2)オスカーの最期
アスティングス家の令嬢グレースが、婚約者候補として、初めて王太子宮を訪問した帰りだった。
突然の剣戟と怒号とともに馬車が止まった。
「走れ」
「駄目です、御者が死んでます」
「お前が手綱を握れ、走らせろ」
副騎士団長である夫、オスカーの声が響くが、馬車は動かない。
「襲撃だ」
叫び声に、サラはまだ若い主のグレースを抱き、馬車の床に身を伏せた。何かの衝撃で馬車が揺れる。人が倒れる音、断末魔の叫びが聞こえる。
若い娘を怯えさせるには十分だ。
「サラ」
「大丈夫です。夫は強いですもの」
腕の中で震えるグレースと自分自身に、サラは言い聞かせた。アレキサンダーの立太子に反対する一派がいるとは聞いていた。まだ婚約する前に襲撃されるとは思っていなかった。
どれほど経ったころだろうか。激しく馬車が揺れ、扉が、外から無理やりこじ開けられた。男が立っていた。叫ぼうにも声がでない。
重い音がして、その男の胸から剣が突き出した。男が倒れ、馬車の外が見えた時、惨劇が広がっていた。そこかしこに、人が倒れ、呻き、死んでいた。倒れている中には見慣れた甲冑を身に着けた騎士達もいた。
「馬車から出ないでください」
聞きなれない声がした、平民のような恰好をしているが、顔を黒い布で覆い隠した男たち数人が、襲撃者たちと戦っていた。
「サラ、下がっていろ」
馬車の傍に、夫がいた。
「オスカー」
馬車にもたれるように立ち、血を流していた。
「サラ、下がっていろ。ここは俺が守ってやる」
「オスカー」
威勢のいいことを言ったオスカーの足元で血だまりが広がりつつあった。致命傷を負っていることはあきらかだった。サラが思わずオスカーに手を伸ばした時だった。
「馬車から出ないでください、危険です」
先ほどの少年の声がした。
「追うな、必要ない。馬車を、中の御婦人方の警護が優先です」
少年が誰かに叫んだ。
「は、小僧、生意気な、そもそもお前みたいな餓鬼の命令をきいているようじゃ、お前も仲間も終わりだな」
少年は短剣で、男の長剣を受け止めていた。
「負け惜しみを言う暇があるなら、己の鍛錬不足を恥じることです」
その瞬間、少年の短剣が男の胸に突き立っていた。
「使え」
オスカーが、それまで縋るようにして立っていた、愛剣を少年に渡した。
「お前の剣をあの死体から抜くより早い」
「しかし、これは」
少年は驚きながらも、夫の剣で新たな刺客と切り結んでいた。
「俺はもう、動けん。ここで盾になってやる」
「お借りします」
黒い布で顔をかくした少年は夫の剣を構え、襲撃者を屠っていった。
オスカーは開け放たれた扉の代わりでもあるかのように、馬車の入り口に、もたれていた。サラはその後ろで夫を支えた。
「サラ」
「お嬢様、中にいらしてください」
「お前もだ、サラ、下がって、いろ」
「いいえ。私もあなたと一緒に盾になります」
「サラ、いい女だな、お前は」
オスカーの息が荒い、顔色が白く、囁くような声だった。
「言われなくてもわかっています」
「ミリアを、頼む」
「当たり前です」
「ミリアの、婿、腰抜けは、許さん」
「もちろんです」
「少年、なかなか」
「えぇ、いい腕です。間違いなく」
立っていられなくなり崩れたオスカーを、サラは抱きかかえた。オスカーの視線の先には、オスカーの愛剣を手にした少年がいた。同じ黒い覆面の男たちと、襲撃者たちを相手に立派に、一人前に戦っていた。
「剣は、あの、少年、」
「えぇ、あの子にやりますわ」
オスカーは、部下の誰にも、自分の愛剣に触らせなかった。そんなオスカーが、愛剣を少年に渡したのだ。騎士の妻たるもの、夫の意を汲んで当然である。
「サラ」
「はい」
それ以上、オスカーの言葉はなかった。
暫く剣戟が続き、ようやく静かになった。
「深追いは無用です。生存者の確認と保護を」
顔を黒い布で覆い隠した男たちをまとめているのは、明らかにあの少年だった。馬車に戻ってきた少年は、息絶えたオスカーを見て、頭を下げた。
「ご愁傷様でした」
夫の愛剣についた血を、死者の服のすそで拭うと、少年は夫の剣の鞘に触れた。
「お借りしていた剣です。お返しします。ありがとうございました。ご家族にお渡しください」
「いいえ。その剣はあなたが持っていらして下さい」
腕の中のオスカーはまだ温かかった。覆面で半ば隠れた少年の目と、目が合った気がした。
「それが夫の望みです」
「奥方様でしたか。でしたら、この剣はあなたが」
「私達には息子はいませんの。娘が一人です。あの子が受け継いだところで何にもなりません。夫の望みです。どうか受け取ってください」
「そうはおっしゃいますが」
「お持ちください。わがアスティングス家騎士団副団長オスカーの言葉を、私も聞きました。皆様、ぜひ、屋敷へおいで下さい。お礼をせねばなりません」
馬車の奥で震えていたはずの、グレースの気丈な声がした。
「いいえ。訳が有って我々はお伺いするわけには参りません。お礼など、お気遣いくださいませんように」
少年は首を振った。確かに、黒い覆面の男たちは、周囲を歩き回り、その痕跡を消そうとするかのように武器を回収していた。
「でしたらせめて、その剣をお持ちになってください。アスティングス家騎士団副団長オスカーの望みです。あなたがお持ちください」
グレースが繰り返した。サラはオスカーの剣帯を外した。今朝、サラがつけてやったものだ。もう、つけてやることはない。
「剣帯も、持っていってください。私達、家族には不要です。剣はふさわしいものの手にあるべきです。それに、あなたも、そのままではいけないわ。早く手当てをしないと」
少年自身も無傷ではなかった。服の彼方此方が裂け、血がにじんでいた。
「若長」
既に騎乗した黒い覆面の一人が言った。
「わかりました。責任をもってお預かりいたします」
少年はそういうと、馬上の人となった。
「アスティングス家に連絡が届いたようです。こちらに向かってきています。我々のことはどうか、ご内密に」
「でも、何と言ったら」
「アスティングス家騎士団副団長と部下の方々が、お務めを果たされたのです」
少年の言葉を合図に、黒い覆面の男たちの乗った馬は駆けて行った。
入れ違いのようにアスティングス家の騎士団が現れた。どうしてもっと早く来てくれなかったのだと思うと、サラの目に涙が込み上げてきた。
「ご無事でしたか」
サラの腕のなかのオスカーを見た騎士団長の顔がこわばった。
「えぇ」
サラは腕の中の夫を抱きしめた。
「夫が最期まで護ってくれました」