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蒼山碧海番外編  作者: 望月かける
動乱始末
101/106

龍と妖狐と魔法の小刀(40)七王府の子供たち

 蘇国、王都柳州


 貴族の邸宅が並ぶ区画にそびえる朱塗りの門扉。

 その上には、かつて扁額が掲げられていた。

 扁額には、主の栄達を寿ぐ四文字が彫られていたが、今では取り外されている。

 邸宅の主がいなくなって数年が経ち、門前の階段は隙間という隙間から雑草が伸びていて、門を彩っていた朱色の漆からも、割れ落ちて、剥げて掠れてと、もはや艶やかに磨かれていたころの面影は失われた。


 禁


 これもまた風雨にさらされて掠れた朱墨の文字が、邸宅の主はここを捨てたわけではない、禁を犯したことで邸宅も財産も差し押さえられたのだという事実と、それゆえにもう何年もここには誰も触れていないのだという歴史を、これ以上にないほど雄弁に語る。


 邸宅の主が誇り、扁額が称えた栄耀栄華は、すでに過去のものなのだ。


 門に「禁」の文字が貼られたころから使われなくなって雑草に彩られた石階段は、この日、珍しく客を迎えた。

 しかし、門は開かない。

 ただ門前に来て、階段に腰掛けるなぞする奇特な客である。

 客は三人ほど。

 男がふたり、女がひとり。

 ひとりは階段に腰掛け、ふたりは、門前に簡易な机と小さな椅子を出して座り、風炉で湯を沸かしていた。


「兄上は、よくこんな馬鹿馬鹿しい暇つぶしを思いついたもんだ」


 階段に腰掛けた男が嗤う。


「おもしろかろう? 宮中で失態をさらした父に人生を狂わされた被害者の会だ」


 風炉で湯を沸かしている男が、急須に茶葉を入れながら笑った。

 産地も分からない、銘柄も分からない、二束三文の茶葉ではあるが、男は少し鼻を寄せて香りを確かめ、満足する。

「強い香りはもうすっかり飛んでいるが、まあまあだろう」

「貞俊兄様は」

 口を開いた女に、男ふたりが目を向けた。

「王と言え。園遊会で遊んでくれた従兄(にい)さまではあるが、あちらは王、こちらは罪人の子供だ」

 兄上と呼ばれていた男が女を嗜め、それから、弟妹ふたりの顔を見る。

「いいか、王を恨むなよ。おまえたちはそんな短慮な思考の持ち主ではないと、兄は信じているからな」

 弟は嫌そうに兄に視線を向けた。

「兄上が信じていようがいまいがどうでもよい。恨むなら王より父上だろう。だいたい捕獲された理由が後宮の妃と逢引きなんぞしていたという阿呆な罪だぞ。父に相違ないか確認を求めると呼び出されたときの気持ちがわかるか?」

 一呼吸置いて、弟は言う。

「天牢まで行って、案内された先の牢に女物の着物で鎮座している父を見たときの、うちの父はいったい何をしているのかとがっかりした絶望感が、わかるか?」

 兄妹は、無言になった。

 弟は続ける。

四爺よんやはな、比氏との縁談で嫁ぐ契約をして、園遊会でも比轍ひてつがいるときは女性の形で伯母上として参加していたし、諸国から来た王妃たちも、だいたいが女性の形でいらした。それは正当な理由があってのことだし、昔から見慣れている」

 兄妹は同意を示すために頷いた。

「どなたも六心王龍で、女性の器も央玄君からいただいている。それは知っている。私たちのようにひとつの器しか持たない五心とは違う。だがしかしだ、うちの父は、後宮で不貞を働くため、堂々と後宮に忍び込むために女の器を使ったのだぞ。阿呆だろう!」

 恥ずかしさからか、弟は雑草まみれの階段から腰を浮かして声を荒らげる。

 兄と妹も父がしでかしたことについては擁護のしようがなく、揃って頭を抱えた。

「伯父上の頃なら一族連座だっただろうが、王が王だからな」

「優柔不断?」

 弟妹の会話に、兄はさらに頭を抱える。

「その口を閉じろ。私たち三人が情状酌量されたのは王になったのが一殿下だからでもなければ、王が優柔不断だからでもない。私は父上がため込んだ情報の一切合切を提出したからであり、りょう、おまえは後宮に押し入った不埒者が間違いなく父であることを証言したから。瑚煌ここうはすでに他家に嫁いでいたからだ」

 椋と呼ばれた弟は、呆れたように兄を見た。

たん兄上、それでも、王は甘いと思うぞ」

 妹の瑚煌は兄たちを横目に手持ちの籠を机に出して、お茶請けを並べる。

「私にとって一番の屈辱は、あの二殿下が異母兄だったということよ」

 兄たちは妹に顔を向けて異口同音に同意を示した。

「先王は子供たちを蔑ろにして、蘭俊と菖俊にばかり構っていたというけれど、うちも似たようなものだったでしょう。お父様はいつも、蘭俊と菖俊の話しばかり」

 瑚煌が言えば椋も頷く。

「彼らが父上の実子だと言われても、ああそうか、と納得するしかない」

「自分の息子たちが王宮で心地よく生き延びるために、炎二妃のところに通ってはご機嫌伺いをしていたということね。そのうえ菖俊はまだ幼いとはいえ……うちの邸宅がまだ賑やかだったころに一番小さかった妹は、今、いくつだったかしら?」

 弟妹の会話を聞きながら湯を急須に注ぎつつ、兄は鼻で笑う。

「まだ十歳ほどだったかな。菖俊と同じころに生まれた子供だろう? 四心の侍女に手を出して、五人目の妾にしたのだったかな。その親戚を宮中の、下っ端とはいえ、要職にも手が届くような役職に入れていた」

 兄の丹が茶杯を机に並べるのを見て階段から腰を上げ、椋が「そうそう」と苦笑した。

「女に手を出すのが早い男だったとはいえ、まさか後宮の妃に手を出していたとは、我らが父ながら、驚いた。捕まったその場で伯父上に叩き切られていればよかったのに」

 門の向こうにはかつて兄弟姉妹が育った屋敷の庭園が広がっているが、今、三人の兄妹にとって、この門前に広げた小さな机が茶会の庭である。

 話を変えたのは、丹だった。


「さて、市井で暮らすと人の生活がよく見えるものだ」


 椋と瑚煌は茶杯を片手に動きを止め、兄を見る。


 こんなところで茶を飲もうなどというおかしな誘いの、本題はなんだ。


 弟も妹も、兄が父から「まともな教師」に預けられて育ったのを見てきた。

 彼らの父である七王爺施徹(してつ)は五人も妾を抱えていたが、施徹の王妃はこの三人兄弟の母であり、三人だけが七王府の正統な子供たちとして王宮の様々な宴や祭祀に出されていた。


「ふたりとも、ちまた流行はやりの講談を聞いたことはあるか?」


 兄の質問に弟妹は首を振る。

「私は嫁ぎ先で講談を聞くことはございません。お芝居を見ることはありますけれど、それも贔屓の劇団を呼んで、宴の余興にする程度です」

 瑚煌が言えば、椋も口を開く。

「私は単純に、自分の妻子を養うのに忙しく、講談に足を止めている暇などない」

 丹は頷き、それから貸本屋で借りた袖珍本しゅうちんぼんを机に置いた。


「一冊一冊は講談にして五回分程度の内容しかないが、集めるとどうなると思う」


 題字に『懐遊奇話』と書かれた袖珍本を手に取った弟妹は、ちらりと内容に目を通そうと一瞥いちべつしてから弾かれたように兄を見る。


「宮中の暴露本ではございませんか! 悪趣味だこと!」

「丹兄上、これが講談として出回っているとおっしゃるのか?」


 弟妹の言葉を聞いて、兄は頷いた。


「家族思いの王と、優しい二妃と、その息子たちの話しだが、主人公は一番小さな子供だそうだ。無邪気な子供が、いじわるな兄や姉に悪言雑言を受けながら宮中で過ごす。貸本屋が言うには、この講談を本にしてほしいとどこぞの書生に頼んだらしいのだが、一度は請け負った書生が仕事を断ってきたのだそうだ。講談の終わりが見えないからだろうかと、貸本屋の主人は気を揉んでいたが、おまえたちこれをなんと見る」


 丹に問われ、椋は中途半端に手を挙げる。

「まず私は、兄上が貸本屋に行くということに驚いた」

「そうね、講談を聞いたり貸本屋で本を借りたり、お父様が働いた悪事の証拠を洗いざらい官憲に引き渡すことにも躊躇ちゅうちょがなかったお兄様に、そういう情緒があるとは思いませんでした」

 弟と妹からの反応は、丹が望んだような袖珍本の内容に関する感想ではなく、丹は呆れたように眉根に皺を刻み込んだ。

 その兄を見た椋が、袖珍本を指さす。

「この講談は、終わっていないのですか?」

 丹は椋の疑問に首肯しゅこうの仕草で答えて顎を撫でる。

「講談を聞く者はどうやら女性が多いらしい。講談師に場所を貸す店は普段と違う客層に味をしめたのだろうが、店によってはお抱えの講談師たちにいくつもの部屋で同じ話を語らせたり、話を引き延ばさせたりと、人気のある回はどれそれでと繰り返すだけで、結末を聞いた者が見つからない」

 兄妹は困ったように三人で顔を見合わせた。

「まあ、終わりのないお話を、それも宮中の描写が多いものを本にしてほしいと言われてその書生さんも困ったでしょうねえ」

「宮中の作法なんぞ、書生が知るわけもなし」

 七王爺の子供たちは、諦めにも似た思いを抱えて袖珍本を眺める。

「それで、人気があるのはどのような回なのですか?」

 妹の質問に、兄は嘆息した。

「いじわるな教育係をはべらせている姉が罪人に嫁がされる回だそうだ」

 丹が言えば、弟妹は無言になって自分の前に置かれた茶杯に手を伸ばし、それぞれに好き勝手な方向を見てなんらかの感情をやり過ごす。


 三人は、それぞれ表情に思案を浮かべながら袖珍本を読む。

 静まり返った七王府の門前を、風が通り過ぎていく。


 そうして風炉の炭が燃え尽きた頃、口を開いたのはりょうだった。

「この話を本にしてほしいという注文を断った書生は命拾いしたな」

「命拾い?」

 丹は椋に視線を向ける。

「宮中のことで想像がつかない、あるいは話に終わりがない、そういう理由で断ったのだとしても、この話は先王や二妃を美化しすぎている。講談師がどのような意図でこの話を流布しているのか知らないが、この話を本にすれば余計な政治に巻き込まれる」

 瑚煌ここうを見れば、こちらも椋の意見に同調したのかゆったりと頷く。

「この、いじわるな姉というのは芳俊殿下でしょう? 園遊会に出てこない従弟。私が言えたことではないけれど、園遊会で大人たちがどれほどこの子を嘲笑していたか、お兄様たちもご記憶にあるはずよ」

 丹も椋も、妹に言われて口を引き結んだ。


 伯父であった先王の代に、奢侈しゃし専横せんおうを極めた炎二妃とその子供たちにおもねるのは、父が推挙した佞臣ねいしんたちばかり。

 彼らは口々に、蘭俊と菖俊以外の皇子たちをおとしめた。


「一皇子、覇気がない、王位に意欲的な蘭俊のほうが頼もしい」

「三皇子、金儲けばかりであさましい」

「四皇子、武勇を誇るが宮中に寄り付かないので困る」

「五皇子、いつも兄の三皇子の後ろに一歩引いて控えるので影が薄い」

「六皇子、いくら母の出自がよくても後ろ盾がないのでは、まるで孤児」


 そうして、彼ら佞臣たちは王と二妃の前で蘭俊と菖俊を持ち上げていた。


 丹は机に手をついて立ち上がり、身を乗り出して声を潜める。

「講談師がいる店は王都内にいくつもある。時間を見繕って家の者に店を回らせ、この講談を聞かせている者があれば捕らえて私の候府に連れてきてほしい。逃げるようなら多少手荒なことをしても構わん」

 椋と瑚煌は目や表情に浮かんだ不安を隠しもせず、兄を見た。

 丹は父によく似た目を細める。

「父上はまだ天牢で生きながらえている。今、こんな講談を広げられて、かつて炎二妃や父上に取り入っていた者たちから、この皇子や父上に同情的な声をあげられて、七王府が小細工を弄したなどという冤罪を被るわけにはいかんのだ」

 神妙に紡がれた言葉を聞いた椋は、それでも鼻を鳴らした。

「あの阿呆、伯父上に斬られて果てておればよかったのに」

 瑚煌のほうは、袖珍本に目を落としてから丹に向って顔をあげる。


「私が婚家の方々や友人たちを誘って回ります。女性たちに人気のある講談でしょう?」


 瑚煌はふくよかな頬を緩ませて優雅な笑みを浮かべ、丹と椋はその笑みを見るなり背筋を伸ばして椅子に座り直し、妹から顔をそむけて身を寄せた。


「母上が妾達への嫌がらせを思いついたときと同じ笑みだ」

「父上が出入りの者たちを巻き込むときとも似ている」


 妹だけが、兄たちからの評価を聞き損ねた。

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