龍と妖狐と魔法の小刀(41)七王府の子供たち2
先王の弟である施徹の娘として、五心の名門貴族の母のもとに生まれた瑚煌は、兄である丹と椋を前に、茶請けとして持ってきた焼き菓子を摘まみながら小さく笑う。
園遊会に参加したことがない従兄弟、六皇子と呼ばれ、今では五皇弟と呼ばれる子供。
「芳俊殿下にもお声がけしたいわ」
瑚煌の呟きに、兄たちは顔を見合わせた。
「なにを言い出すやら」
丹が言えば瑚煌が首を振る。
「丹兄さま、芳俊殿下が巷の講談でご自分がどのように言われているのか、ご存じないままではお可哀そうだと思いません?」
丹は瑚煌を見つめ、それから茶杯を置いて席を立った。
「お可哀そうであろうと、それはならん。芳俊殿はまだご自分の王府を持つことができる年齢ではなく、王弟殿下として暁寧殿にお住まいだ。それにお声がけしようにも、今、七王府の者として我々が宮中に出入りできるのは、審問のために天牢に呼ばれるときしかない」
瑚煌は丹に諭され、手元に借りた講談本が兄の手で回収されるのを眺める。
蘇芳俊は瑚煌にとって、ずっと、悪しざまに言われることばかりの従兄弟であった。
実のところ瑚煌がその芳俊を憐れに思ったことはなく、ただ王宮を訪なうための口実であり、七王府の娘として園遊会に招かれた折とて、芳俊がいないことを気にしたこともない。
「そういえば、四王府の阿透が比轍の墻になったと聞きましたの」
瑚煌の言葉に、兄たちはそれぞれに講談本を捲る手を止めた。
「どこで聞いた」
「嫁ぎ先では阿透が随身控えの間である賢応殿に居た話で持ち切りよ」
ゆったりと、空になった小さな茶杯を掌で玩びながら、瑚煌は静かに答える。
「はっきり阿透だと知っている者はうちの者ぐらいで、阿透が蘇氏の公子とは知らぬ者ばかり。それでね、定家の随身が分もわきまえず阿透に無礼者と怒鳴ったのだそうなの」
椋は面白がる瑚煌の言い方に肩を竦めた。
「阿透はいつも、自分は庶子だからと他の兄弟から距離を置いていた」
「園遊会でも必ず三列目に控えているのを見て私いつも、庶子とは肩身の狭いものなのねと思っておりましたのよ」
瑚煌の言葉を遮るように椋が「そんなことを思っていたのか?」と目を見開く。
「そうよ、阿透のことを不憫に思ったわけではなく、庶子の身分について思っただけのことですけれどね」
椋は瑚煌の反駁を聞いて大きく頷いた。
「おまえがいつもどおりで安心した」
「あらひどい」
弟妹の軽口を聞きながら、丹も小さいながら純粋な笑みを浮かべる。
「瑚煌、誰か定家の随身に注意した者はあったかどうか、それは聞いているか?」
「丹お兄様にお答えしますとね、阿透は一声、随行して賢応殿にいた芦家の者を名前で呼んで、定家の者に威風を見せ付けたのだそうよ」
丹と椋はふたりしてにやりと口角を上げた。
「庶子とはいえ、さすが四王府の公子だな」
「でも私、納得がいかないの」
瑚煌の言い分に丹は頭を抱える。
妹は何に納得できないのか。
「五心の比氏に、庶子とはいえ蘇氏の公子が護衛だなんておかしな話でしょう?」
瑚煌は茶杯を転がしていた手を止めて、俯いた。
「四爺がお決めになったことなのだろうが、なにが不満だ」
丹は、ゆっくりと小さな声で、しかし思い付きとは違う重みを持った妹の言葉をじっと聞き、言葉を探すかのように目を彷徨わせてから静かに講談本の表紙に手を添える。
「みんな五心の子女なのに、なぜ比轍だけ特別扱いなのかしら」
「瑚煌、慎め。気持ちの向かう先を間違えないように気を付けねば蘭菖の兄弟と同じく面子を失うぞ」
丹の嗜める言葉に椋と瑚煌が背筋を伸ばし、まっすぐに丹を見据えたのを見てから、丹は唇を湿らせて弟妹に向け口を開いた。
「我ら兄弟の矜持は、七王爺であった父上のために地に落ちた。だが九族連座までの処遇は受けておらぬ。王が一皇子として先王を裁いたのは、けっして私怨によるものではない。我々が父施徹の罪を王たちの前で認めたのも、その罪のためであって私怨によるものではない。この講談の語り部を探すのは、小さな異母弟の罪を探すためではなく、小さな異母弟を憐れな主人公に仕立て上げる不心得者を見つけ出し、講談を聞く者たちを惑わせないように注意を払うためだ」
椋が口を引き結んで頷けば、瑚煌も数杯の茶を口にして紅が薄くなった唇を引き結び、心得たように小さく頷く。
門前の茶会を始めたころにはまだ南中に近い高みにあった太陽は、すでに傾き、陽光には赤が混ざりはじめ、門の階で伸びた草は影を長くしつつある。
少しばかりの肌寒さを感じてから、瑚煌は椅子から立ち上がった。
「私たちの異母弟は可哀そうな子ですことね」
椋は瑚煌に目を向ける。
「そうだな、幼くして宮中を追われたのは父母の罪だ」
「椋兄様、私が憐れむのはそのことではございません」
瑚煌は七王府の公主であった時代に使っていたものとは趣の違う、良家の妻として妥当であろうと見立てた細く簡素な腕輪を嵌めた左手首にそっと右手を添えて、気を落ち着かせるためか、腕輪を撫でながら、椋の言葉を否定した。
「芳俊殿下は本来なら太子であってもおかしくないのに、その六殿下に向かってわがままを言うことが許される世界で育ってしまったことが憐れなの。私たちのような五心は、六心と繋約して、ようやく自分の持つ力を揮うことができる場所に立てるのに」
感情を抑えた瑚煌の声が震え、兄ふたりは妹の目に悔しさが滲んでいるのを目に留める。
「王族の五心は、比一族のように山河を整えたり治水を担うこともない、芦一族のように法を司ることもない。役割が与えられた五心貴族たちとは違い、自ら望んで自分の王を見つけなければ、ただそこにいるだけ、無為に過ごすだけの存在だわ」
丹と椋は瑚煌を見つめ、息をのんだ。
妹は華やかな王府で育ち、望んで嫁いだものと思っていた。
「お兄様たちはよいわね、政の見識を役に立てるために、お父様の取り成しと先王でいらした伯父様の計らいで宮中に上がるための役職をいただいていらした。私はきれいな衣装を着せてもらえても、それだけ。笑顔で座っていればよいと言われたわ」
瑚煌の言葉はところどころが途切れ、悔しさと怒りと悲しみが声に乗る。
「六心と五心の違いも理解しない、炎二妃から生まれたあの愚かな兄弟」
「瑚煌」
丹は叱責を滲ませたが、椋が丹に顔を向けて目で止めた。
「兄上、瑚煌が言いたいことを聞いてやらねば」
瑚煌は椋を見て「椋兄様」と小さく呟き、それから俯くように小さく頭を下げる。
「申し訳ございません、言うべきではありませんでしたわ」
「思うことがあるならば、過ちになる前に訴えるほうがよい」
椋の口調に責める色はなく、しかし瑚煌は椋を睨みつけた。
「私のすることが過ちになりかねないとお思いなのね」
「芳俊殿下を巻き込みたいと申すのだ、おまえの考えがなにを引き起こすか心配して当然ではないか」
淡々とそれを言う弟を見て丹が呆れたように首を振る。
「おまえも心から妹を心配しておるわけではないな」
「兄上、私には妻子がおるのです」
「椋兄様は私にも夫があるのをお忘れでいらっしゃるのね」
丹は口論になりかねない弟妹を眺め、冷えつつある風にくすぐられる自分の耳を摘まんで、手の体温が冷えていないことを確かめた。
「瑚煌、おまえはどなたか皇子の墻になりたいのか?」
長兄の問いに、瑚煌はハッとしたように次兄の椋から長兄の丹へ、琥珀の中に青銀の箔が散りばめられた瞳を滑らせた。
「王龍の一族に生まれた五心の子供には、その器が塵になるまで一生涯自分の力を発揮する機会がありませんわ。とりわけ女は、三王叔の娘も、六王叔の娘も同じ」
瑚煌の瞳が夕焼けの朱色を受けて朱金を帯びる。
「四王叔の娘もそうよ」
丹が瑚煌に、同じように夕焼けで朱金を散らした目を向けた。
「四王叔が選んだのは透弟だった。それが受け入れがたいのか?」
「正妃が生んだ従姉様を選ばず、阿透を選ぶなんて、四王叔は従姉様を軽く見ておられるのだわ」
椋は丹が持ってきた茶器を自分の随身に片付けさせながら、瑚煌に向かって否を唱える。
「阿透は四伯父上の兄弟では唯一、蘇一門以外の家門出身の母を持つ。瑚煌おまえにはそれがなにを意味するかわかるか?」
「半分は王龍族以外の血筋だということよ」
瑚煌が椋に不機嫌な目を見せれば、椋が首を振り、丹が弟妹から目を逸らした。
「四伯父上のことだ、阿透の母を娶った理由があるに違いない」
そうは言いながら考える仕草を見せた椋を視界の端にとらえ、丹は目を伏せ、嘆息する。
「それはそうと、面倒が起きる前にこの講談の語り部を探し出して菖のチビを保護せねば、どこかの誰かがあのチビを捕らえて悪事を働くやもしれん。すべきことはふたつだ。講談の流布を止めること、菖俊を保護すること」
椋と瑚煌は丹の指示に頷いた。
七王爺の兄弟は、腹違いの末弟がすでに父と伯父の政治取引に使われていることを知らない。
かつて栄耀栄華を誇った邸宅の前から主人の子供たちであった兄弟姉妹の姿がなくなると、彼らがいなくなるのを待っていたかのように日は暮れ、夜空に星が瞬き始めた。




