも、甘ったるい気だるげな香りのお香を持って、それをバラカから炎二妃への献上品だと言うのよ。あんな香りの女を傍に置く先王もたいがい趣味が悪いったら、もう」
瑚煌の言葉に梅香は鳥を見る。
「甘ったるい香り……ケシか?」
「間違いなくヤンジェングルのケシでしょうね」
夫人たちは聞いたことのない香の名に、互いの顔を見合わせた。
「絶対にスタラーデ・タリヤを六心王龍に近寄らせないで。バラカのものならケシに六心龍を言いなりにする加工をしてるはずだから」
「……ジャファール王は、そのケシに囚われた」
「残念だけどそのジャファール王のことは知らないわよ、あたしとラーフマナさんはケシの悪意を見つけて辿ってるだけ。ケシは目の前に五心と六心がいたら六心を標的にするように作り替えられてる。だから六心龍には絶対に近寄らせないで」
「待ってちょうだい」
瑚煌はフーニャンの言葉を遮るように声をあげる。
「……あの香りの香炉は、後宮にあるわ。炎二妃が気に入って使っていたのよ、奥宮ではなくて後宮でだけ使う、銀の、特別な香炉で」
講談は繰り返す。
銀の香炉に花の香。
「……胡娘、五心より六心を標的にするというのは、五心龍と六心王龍がいたら、ケシは自らの意思で六心王龍を選んでいくということ?」
「さようです」
「バラカと父……七爺はいつから懇意にしていたのかしら?」
「芦の坊ちゃんが衙門で調べた記録が正しければ二百年ほど前でしょうか。あらそういえば比のお嬢ちゃん、今日は口うるさい蘇氏のお兄ちゃんと芦の陰気な坊ちゃんは一緒にいないのね」
フーニャンの笑う言葉を聞いて梅香はぼんやりと頷いた。
「今日は、姉上がたにご一緒したから……」
「ああ、今日はお兄ちゃんじゃなくお姉ちゃんといるってこと? いつもそうしてたほうがいいと思うわ。お嬢様が男の格好で芝居小屋に出入りするなんてお話し、舞台の上だけで充分よ。芦の坊ちゃんが言うには、三皇子だか四皇子だか、しきたりで決められてる結婚相手もいるのでしょ?」
「いや、私はもともと男児で育てられたから、兄上たちといるほうが自然なんだ」
梅香は鳥を相手に慌てる。
「あらそう? 書庫で会うと言っていた片思いの殿方はどうなったの?」
「……なぜ胡娘が知っている」
「芝居小屋のオウムに相談してたから一座の役者に筒抜けだったわよ」
瑚煌は四王府の三姉妹が梅香に冷ややかな視線を向けたのを見た。
(芦氏の息子と芝居小屋で逢瀬、書庫の男、この女とんだ身持ちの悪さだわ)
瑚煌も招待を受けた夫人たちも、四王府の姉妹たちとは違い、心持ち遠巻きに梅香を眺めている。
「比のお嬢ちゃん、いいこと、あんた六心王龍なんだからこの先、絶対に穎州の騒動に首突っ込んでくるんじゃないわよ。特に、お嬢ちゃんみたいに天龍の六心王龍の一族で、しかも地龍の六心王龍の力まで飲み込んだような化け物をヤンジェングルのケシが餌にしたらどうなるか分からないっていうのが、クマさんと私の心配事」
瑚煌は梅香が目を眇めるのを見た。
「胡娘、芦楓は穎州ですか?」
「芦の旦那なら今頃、穎州に隙を作った責任てものを痛感しているでしょうね」
「……そうですか」
小鳥は少し周りを見回し、それからもう一度、梅香のほうへ顔を向ける。
「そうだ、ラーフマナさんから伝言」
「ラーフマナさんとは誰です?」
「朱大陸の地龍」
「胡娘は、一座で旅をしたりなどして人脈を広げたのですか?」
「違うわよ、ラーフマナさんはあんたが買ったんでしょ」
「……私が買った? そのラーフマナさんとやらを?」
「芦楓に餞別であげた御守用の小刀よ」
「ああ、エニシャから買い付けた精霊避けの小刀」
「あれに精霊避けの力を貸してるのがラーフマナさん」
「なるほど、そのラーフマナさんがどうかしましたか?」
「お嬢さんが地龍として力を併呑した伎芸天ていうのは朱の言葉で、マケイシュナといって朱国を作った地龍王のひとりだそうよ。いい? 比一族の後継者で蘇の六心王龍っていう立場だけじゃなく、伎芸天の力を受け入れたときから地龍六心に名前を連ねたってことらしいの。蘇と朱の二カ国分、天龍と地龍両方の六心王龍が持つ力を揮うなんて非常識な存在がスタラーデ・タリヤに狙われると困るから、お姉さまたちとお邸でおとなしくしててちょうだい」
小鳥はそこまで言うと煙のように陽光に溶けて消えた。




