龍と妖狐と魔法の小刀(39)エルバハンの異邦人たち
商談ができると露天商から紹介された店は、小ぢんまりとした店構えに似つかわしくない程度に奥行きのある店だった。
入口は褪せた朱色と深緑で紡がれた唐草模様の布で飾られていて、奥に向かうほどに装飾が緻密になっていく。
ヤフェル・フォルゲンゼルはどうとも思わなかったが、異国の青年はそうでもないらしく、中庭を望む回廊の柱や透かし彫りのある窓に忙しく目を向けて、なにやら独り言をつぶやいてはひとりで頷いている。
青年が店主にどれだけの金を見せたのかは分からないが、ヤフェル・フォルゲンゼルと青年は、店員に案内されてそれなりの広さがある個室に案内されて腰を落ち着けた。
「助けを求めてはいなかった」
ヤフェルは青年を見て不機嫌に口を開く。
「そんなことは承知だ」
青年はヤフェルを見て「どうも」と、同じように露骨な不機嫌さを見せて応じた。
その態度に、ヤフェルは苛立つ。
「私はあなたに、ジャファール・エルバハンを守ったという話についてお聞きしたいと言ったはずだ」
そう言いながら、青年はヤフェルに手を差し出して見せた。
ヤフェルは小さく鼻を鳴らしてから青年の手を掴んで握手したが、青年は怪訝な表情でヤフェルの顔を見て眉根を寄せ、ヤフェルの手から自分の手を引き抜いてもう一度、今度は掌を天井に向けるようにして出し直す。
「あなたの名前を伺いたい」
青年の言葉を聞いて、ヤフェルは「なるほど」と頷いた。
握手をするために手を差し出したのではなく、名前をどうぞと促していたわけだ。
「私を誘ったあなたのほうが先に名前を言うべきだろう」
ヤフェルが言えば、青年は「ふむ」と、小さくではあるが、ヤフェルがしたのと同じように頷いてから手を膝に置く。
「スプリングスという、サンジェル・スプリングスだ」
ヤフェルは青年の名前を「サンジェル」と、ヤフェルに聞こえた通りに繰り返してから座りなおした。
「ヤフェル・フォルゲンゼルだ」
「フォルゲンゼル殿か」
そう言って頷いたサンジェルの手がひらりと空を切るように動かされ、どこからともなく室内に入ってきた狐の頭を撫でた。
「サンジェルさん、その狐は、どこから」
「気にするな、通信役だ」
サンジェルが淡々と答える。
「将軍、ハラン砦は間違いなく使える」
ヤフェルは狐に声をかけるサンジェルを見て顔をしかめたが、その表情はサンジェルの横に腰を落ち着けた狐が人のような声を発したせいで、すぐ驚きに取って代わられた。
「タン、レイ・ジー・ハック?」
少なくとも、バルキアの狐とは何かが異なっている。
ヤフェルはサンジェルと狐を凝視する。
怪訝な顔をしているヤフェルを振り返ったサンジェルが、また手を動かしてヤフェルの気を惹いた。
「何を言ったかわかったか?」
ヤフェルは否定の動作で首を振る。
何かを言ったのは分かったが、何を言っているのかは分からなかった。
顎に手をあて、それからサンジェルが唇を湿らせる。
「ラーフマナ、通訳の範囲を室内に広げて」
サンジェルの言うラーフマナは、狐のことだろうか。
「あと、名前まで訳さないで」
ヤフェルは首をひねった。
(名前まで訳さないで、とはどういう意味だ?)
「私の名前はサンジェルじゃなく、ユシャウだ」
「ヴェスタブール人のためにヴェスタブール風にしてみたが」
「余計なお世話だ」
ヤフェルの前にいるのはサンジェルと狐だが、サンジェルとも狐とも違う三番目の声がサンジェルと会話している。
「サンジェルさん」
「失礼、それは通訳の道具が勝手につけたヴェスタブール語の名乗りだ。スジェ語ではタン・ユシャウという」
スジェ語という説明を聞いて、ヤフェルは納得した。
(見たことのない服だと思ったら、彼はスジェ人なのか)
目を見開いたヤフェルを前にして、サンジェル改めユシャウと名乗った青年は頷き、また狐に目をやった。
「クマさん、自分の姿作れるでしょう? これだと、私がひとりで狐と喋ってる変人に見える」
狐なのにクマさん。
ヤフェルは妙なことを聞いたとでも言うような目でユシャウを見たが、次には、狐が人に姿を変えたのを見て息をのんだ。
ユシャウと同じように髪を頭上でまとめて簪で留め、バスローブのような服を着ているが、ユシャウが長い布をリボンのように使ってベルト替わりにしているのに対し、狐だった男は革に貴石のバックルを付けたベルトを使っている。
元狐はヤフェルをちらりと見、それからユシャウに目を向けた。
「タン、ここはどこだ」
「エルバハン」
ユシャウの返答に元狐が顔をしかめる。
「バラカには出なかったのか?」
「ハラン砦から出た先はバラカだったけど」
元狐が黙り込み、ユシャウが言葉を続ける。
「ラーフマナさんがね、バラカじゃどこにどんな仕掛けがあるか分からない、クマさんの依り代を呼ぶのは危険だから、エルバハンまで行けってさ」
砕けた口調で元狐に向かって話をしていたユシャウは、それから元狐に「それでそこの男はなんだ」とヤフェルの紹介を促され、ヤフェルはその不躾さに呆れた。
「ヤフェル・フォルゲンゼルという」
元狐はヤフェルを頭のてっぺんからつま先まで眺めて感嘆する。
「バルキアからエルバハンに来たのか? なぜ? ジャファール・エルバハンの頭と心臓はもう返されたというのに」
ヤフェルはうんざりした。
(またジャファール・エルバハンの頭と心臓の話か)
元狐の視線から逃げるように顔を背ければ、元狐が「ふん」とわざとらしく鼻を鳴らしてから腰を下ろした音が聞こえる。
「フォルゲンゼル殿にひとつ質問したいのだがよろしいかな」
元狐は自分が名乗っていないことに気付いていないのかもしれないが、ヤフェルは名を呼ばれて仕方なく元狐に顔を向けた。
「どうぞ」
ヤフェルの同意を確認した元狐が軽く目を伏せて頷く。
「カストール・ヴァン・フォルクサンは、今、バルキアでどのような立場だ?」
ヤフェルは戸惑ったが、それを見たユシャウがヤフェルに対して手を差し伸べるように動かして返答を促した。
「悪いことにはならないから、質問には答えてもらえるかな」
弁解するようなユシャウの言葉に、元狐が同調するように頷く。
「なぜ、カストール・ヴァン・フォルクサンのことを聞く。ジャファール・エルバハンのことが聞きたいと言ったはずだ」
ヤフェルの疑問に、元狐はひとつ大きく息を吸い込んだ。
「カストール・ヴァン・フォルクサンは、バルキアをどうしたいのか、またジャファール・エルバハンと敵対するつもりなのかが知りたい」
ギラリと元狐の瞳が緑にきらめいた次の呼吸に合わせて、ヤフェルの口は、減らず口で返そうとした自分の意思に反して動いていた。
「知らない。カストール・ヴァン・フォルクサンは侯爵家の跡取り息子ではあるが、まだ侯爵にはなっていない」
意思に反した言葉がするりと自分の口から出たことに、ヤフェルは背筋が凍り付く。
元狐は立ち上がり、ヤフェルの顔を覗き込む。
「ありがとう。ではジャファール・エルバハンの頭と心臓を守ってきたという、フォルゲンゼル一族の百年について、知っていることを教えてくれ」
元狐が緑にきらめく目を眇めれば、ヤフェルは目を逸らすこともできずにまた口を動かしていた。
「スタルサランの王から、預かったと聞いている。盗賊に奪われるから、エニシャ国内を王子の遺骸を抱えて流転して……たどりついたのがバルキアだったと、祖父が、そう」
言っていた。
ヤフェルはそれから、自分でも理解できない話を元狐に向けて続けた。
「それ、で、私は王子の頭と心臓を、リゲル嬢に、返さねばならないと言われ」
(言われた? 誰に言われた?)
自分の口が頭では意図してもいない内容を喋り続けていることに、ヤフェルの頭からは血の気がどんどん引いて、顔色も白くなっていく。
「教会の司祭が……正当な持ち主を待たねばならないと、返す相手を、間違えないようにと告げられて」
(それはいつの話しだ? 教会の司祭に会って、なぜそんな話をする?)
思案にヤフェルの言葉は途切れたが、元狐が緑色の目でヤフェルの顔を覗き込めば、また口が回りだす。
「司祭は、王たちが、エルバハンのリア・ドランと、タリヤのリア・ドラン、どちらが、フォルゲンゼル一族を見つけるか、楽しみにしているのだと」
そこまで喋り、とうとうヤフェルは元狐を突き飛ばしてよろけ、尻もちをついた。
「なんだというんだ! 俺にそんな覚えはないぞ! 大学団がリゲルの施療院建設に関わるようになって、救貧行為だからと、医者だけではだめだ、教会の司祭たちにどのような助けがありそうかと聞きに行ったことはある! だが、こんな話はしたことがないんだ、ないはずなんだ!」
元狐が狼狽するヤフェルを見下ろしてくるが、その瞳は緑から琥珀に変わっていた。
「恐らくだが、きみはエニシャ王のために選ばれた支援者のひとりだったのだな」
ヤフェルは元狐を凝視して目を見開く。
「支援者?」
「王を王にするために選ばれる導き手を支援者と言うそうだ。この世の中には、そういう者がいると知り合いの司祭が説明してくれただけで、実際、どのように選ばれるのか私も知らないし、支援者に出会うことができずに死んでしまうリア・ドランの子供もいるのだそうだ」
元狐の説明を聞きながら、ユシャウが初めて知ったとばかりに口を尖らせた。
「支援者ねえ……」
「他人事じゃないぞ、タン。きみがラジュ様の支援者だ」
ユシャウが目を見開く。
「へえ! そうなの? 初めて姫様に会ったときはまだ、ただの狐だったけど」
「きみがラジュ様に『生きること』を教えたんだろうが」
ヤフェルは元狐にそう言われたユシャウが嫌そうな顔を作るのを見た。
「自分で木の実も探せないような小さな子供が山に捨てられていた、なにかを食べさせないと死んでしまうと思った、それだけだけど」
元狐はユシャウの反論に大きく頷く。
「きみがいた場所の近くにラジュ様が捨てられ、空腹にでもなったラジュ様が無意識の意思で、支援者としてきみを呼んだのだろう。タン・ユシャウでもフーニャンでもないただの狐として考えてみるといいがね、野生の狐が人間の子供に近づくか? ラジュ様ではなく、他の子供で考えてみろ」
ヤフェルには想像もつかない話だったが、ユシャウが少しばかり思案し、それから首を振る。
「なにをしてもらったわけでもない子供に、なにをされるかも分からないのに近づかないでしょうね」
元狐は大きく頷く。
「ラジュ様やアダは周囲にいる者たちの意思を動かす。人間だろうが動物だろうが、植物だろうが、その対象になる」
ユシャウが呆然と言葉を失い、ヤフェルも元狐もそれを眺めた。
「私の意思が、私の意思じゃなかったかもしれないと言われても困る」
小さく掠れた言葉をつぶやいたユシャウに向けて、元狐が首を振って否定を見せる。
「自分の意思は自分の意思なんだよ。ただ、意思のあり方に王族の希望が反映されただけだ」
「だから、それは私の意思とは……」
違う、と言いかけたユシャウは、元狐が動かした手で言葉を遮られた。
「どこに生まれたか、それだけで自分の意思のあり方と運命の礎は固まる」
元狐の言葉に、ヤフェルもユシャウも苦々しい表情で唇を咬む。
「ヤフェル・フォルゲンゼルのように啓示を受ける支援者もいれば、タンのように無意識のまま引き寄せられて支援者になる者もいる。ラジュ様のように、引き寄せられた支援者がクアンツ・ドランだという薄幸の姫もいれば、まあびっくりだが、アダのようにまさかのリア・ドランをふたりも呼び寄せる強運な王子もいる」
元狐は、なにかを思案するように目を伏せて俯いた。
「どこまでが神々の采配なのかは、私も知らない」
重苦しい空気になったところでユシャウの腹が鳴り、三人は、自分たちがいるこの場所が飯屋であり、まだ昼食を頼んでもいないということを思い出した。




